白い振袖

増田朋美

白い振袖

その日は日中はまだ暑いけれど、日が陰るとすこしひえ、やっぱりあきだなあと感じさせられる気候でもあった。風邪をひく人も居るけれど、大体の人は過ごしやすくて楽な季節と言うに違いない。もう秋だなあと感じるのである。

そんな中、白石萌子さんの自宅に、一組の親子がやってきた。一体誰だろうと思ったら、一人の若い女性と、一人の母親であった。白石萌子ことマネさんは、急いでそのお客を中に入れて、居間に座らせて、お茶を出した。

「えーと、今日はどうされましたか?なにかご依頼がありますか?」

と、マネさんは彼女たちに聞くと、

「はい、この白い振袖を、二部式に作り直して頂きたいんですよ。」

お母さんがそういって、一枚の畳紙を出した。マネさんがテーブルの上に置くように言うと、お母さんはお茶をどかして、それを置き、紐を解いた。

「母から譲られたものなんです。それを私がきました。そしてこの子がもうすぐ成人式を迎えますから、ぜひこの子に着ていただきたいと思っているのですが、着付けができないので、ぜひ、二部式に作り直して頂きたいと思いまして。」

そう言って見せられた振袖は、いかにも古典的というか、松竹梅を全体に入れて、その中にピンクの牡丹の花を大きく入れた一言で言ってしまえば本当に素晴らしいと言える振袖であった。なんだかこれを切って二部式着物にしてしまうのは、勿体なさすぎる気がした。

「これは見事な振袖ですね。これを、二部式着物にしてしまいたいと言うのですか?」

マネさんは思わず言った。

「はい、私も娘も着物が着られないし、美容院に行くお金もないので、それだったら二部式に仕立て直して頂いたほうがいいなと思いまして。そうしたほうが、私も気が楽になると思うんです。」

「そうですが、例えばですけど、ポリエステルの着物とか、そういうものであれば、直せるんですけどね、これは見事というか立派すぎるお着物で、二部式にしてしまうのはちょっと。それに、一度直したら、もうもとには戻せませんし。」

「それでいいんです。どうせ捨てられるしか無いのですから、それならたくさん着て捨てたほうがいいじゃないですか。それに、この子も、惨めな人生しか送れないでしょうから、その前に、振袖くらいは着せてやりたいと思うのですよ。」

お母さんはそういうのであった。

「だからこれを、娘に着させて上げたいのです。でも私には残念ながら、着付け教室に行くこともできないし、できる人も身近にいないし、たまたまインターネットで、二部式着物について放送していたものですから、それなら行けるかもしれないと思って。だから、お願いにこさせてもらいました。いけませんか?そうしては行けないという法律も無いですよね?だったらもうそれでいいじゃありませんか。私が、娘に着物を着させたいという気持ちは、そんなにいけないことなんでしょうか?」

「そうですね、、、。」

マネさんは、小さな声で、お母さんに言った。

「まあ確かに、着物を着たいという意志があるのは認めますから、とりあえず、やってみましょうか。一応、着物と言うものは、礼装でも普段着でも同じ形だから、二部式にしてしまうことはできるんですけどね。」

「そうですか。それならぜひお願いします。私としては、たった一人の娘ですし、この子に振袖を着せてやりたいのです。どうかぜひ、二部式に直してください。」

お母さんはそういった。マネさんは仕方なく、

「こちらの顧客名簿に名前と住所を書いていただけますか?」

と、紙を一枚貼った画板を取り出した。お母さんはそれを受け取って、娘さんの名前と自分の名前を書いた。それによると、娘さんの名前は田中あや子、お母さんの名前は田中久子である。平凡な名前なのだろうが、家族の人達に取っては人は永久欠番であることはマネさんは知っている。そして、自分に取って大事なお客であることも気がついた。

「それでは、田中久子さん。この振袖を、二部式に作り直しますから、出来上がったら、連絡いたします。よろしくお願いします。」

「ありがとうございます!」

マネさんは承諾したのであるが、お母さんのほうが一生懸命頭を下げているのにもかかわらず、娘さんの田中あや子さんが、無表情なままでずっと黙っているのが気になった。この親子、もしかしてうまく行ってないのでは無いのだろうか?

