第7話 変異株
ウイルスというものが、変異を繰り返すことで、生き起こりを図っているということは、今回の、
「世界的なパンデミック」
が起こるまでは、日本人には、あまり知られていなかったことだろう。
細菌とウイルスの違いだって、そんなに分かっていないだろうし、正直、今も分かっていない人が多いに違いない。
今回の、パンデミックは、完全にウイルスによるもので、これだけ、いくつも波が押し寄せたのが、その証拠である。
2年とちょっとで、7波も、8波も襲ってくるのだから、一年間で、4回あったことになる。
「春夏秋冬」
満遍なく襲ってきたもので、その中で、何度の変異を繰り返したことだろう。
実際に変異を繰り返す中で、途中までは、その猛威はひどかった。
というのも、最初の変異では、
「日々の新規感染者も徐々に増えてきたが、何よりも重症化率が高く、いきなり重症化したかと思うと、そのまま死に至る」
という恐ろしいものだった。
だから、病院の受け入れ先が見つからず、救急車の中で息を引き取ったり、さらには、救急車を呼ぶ前に力尽きて、自宅で孤独死をしていたものを、数日後に発見されるというような悲惨な状態が続いた。
その頃に、ちょうと、ワクチンが海外から入ってきて、ワクチン接種をしたことで、重傷者が徐々に減ってきて、患者数もピークを越えたというものがあった。
しかし、今度の変異では、
「重症化というものはそこまではしないが、感染の確率は、かなり高い」
と言われた、
確かに、重症化の確率は低いかも知れないが、感染者が、過去最高を更新し、ピーク時には、前回の変異の時の、5倍近くの感染者を出していたのだ。
さらに、それが少しピークを越えたかと思うと、また変異し、今度は、
「世界最多」
ということになってしまった。
同然、病床視聴率はひどいことになった。ただ、問題はそこではない。
「自宅療養者が、95%を超えた」
という自治体もある。
それはそうだろう。
以前の変異からでも。4,5倍の感染力とうことは、二つ前から比べれば、20倍である。数十パーセント病床を増やしたくらいでは、
「自宅療養者が悪戯に増えるだけ」
と言われても仕方がない。
しかも、今回は行動制限を掛けない。
国とすれば、
「経済を回すことが大切」
という、言い訳で、構想制限を掛けない。
本当の理由は、
「行動制限を掛けると、保証しなければいけなくなり、そんなものに金を使ってしまえば、自分たちが甘い汁を吸えなくなる」
というのが、本音ではないだろうか?
本当のところは分からないが、厳しい批判で有名な、雑誌あたりでは、そのことを書いている。
それに対して、どこからも、何も文句が来ない時点で、認めたようなっものではないか?
そんな風に考えている人も多いのではないだろうか?
あくまでも、庶民の勝手な想像であり、必要以上なことは考えなければ、
「マスゴミも、たまにはちゃんとしたことを書くんだな?」
と感じる人も多いようだった。
それだけ、国民のストレスもかなりのところまで来ていて、思考能力が低下していることで、洗脳されやすくなっているのかも知れない。
そんな中。宗次郎の研究チームで、一つ、新しいウイルスが発見された。
それは、今回の
「世界的なパンデミック」
の元となったウイルスとは、少し違っているようだ。
「今回のは、形が違っている」
というのだ。つまり、
「スパイクがない」
ということであった。
ウイルスには、円形になったウイルスのまわりに、枝のようなスパイクがついているものが多い。今回発見されたウイルスは、スパイクがないのだ。
この発見を宗次郎に伝えた、研究チームのリーダーは、
「このことを、世間に公表しなくていいんですか?」
と聞くと、宗次郎は少し黙り込んで、
「いたずらに公表して、臣民の気持ちを煽ってしまうというのは、普通に考えてもまずいのではないだろうか?」
という。
「それに、まだ発表するには、分からないことが多すぎて、時期尚早であり、マスゴミなどに突き詰めれらると、どう答えていいのか分からなくなってしまうだろう」
ということであった。
「確かにその通りですね。我々としては、発表できるだけの、資料を作ることが先決であり、政府やマスコミへの発表は、もう少し待った方がいいですかね?」
と言われ、
「しょうがないだろう」
と答えた。
下手に、発表はしない方がいいということになり、とりあえず、研究を進めていくことになった。
実際には、現状のパンデミックに対しての、
「国内産ワクチン」
の研究が急務だった。
ただ、どうしても問題になるのが、
「治験の不足」
である。
問題なのは、
