第十四幕
第十四幕
やがて第■■代アメリカ合衆国大統領就任式の幕が盛況を博したまま下ろされてから数時間後、昨夜から宿泊しているグランドホテル・ワシントンD.C.へと一旦帰還した僕ら四人は、二つの客室の内の一つのリビングルームに集合しつつ備え付けのテレビの液晶画面をじっと注視していた。液晶画面の向こうではどこかのテレビ局の若い男性レポーターがマイクを握りながら、ホワイトハウス内のエグゼクティヴ・レジデンスでの晩餐会の開宴を告げると同時に、その晩餐会に招待された来賓の顔触れや提供される料理の内容を興奮気味に報告している。
「晩餐会、始まりましたね」
ツインの客室の二つ並んだベッドの内の一つの縁に腰掛けたまま、テレビの液晶画面を注視しながらそう言って、僕は誰に言うでもなくぼそりと呟いた。
「やっぱりホワイトハウスでの晩餐会で出されるお料理って、アメリカ料理なの? それとも、フランス料理? もしくはアメリカでもフランスでもない、もっと別の国のお料理だったりするのかしら?」
僕の隣に腰掛けた淑華もまたそう言ってぼそりと呟き、誰に問い掛けるでもなく問い掛けながら、彼女は彼女なりに興味深げにテレビの液晶画面を注視している。
「ええ、そうね? でしたら今しがた万丈くんが仰った通り晩餐会の幕も上がられた事ですし、もうそろそろ、あたし達が行動を開始するのにもちょうど良い頃合いなのではないかしら?」
するともう一つのベッドの縁に腰掛けていたグエン・チ・ホアがくすくすと愉快そうにほくそ笑みながらそう言って、白く清潔なシーツが敷かれたマットレスからおもむろに腰を上げはしたものの、そんな彼女の誘い文句を耳にした
「なあ、グエンさん、ちょっといいかい? 済まないが、もう一度だけ確認させてくれないか? あんた、本当にこれからこのテレビに映っている厳戒態勢のホワイトハウスに乗り込んで、招待されてもいない晩餐会と舞踏会に潜入するつもりだって言うのかい?」
「ええ、勿論、そのつもりでしてよ? 女に二言はありませんものね? あら? それとももしかしてもしかすると、キャンベルさんったら、この期に及んで怖気付いてしまわれて?」
再度の確認を求める彼の問い掛けに対してグエン・チ・ホアがそう言って問い返したならば、半ば嘲笑される格好になってしまった
「おい、何だと? グエン・チ・ホア、あんた、この俺を馬鹿にするつもりか? あんたが女に二言は無いと言うのなら、男である俺にだって、二言はあるものか! だから怖気付いたりするまでも無く、あんたと一緒にホワイトハウスに乗り込んでやるよ!」
「あら、そう? でしたらキャンベルさん、あたしもあなたを頼りにしてましてよ?」
やはりくすくすと愉快そうにほくそ笑みながらそう言ったグエン・チ・ホアの口車に乗せられてしまっては、どうやら短慮で直情的な性分らしい
「さあさあ、でしたらキャンベルさんだけでなく万丈くんも淑華ちゃんも、そろそろ出発する事にいたしましょうね? 準備はよろしくて? 夜の戸外はお昼間よりもずっと寒いでしょうから、ちゃんと上着を羽織って、出来得る限り暖かい格好でもって出掛ける事をお忘れなく?」
そう言ったグエン・チ・ホアに忠告されるまでもなく、ベトナムの民族衣装である純白のアオザイに身を包むのみの彼女と違って、僕や淑華や
「さあ、でしたら出発なさいましてよ?」
するとそう言って発破を掛けたグエン・チ・ホアに先導されながら、僕ら四人はグランドホテル・ワシントンD.C.の1204号室を後にすると、そのまま短い廊下を渡った先のエレベーターホールでもって揃ってエレベーターに乗り込んだ。そしてホテルの一階へと移動してからフロントを素通りし、座り心地の良さそうなソファやローテーブルが並べられたロビーを通過すると、やがて正面玄関の回転扉を潜ってホテルの敷地からも退出する。
「寒っ!」
ホテルの建屋から一歩外に出た淑華がそう言って、
