第4話 研究所の具体化
「なるほど、だから県知事と、研究所との間に、阿吽の呼吸のようなものがあるのだ」
と、思っている人も少なくないだろう。
ただ、研究所はあくまでも、大学の研究所であり、県は、出資することで、バックアップしているだけだということであった。
しかし、
「俺たちが兄弟だということを知っている人は少ないだろうな?」
と話していた。
もちろん、県から派遣された秘書のようなものをしている男は知っていることであるが、大学の研究員が、そこまで敏いとは思えない。どちらかというと研究員が興味のあるのは、研究に関してだけであり、人間関係などというものには、まったく興味を示さないだろう。
そもそも、二人は、子供の頃、一緒に育ったというわけではない。
父親が、政治家だったこともあって、長男には、
「政治家の道を」
ということで、長男の健太郎、つまり、今の県知事は、政治家としての英才養育を受けた。
そして、次男の宗太郎、つまり、宮本博士は、親からは、
「何を目指しても構わなないから、やりたいことを言いなさい」
と言われ、
「科学者」
と漠然と答えた。
父親と兄をあまり好きではなかった宗次郎少年は、
「政治家以外で、なるべく政治家から遠いもの」
ということで、とっさに、
「科学者」
と答えたのだ。
それを聞いて父親は、
「そうかそうか頼もしいぞ」
といって、宗次郎には、理数系の家庭教師をつけて、英才教育が始まった。
きっと親が想像したような形に二人の息子は実際になっていて、ある意味、
「親孝行だ」
と言われるようになったのだった。
小学生の頃から、英才教育を受けているのだから、
「長男が県知事、次男、大学で博士と呼ばれている」
という、
「秀才兄弟」
が出来上がったのだ。
兄弟のうち、
「どちらがより一層努力家だったか」
といえば、
「弟の方ではないか?」
というのが、ほとんどの人の目であった。
それを聞いて、兄は嫉妬したかも知れないが、嫉妬心を抱くというのも、政治家としては大切なことのようだ。
だが、この二人、また再会することになったのは、大学時代だった、
最初は、お互いに相手が誰か分からなかったが、お互いにオーラが感じられるようで、それぞれに意識していた。
大学時代に再会した時、それぞれに、
「政治家になりたい」
「研究者になりたい」
というそれぞれの話を聞いて、どちらかが先に、
「兄弟だ」
と感じたのか、正直分からなかった。
ただ、
「兄弟なんじゃないか?」
と言い出したのは、兄の方だった。
兄にはそれだけ弟に対しての思い入れがあったのだが、そこには、
「嫉妬心の裏返し」
のようなものがあったのかも知れない、
兄弟というと、
「兄の方がしっかりしていて、嫉妬心は弟の方が強い」
と言われていて、ただ、
「弟の方が努力家だったりする」
というようなイメージで、弟の宗次郎は思っていた。
そして、自分たち兄妹を比較すると、
「その通りだな」
と感じたのだ。
だからと言って、兄が努力をしていないとも、嫉妬心が薄いとも思っていない。
それよりも、弟から見て、
「兄は嫉妬心に関しては、自分よりも強い」
と感じるのだった。
学生時代に、なぜ一緒に育っていなかったのかというと、両親が離婚したからだった。
長男は、政治家の父親が引き取り、次男は、母親が引き取った。
母親は元々、裕福な家庭の出で、政治家一家だった、父親のところに嫁いできたので、離婚となると、実家に戻ることになる。
子供を連れて、出戻ったというと、家族も体裁が悪いもののように思えるが、そうでもなかった。
その代わり、宗次郎を、学者にするということに、実家の親も賛成してくれて、英才教育が続いた。
その頃、まだ小学生だった宗次郎は、離婚前よりも、離婚後に入った家が、さらに裕福だったことにビックリした。
子供心に、路頭に迷うのは嫌だと思っていたからだ。
実際に路頭に迷うということはないと思っていた。母親が、
「いいところの出」
だということは、子供が見ていて分かった。
というのも、自分が、英才教育を受ける、政治家の家に生まれたということが分かっているからだ。
しかも、父親は政治家。自分が次男に生まれたことで、自由に将来を決められたので、そういう意味ではよかったと思っている。