「出遅れてしまった」
ということである。
「開発競争に出遅れると、出遅れた時期よりも、実際の遅れは、もっと大きくなり、取り返しがつかなくなる」
というものだった。
それでも、この研究所を秘密裏に作っていて、密かに研究をしていたから、
「これくらいの遅れ」
で済んでいるのだが、一歩間違えると、
「取り返しのつかない致命的な遅れだ」
と言われても知彼方のないところまで来ていた。
その証拠に、専門家と言われている人たちの中には、
「今からワクチンや特効薬の研究を初めてもとてもじゃないけど、追いつけない」
ということで、研究にストップをかける声もあった。
しかし、政府としては、
「一応、努力はしている」
という格好だけはつけておかないと、どうしようもないと感じている人が多いということだったのだ。
そのため、微々たる金で、申し訳程度の言い訳になるような開発を適当な大学にさせて、
「無理だった」
ということを公表させようとした。
しかし、どの大学も嫌に決まっている。しょうがないので、
「金に物を言わせて」
という形で、体裁をつくろっていたのだ。
だから、マスコミの発表としては、
「国内産のワクチンについては、政府の見解として、まだまだ、今始まったばかりで、少し時間が掛かるということでした」
という、取って付けたような言い訳しかできないだろう、
もっとも、国民の方も、
「どうせ、日本の政府には、そんな力はないだろうな」
と思っていた。
ワクチンがどれほどの利益になるのか分からないが、どうせ企業の方が、
「金にならないことはしたくない」
とでもいったんだろうな。
という、違った解釈もあったが、政府はそれでもよかった。
「出遅れたということで責められるよりも、企業側が難色を示していると思われる方が、政府としての責任も軽くなるというものだ」
と思ったのだろう。
では、出遅れの何が悪いというのか?
出遅れというのは、まず、ワクチンが他の国で先に開発され、海外では治験がキチンと行われているということだ。
日本でも、開発していたとして、ワクチン接種は、国家としても、最重要課題であり、海外のものであっても、何であっても、急いで摂取する必要に迫られることだろう。
ということは、当たり前のことで、ワクチン大臣が輸入を進め、摂取を、自治体が進めている。
だから、国内で開発をしても、治験の段階で、
「すでに、国民のほとんどは、摂取済み」
ということである。
そして、摂取していないという人は、
「ワクチンの副反応が怖い」
ということで、摂取しない人だ。
そんな人たちに、
「治験五協力してほしい」
などというのは、
「本末転倒も甚だしい」
などという言葉で片付けられる問題でもなかった。
その、
「治験に協力してくれる人がいない」
ということが、一番の問題であった。
なるほど、そう考えてみれば、日本だけでなく、世界中でも、治験に協力してくれる人などどこにいるというのか?
考えてみると、もしいるとすれば、
「後進国の金のない国の人たちだけで、そんな人にワクチンを接種させたとしても、日本人でなければ、比較にはならない。一度目のワクチン接種が落ち付くまでの間でなければ、治験というのは、もうありえないといってもいい」
といえるだろう。
ということは、その時点で、国産のワクチンの運用は不可能なのであり、もし、別のワクチンということであれば、不謹慎だが、
「他のウイルスに出てきてもらうしかないのだ」
ということになるだろう。
今回、研究所で発見したウイルスは、まったく別のものだった。
しかも、このウイルスは、パンデミックの時のものと違い、特徴としては、
「変異をやたら繰り返す」
というものであった。
ただ、このウイルスに対しては、宗次郎の研究所の方では、それほど問題視しているわけではなかった。
「変異をやたら繰り返すということは、元々のウイルスが弱いということを示している。ウイルスは、変異を繰り返すことで、ある意味弱ってきているともいえる。ただ、追いつかれないように、変異を繰り返しているだけで、実質は、変異を繰り返すことで弱くなるというデメリットを持っているのだ」
と、宗次郎は思っている。
まったく同じことを、黒川研究員も思っていて、健太郎は、宗次郎から説明を受けたことで、
「なるほど、そういうことか?」
といって、理解できたのだが、そういう意味で、このウイルスに関しては、
「前のワクチンでもいいだろう」
と、海外のワクチンに。その地位を譲ることにした。
その時、宗次郎が危惧したのは、
「さらにまったく別のウイルスが発展してくるのではないか?
