第48話 逆鱗

 フォレストダンジョン四十層ボスフロア。

 そこにはボスモンスター、ビックスパイダーの上位種、ジャイアントスパイダーが鎮座している……はずだった。


 ジャイアントの頭部が弾丸で貫かれ、これ以上動く様子がない。


 私は、スコープから視線を外す。


「ふぅ~♪ 余裕だったね♪」


「素晴らしいですね! まさか一発でボスモンスターを撃破とは! B級試験は無事合格ですよ!」


「やった♪」


 これで私も晴れてB級だ♪

 結構楽勝じゃん♪


 試験官の人がニコニコと笑う。


「いやぁ~それにしても今日はとてもすごい日ですね! まさかお友達も全員合格するとは!」


「みんなは、もう合格して先の階層に進んでるんですよね……まさか私が最後だとは……」


「順番ですから仕方ないですよ!」


 ボスモンスターのリポップ時間があるから、順番になるのは分かるが、最後なのは運がないよ。


 私は移動するために、狙撃銃を肩に担ぐ。


「この後はどうなさいますか?」


「次の階層に行って、みんなと合流しようと思ってます♪」


「そうですか! では自分はこれ――」


 言葉の途中で、何の前触れもなく、試験官がバタリと倒れた。


「どうしたんで――」


 私が試験官の人に近寄ろうとしたが体が動かなくなる。

 体が痺れ、声も出せない。


「上手く引っかかってくれたな?」


 声のした方に目線をやると、下卑た視線をこちらに向ける男がいた。


「その面は、何が起こったのか分からねぇって顔だな? 兄妹揃って、デバフに引っかかるとかバカかよ?」


 靴音を鳴らしながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

 逃げようにも全く体が動かせない。


 トンと男に肩を押されてなすすべもなく地面に倒される。

 男は私に馬乗りに乗って見下ろす。


「お前の兄がレッドドラゴンを倒したせいで、俺は職を失い、不幸のどん底だ! なのに、あいつが幸せそうに生活してるのはおかしいだろう!」


 この男の人、逆恨みにもほどがある。


 あの事件に関わってない従業員は、ドラプロが全員再雇用したって、お兄ちゃんが言ってた。

 つまり、この人は事件に関わった人。

 職を失ったのも当然の報いなはずだ。


 男は半月のように口を開いて笑う。


「だから俺はあいつの大切な者を奪うことにした。恨むならお前の兄を恨むんだな!」


 男が私の頬から首筋を舌でべろりと舐める。

 ゾクリと嫌悪感と寒気が止まらない。


 気持ち悪い……


 男は下卑た顔を浮かべ、私の体をまさぐるように触る。

 上からの全身にかけて、手でねぶるように……


 気持ち悪い……気持ち悪い……


 私の服を脱がそうと、手をかける。


 怖い……


 その品定めするような目が……

 気持ちの悪い視線が……

 表情が……

 触られた場所が芋虫が這いずったように不快に感じる。


 お兄ちゃんに頭を撫でられる感覚とは全く違う。


 男の視線が、顔が、表情が……

 全てが気持ち悪い。


 気持ち悪い……


 気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて……



 ”助けて……お兄ちゃん……”


「まずは、お前と楽しんだ後で、人質として兄の前に連れてってやるよ! その時、あいつがどんな表情をするか見物――」


 瞬間、ゴキリと鈍い音が響く。

 それは絶対に日常で聞くような音ではなかった。


「ゴキ?」


 男が自分自身の腕に、視線を移す。

 私も視線をそちらにやると、男の両腕が不自然なまでに曲がっていたのだ。

 まるで、ねじ切ろうと引っ張ったような形状になっていた。


「あ……アァァァァ!!? 俺の……俺の腕がァァァァ!!!?」


 男は悶絶し、態勢を崩す。

 私から降りると男は這うように痛がる。


 あまりにも突然の出来事で、何が起こったのか分からなかった。


「何で!!? 何が起こ――」


 男は続きの言葉を紡げなかった。

 声を置き去りにし、男は突然壁にまで吹っ飛ぶ。


「ガッ!?」


 壁にぶつかると男は血反吐を吐き。

 ズルズルと地面へと落ちる。


 そこに、ゆっくりと近づく人影。

 ようやく私にも視認できるスピードになり、姿が分かった。

 その姿を見て、私は思わず泣きそうになる。


 ”お兄ちゃ――”