しかし、まわりの目は皆兄に向っていて、
「嫉妬心が弟の方が強いというのも、そうやって考えれば当たり前のことなんだよな」
と感じるのだった。
母親の実家は、実業家だった。
ひょっとすると、このまま実家の家業を継ぐことになり、
「やりたいことをやめなければいけなくなるのか?」
と感じたが、どうやら、長男に子供がいて、その子が家業を継ぐのは決まっていたようだ。
宗次郎よりも、まだ小さかったので、まるで弟のように育ったが、弟は、実に従順で、大学生になっても、宗次郎を兄として慕っていたのだ。
それだけ、素朴な今時珍しい青年だった。
従順というか、素朴というか、ある意味、
「世間知らずという意味では、どこか、小さい頃の兄に似ていたような気がする」
と、宗次郎は感じたのだった。
宗次郎が、
「弟」
と呼ぶのは、明人という、この家の長男の子供だった。
この家の長男は、すでに、会社の社長の座に就いていて、、明人は、御曹司というところであろうか?
本来なら、出戻りの長女の、しかも次男。立場としては微妙であったが、
「明人を支えてやってくれ」
と、この家の大旦那である、宗次郎にとっては、おじいさんに当たる人から、そういわれた。
宗次郎は、その時臆せず、
「僕は、将来科学者か、研究者になりたいんだ。だから、明人さんを支えるといっても、どこまでできるか分からないよ」
と、ハッキリいうと、大旦那は、
「おお、そうか。なかなか頼もしくていいな。いいんだよ、お前は好きな道に進んでも、それなりに、援助もするしな、ただ一ついうと、この家の跡取りは長男の息子の明人なんだ。そこは、わきまえておいてほしい」
と言われた。
宗次郎としても、別にここの家を継ぎたいとは思ってもいなかったので、
「はい、分かりました。僕は、立派な科学者になりたいと思います」
といってのけたのだった。
ひょっとすると、その時に、大旦那は、宗次郎の人間を見極めたのかも知れない。その後、宗次郎が研究を成功させるたびに、大旦那は、手放しに喜んだ。
「あれも、うちの孫なんじゃよ」
といって、大往生を迎えるまで、大旦那は、宗次郎を支援し続けてくれた。
それは、おじさんにあたる、今の旦那も同じであった、
会社から、F大学に対して、資金援助もしてくれた。
もっとも、それだけの研究を宗次郎が発表するからで、宗次郎の発表のおかげで、旦那の会社にもメリットがあり、双方が得をすることになるのだ。
何と言っても、会社の身内に、
「博士がいる」
ということになれば、会社側の宣伝効果は抜群で、次代の明人の時代にもそれが受け継がれることになる。
宗次郎の研究は、県からの委託が多く、一般企業相手というよりも、自治体相手であった。
そういう意味で、
「企業との癒着」
という心配もないし、世間に安心感を与えられる。
それを思うと、宗次郎の存在は、会社側にとって、
「大いなる宣伝塔」
といってもいいだろう、
もちろん、宗次郎にはそんなつもりはないが、自分の研究が、どんな形であれ、家族の役に立つのであれば、それはそれでよかったというものだ。
そんな状態において、宗次郎は、大学での研究を、半分は、
「家族のたえ」
と思ってやっていた。
そんな時、大学時代に再会した兄の健太郎が、県知事として、君臨することになったのだ。
最初は、引き取ってくれた家族のためと思っていたものが、次第に、
「県政のため」
ひいては、
「兄のため」
ということになってくると、自分の研究はどこに向かっているのか、しばし分からなくなってきた。
もちろん、育ってきたのは、今の家であり、家族に対しての恩を忘れるわけにはいかない。何と言っても、母親の実家であり、引き取って育ててくれ、さらには、自由に研究員にもならせてくれた。
それを思うと、恩があるのは家や家族の方だが、盗美月が強いのは、県との間柄であり、何と言っても県知事は実の兄なのだ。
「兄に対しては、恩というところまではないが、お互いに利用し合うには、これほど都合のいいものはない」
といえるだろう。
この研究所は、本当は、宗次郎のアイデアであった。
いや、アイデアとしては、兄の健太郎も持っていたが、あくまでも、構想としてあるだけだった。だから、食事のついでの時だっただろうか?
