第6話 新型の伝染病

 黒川研究員も、立派に独り立ちし、研究発表もいくつかできるようになったのが、研究所発足以来3年が経っていた。

 しかし、この発表というのは、新薬の開発ということで、まだ、この研究所は、普通の新薬開発研究所だったのだ。

 だから、そのスポンサーは、製薬販売会社であり、ここは、それら薬品会社の、

「共同出資」

 によって成り立っていた。

 そして、ここは研究所だけではなく、敷地ははるかに広く、奥には工場と、流通倉庫ができていた。

 そもそも、ここは、薬品会社共同出資による、物流センターが始まりだったのだ。

 そこに、薬品工場と、研究所がくっついた。それを地ならしをしたのが、他ならぬ、明人だったのだ。

 健太郎が、頼みに来たのは、そもそも、流通センター建設と、付随する工場と研究所による、

「総合センター」

 を作りたいという構想だからだった。

 だから、明人も県知事に遭おうと思ったのだし、ただの、研究所だけでは、利益にもならない話だから、門前払いもいいところだっただろう。

 つまり、うまく他のものと一緒にして、研究所をまんまと薬品会社の共同出資という形で作らせることに成功したのだ。

 流通センターは、実に軌道に乗っている。3年ですでに黒字に転じたのだ。

「最低5年はかかるだろう」

 と、黒字転換を見積もっていたが、それ以上の成果があがった。

「これで、研究所に対して、何も言う人はいないだろう」

 と思っていて、いずれ起こるかも知れないと思っている。パンデミックが、幻で終わってくれることを願うくらいになっていた。

「体制は整った」

 というほどに、研究所では、いつパンデミックが起こっても、伝染病研究所として活動できる状態になっていた。

 黒字に転じたことで、研究費用も余裕ができて、消耗品の交換など簡単にできるだけの資金は、すでにあったのだ。

 もっとも、本当にパンデミックがやってくれば、誰も分からない研究をここでするのだから。国民はおろか、政府までもが、一縷の望みをかけて、ここに期待してくれるであろうと思っていたのだ。

 しかし、政府というのは、そんな甘いものではなかった。

 一縷の望みは、逆にこちらから政府に対してのものだった。

 パンデミックが進行してくると、政府は有識者のいうことも聞かず、個人個人で、自分の私腹を肥やそうとしてくる。

 つまり、

「この時とばかり、混乱に乗じて、金儲けであったり、売名であったりを平気で行う」

 のであった。

「これが政治なのか?」

 と思う程の腐敗。税金で生活していて、国民から選ばれた政治家が、この体たらくだから、個人がいうことを聞かないのも当然のことである。

「パンデミックという国家の危機に、できるだけのことをしよう」

 と思っていた気持ちが、まさに打ちひしがれた思いだった。

 まるで、核戦争の跡に生き残った、原始時代の生活の中で、ある一体だけが、悪の組織として、蠢いているようなイメージだ、

 だから、そういうアニメがウケるのかも知れない。

 しかし、アニメの世界だからいいのであって、それが、現実味を帯びてきているのだ。しかも、核戦争によって引き起こされるものではなく、今のまま、自然界の生態系が壊れていくと、そこに残るのは、破滅を迎える、