ということだったのだ。
だが、政府の方は、そんな簡単に放っておくというわけにはいかなかった。何しろ、元々のパンデミックのウイルスとの共存もまだ先が見えていない中で、新しいウイルスが生まれたのだ、脅威でしかないと言えるだろう。
有識者たちも、
「今回のウイルスは前のウイルスに比べて、それほどひどいものではないですが、一緒に流行った時にどうなるかということがまだ未知数です。だから、警戒に超したことはないし、下手をすれば、感染の拡大によっては、いつかは、行動制限を掛けることになるか分かりません」
ということだった。
行動制限を掛けるということは、それだけ責任を負うということである。国民の自由を侵害するわけだから。平時であれば、
「憲法違反」
ということになる。
しかし、国民の生命を守るというのも国家の大事な役目だ。いくらここで守れたとしても、経済的に困窮し、自殺者を出したなどとなると、本当に許されることなのかどうか。難しいところである。
「今回の新型ウイルスが、前のウイルスを駆逐してくれればいいんだけどな」
といっていたが、
こちらから見て、ウイルスという一つの括りでも、ウイルス界においては、その距離が遠かったり近かったりとバラバラだ。
少なくとも、研究員は、そこまで考えて行動しないと、国家存亡にかかわっている。まだ続いている以上。国家の緊急事態にはかわりはないのだった。
そんなことを考えていると、研究所で発見したウイルスの存在を、いち早く国家に知らせたのは、間違いではなかった。
その正体の信憑性に対しては。健太郎が、政府や各自治体に説明している。
「なるほど、?県さんの知事が言われるのであれば、信憑性はある」
ということで、少なくとも、自治体単位では、健太郎の方針に、合わせるということになっているようだ。
しかし、国は違う。それを専門家になげて、その答えが来るのを待って、国民に発表した。
宗次郎の研究所の所員の中には、
「こっちがあれだけ早く情報を流してやったのに、今頃発表って、どういうことなんだ?」
というのだが、それも、理由が分かれば納得だ。
研究員が納得するということは、それだけ研究員に政府は、微々たるところでも、信用されていないということになるのだろう。
中央政府は、自分たちが作った有識者会議の意見を否定する以上、私立の研究所である、宗次郎の研究所など眼中になかっただろう、
しかし、それは、研究所の方としてはありがたい。国家の変な命令を聞かなくて済むからだ。
どこか、国に対して挑発的な態度を、宗次郎の研究室では行ったが、それも計算ずく、
「どうせ、国家などに、俺たちの苦労が分かるものか」
という思いと、
「国家の言葉は信用できない」
という思いが交錯するのだが、いつでも、正しいのは研究所の方。
しかし、それを大っぴらにすると、
「国家の立場がなくなり、そのせいで、国家が信用を失うことは避けたい」
ということである。
研究所は、最終的には国家を巻き込んだところでの最大のプロジェクトを作り、研究所はその代償で、亡くなってもいいと考えるほどだったのだ。
国家というものは、
「利用するためにある」
とまで思っているのは、宗次郎で、実は、健太郎の、
「触れ込み」
でもあったのだ。
そのウイルスは、当初の目論見通り、弱いウイルスだった。重症化はそれほどなく、蔓延のスピードも、それほどでもない。
ただ、まだピークにもなっていないのに、すぐに新種が出てきた。
「何だこれは? まだ蔓延もしていないのに、新しい株に置き変わろうとしている?」
ということで、研究員も呆れるようなウイルスだった。
これが人間世界だったら、
「まるで子供の喧嘩のようで、気が弱いことから、鬼ごっこをしていて、見つからないと思っていても、万が一ということを考えると、恐ろしくて、さらに、厳重なところに隠れてしまう」
というようなものだった。
そういえば、以前に聞いた話だったが、自分たちよりも十年くらい前の世代で、鬼ごっこをしていて、廃品の投機場所にあった、
「古い冷蔵庫」
に隠れようとしたのだが、うっかりその冷蔵庫が閉まってしまい、逃げられなくなったのだ。
「見つからない子供がいる」
ということで、捜索が行われた。
最初は、
「まさか、そんな廃品回収の場所にいるなんて」
と誰もが思っていなかったので捜さなかったのだが、
「これだけ探して見つからないということは」
と、そっちにも、捜査の手を伸ばしたのだ。
すると、不自然に転がっている冷蔵庫が見つかった。
誰か一人が不審に感じたのだが、何か霊感めいたものがあったのだ。
中から開けることはできないが、表からだと、意外と簡単に開けることができる。中を開けると、半分意識を失いかけている子供が見つかった。その子がどうして閉じ込められることになったのか、ショックから、記憶を失くしてしまったようだった。しかも、冷蔵庫を見ると、拒否反応を示すようで、その反応たるや、結構なものだった。
だから、どうしてこのようなことになったのか分からなかったが、中には、
「何か、妖怪めいたものの伝説でも残っているのではないか?」
と考えるようになったようだ。
実際に見つかってみると、子供の記憶がないことで、それ以上何も聞けないことが分かり、そのせいもあり、その場所を、