「今は自然界の生態系が崩れかけてきていて、異常気象は、生物の大量発生を招き、それによって、干ばつや大雨など、自然界が崩壊しかけている」
と、健太郎がいうと、
「そうだよな、だから、兄さんたち政治家が、SDGSなどという計画を立てて、いろいろな政策を推し進めているんだよな」
と宗次郎が言った。
「そこで、俺が今少し気になっているのは、伝染病なんだよ」
と健太郎がいうと、
「伝染病? そういえば、確かに今世界各国で、いろいろな伝染病が生まれては、問題になっている。今のところ、日本ではそんなに大きなものはないけど、実際に、致死率が10%を超える伝染病が実際にあったりするんだよな。それを考えると、僕たちも、伝染病研究をもっとしっかりしないといけないとは思うんだけど、いかんせん、日本では、そこまで騒ぎになっていない。だから、なかな、研究所もできないんだよな」
と、宗次郎が言った。
「これは、俺がいうのは、本当はおかしいんだが、実際に起こっていないことであれば、余計な予算を使って、研究所をつくるようなことはしないのが、この国だからな。下手に作ると、税金の無駄遣いだって言われてしまうのさ。数年前に、事業仕分けという名目で、ムダと思えるようなものを、どんどん減らしていくようなことをしていたんだ。だから、今はなかなか作れないんだよな」
と健太郎は言った。
「そうなんだよな。今の時代は、どんどん減らしていこうと思っていることを新しく作れないような時代になってきていて、時々本当にそれでいいのか? って考えることがあるんだ」
宗次郎がいう。
「というと?」
「例えば、踏切なんかがそうじゃないかって思うんだけど、踏切は、今どんどんなくなってなっていっていて、高架にしたり、下を通したりしているだろう? だけど、田舎によっては、家がおかしなところに残っていて、家の問題なのか、線路の問題なのか分からないが、渡る時に踏み切りもないので、危ないんだよね」
と、宗次郎がいうと、
「そう、踏切は、今の法律で、増やしてはいけないことになっているんだ。本当はこういう特殊なところはつけないといけないんだけどね」
と、健太郎がいうと、
「そうだよ。これが道路だったら、信号をつけないと危ないところがあって、魔の交差点などと呼ばれているところは、今でもあるんだ。それでも、だいぶ信号がついて、危なくなくなってきたので、ちょうどいいんだけどね」
と宗次郎がいう。
「まあ、踏切もさることながら、伝染病研究所というもの、これからの時代には必ず必要になると思うんだ。お前は専門家の目から、どう思うかい?」
と健太郎がいうので、
「そうなんだよな、まともには伝染病研究所という名前の看板は建てられないからな。昔のように、伝染病が数多くあって、しかも、不治の病が多かった時は、そういう研究所は必要だったけど、今のように、ほとんどの伝染病の特効薬が見つかって、伝染病で死ななくなったことで、そういう研究所は減ってきたからな。今世界で起こっているのも、どちらかというと、それほど大規模ば伝染病ではなく、局地的なものが多いからな」
と、宗次郎がいう。
「だから、お前に聞いているのさ。看板は別のものにしておいて、中では、伝染病を研究しているというような、そんなことってできないだろうか?」
と健太郎がいうと、
「それを考えるのは兄さんたちだろう? だけど、普段は、看板通りの研究をしていて、実際に流行り始める傾向が見えた時、伝染病研究所としての機能をいつでも発揮できるようにしておけばいいとは思う。だけど、いきなり体制を変えることに混乱はないか? あるいは、平穏な時に、いつでも臨戦態勢に入れるようにするための、薬や、機材のストックが、古くならずに、ちゃんと補給ができるかというところが、どうしても、隠れ蓑になっていると、ネックになるところではないかと思うんだ。そのあたりは、兄さんにも分かっていることだとは思うが」