「地獄絵図」

 である。

 そのことが、いわゆる、

「SDGS」

 となるわけだが、それは項目が結構あって、それを一つ一つ解決していこうとすると、どうしても、それぞれに専門分野が必要になってくるだろう。

 しかし、今の世の中では、とってもではないが、その一つ一つに金を掛けるわけにはいかない。

 もちろん、今回の、

「伝染病研究」

 にしても同じだ。

 戦時中であれば、

「生物兵器開発工場」

 といえるものであろう。

 だが、そのような工場を実際に運営している国家があるというから、ビックリだ。

 アメリカなどの国では、ある程度まで情報を持っているだろう。

「○○国の、○○という都市にある工場は、生物兵器開発工場だ」

 という具合にである。

 しかも、研究所が開発されて、3年後に、突如発生した、パンデミックであるが、某国の某都市で発生している。

「あそこには、確か」

 といって、言葉を濁すが、グレー状態だった。

 そういう意味で、日本でも、あからさまに、

「伝染病研究所」

 というものを公言する形で出来上がれば、諸外国から怪しまれる可能性がある。

 日本国内の、財政の問題もさることながら、公表してしまうと、危険であるということを、某国が、図らずも証明してくれた。

「危ない。危ない」

 と、研究所内部の人は思っていたかも知れないが、宮本兄弟は、そんなことは思っていない。

「パンデミックが本当に起きてしまうことは、なるべく予測が外れてほしかった」

 と考えるのが、健太郎県知事であり、

「これから、俺たちの出番で、いかにうまく今の薬品開発研究所から、怪しまれることなく、さりげなく、伝染病研究所に移行できるかということが、これからの課題となるに違いない」

 と、宗次郎所長は思うのだった。

 こうなってしまっては、宗次郎は、研究員というよりも、いよいよ所長としての、手腕を発揮しなければならない。

「今まで任さ手いた補佐には、自分の裏に回ってもらい。研究の方も、黒川研究員を中心に、回していかなければならない」

 ということで、これから、研究所の大改革を行うことになる。

 上層部は分かっていたことではあるが、それだけではダメだ。今度は、今までのように、政府を無視するわけにはいかない。こっちが無視しても、政府が、寄ってくる。下手をすれば、有識者会議のメンバーに加えられる可能性だってある。

 だが、それは何としても避けたかった。

「どうせ、日本政府は、自分たちが中心となって、最初は有識者の意見を聞いているのだろうが、そのうちに、自分たちの意見が通らないと思うと、今度は、国家権力を使って、自分たちの都合のいいように解釈して、国民に指示するに違いない。だが、そんな時でも、我々の意見を聞いたうえで出した意見だといって、国民を欺けば、それでいいと思っているのさ」

 ということで、研究所スタッフは全会一致で、反対はゼロということで固まった。

 その考えは、案の定で、その後、この研究所を抜きにした有識者で組織された意見を聴かなくなっていたのだ。

 政府も、この研究所を加えなかったのは、この研究所は実績がないから、国民に対して何をいうか分からないと思ったのだろう。

「臭い物には蓋」

 ということで、最初から入れないに越したことはないと思ったのだろう。

 そのおかげで、自由に動くことができた。その裏では、健太郎が、知事としての力をいかんなく発揮したのではないだろうか?

 というのも、今回のようなウイルスに対しての対策は、

「県知事を敵に回すわけにはいかない」

 ということは、最初から分かっていたようだ。

 政府の方針として、

「最初の決め事はこちらで行うが、実際に末端に指示し、行動するのは、各自治体の仕事になる」

 ということを、おぼろげに決めていたのだろう。

 その頃はまだまだ、ウイルスの正体がわからなかったので、闇雲に行動制限や、緊急事態宣言によって、国民は不安のどん底と、動けないことへのストレス。さらに、自営業者は、商売ができないことへの憤り、最悪の空気が世の中を覆った。