「目安としてはどれくらいになりますか?できれば前撮り写真も撮りたいものですから。」

そういう久子さんに、

「わかりません。機械を使って縫うことができないものですから、なんとも予測がつかないのです。前撮り写真は、もう少し待っててくださいね。」

とマネさんは言った。とりあえず田中久子さんあや子さん親子には、その場を離れてもらったが、マネさんの眼の前には立派な振袖が残った。いずれにしても見事な柄の振袖で、これをきって二部式着物にしてしまったら、なんだか着物の神様に怒られてしまいそうな。それくらい立派な振袖なのである。

マネさんは、振袖を持って、製鉄所に行って見ることにした。とりあえず、一人で悩んでいても仕方ない。こういうときは三人寄れば文殊の知恵ということでもある。

「こんにちは。」

と、製鉄所の引き戸を開けてみると、また誰かが咳き込んでいる音がした。多分、というか確実に水穂さんだろう。多分布団に横になって寝ているに違いない。それと同時に杉ちゃんが、

「馬鹿な真似はよせ!やめろってば!」

と言っている声も聞こえてきた。マネさんはもう一度、今度はちょっと語勢を強くして、

「あの、すみません。あたし、白石萌子ですけど、ちょっと相談したいことがあってこさせていただきました。」

と言った。杉ちゃんがそれに気がついて、

「今手が離せないの。上がってきてくれる?」

とでかい声でいうと、マネさんは、上がりますよと言って、製鉄所にはいった。それと同時に、中年の女性の声で、大丈夫よ大丈夫だからね、落ち着いて、と優しくなだめている声が聞こえてきた。マネさんが誰だろうと思って、四畳半に行ってみると、天童あさ子先生がそこにいた。天童先生は、水穂さんの背中を擦って、そう言ってなだめていた。水穂さんは、まだ咳き込んで、同時に口元から赤い液体が漏れていた。天童先生がそれを拭き取りながら、

「ほらもう止まる。」

と優しく言うのである。確かに天童先生がいった通り、水穂さんが咳き込むのはだんだん小さくなっていき、数分後に止まった。いつもなら強烈な眠気を催す薬を飲まされて、眠ってしまうのではあるけれど、今日は眠らないで、そのまま布団に横になってくれた。

「はあ、すごいなあ。天童先生のシャクティパットは、そうやって発作を止めることだってできるんだね。ついでにさ、ご飯を食べることもなんとかできないかな?」

と、杉ちゃんが言うと、

「杉ちゃん、まず初めにシャクティパットと直傳靈氣は違うものよ。それは、ちゃんと区別をつけてね。」

天童先生はにこやかに言った。

「まあ、何だっていいけどさ。それではご飯を食べように仕向けてちょうだいよ。僕、シャクティパットのことはよくわかんないけど、なんとか意識っていう自分で感じていない意識に働きかけて、できなかったことができるようにしてくれるんでしょ。それなら、ご飯を食べるようにしてやってよ。昨日だって、たくあん一切れでもういいって言うんだし。だから、水穂さんは痩せてガリガリ。」

杉ちゃんはでかい声で言った。

「それは、直傳靈氣じゃなくて、ヒプノセラピーのことでしょ。なんとか意識ではなくてそれを言うなら潜在意識よ。まあ、時間がかかるかもしれないけど、できる限りこちらを訪問はするわ。でも、水穂さんにヒプノセラピーを受けられる体力があるかどうか、それをちゃんとしなければだめよね。ヒプノセラピーは、体力が必要だから。」

天童先生はそういった。

「何だあ。今度こそ、ご飯を食べてくれると思ったのになあ。」

杉ちゃんは不服そうに言っている。マネさんはどこかで、自分の要件を言えないかなと考えていると、水穂さんが、

「ところでマネさん。今日はどうしたんです?」

と聞いてきた。マネさんは、天童先生にも聞いてもらいたいと言って、

「はい。この振袖なんですけど、これを二部式に作り直して、成人式で着られるようになって欲しいと依頼がありました。それで一応引き受けちゃったんですけど、立派な振袖過ぎて、無理なんじゃないかと思って相談にきました。」

と、要件を言った。

「そうか。じゃあその振袖を見せてくれ。」

杉ちゃんが言うと、

「はいこれなんですけど。」

とマネさんは、畳紙を畳の上に置いた。そして急いで紐を解くと、

「まあ見事な京友禅じゃないかよ。こりゃ只者じゃないよ。これをぶった切って二部式にしてしまうのは、どうかと思うぞ。それでは、まずいのではないかな?」

と、杉ちゃんが第一声を言った。

「そうですよね。やっぱり振袖として、着てあげないとこの振袖には申し訳ないでしょうね。」

マネさんは急いで応答した。

「それでその振袖をなんとかしてほしいというお願いですが、なにか事情がある方だったんでしょうか?」

と、水穂さんが言った。

「ええ、着付け教室にも行けないし、着付けの先生にも頼めないので、二部式にしてほしいということでしたが、ちょっと、なにかわけがある親子さんのようでした。なにか問題を抱えているような人達です。まあ、あたしがなんとかする力は無いですけどね。」