と、宗次郎は言った。
「研究所をつくる」
ということを具体的に話始めたのは、兄の健太郎の方からであった。
健太郎は、
「先見の明がある」
というのは、前述のとおりだが、それ以上に、弟の宗次郎が、
「博士となって、自分に味方をしてくれそうだ」
ということが分かったことで、そのことが嬉しかった。
宗次郎にとっても、兄が伝染病の蔓延を予見していて、危惧していることが分かり、自分も、兄程ではないが、危惧は結構考えているということから、この時の話が、次第に軌道に乗ってくるということを予見していた。
二人とも、このまま、酒の上での話というだけで終わらない気がしているのだ。
酒というのは、二人とも、実はそんない強くない。どちらかというと、弱い方なので、飲み会ということになると、結構辛かったりした。
しかし、兄弟での酒は、結構楽しいもので、
「楽しい酒だと、そんなに酔っぱらうこともないな」
とお互いに思っていて、それを口に出すくらいの中になっていたのだ。
宗次郎の方でも、今の家の明人とも仲がいいし、すでに取締役になっていて、もう少しで会社を受け継ぐことになる、そんな兄が、年下ではあるが、頼もしく言えていた。
しかし、
「明人とは、住む世界が違うんだろうな」
と感じていた。
あちらは、完全に富豪で実業家の家庭の御曹司。こっちは、出戻りの息子で、何とか自力で、博士にまで上り詰めたのだ。
もっとも、金は出してもらったので、恩があることに変わりはないが、どうもそのせいで家とは一線を画している。
そうなると、実の兄である健太郎を慕うのは当たり前のことで、宗次郎も分かり切っていることだった。
「これが世の中というものなのだろうな?」
と感じた。
しかし、明人も、宗次郎も、健太郎も、個人としては、それぞれに、
「成功者だ」
といってもいいだろう、
明人のように、決められたレールの上で、着実に上り詰めた今の立場、そして、政治家の父親と、どんな家庭で過ごしたのか、聞くに及びない兄の健太郎だったが、それでも、人気のある県知事として活躍しているという意味で、一番表で輝いているのが、兄なのだろう。
そして、実家のお金の力も若干あったが、努力によって、博士にまでなった宗次郎。それぞれに、成功者といってもいいだろう。
「夢を叶えた」
ということは、間違いのないことだからである。
そして今、兄の健太郎が、
「伝染病研究所」
を作りたいと言い出した。
宗次郎も、伝染病関係のことを実際に研究していた。そのことを兄にも何度も話をしていた。
「ひょっとすると、兄が伝染病を気にし始めたのは、この俺の話に共感と、危惧を覚えたからなんじゃないだろうか?」
と、感じたのだ。
ということは、
「兄が研究所をつくるのが、本気だということであれば、俺も真剣になって、協力してやらないといけないな」
と考えるようになったのだ。
二人は、酒を呑みながら、最初は漠然とした話でしかなかったが、何度も酒を呑みに行っているうちに、次第に具体化していったのだ。
そんな中、健太郎が、県庁の中をいろいろ見渡してみて、まず誰も、伝染病のことを危惧している人が一人もいないということに気づかされた。
「なるほど、まだ、そんなに大げさに考える人がいないのも、当然だよな
と思った。
役所というところは、どうしても、現状というものを超えた考えをする人はあまりいないだろう。
「現状維持が平和でいい」
と思っているのだろうし、それ以上のことを今から考えても、しょせんはどうあるものでもない。
「そう、平和が一番なんだ」
と、波風を立てないような考えが、頭の中に十分にあるのだった。
「平和ボケと、公務員気質のようなものが結びつくと、世間で言われているような、昔のお役所的な考えになるんだろうが、今は公務員も、結構大変だ。何といっても、コンプライアンスなどという問題は、公務員は昔から言われている。実際には、とにかく厳しいものだからな」