「ああ、そうだな、淑華。陽が出てた昼間でも充分寒かったけど、夜になったら、まるで今にも雪でも降って来そうな程の寒さだ」
彼女の隣に立つ僕もまた吐く息を真っ白に凍り付かせながらそう言って、ビルとビルとの隙間から垣間見える真冬の夜空を見上げつつ、フェイクムートンのジャンパーの襟を立てて首元を温める。
「なあ、グエンさん? あんたはそんな格好で、本当に寒くないのか?」
しかしながら黒い革のジャンパーと黒いベレー帽と言う『新ブラックパンサー党』の制服に身を包んだ
「ええ、そうね? 以前もお伝えした筈の万丈くんと淑華ちゃんはご存知でしょうけれども、こう見えましてもあたしったら、昔から寒さや暑さと言った自然環境の変化には一瞬で順応出来てしまう体質でしてよ?」
グエン・チ・ホアはくすくすと不敵にほくそ笑みながらそう言うが、只単に寒さが平気なだけでなく吐く息も白くならない程にまで環境に順応していると言うのは、最早人間の常識の範疇を凌駕してしまっていると言っても過言ではないだろう。
「さあさあ、あたしの体質の事なんかについて論じ合っている暇があるのでしたら、今は一刻も早くホワイトハウスへと馳せ参じる事といたしましょうね? こんな所でいつまでももたもたしてしまっていては、絶賛開宴中の晩餐会だけでなく、その後の舞踏会までもが閉宴してしまいかねないのではないかしら?」
そう言って先を歩くグエン・チ・ホアに急かされながら、僕ら四人はぞろぞろと肩を並べて連れ立って、ホワイトハウスが在るペンシルベニア通り1600番地の方角へと足を向けた。そしてどんよりと灰色に曇った夜空の下を、寒さを堪えながら歩き続ければ、やがて僕らはホワイトハウスの敷地を西に臨むパーシング公園の前へと辿り着く。
「やっぱりと言うか当然と言うか、就任式の当日だけあって、こんな時間でも人がいっぱい居ますね」
そう言った僕の言葉通り、パーシング公園から15thストリート越しに臨むホワイトハウスの正面玄関前は夜になっても数多の
「大統領万歳! アンブローズ・トマス・ホンダと合衆国に栄光あれ!」
「アンブローズ・トマス・ホンダは不正選挙で選ばれた、偽物の大統領だ! 直接選挙ではなく従来の間接選挙でもって、選挙を一からやり直せ! 世界人類を背後から操る闇の政府に、正義の鉄槌を!」
互いのスローガンが殴り書きされた横断幕やプラカードを掲げながらそう言って、新大統領を支持する陣営とそうでない陣営との二つの群衆が真っ向から睨み合い、ホワイトハウスの正面玄関前で一触即発の雰囲気を醸し出しているのが遠眼にも見て取れる。
「あらあら、このままですと、正門からホワイトハウスの敷地内へと侵入させていただくのは難しそうね?」
溜息交じりに小首を傾げながらそう言ったグエン・チ・ホアの言葉に依るならば、どうやら彼女は互いに睨み合う二つの派閥の群衆さえ居なければ、
「それじゃあホアさん、僕ら、これから一体どうします? 一旦ホテルまで引き返して作戦を練り直し、それから出直しますか?」
そこで僕がそう言って問い掛けると、問い掛けられたグエン・チ・ホアはこちらを振り返り、まるで幼い子供の様に
「あら? 万丈くんったら、そんなに心配なさる必要性は無いのではないかしら? 何故ならもうすぐあそこで一悶着起きますので、その混乱に乗じて、裏口の方から侵入すればよろしいのですものね?」
そう言ったグエン・チ・ホアはホワイトハウスの正面玄関前で睨み合う二つの陣営から成る群衆を指差すが、僕は彼女が何を言わんとしているのかが理解出来ず、今度は僕が小首を傾げながら頭の上に見えない疑問符を浮かべるばかりである。
「闇の政府に操られたアンブローズ・トマス・ホンダを、今すぐにでも大統領の座から引き摺り下ろせ! 神聖なる合衆国大統領の座は、不正が