 そんな状態の中。伝染病研究所はすばやく、伝染病研究に鞍替えして、少なからずの成果を挙げてきた。

 実際には、ワクチン開発も。外国のワクチンを入れるまでもなく、国産でできていた。

 しかし、治験の問題や、まだまだ、研究所の正体が分からないということで、

「そんな正体不明なところで開発したワクチンに、信憑性などあるものか」

 と、政府は思っていた。

 有識者までが、露骨に嫌な顔をした。有識者の中には、この研究所からの有識者になる人が出なかったことへの嫌悪感があった。

「俺たちだって忙しいのに、国家の危機と思って出てきているのに、あいつらは、そのことを何とも思わないのか?」

 ということであった。

 それでも、

「嫌な奴と一緒にいないでいいのはいいことだ」

 という思いがあり、安心もあるが、やはり、彼らに対して嫌悪を抱いていないと、気が済まないというのは、有識者にはあった。

「彼らもひょっとすると、政府がそのうちに言うことを聞いてくれなくなることが分かっていたのだろうか?」

 と思えた。

 露骨に政府は、有識者の意見を無視するようになるだろう。しかし、

「専門家の意見を聞いたうえで」

 という対策を打ち立てるためだけに、有識者は利用されている。

 国家権力で、そのことを封じ込めてしまいさえすれば、

「有識者は、政府の言いなりになる」

 とまで政治家が思っていたとすれば、それは完全に、

「知識人に対しての、冒涜だ」

 と、言えるのではないだろうか?

「有識者というものは、政治利用にはもってこいだ」

 と思っているとすれば、それはあくまでも、広告塔でしかないのだろう。

「専門家の意見を聴いたうえで」

 とさえいえば、それを免罪符にして、何でも通るとでも思っているのだろうか。

 国の方でも、慌てて、

「伝染病研究所」

 の設立に動いていた。

 だが、事が起こってからでは、そちらの対応にも追われるので、その傍らで、一緒に研究所の設立をしようとすると、当然、時間もかかるというものだ。

 今回はさすがに設立に関して世論も野党も反対はしない。ただし、

「あくまでも、開かれた研究所であることが大前提です」

 ということは野党から言われて、

「了解しました」

 と口では言っているが、そう簡単に表に出せないものもたくさんあることは分かっていた。

 野党も分かっているから、くぎを刺したのだ。

「こんな政府の作る研究所に、何ができるというものか」

 という思いと、

「さすがにこの緊急事態、藁をもすがる気持ちで、研究所に賭けるしかないのだろうか?」 という思いの二つがあったが、本音としては、前者なのではないだろうか?

 ただ、さすがに野党としても、

「免罪符として使うなんて」

 とまでは思っていなかったのだ。

「いくら政府とはいえ、緊急事態のこの期に及んで、免罪符などという、禁じ手を使うわけはない。使ってしまったら最後、国民の支持を得られなくなる」

 と野党は思っていたが。その通りになっていた。

 本来なら、このような有事になれば、政権の支持率というものは、少々であっても、上がるのが普通なのだが、日本では低下した。

 ということは、

「これが平時だったら、もっとひどいことになっているに違いないな」

 ということであった。

 何が平時で、何が有事なのかというのは、そもそも、日本に

「有事は存在しない」

 という概念で、憲法から作られているので、国会は、特別法の制定が急務となり、少なくとも、現行法だけでは、にっちもさっちのいかないというものだろう。

 それほど、パンデミックの初期は、真っ暗なトンネルの中で、右往左往していた。本当は動けば動くほど、自分がどこにいるのか分からなくなるので、じっとしているのが当たり前なのだが、政府というのはじっとしていられないものだ。

 それだけ有事に慣れていないということなのか、さらには、

「トンネルというものに、出口があるというのは、勝手な思い込みではないだろうか?」

 と考えたのだ。

 昔の漫才の、

「地下鉄って、どっから入れたんでしょうね?」

 というネタを思い出すのだが、そもそも、トンネルという概念が難しい。

 当然、どこかから入れることになるのだろうが、そのどこか。つまり、出発点である、入り口を見つけることが困難で、なぜかというと、どうやってトンネルの中に入ったのか、トンネルを意識した時、その当たり前の感情が喪失してしまうのだった。

 そんな状態において、トンネルに入っているのだから、出口がどこかにあるという考えは、ある意味無視がいい。

 しかし、いずれはトンネルから抜けることになる。

「入った時のように、気が付けば抜けていたということになるのだろうか?」

 と感じるのだった。

 トンネルと抜けると、すべてがなかったことになるわけではない。少なくとも、パンデミックで死んだ人、さらには、経済封鎖のごとく、緊急事態宣言下で、締め付けられたひとが、耐えられなくなり、自らの命を断った人。