と、健太郎は考えていた。
県知事ともなると、
「地方のトップ」
ということである。
中央との交渉の矢面に立たなければならず、知事会などもしょっちゅう行われていて、いかに、将来がどうなるのかの展望もしなければならない。
SGDSの問題を、将来のこととして考えているので、逆にいえば、
「SDGS以外のことを話しても、ムダなんだ」
と考えている知事もいる。
いや、ほとんどがそうではないだろうか? それだけでも大変なことなのに、起こってもいないことに気を病んでも仕方がないと思っているに違いない。
確かにそれは正論である。将来がどうなるかということを、必要以上に考えるというのは、どこまでしなければならないかが問題で、今の段階で、
「いずれ、伝染病が流行る時期がやってくる」
といっても、まあ、まったくありえないといって、ただ笑い飛ばすという人はいないだろう。
何と言っても、今の時代は、
「何が起こっても不思議のない時代だ」
と言われているだけに、誰もが、否定できないことだ。
だが、
「だからと言って、必要以上のことにびくついていれば、普段の仕事もおろそかになるではないか?」
という人も出てくるだろう。
だから、必要以上なことを人に強要もできないと、健太郎は思っていた。
そのあたりが、
「県知事としての、限界」
という感じで思っていた。
県知事に限らず、それなりに権力は持っているが、自分独自に決められないというのが、民主主義である。
もっとも、独裁主義であっても、間違ったをしてしまうと、国家が破滅に向かうのは分かり切ったことで、最終責任として、独裁者が、
「死をもって償う」
という結末になることは、歴史が証明しているではないか。
そんな歴史を、健太郎は十分に勉強していた。
「政治家になるんだ」
という覚悟を決めた、結構最初の頃から、歴史というものの大切さには気づいていたのだ。
「歴史の中に、答えが埋まっている」
ということを分かっているつもりであるし、実際に受けてきた教育を考えていくと、結果、そこに行き着くのだと思うのだった。
歴史を勉強するようになったことは、今の取り柄として考えている、自分の、
「先見の明」
というものが育まれる大きな力になったのだ。
といえるのではないかということであった。
実際に、研究所の開設には、実は、明人の会社からの出資というのも、大きかった。
明人は知らなかったが、
「まさか、県知事が、宗次郎の兄だったなんて」
ということだった。
宗次郎の実兄ということは、
「この俺とも、血のつながりがあるということではないか?」
ということになる。
そのことに気づくのはかなり後になってからのことだったが、健太郎が、研究所をつくるために、明人の会社に出資をお願いに行ったのは、偶然ではなかった。
もちろん、自分から、
「宗次郎の実兄です」
と名乗るつもりもなかった。
相手の性格もまだ分かっていないので、下手に名乗れば、先入観から、拒否反応を起こすかも知れないと考えた。
そう思うのは、どうしても、両親の離婚ということが頭に引っかかっていたのだ。
それに比べて相手は、実業家一家で、親の跡を継ぐという意味で、順風満帆な人生を歩んできたのだ。
一応、離婚という挫折はあったが、自分も親が政治家ということで、同じ道を歩んできたという自負がある。
それは、親の跡を継ぐということでは同じではないかと思うと、明人の気持ちもわかる気がするのだ。
ただ、どうしても、交わることのできないものがある。いわゆる、
「結界」
というものであるが、結界というものが、いかなるものなのか、どうしても分からない。
それもそのはず、
「分からないことだからこその、結界なのではないだろうか?」
ということに、健太郎は気づいていなかったのだ。
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