第87話 欠けた太陽

 時間は少し遡り、コテージの風呂場。

 菜月と陽子はお風呂に二人で入っていた。


「……」


「……」


 菜月のジーという視線が陽子のある一点を見つめていた。

 陽子は体を隠すようにあははと苦笑いを浮かべる。


「えっと……同性でも見られているとちょっと恥ずかしいんですけど……」


「いえ、お気になさらず。別に他意はありませんわ、他意は……チッ」


 菜月はそうは言っているが、自分の体と見比べて舌打ちする。

 いつもより菜月のガラが悪いと、陽子は心の中では思ったかもしれない。

 陽子は意を決してニコリと笑う。


「その、せっかく二人きりですし何か話しましょうか」


「……そうね、せっかくだし、ね。じゃあ何を話します?」


「そうですね……あっ……」


 陽子は何かを言おうと思ったが、途中でやめる。

 それにムッとする菜月。


「なんですの? 途中でやめられると気になりますわ。言いたいことあるなら、はっきりと言ってくださいまし」


「えっと、それでは遠慮なく質問させていただきます」


「はいはい、何ですの?」


「菜月さんって橙矢君のこと好きですよね?」


「ガボボ!?」


 菜月が驚いて体勢を崩し、浴槽に顔が沈んだ。

 陽子さんは慌てて近づこうとするが、菜月に手で止められる。


「どうしてわたくしの知り合い全員、あの鈍亀とくっつけようとするのかしら……というか、何でそう思いましたの?」


「あの、吉田さんとの戦闘中に言っていた言葉が、私の両親相手というより、むしろ他の身近な人に怒っていたように聞こえたので……」


「……察しがいいんですのね。同じ顔でも茜とは全く違――いや、別の人間なんですから、比べるのは失礼ですわね。今の発言は忘れてくださいまし」


 菜月は観念したように、浴槽の縁に肘をつく。


「えぇ、そうよ。昔に同じパーティーだった、どこかの馬鹿二人のことに怒ってましたわよ。これで満足かしら?」


「……あの、つまり菜月さんは橙矢君のことを今でも好きなんですよね」


「――さぁ、どうなんでしょうね? もう、この感情が嫌悪なのか、憎悪なのか、はたして恋なのかすら……もう時間が経ち過ぎて分からなくなってきましたわ」


 菜月は本当に感情がぐちゃぐちゃなのか、色んな感情でいっぱいいっぱいの顔をしていた。


「最初は嫌悪でしたわね。わたくしの戦績に初めて泥を付け、親友の隣を奪った男。幼馴染の親友を近くにいながら守れなかった憎むべき男。そして……」


 菜月はフッと鼻で笑う。


「わたくしの命を救った男でもありますわね」


「命を?」


 陽子が首を傾げると懐かしそうに菜月は微笑む。


「えぇ、九十一層の挑戦で疾風迅雷全員が深手を負って死にかけたことがありますのそれを助けたのが、他でもない鈍亀ですわ……もうパーティーメンバーでもないって自分で言ったくせに、ほんとあの男のお人好しには呆れてものも言えませんわ」


 悪態をついているのに、その様子はとても嬉しそうに見えた。


「……やっぱり、好きなんですね」


「だから分からないと――」


 否定しようとした菜月だったが、陽子の真剣は眼差しに根負けした。


「好きですわよ……わたくしは橙矢を好きですわ」


「私も橙矢君が好きです。だから……負けません」


「……そうですわね。あの子には負けられませんわね」


「あの子?」


 陽子は菜月に向けていった宣言だったが、菜月は遠くを見つめながらそう言った。


「あら、今回は察しが悪いですわね? あなたの両親と重ねて話したのは、状況がまるっきり同じですからですわよ?」


「えっ……まさか……」


「鈍亀の初恋は茜で、茜の初恋も鈍亀何ですわよ。まぁ、お互い鈍感過ぎて本人達は気付いていないでしょうけど、傍から見たらバレバレですわね」


「えっ、えぇぇぇ!?」


 橙矢が恋をしたことあるのがそんなに意外なのか、陽子は大きな声を上げた。


「橙矢君が恋をしてたんですか? 何か想像つきませんね」


「茜はそれだけ魅力的だってことですわ」


「菜月さん、嬉しそうですね」


「えぇ、茜は親友ですもの」


 菜月は自分の親友を自慢する時、薄い胸を張って嬉しそうにする。


「茜さんって、どんな方だったんですか?」


「そうですわね。一言で言えば……珍獣?」


「親友への評価がそれでいいんですか!?」


「冗談ですわよ、まぁ周りからそう言われてたのも否定は出来ませんけど――わたくしから見れば、茜は明るくて前向き、才能があっていつも先頭に立ってみんなを引っ張る……そうですわね、わたくし達の先を照らす太陽みたいな子でしたわ」


 フフッと菜月は嬉しそうに笑う。


「茜は自分が太陽なら、菜月は月やねって言ってましたわね。いつも近くで優しく見守ってくれる月、そして鈍亀は確か……日の出とか夕暮れみたいな奴や、とか言われてましたわね」


「二人の間を取り持つ役割の夕暮れ……橙矢君の夕暮れのイメージは夕食の方が強そうですけど」


そう言って二人はクスクスと笑う。


「全部名前からの連想でしょうけど、茜は頭はちょっと微妙ですから、多分分からずに言ってますわね」


「親友なのにひどい言われようですね」


 菜月は先程まで笑っていたのに、ふと表情が陰る。


「でも、太陽を失った月も夕暮れも輝けない、誰か一人でも欠けたらダメ何ですわ」


「……」


「だけど嘆いていても何も変わりませんから、必死に月と夕暮れはそれぞれの方法で太陽を追いかけるんですわ」


「つらくは……ないんですか?」


「つらいですわよ、何も道しるべがない状態で前へ進むのは……でも、それは茜が今までやっていたことですわ。わたくし達だけがその役目から逃げるのは卑怯ですもの」


 菜月の瞳は全くぶれなかった、いつでも親友のためを想い、自分の軸を曲げなかった。

 それが彼女の強みであり、良さでもある。


 二人が会話をしている最中に外から声が聞こえてきた。


「おい先輩止まれっての!」


「絶対に行くもんね! ツルペタボディの菜月ちゃん、ナイスバディな陽子ちゃんの入浴シーンを見に行く! お姉さんだって若い子の肌をくんずほぐれつしたいんだよ! 自分だって気になってるくせに変なとこ紳士ぶるムッツリスケベな橙矢ちゃんはそこで指をくわえて見ているがいいさ、ケッケッケッ♪」


「……よし分かった。そこまで馬鹿にされたのなら、もう先輩が女だろうと容赦しないからな? 覚悟しろ?」


「やれるもんならやってみ――ちょっと待って!? スキル使うのは反則じゃない!? こっちは一般人だよ!? それって卑怯なんじゃないかな!? 卑怯なんじゃないかなぁぁぁ!?」


 そんな会話と地響きが聞こえてくる。

 菜月と陽子は顔を見合わせて、コクリとうなづく。


「「そろそろ出ましょうか」」


 二人は風呂場から退場し、何事もなく服を着替えて就寝した。


 翌日、布団に包まれた状態で木に吊し上げられていた虎尾が発見されたが、誰が犯人なのかは分かっていない。


 いや~本当に誰がやったんでしょうね? と菜月はニコニコと朝食を食べながら答えていた。


 他の人に聞いても何も見なかったと口を固く閉ざしている。


 ――真相は闇の中だ。

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