 さらには、外国からのワクチン接種の副反応のせいなのか、そのせいで死んでしまった人。いろいろな原因で、命を落とすことになったのだ。

「ワクチン接種が原因で何かあった時は、国が保証します」

 などと言って、ワクチン接種率の向上を目指したが、実際には、ワクチン接種から、数日で死亡した人に対して、

「因果関係を調べるから」

 ということで、なかなか保証をしなかった。

 保障されても、死んだ人が戻ってくるわけではないのだが、それにしても、政府の言い分が何だというのか、これでは、詐欺ではないか。

 いくら、接種率を上げるためとはいえ、

「国民一人の命くらいは」

 とでも思っているのか、あまりにも理不尽である。

 まるで、竹やりだけを持たせて、一人で、敵兵が待つ戦場に放り出されたようなものではないか? それが国民の立場であり、政府が国民をどの程度見下しているかということが分かるというものだ。

 だが、ワクチンの効果は確かにあるようだ。なぜか政府は数字だけを示すことしかしないが、その数字だけで充分な効果であった。

 その証拠に、専門家も、一時期とはいえ、パンデミックが収まったかに見えた時があったが、その時は、

「明らかに、ワクチン効果の表れです」

 といっていた。

 もちろん、要員は他にもいっぱいあるのだが、第一に挙げるのが、ワクチン効果ということだった。

 その頃は、政府のやり方に専門家も、反発するようになっていた。明らかに、おかしいと思うことであれば、政府に都合の悪いことであっても、黙っておくようなことはしなかった。それは、