すると睨み合う二つの陣営の内の新大統領を支持しない側に属する一人、つまり襟と袖に二本の黄色いストライプが入った黒いポロシャツ姿の白人男性が人種差別的な罵声交じりにそう言いながら、持っていたペットボトルをもう一方の陣営に向かって投げ付けた。
「この野郎、何しやがる!」
勿論ペットボトルを投げ付けられた側の陣営に属する人々もそう言って怒りを露にすると、彼らもまたやられっ放しのまま指を咥えて見ている程馬鹿ではないので、拾い上げたペットボトルを先の白人男性目掛けて投げ返さざるを得ない。そしてこの行為が引き金となりながら、二つの陣営によるホワイトハウスの正面玄関前での平和的な睨み合いは、やがて激しい暴力を伴う武力衝突へと発展するのであった。
「やりやがったな、この穢れた黒んぼどもめ! もう許さねえから、覚悟しろ!」
「覚悟するのはお前らの方だ、このQアノンの陰謀論者どもが! お前らみたいな
「何だと、この野郎! 誰が
「ああ、掛かって来いよ、この腰抜けのチキン野郎どもめ! 返り討ちにしてやる!」
そう言って激しく互いを罵り合いながら、アンブローズ・トマス・ホンダ新大統領を支持する側とそうでない側の二つの陣営を構成する人々が物理的な取っ組み合いを始めたならば、当然の事ながらホワイトハウスの正面玄関を守る
「おい、止めろ! そこで殴り合っている一般市民は直ちに暴力行為を止めて、今すぐ解散しなさい! さもなければ、全員この場で拘束し、然るべき施設へと連行します!」
揃いの制服と制帽姿の
「この
「何だと、この穢れた黒んぼどもが! 恥を知れ!」
群衆の両陣営を構成する人々がそう言って罵り合いながら殴り合い、大人しく解散するような素振りを微塵も見せなければ、やがて事態を静観していた
「確保! 確保! 全員、逮捕する!」
すると
「全員、大人しくその場から動くな! 抵抗すれば、暴力も辞さない!」
警棒やテーザーガンを手にした
「うるさい、黙れ、この権力の犬どもめ! 我々には不当逮捕を免れる権利がある!」
「邪魔だ、とっとと失せろ! お前ら警察こそ、この場から立ち去れ! 合衆国の国民である俺達には、不正選挙に対して抗議する権利がある事を忘れたか!」
口々にそう言って権利の有無を主張しながら抵抗する新大統領支持派と不支持派の二つの陣営、それに治安の維持を任された
「あらあら、やはりあたしの見立て通り、あちらで一悶着起きたみたいね? でしたら皆さん、この絶好の機会でもある混乱に乗じるべく、急いで裏口へと移動する事といたしましょうか?」
そう言ったグエン・チ・ホアが15thストリート沿いの歩道をすたすたと歩いて北上し始めたので、僕と淑華、それに
「ほら、ね? やはりこちらもまたあたしの見立て通り、正面玄関前での騒動の鎮圧に人手を割かれて、それ以外の出入り口の警備が手薄になってしまっているでしょう?」
そう言ったグエン・チ・ホアの言葉通り、確かにラファイエット広場の脇の出入り口の警備は正面玄関前のそれと比べて随分と手薄で、ほんの数人の
「だけどホアさん、それでも警察だか民間の警備員だかの人達があそこに何人か居ますから、そう簡単に、あの
僕は頑丈な鋼鉄製の
「あら、果たして本当にそうかしら? 万丈くんったら、そんなに気を揉まれたりなさらずとも大丈夫でしてよ? まあ、そうね? 百聞は一見に如かずとも言いますし、ちょっとそこで、あたしの手腕を見てらっしゃい?」
事も無げにそう言ったグエン・チ・ホアがラファイエット広場の脇の出入り口の傍まで歩み寄ると、その出入り口を警備している
「そこのあなた、何か用ですか? 用が無いのでしたら、ここで立ち止まらず、先に進んでください」
制服姿の
「ええ、そうね? 実を言いますとあたしったら、そちらの建物の中にお集まりの方々の内のお一人に、是非ともお尋ねしなければならない事がありましてね? ですからどうかこの
やはりグエン・チ・ホアがホワイトハウスを指差しながら事も無げにそう言えば、今度はそんな彼女を、制服姿の
「は? 何だと? おいあんた、今、何て言った?」