マネさんがそう答えると、

「具体的にはどんな問題を抱えていたんでしょうか?」

水穂さんがそうきくと、

「はい。それはわかりませんが、私のところに来ていたときも、お母さんだけ喋って娘さんは何も喋りませんでしたから、なにか親子関係で揉め事があるのかなと思うような感じでした。それは、いけないことだとは思いますが、せっかくの成人式で振袖を着るのですから、やはり親子円満で成人式を迎えさせてやりたいですよねえ。だから、簡単に着られる着物にしてしまうと、なんだかそれをぶち壊しにしてしまうような気もするし、せめて、問題を解決してほしいなと思うんですけど、、、。」

と、マネさんは自分の考えを言った。

「そうですね。二十歳は一生に一度しか無いわけですし、円満に迎えてあげたいという気持ちはわかります。お母様は、一生懸命着物を着せて上げたくて、簡単に着られる着物をと言っているんでしょうけど。それでは、たしかにもったいないというマネさんの気持ちもわかりますよ。これ、僕が見てもわかるほど、高級な着物です。銘仙の着物とは全然違う。」

水穂さんは、そうマネさんに応じた。

「ほんなら、いっそのこと、天童先生のシャクティパットでなんとかしてもらえば?それなら、日頃から隠していることだって表に出ちゃうわけだし、そこから親子関係の本音を聞き出すことだって可能じゃないか。それで、喧嘩を止めさせる事もできるんじゃないの?」

いきなり杉ちゃんがそういう事を言うので、みんなびっくりした。確かに、ヒプノセラピーでは、本当に思っている隠し事をさらけ出すことはよくあるが、それは別の意味では、あらたな問題が起因してしまうこともある。

「そうだわ。それがいい。あたしもそう思います。あの親子は、ちょっと親子関係で問題があったのではないかと思います。だから先生の治療で、二十歳になる前に、彼女たちが和解に向かうように仕向けてあげたい。もちろん、あたしはただの仕立て屋だし、人の生活にどうのこうのというわけでは無いと思うけど、でも、あの二人は、なんとかしてあげたほうがいいわ。」

と、マネさんはすぐに言った。

「お願いします、天童先生。彼女たちを癒やして上げてください。」

マネさんが頭を下げると、天童先生は、その女性に会ってみましょうと言ってくれた。そういうわけでマネさんは、この友禅の着物にハサミを入れることはやめることにした。

とりあえずマネさんは田中久子さん、あや子さん親子に電話した。彼女たちは携帯電話を持っているが、固定電話は敷いていなかった。最近の家庭では珍しいことではないが。でも、なんだか不自由なところがあるなと言う感じだった。着物を取りに来てくれと言って、日付と時間を決めてマネさんは二人に会うことにした。そのときには、天童先生にもお願いして、同席してもらうことにした。もしかしたら、その時から、あの親子の治療が始まるかもしれない。

翌日、マネさんの家に、あや子さんと久子さんの親子がやってきた。マネさんは二人を部屋に通して、

「実は、この振袖ですが、大変立派すぎる振袖ですので、二部式にしてしまうのはできないと思いました。もし着てみたければ、着付けを勉強されて、それで着られるようになってください。」

と、彼女たちに言った。

「では二部式着物にはしていただけないのですか?」

久子さんがそう言うと、

「はい。できません。それに、二部式着物にしてしまっても、完璧にバレないというわけではありません。やはり、振袖ですから、本来の着方で着てほしいんです。」

とマネさんは答えた。

「でも、わたしたちは、そうしなければ着られないのですが、、、。」

そういう久子さんに、あや子さんが、なんだか安堵の顔をしているのを、マネさんも天童先生も見逃さなかった。

「あの、お二人は、もしかして、揉め事があるのではないですか?」

天童先生が優しく聞いた。

「私、心の問題がある人の治療を行っているのですが、もしかしたら、お二人はなにか問題があるのかもしれないと思いまして。ちょうど、娘さんが二十歳になるわけですよね。それでは、成人式までに親子のわだかまりを取って成人式に臨んだらいかがでしょうか。それなら、お手伝いしますよ。」