「専門家としての意地」

 というのもあるだろうが、

「政府はしょせん、口でいうだけで、何もできない」

 と、思うからであろう。

 昔の大日本帝国のように、

「特高警察」

 などの、憲兵がいるわけではない、

 あのような、私軍とでもいえるようなものが存在しては。とても、民主国家と言えるものではないからだ。

「何が一体こんな世の中にしてしまったのだろう?」

 という愚痴が聞こえてきそうだが、それを考えるのは必要なことではあるが、優先順位としてはかなり低い。

 ある程度パンデミックが収まってから、反省会という意味で議題に上がるべきだろう。

 しかし、今の政府のことだから、パンデミックが収まれば、

「ああ、よかったよかった」

 ということで、すでに、過去のことになりかねない。

 だから、

「歴史は繰り返される」

 のであって、

「人間というのは、知恵ある悪魔だと言われるのだ」

 ということになってしまう。

「神なき知育は知恵ある悪魔を作るものなり」

 という言葉を、玉川学園の創始者が残しているが、まさにその通りである。

 このパンデミックというものが、

「神なき知育」

 によって、育まれ、そして、パンデミックという、

「知恵ある悪魔」

 を作り出したのだ。

 人によっては、

「伝染病に、知恵なんかあるのか?」

 と言いたいのだろうが、伝染病、つまりウイルスにはちゃんとした知恵が存在しているのだ。

 ただ、この知恵は、頭で考えるということではなく、人間でいうところの無意識の中で、彼らは、必死で生き残ろうとしているのが、分かるというものだ。

 だからこそ、パンデミックは長年に及ぶ。

「第○○波」

 と言ったように、第一波で終わるものはまずなく、最低でも第三波、ひどければ、10波を超えることなど普通にあるというものだ。

 実際に、マスゴミの方でも、今が何波目になるのかということを把握できずにいたり、それぞれの解釈で違っていたりするから厄介だった。

 新聞によって、波の数が違っても、国民も感覚がマヒしてきているので、そんなことはどうでもいいということになっていた。

 何よりも、長引けば長引くほど、感覚のマヒは顕著で、患者数が、過去最多となり、さらには、

「世界最多」

 などという時期があっても、その前に、一度終息しかかっていたことで、国民の感覚は完全にマヒしてしまっていた。

 ニュースでマスゴミが煽っても、誰も、もう何も感じない。いわゆる、

「オオカミ少年状態」

 である。

 何といっても、ついちょっと前までは、皆、マスゴミの影響を少なからず受けていたのが、もう、どうでもいいというほど、マンネリ化したのと、マスゴミのいうことを、

「どうせ、また煽っているだけだろう」

 と、マスゴミの本質を知ってしまったからに違いない。

 ウイルスが、

「知恵ある悪魔だ」

 と言ったのは、ウイルスにある生命力のことを、

「知恵」

 というのだ。

 つまり、ほとんどのウイルスというのは、自分が生き残るためには、

「人の身体に入り、伝染させる」

 という仕事をすることで初めて、生き残れることになる。

 ハチのように、差してしまうと、そこで、自分の命が尽きるわけではなく。むしろ、伝染させることで強くなるという、ハチとは正反対のものである。

 実際に最初のウイルスというのは、まるで子供のような弱さがあった。それなのに、人間が簡単に駆除できないというのは、

「ウイルスの特性が分からない」

 という、

「海の者とも山の者とも分からない」

 ということから来ているのだろう。

「下手に動いて、失敗すれば、自分の責任になる」

 ということで、政治家は。こういう時は、一律、冷静になるものだ。

 藁をもすがるという思いですがるくせに、すぐに逆らうというのも、政治家らしいと言えるのだろう。

 ウイルスが生き残るために、爬虫類でいう。

「脱皮」

 というものを繰り返すのと似ている。

 つまりは、

「変異を繰り返す」

 ということだ。

 波がいくつもあるのは、その間に、脱皮を繰り返したウイルスが、まるで新しい品種のウイルスとなって、次第に置き換わっていくのだ。

 だから、いくら、ワクチンや特効薬を作っても、変異株に効くかというと、それは未知数である。

 変異することで、ワクチンから逃れ、人間が変異種に効くワクチンを作りあげると、今度はまた変異する。

 その繰り返しが、そのまま、

「波」

 となって押し寄せることになるのだった。

 本当は、こういうことを教えてくれて、助言をしてもらうのが、専門家委員会なのだろうが、すでに、政府がいうことを聞かなくなってきたので、その機能はマヒしてしまっているといってもいいだろう。

 そうなると、

「もう、政府はあてにならない」

 ということになる。

 そこで俄然と力を持ってくるのが、今回作った、

「伝染病研究所だ」

 ということになるだろう。

 もちろん、予知したのは、健太郎で、それに同意し、自分の知識と経験をフルに生かして、

「兄貴の役に立ちたい」

 という気持ちが、宗次郎を動かした。

 明らかに身内のことを考えているだけだったが、言葉では、

「国民のため」

 といいながら、私利私欲しか考えていない中央の政治家にくらべれば、月とスッポンといってもいいくらいに、こちらの、兄弟チームの方が説得力がある。

 さすがに、パンデミックが始まって、3年くらい経った頃には、宗次郎の、

「伝染病研究所」

 というのは、その存在を国民が知ってもいい時期ということで、発表すると、国民のほとんどは、政府ではなく、この研究所に期待を寄せた。

 何しろ政府の政策を見ていると、すでに何もしなくなって、ただ患者数を発表するだけ、要するに、

「自分の命は自分で守れ」

 といって、さじを投げたということであった。

 そんな時、誰も知らない間に、新種のウイルスができていることに、誰も気づいていなかった。新種というよりも、系列ではあるが、

「性質が明らかに、今までとは違う」

 という形で、変異しているというウイルスだったのだ。

 このことが、そのまま、

「知恵ある悪魔」

 という言葉を証明しているように思えたのだった。

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