グエン・チ・ホアに対する二人称を丁寧な言葉遣いである「あなた」から不躾なそれである「あんた」へと言い換えながら、制服姿の
「ですから、その
「おいおい、アジアからの観光客さん? あんたが一体どこの誰だか知らないが、馬鹿も休み休み言ってくれないか? まさに今この瞬間、この広場の向こうのホワイトハウスのエグゼクティヴ・レジデンスでは、新しい大統領の就任を祝う晩餐会が執り行われている真っ最中なんだぞ? だからそんな国家的な一大イベントの会場に、招待状も持ってないあんたなんかが、まるで大統領自らが招待した来賓の様に勝手に立ち入る事が出来る訳が無いだろう? ん?」
どうやらグエン・チ・ホアをホワイトハウスを見物しに来た観光客だと思っているらしき
「やっぱり無理ですよ、ホアさん! ここからは入れませんって! だから潔く諦めて何か別の、他の方法を探しましょうよ!」
僕は背後から彼女の手を引きながら小声でもってそう言って退却を促すが、やはりグエン・チ・ホアは、そうそう簡単には引き下がらない。
「あら? 晩餐会への招待状でしたら、あたし、持っていましてよ?」
「何だと?」
招待状を所持していると言う突然のグエン・チ・ホアの言い分に、制服姿の
「ほら、警備員さん? こちらがあたし宛てに届いた招待状ですけれども、確認していただけて?」
グエン・チ・ホアはそう言いながら、彼女の身を包む純白のアオザイの懐から取り出した一枚の紙片を
「おい、あんた、さっきからふざけてるのか? こんな紙ナプキンなんかが……」
しかしながら只の紙ナプキンを手渡されてしまった制服姿の
「あら? 警備員さんったら、どうかされたのかしら? ひょっとして、あたしの招待状に、何か不備でもありまして?」
僕が立っている位置からでは陰に隠れてしまっていてよく見えないが、
「……はい……何の不備もございません……確かに招待状を確認いたしました……どうぞこちらへ……」
すると制服姿の
「……どうぞ皆様……お入りください……」
やはり眼の焦点が合わないままそう言って手招きする
「ちょっとホアさん、今、一体何をしたんですか? どうしてあんな紙ナプキンなんかが招待状だなんて出鱈目が、あの警備の人に通じたんですか?」
「ええ、そうね? 実はこう見えましてもあたしったら、一級占星術師の資格を有していたりウィジャ盤とプランシェットを用いた占いなどに精通していたりするだけでなく、世間一般的には催眠術とも称されるような人の心を惑わす
「催眠術?」
グエン・チ・ホアによる突然で予想外の告白に、僕はそう言って頓狂な声を上げ、思わず
「はぁ? 催眠術ですって? ちょっとあんた、あんたの事は前々からどうにも胡散臭い女だとは思ってたけど、もうこうなったらあんたの胡散臭さも天井知らずね! きっとその内、実は占いや催眠術だけじゃなくって、ベトコンに代々伝わる秘密の魔法が使えますとでも言い出すんじゃないの?」
僕の隣を歩く淑華もまたそう言って、驚きつつもすっかり呆れ果ててしまっている胸の内を隠そうともしない。
「とにかく、その催眠術とやらのおかげでホワイトハウスを囲む鉄柵の内側には侵入出来た訳だが、これからどうする? まさか、またその紙ナプキンを使って、晩餐会の会場にも正面から堂々と侵入するって訳じゃないよな?」
僕ら四人の最後尾を歩く
「ええ、そうね? さすがに人の数が多過ぎますと、それら全ての方々の心をあたしの心得た
そう言ったグエン・チ・ホアの言葉通り、彼女はすっかり宵闇に包まれたラファイエット広場をすたすたと軽快な足取りでもって縦断すると、そのままホワイトハウスの本丸であるエグゼクティヴ・レジデンスの裏口の方角へと足を向けた。すると程無くして目指すべき裏口、それもどうやら厨房へと続くらしい裏口と、その裏口から出入りする者の素姓をチェックする二人の
「ほら、ね? やはりあたしが予想しました通り、厨房の裏手は警備が手薄でしてよ?」