 声を出そうとしたが上手く出なかった。

 痺れのせいではない。

 兄の今まで見たことない表情に恐怖を覚えたからだ。


「この状況見たら、どんな表情するか……だったか。良かったな、その答えが今、目の前にあるぞ。――喜べよ」


 男を、全く人間として見ていない冷たい瞳。

 底冷えするようなプレッシャーに声が出なかった。

 自分に向けられているわけでもないのに、この圧。

 向けられた男は、もっとひどいだろう。


 男が顔が青ざめガタガタと震えだす。


「わ、悪かった! 警察にも出頭してこの罪は償う! だか――」


 メキッと骨の折れるような音が響く。

 お兄ちゃんが男の右足を踏み潰した音だ。

 足から血がじわりとにじみ出て、お兄ちゃんの足を紅く染め上げた。


「アァァァ!!?」


「お前の意見なんて聞いてないんだよ」


 お兄ちゃんはグリグリと男の足を踏みつけにする。


「罪を償う? 俺の大切な家族傷つけておいて? ――ふざけるなよ」


「あっ、あが……」


「俺がお前には、いつもお優しい善人にでも見えてたのか? 確かに俺はデバフポーションかけられようと、俺が誰かに裏切られようと、俺だけで全てが済むなら、怒りも不満も飲み込んで、笑って許してやるよ。――だけどな?」


 お兄ちゃんが男の髪を引っ張り上げる。


「俺から大切な者を傷つけ、奪おうとするなら、容赦しない。家族に手を出した時点で、お前の運命は決まってたんだよ」


 男の左足も同様に踏み潰す。

 もう声も出ないのか、男は涙を流しながら苦痛に満ちた表情になる。


「せっかく、ATK値下げて一撃じゃ死なないようにしてるんだ。簡単に死ぬなよ? 瑠璃が受けた苦痛分、苦しんでもらわなきゃ困るんだ」


「あぁ……あぁ……」


 男はお兄ちゃんから、地面を這いずるように逃げようとする。

 その様子を冷めた目でお兄ちゃんが見下ろす。


「何逃げようとしてるんだ? まだ終わってねぇぞ!」


 お兄ちゃんが足を振りかぶろうとした瞬間。

 私の体が自由に動くようになった。


 私はお兄ちゃんに飛びつくようにして、攻撃を止めようと試みる。

 お兄ちゃんは私と認識したからか、急いで攻撃をやめ、私を優しく受け止めた。


 いつものようにお兄ちゃんは私に微笑む。


「瑠璃、危ないから離れてな?」


 私は首をブンブンと勢い良く横に振る。

 このままじゃお兄ちゃんが殺人者になってしまう。

 絶対にそれだけはダメ。


 それを声にしたいのに上手く出てこない。

 必死にお兄ちゃんを引っ張り、やめるように訴える。


 すると、私と同様に痺れが無くなった試験官が、男を取り押さえる。


「すいません! 自分が油断したばっかりに! こいつは責任を持って、我々ダンジョン協会が預かります! だから怒りを鎮めてください!」


「それを信用しろとでも? 妹を目の前で守れなかったお前らをか?」


 お兄ちゃん、頭に血が上っていてまともな判断が出来てない。

 このままじゃまずい。


 試験官の人が汗を流しながら応対する。


「で、ですが、そうしていただけないと殺したりなんてしたら、いくら相手が悪くても、言い逃れが出来ません! でも、今すぐに回復させれば、暴力行為も不問に出来ます!」


「知るかよ! 俺はそいつを――」


「やめ、おに……ちゃん」


 私が絞り出すように声を出す。


「……っ!」


 お兄ちゃんは、私の声にハッとしたような顔になったが、すぐに苦虫を嚙み潰したような表情になる。


「分かり……ました。後はお任せします……ただ分かっていると思いますが――」


 お兄ちゃんが試験官を睨みつける。

 試験官がそれにゆっくりとうなづく。


「絶対に罪は償わせます! 例え法がさばけなくても、ダンジョン協会として然るべき罰を与えます!」


「……そうですか、スマホで今の言葉録音しましたから。言ってないないなんて言わせません。……妹の体調が心配なので、俺達は先に失礼します。では――」


 お兄ちゃんは私を抱えるように抱き上げ、その場を立ち去る。


 そこで、私の意識も限界を迎えた。

 疲労感からか、それとも安心感からか。

 緊張状態がとけて、もう意識を保っていられない。

 私はお兄ちゃんに身を任せ、そっと瞼を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る