第1章 秋華賞とサークルの掟
7 馬が教えてくれる
馬が教えてくれる。
そう言ったハルニナは無視された格好だ。
パドックに入ってきた先頭の馬が、珍しい馬体をしていたからだ。
「うおっ」
「すごっ」
声があがる。
漆黒の馬体かと思いきや、パドックを回って来れば体の右半分は黒と白のブチ模様。
「格好いい!」
「聞きしに勝る……」
秋の京都競馬場、第一レースのパドック。
「私、あれにする。プリブノウメキ」
「いくらなんでも、無理無理」
「どうして?」
「だって、ウメキだよ。呻き」
「あんた、名前で決める派だもんね」
「プリ・ブノウ・メキかもしれないし」
「どういう意味?」
「さあ」
「でも、うれしいね。競馬場、やっぱりいいよね」
「久しぶりだもんね」
「ウンチの臭いも芳しいし」
などと騒いでいる三人の教え子たちを少し離れたところから眺めながら、ミリッサはメインレースの秋華賞の予想を見直していた。
事前に全レース分の予想は終えてある。
とはいえその予想とは、消すものは消して半数に絞ってあるという意味だ。
サークルのルールとしてパドックは見る、と決めてある。
ミリッサは、三番の馬を凝視してから、それを本命として、事前に目をつけていた馬の中から馬連を三通り、と決めた。
ハルニナが振り向いた。
ミリッサがそこにいることに安心したわけではないだろうが、長い袖を振ってみせた。
彼女はどんな時も黄色いローブを羽織り、長く艶やかな髪を隠している。
しかも色白とは彼女のこと、というほどの美貌に長身。パドックの中でもひときわ目を引く。
パイナップル色の笑みを送ってきた。
それにつられて、ミャー・ランも振り向いた。
こちらははっきり笑いかけてくる。
「ミリッサ! どうする?」
そう問いかけてきたのはジンである。
いずれも、紅焔女子学院大学の学生。
ミリッサの授業を受けている学生であり、競馬サークル「R&H」(ラフ)に所属している。
RACE&HAITOU。
大学は、阪急御影から急坂を二十分上った景色のいい六甲三麓にある。
女子大。
いわゆるお嬢様学校として人気は高い。
そこでミリッサは、人文科学部プロダクション学科の非常勤講師として、週に一日三科目、心理的提案技法論なるものなどを教えている。
「俺の予想を聞くな。自分で考えろ」
学科で唯一の男性教官として人気はある方だと、自分では思っている。
四十六歳。彼女たちにとってはおじさんでも、比較的高齢男性の多い女子大では若い方だ。
にもかかわらず、サークルに入ってくる学生が少ないのはなぜか。
競馬はもうマイナーだからな、と自分を納得させているのだった。
確かに、競馬は変わった。
関西にあったJRAの競馬場はここ京都だけになったし、G1レースの日でも、暗いうちから何時間も並ぶこともなくなった。
令和の時代に京都競馬場は建て替えとなったが、それほどの観客を集めることもなくなった今、またもや改築され、それを機に、主要な部分は平成の時代の形態に戻されている。
トラック形楕円ではなく元のように円形のパドック。
以前もそうだったが、中央の大木がせっかくの電光掲示板を見えにくくしている。
その大木の葉を初秋の風が揺らしている。
京阪カラーの電車が、電光掲示板の後ろから姿を現し、京都方面に向かっていった。
「ミリッサ、顧問なんだから、ちょっとはアドバイスを」
「知らん」
学生からは、授業中は先生と呼ばれるが、授業を離れると呼び方は様々。
ミリッサと名を呼び捨てにするのが今風ということらしい。ハルニナ、ジン、ミャー・ランはそのクチだ。
いわゆるジェンダー平等、ジェネレーション平等、エクスペリエンス平等のひとつの表現。
ミリミリとあだ名はまだいいが、さすがにジンからお兄ちゃんと呼ばれた時には、それはやめろと言ったものだ。
わおっ。
パドックがざわめいた。
一頭の馬が何かに驚いたのか、前足を上げていなないている。
ミリッサはせっかく選んだ馬連の一枚を書き換えた。
「ほらね。馬が教えてくれる」
と、ハルニナがまた言った。
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