如何にも得意げな表情と口調でもってそう言ったグエン・チ・ホアは真っ直ぐ裏口に歩み寄るものの、そんな彼女の背中を追っていた後続の僕ら三人は、二人の
「ちょっとホアさん、止まって止まって! 早く身を隠さないと、そこに居る警備の人達に見付かっちゃいますってば!」
「あら、そう? そんなに心配なさらずとも、ほんの二人くらいでしたら、どうとでもなるのではなくて?」
まるで警戒する素振りも見せぬままそう言ったグエン・チ・ホアがエグゼクティヴ・レジデンスの裏口に歩み寄れば、当然の事ながら、その裏口を左右から挟み込むかのような格好でもって立っていた二人の
「そこに居るのは誰だ! おい、女、両手を挙げたままその場から一歩も動くな! ここはホワイトハウスの関係者と来賓以外、今夜は立入禁止の筈だぞ! 一体どこから忍び込んだ!」
こちらへと歩み寄るグエン・チ・ホアの姿を見咎めた二人の
「あらあら、そんなに警戒なさらないでくださるかしら? あたし、別に怪しい者ではなくってよ?」
グエン・チ・ホアは武器などを所持していない事を証明するために両手の掌を見せながらそう言って、尚も二人の
「実を言いますと、あたしったら、今宵の晩餐会に招待された者の内の一人なのですけれどもね? 開宴前にホワイトハウスのお庭を拝見させていただいている内に、うっかり迷子になってしまって、難儀しておりましてよ?」
「何だと? 迷子だって? だったら全ての来賓の名簿を管理している
「ええ、そうね? そうさせていただこうかしら?」
そう言ったグエン・チ・ホアが二人の
「ところで先程から怪我をした左の眼がずきずきと痛むのですけれども、傷口が開いてしまっていないかどうか、ちょっと見てくださらない?」
「ん? どれどれ?」
二人の
「お二人とも、ごめんなさいね? 晩餐会と舞踏会が閉宴するまでのほんのちょっとの間だけで結構ですから、ここでゆっくりとお眠りになられて、何か幸せな夢でもご覧になっていてくださるかしら?」
白眼を剥いたまま完全に意識を失い、まるでぷっつりと糸の切れた操り人形の様に彼女の足元に崩れ落ちた
「ほらほら、お三方ともいつまでもそんな所に隠れておられないで、今の内に裏口から厨房へと侵入しましてよ?」
「は、はい!」
グエン・チ・ホアの余りにも鮮やかな手口を目の当たりにした僕はそう言って、若干噛みながらも、身を隠していたラファイエット広場の薄暗がりから飛び出した。そして僕に続いて飛び出した
「準備はよろしいかしら? でしたら、いよいよホワイトハウスの内部へとお邪魔させていただきましてよ?」
僕ら三人の到着を確認したグエン・チ・ホアはそう言いながらドアノブに手を掛け、そのまま
「ほら、ね? 如何かしら? 先程も同じような事を申し上げましたけれども、やはりあたしが予想しました通り、この裏口こそがエグゼクティヴ・レジデンスの厨房へと続く出入り口で間違い無かったでしょう?」
まるで勝ち誇ったかのような表情と口調でもってそう言ったグエン・チ・ホアは、如何にも自慢げに鼻を高くしながら、一昔前の漫画かアニメさながらに「えっへん!」との咳払いと共に胸を張った。
「それでホアさん、ホアさんの思惑通り厨房へと侵入する事は出来ましたが、これから僕ら、どうします?」
するとそう言った僕の問い掛けに対して、グエン・チ・ホアは周囲の様子をきょろきょろと確認しつつも、これから僕や彼女らがどうすべきか暫し考えあぐねる。とは言え厨房の
「ええ、そうね? でしたらいつまでもこんな所でこそこそしてないで、本物の来賓にでもなったつもりでもって、晩餐会の会場に堂々と足を踏み入れてみると言うのは如何かしら? こう言った不特定多数の大勢の方々が集まっているような空間では、むしろ何が悪いのかとでも言わんばかりに堂々とされていた方が、却って怪しまれないと言うものでしてよ?」
