Heart of Darkness

 ホテルの従業員通路を歩き、地下室へ下る階段を見つけた。

 鉄の扉を蹴り破る。灯りを点けてもなお暗い階段を下りていると、昔のことを思い出す。病院の霊安室へと向かう暗い階段。妹の死体。僕も最初からこのザマだったわけではない。あれは五年前だったか。それとも七年前だったか。とにかく昔のことだ。



 

 まだ妹が生きているときから全ては始まっていたと思う。

。次の仮面ライダーの脚本、元エロゲライターがやるらしい」

 妹の紅世初グゼ・ハジメはリンフォンを変形させながらそう言った。妹と僕は一卵性双生児で制服を着て黙っていると判別がつかない。他者から見て分かるように妹はがっつり髪を伸ばし、僕は肩くらいで切り揃えるということになった。僕はあまり髪を短くしたくなかったので、妹が逆にがっつり髪を伸ばすということになった。殴り合いでそう決まった。

 当時、妹はリンフォンに魅了されていた。幼馴染の新藤千里シンドウ・センリが歌手としてメジャーデビューしたのでライブに顔を出して、そこの物販でリンフォンを買ってしまった。当時の僕たちは世間知らずの馬鹿で、リンフォンが強力な呪物とは知らなかった。というかそんな呪物が平然と物販で売られているとは思わないだろ。妹はもうすぐ魚が完成しそうなところまでリンフォンの変形を進めていた。

「『魔法少女まどか☆マギカ』の虚淵玄って言ってやんなよ」

 ちなみに僕が虚淵玄を初めて認識したのは『魔法少女まどか☆マギカ』だった。

「俺もまどマギのことしか知らないけどさ……平成一期の作風に戻るのか……確かに俺はああいうの好きだが……」

 妹は独り言を言いながらもリンフォンを物凄い速度で組み替えていく。妹も僕と同じくらいしか虚淵玄のことについて知ってはいなかった。普通の女子高生はニトロプラスのエロゲとかしないからな。

「先に出るから。ハジメもいい加減にパズル切り上げなよ」

 当時僕たちは高校三年生で冬休みが終わり、三学期が始まる日だったと思う。

「先に行っていてくれ。もうすぐ魚の形になるんだ。そうしたら学校行くよ」

 妹はリンフォンに魅了されていて、僕より遅れて登校した。それが良くなかった。

 当時、僕たちの住んでいた地域は珍しく雪が降っていた。路面は凍り、滑りやすくなっていた。妹は転んで死んだ。

 まさか妹が僕より先に死ぬとは思っていなかった。年は同じだけど、僕の方が先にくたばるものだと思っていた。葬式はぼんやりしているうちに終わって、いつの間にか火葬場に僕は居た。周囲には喪服の叔父さんと、久しぶりにセーラー服を着ている千里センリの姿があった。

「こんな馬鹿みたいな死に方されると悲しむに悲しめないよ」

 千里センリもメジャーデビューしてクソ忙しいのに来てくれて、妹のために泣いてくれた。ウソ泣きだが。

「馬鹿みたいは余計だよ。あとウソ泣き上手くないね」

 僕の目の前で目薬を差して、涙を用意していたからね。中学からの幼馴染でもなかなか泣けはしないか。

「お友達が死んだときは泣かないとダメかなと思ったんですけど、上手くいきませんね」

 千里センリは涙を拭って、無の表情になった。恐らく僕も同じような顔だったと思う。悲しいは悲しいのだが、感情の処理ができないでいた。千里センリも同じだったろう。

「律儀だね」

 僕は涙の出し方が分からなかったので、神妙というより無の顔から変えられないでいる。

「そうだ。余ったリンフォンを一緒に燃やしますしょう。燃やします」

 何か段ボールを持って来ていると思ったら、幼馴染はリンフォンを大量に持ってきたようだった。在庫処分先扱いするなよと思ったが、こういう奇天烈なところも妹は好きだったと思う。妹が生きていたら大抵のことは許していたと思うし、僕も許す。

