8 サークルの掟
騎手たちが飛び出してきた。
「馬が教えてくれる」
これは、サークル・R&Hのモットーである。
数年前、ミリッサが数人の学生からの要請を受け、サークルの顧問に就いた時、なにか標語めいたものを、と考えたのがこれだ。
パドックで馬をよく見ろ。数か月前のデータより、数日前の調教の出来より、今の馬を、というわけだ。
とはいえ、それぞれの学生で予想手法は異なる。
それはそれでいい。
名前で決めると言われたジンは、三回生。
データを読むのは面倒過ぎて自分には合わない、だから馬名からでも馬番からでも、いくつか選んでおいて、パドックで最終決断、というタイプ。
だからと言って、的中率が低いかというとそうでもない。
今日はクリーム色のワンピース姿。短い黒いスカート。
秋華賞だから女性らしい服にした、と言う。
いつもの白いTシャツやブラウスより、女性らしいのかどうかわからないが、学生たちは無関心。
無視されたのか、諾という反応なのか、女の子のやり取りの真意はミリッサには分かるはずもない。
小さな痩せた体が、ジンをモノトーン好みにさせているのかもしれない。
栗毛色の長い髪を緩く編み込みにし、授業では少し的を外した質問を投げかけてくる。
外観とは裏腹に、自分のことをボクと呼び、少年のような言葉づかいが初々しい元気印の娘だ。
「また、トカゲに聞いてる」
と、ミャー・ランにからかわれている。
ランは、ジンの同級生。
「トカゲって言わないでって言ってるでしょ」
「三四郎」
「そう」
「で、そのトカゲはなんて言ってる?」
「もう!」
ジンの背に、水色に黒いストライプ模様のトカゲが張り付いている。
体長十五センチほど。
彼女のペットだ。
大流行しているペットロボット。
彼女の好みはトカゲ型ロボットだが、人によって千差万別。
犬やコアラといったノーマルなものから、昆虫型も人気はあるし、妖怪めいたおどろおどろしいものやナメクジといったものまである。
デフォルメした可愛いものから、本物かと見まがうリアルなものまで。
元はと言えば、独居老人や入院している子供たちの話し相手として開発されたものだが、今や、世の女の子にとって最大の関心事、というほど急速に広まりつつある。
「ボクは十一番のゴールドボートが固いと思うな。逃げ切ると思うよ。ニジニシキの差しは届かないと見た」
トカゲの三四郎が、ジンとよく似た少年の声で言った。
競馬予想ソフトがインストールされているわけではない。
ロボットの価格帯によって大きく異なるが、人と概ね同じように考え、同じようにふるまえる。
人工知能の最先端は、日本の女性向けのマスコットロボットに集約されているといってもよい。
ランはチラと暖かな笑顔を三四郎に向けたが、すぐにパドックの最後の一周に目を凝らし始める。
彼女はどこに行っても目立つ。
背中の肩甲骨辺りまであるピンク色と若草色と銀色の混じった、いわゆるフェアリーカラーの髪。
身長は大きくないが、体の線が起伏に富んで、しなやかに動く。
短いパンツから伸びる素足が眩しい。
エメラルドグリーンの魅惑的な瞳の先、最後の一頭が地下馬道に消えた。
両目の下にある二つほくろが愛くるしい。
機嫌の良い時などは大きくなり、悪い時は小さくなるような気がする、不思議なほくろ。
ミリッサはそう思っていたが、もちろんそんなことはないだろう。
ただの思い過ごしに違いない。
ジンとランは互いの買い目を披露しあってから、じゃ、と別々の方向に歩いていく。
ハルニナも、ちょっと笑みを見せただけで、神社の方へ向かっていく。鳥居脇のベンチにでも座るのだろう。
ミリッサは、勝ち馬投票券を買ってから、さあ、どこをぶらつこうか、と思った。
今日の幸運を強めてくれるところ。
サークルの掟、その二。
他人を束縛しないこと。
パドックは一緒に見るし、レースも一緒に見る。
しかし、それ以外の時間は、食事も含めてよほどのことがない限りひとり。
このルールを決めたのは、一年ほど前。
女の子同士。学年も違う。
必ずしも全員が仲が良い、ということはない。
現に、今の三人にしても。
特に、ジンはハルニナと馬が合わないと感じている。ハルニナの方は何とも思っていないようだが。
ミャー・ランは以前、極端な無口だった。口を開けば片言の日本語。
最近でこそ自然な口調だが、実のところ、誰とも打ち解ける様子はない。
そんなことに気づいて、導入したルールである。
パドック横の大階段を見上げた。
巨大な時計。長針が五十二分を指している。
ファンファーレまで十八分。
返し馬のテーマ曲が流れてきた。
さあ、今日一日が始まると、気分を上げてくれるメロディー。
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