「関係者以外立ち入り禁止」
ということにして、かなり高い柵を設けさせて、厳重にカギで締めることになったのだった。
だが、記憶というのは、いつどのようにして戻ってくるものなのか分からない。
その子は、ある日突然思い出したのだ。本人曰く、
「夢の中に出てきたことがやたらリアルだったので、それを親に話すと、あの時、お前は冷蔵庫に閉じ込められたのだと言われて、急に息苦しくなって、気を失ったんだ。それから、俺は冷蔵庫を見ると頭痛がしてくるようになった。だが、今ではだいぶ回復はしているが、お前は一人暮らしは無理だと言われたことがあったくらいだったんだ」
と、いうことだった。
その記憶から、身体が震えたり、ショックで呼吸困難になるというのは、完全に、PTSDであり、
「心的外傷後ストレス障害」
と呼ばれるものであった。
つまりは、一種のトラウマなのだが、ショックが大きかった出来事に遭遇したことで、その時はショックから記憶から消えたようになるが、心の奥でくすんでいたストレスが、トラウマをよみがえらせるというような形で、起こす。
「ストレス障害だ」
ということであった。
その少年は、まさにそれであり、その経験をした少年たちの中に、黒川研究員がいたのだ。
彼は、
「あの時の友達に起こったPTSDを目の当たりにしたことで、心理学や医学、生物学に興味を持ち、この研究所の研究員になったんですよ」
というではないか。
子供の頃には、誰もが、少なからずのPTSDに遭遇しているのかも知れない。それを思うと、黒川研究員の態度から、この話は余計に信憑性を感じるのだった。
今回のウイルスを見ていて、その時のことを思い出した。そして次に感じたのは、
「あの時のことを思い出すと、もう一つの懸念が出てくるんだけどな」
という思いがあった。
黒川は、何か嫌な予感がすると、結構当たっていることが多かった。それは、普通の人はしないような、自分でも変だなと思うようなことを感じた時に出てくるものだった。
その時も、小学生の頃に感じた友達のことを思い出し。
「何か時間差で、別の記憶も一緒によみがえったかのような気がしたんだよな」
ということであった。
それが、今回のウイルスとどのようにかかわりがあるというのか、黒川が感じたのは、
「何か、これで終わりという気がしないな。まったく関係のないようなものなのに、その原点は一緒ではないか?」
という考えであった。
もちろん、まったくの妄想で、何の脈絡もない発想であった。そのことが、
「他の人は忘れてしまったような感覚でも、すぐに思い出せるのではないか?」
と感じ、
「難しいと思う発想が、実は簡単なことではなかったか?」
と思うようになるということを、近い将来感じることになるのだった。
そんなことを考えていると、小学生の頃のことがまた記憶によみがえってきた。
友達は、自分に記憶が戻ってから、冷蔵庫に大きなトラウマが残ってしまった。それをいかに克服したかというと、
「同じ冷蔵庫といっても種類はいっぱいある。実際に被害にあった冷蔵庫は、ずっと古いもので、しかも、人間がスッポリ入れるくらいの業務用の大きなものだった」
ということであった。
その話を友達とした時、彼はまるで、目からうろこが落ちたかのような気がしたのだったが、
「だから?」
それを聞いている友達が質問してきて、
「だから、今も冷蔵庫とは形も何もかも違うということさ。それを本人に分からせることができれば、トラウマから解放されるということじゃないのか?」
という。
「なるほど、何かマイナスとマイナスを足せば、プラスになるというような意味にも聞こえるな」
とその人がいうので、
「そ、そういうことなんだよ。俺が言いたかったのは、お前なかなか分かっているじゃないか?」
と、いつになく興奮した黒川は、その時、目からうろこが落ちたのだった。
「マイナスにマイナスを足せば、プラスになる」
なるほど、だけどもっと言えば、
「マイナスにマイナスを掛けた方が、確実にプラスになるんだけどな」
というちょっと捻くれた発想をしたのだが、実はこれが大切だった。
というのも、
「天才と凡才の違いは、同じことを閃いて納得したとしても、さらにその次を考えるかどうかではないか?」
と感じたことがあったのを思い出したからだった。
「なるほど、一旦納得してしまって、その後があるかないかということなのか?」
と、感じることができたことで、それまでのいろいろなわだかまりが消え去り、発想がスムーズに行くようになったのが、黒川だったのだ。
一度、うまく進んでしまうと、今度はひっかかるということが難しい。それもある意味では、
「天才と凡才の違いだ」
といえるのではないだろうか?
「じゃあ、俺って天才なのだろうか?」
と考えたが、天才ではなく、秀才なのだと思った。
それは、天才というのを意識して、それに近づこうと努力する。それを秀才だと思っているからで自分が、
「まさにそれだ」
と感じているのだった。
「同じものをどのようにして利用するか?」
ということであり、
「同じに見えるものでも、実際には違っていることで、無限の可能性がある」
といえるのではないだろうか?
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