「いいんじゃない」

 僕はどうでも良かったのだけれど、僕たちの育ての親である叔父さんは少し嫌そうな顔をしていた。叔父さんはかなり無口で仕事以外だと一月に一回くらいしか喋らない。通常の会話はSMSを使用していた。

 妹の遺体が焼却炉の中に入ると僕たちは無言になった。

「リンフォンって焼けるんだ……」

 遺体が焼き上がった。千里センリは自分がリンフォンを入れると言い出したのにリンフォンが焼けたことに驚いていた。妹(と無数のリンフォン)は灰になっていた。太い骨は形状を残していた。

 心より先に身体が動いていた。僕の手は今にも砕けそうな骨を掴み、口の中に放り込んだ。次々と骨や灰を口に含む。何か心に開いた隙間が満たされるような、更に心が乾いていくような気がした。燃え残った灰を食べると身体が暖かくなっていった。

 周囲に炎が広がった。何もかもが燃えていった。叔父さんは炎に包まれ動かなくなった。寂しい。

「何故僕は燃えない?いや僕自身が炎なのか?」

 まだ食べている途中の灰は炎で見えなくなった。僕自身から炎が広がっているような気がそのときした。

 千里センリは炎に包まれた周囲の中で、まるで障壁バリアでもあるかのように炎を退けた。

シュウちゃん。いや。貴方はリンフォンを取り込み、あるいは“崩壊”により怪人になってしまいました」

 千里センリは冷ややかな目線を僕に向けていた。どうやら僕は怪人になってしまったらしい。怪人は怪異と人間の深刻な合成あるいは人間を支える存在基盤・価値体系の崩壊により発生するという。

 妹が死んだ衝撃ショックで僕が崩壊したのか、気が動転してリンフォンを含む灰を食べたことが原因だったのか。それは今も分からない。

「これが怪人になるということか。これは少し熱いな」

 ジェットコースターが降下する瞬間に発生する地面に足が着かない浮遊感が続いていた。永遠に落下し続けるような浮遊感だ。平衡感覚が無く、自分が何処に足を着いているのか分からなかった。

「何もかもがこの宇宙が誕生した瞬間定められた通りですね。ハジメちゃんの火葬も見届けたので帰ります。さようなら」

 千里センリは僕に背を向けて帰っていった。

 入れ替わるようにただ立ち尽くす僕の前に彼女が現れた。暗殺六課に入ったばかりの大神さんだった。思い出してみれば、大神さんの顔は妹によく似ていた。ただの偶然だろうけど。

「成ったばかりの暴走する怪人か。少し冷静になれ」

 そのとき、大神さんは普通の人間だったら死ぬ威力の雷撃を僕にぶつけて気絶させてきた。

 暗殺六課に捕まった僕は警視庁本庁の特別留置場送りになった。僕の火力でも破壊できない独房だったな。要塞か何かくらい硬かった。そこで僕は崩壊した存在基盤・価値体系を再構築していった。眠らずとも食わずとも動き続けることのできる怪人の身体は全力で思考し続けた。記憶の海の中を深く潜った。

 僕たちの両親は飛行機の爆破テロで死んだ。日本では珍しくもない爆破テロだった。犯人は今も見つかっていない。僕たちはそのとき十歳で、叔父さんに引き取られた。

 この事件をきっかけに妹は警察になって絶対犯人を殺すとか言うようになった。

 妹は両親を殺した犯人を本気で憎むことができていたが、僕はそれほど熱心に憎しみを燃やすことができないでいた。八年も経つと憎しみも風化していた。人を憎み続ける素質が僕にはなかった。

 もし妹のハジメが物販で売っていたリンフォンで死んでいた場合、僕はそこまで本気で千里センリを恨めたかというと難しかった。

 僕は何も恨んでいない。両親が死んだことは悲しいけどこの国にはよくあることだし、妹は転んで死んだ。そして叔父さんは僕が殺した。

 独房の中には朝も夜も無かった。

 

 


 

 

 

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