暫し考えあぐねていたグエン・チ・ホアはそう言って顔を上げ、そのまますたすたと軽快な足取りでもって厨房を縦断したかと思えば、その厨房から続くエグゼクティヴ・レジデンスの廊下へと躍り出た。そして彼女は僕ら三人を背後に従えながら、廊下を渡った先の、晩餐会の会場である
「ご機嫌よう、マダム? 今宵は楽しまれておいででして?」
エグゼクティヴ・レジデンスの廊下を堂々と胸を張りながら歩くグエン・チ・ホアはそう言って、
「あらあら、随分と盛況なご様子じゃない?」
周囲の様子をぐるりと確認しながらそう言ったグエン・チ・ホアの言葉通り、僕ら四人が足を踏み入れた
「さて、と? でしたらあたし達が問い詰めねばならない筈の、あたしのお店から『ちびくろサンボ』の原書を盗み出そうとされた本田サイモン仁さんは、果たして今、この会場のどちらにいらっしゃるのかしら?」
そう言ったグエン・チ・ホアが再び周囲の様子を確認し直してみたならば、彼女を含む僕ら四人が立っている扉の傍とは反対側の
「あらあら、本田サイモン仁さんったら、そちらにいらっしゃいましたのね? とうとう追い詰めさせていただきましてよ?」
不敵にほくそ笑みながらそう言ったグエン・チ・ホアが、晩餐会が執り行われている最中のエグゼクティヴ・レジデンスの
「紳士淑女の皆さん! 晩餐会への招待を快諾してくださった皆さん! どうぞ、こちらにご注目ください!」
両手を打ち鳴らしながらそう言って来賓達の耳目を引いたのは、これまた仕立ての良いタキシードに身を包んだ一人の黒人の中年男性、つまり本日の主役であり主賓でもあるアンブローズ・トマス・ホンダ新大統領その人に他ならなかった。そしてどうやら彼は、晩餐会の会場であるエグゼクティヴ・レジデンスの
「皆さん、本日はお忙しい中こうしてお集まりいただきまして、誠にありがとうございます! 就任式の関係者と責任者、そしてつい数時間前に発足したばかりの新政府を代表しまして、私、アンブローズ・トマス・ホンダが厚く御礼申し上げます!」
アンブローズ・トマス・ホンダ新大統領がそう言って感謝の言葉を口にしたならば、エグゼクティヴ・レジデンスの
「今宵、私は一般の国民の方々に先んじて、この場にお集まりくださった皆さんにお伝えしておきたい事がございます! それは何を隠そう、合衆国史上初の直接選挙によって選ばれた大統領であるこの私が見据える、この国の未来の在り方に関する決意表明に他なりません!」
如何にも政治家らしく姿勢を正して胸を張り、堂々とした表情と口調でもってそう言ったアンブローズ・トマス・ホンダ新大統領の言葉に、エグゼクティヴ・レジデンスの
「あらあら? 決意表明ですって? アンブローズさんったら、一体どのようなお話をお聞かせしてくださるのかしら?」
「これから私が皆さんにお伝えすべき決意表明の内容に、この場にお集まりくださった皆さんは、きっと口から心臓が飛び出るほど驚かれるに違いありません。しかしながら、それは決して昨日今日になってから閃いたかのような安易な思い付きなどではなく、この私が確固たる自我に目覚めた多感な時期からずっとずっと想い描いていた夢である事を、どうかご理解ください。そう、夢です。リンカーン記念堂の前での演説で「私には夢がある《I Have a Dream》」と語った、かのマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師と同様に、私にも夢があるのです!」
声高らかにそう言ったアンブローズ・トマス・ホンダ新大統領の、まるでマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の魂が乗り移ったかのような威風堂々とした姿に、その場に居合わせた多くの者達はこれから始まる決意表明の内容に
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