天童先生がそう言うと、彼女たち、つまり久子さんとあや子さんはガックリと落ち込んだ。

「どうにもできない問題なんです。」

と、久子さんが言った。

「それはどういうことでしょうか。もしかしたら、他人になにか話してみれば、楽になれるかもしれません。何かお話してみてください。」

天童先生が言うと、

「ええ。口に出して言うのも難しいんですけど、父が長生きしていて、いろんな事を私達に要求してくるものですから。お金が無いと言って、わたしたちには出してくれないし。それで、あや子が成人式を迎える事になったのですが、あや子はどうしてもこの振袖を着ることができないと言い出しましてね。それで、揉めているというべきだと思います。」

久子さんが言った。あや子さんは、とうとうバレてしまったという顔をしたが、

「お嬢さんは、なにか思っていることはありますか?」

と天童先生が聞いた。

「でもそんな事、お母さんの前で言ったら、絶対に行けない。だから、言えないんです。言ったって、実現できないし、無駄だし。」

あや子さんはぶっきらぼうに答える。

「そうですか。それでもあや子さんは、お母さんのことを、ずっと好きなのでしょう。だから、言っては行けないと思うんですよね?」

とマネさんは言った。

「それなら、この天童先生に癒やしてもらってはいかがですか?ヒプノセラピーは決してこわいものではありません。ただ体中を気持ちよくして、楽にさせてくれる治療法です。」

「そうですね。あたしも、不安で仕方ないし、お願いします。あたしも、黙っているのは耐えられない。でもお母さんに失礼な事は言えない。」

と、あや子さんはいうと、マネさんは、久子さんを隣の部屋に連れて行った。その間に、天童先生は、あや子さんを椅子によりかかかって座らせた。そして、どこどこの力を抜いてくださいと指示を出していく。もちろん、指示に従うのは難しいのであるが、あや子さんは何回も深呼吸したりして、なんとか楽になってくれたようだ。

「あや子さん、それでは、どうしてお母さんの用意してくれた振袖を着たくないのか、話していただけますか?」

天童先生は優しく指示を出す。

「はい。あれは、母が着ていた振袖で。」

あや子さんは小さな声で静かに言った。基本的にヒプノセラピーを受けている被験者は、甘い香りに包まれて雲の上に居るような気持ちよさを味わって居るのである。その中で、施術者の質問に答えを出していくのであるが、そのような気持ちが良い中で答えるので、決して苦痛ではなく真実を話せるのである。

「それでは、お母様が着ていた振袖をなぜ着たくないのでしょう?」

天童先生が言うと、

「はい。私は、他の人が着ているような、華やかな振袖を着たいと思ってたんです。ですが、祖父が、こんなお金のない家に、振袖を新しく買うのは言語道断と怒鳴りだして、母と叩き合いになったんです。私の家はいつもそうです。祖父がなんでも思い通りにしてしまう。例えばエアコンが故障したときだって、祖父は、わたしたちに業者を選ばせたりさせてくれなくて、一人で勝手に決めてしまいました。まわりの人達は、祖父が、偉い人であることを知っているから、何も止めてくれないで私達家族だけで、なんとかしなければと思ってるんです。だから振袖を着たくないんです。」

と、あや子さんは小さい小さい声で答えた。患者によっては、朗々と真実を述べる人も居るし、ボソボソ喋る人も居る。だけど、潜在意識は嘘を突くことはできない。それを天童先生はちゃんと知っている。

「わかりました。おじいさんが、そういう事をいうから、生活がつらいのですね。とりあえず今日は、穏やかに静かに休みましょう。そして、また次のときに、どうやって動いていくか話していきましょう。」

天童先生は優しく言った。彼女はすぐに目を閉じたままの顔をくしゃくしゃにさせ、涙をこぼして泣き出してしまった。きっとそれだけつらい思いをしていたのだろう。まず初めに、傷ついた心を癒やしてあげることから始める。そして、彼女に次のステップに行ってもらうための治療に移行するのだ。天童先生は、彼女がいつまでも泣いているのをそっと見守ってあげることにした。

それと同時にマネさんは、同じような内容の言葉を、田中久子さんから聞いていた。なぜ、二世代に渡って同じことで悩むのだろうと思ったが、そうなってしまう家庭もあるものである。

白い振袖は、テーブルの上に置かれたままだった。着てくれる人が現れるまで。





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