誘拐
新年を迎えて俺は十歳になり、待ち遠しかった入学式もすぐそこだ。
クレスもジェロも学園にすでに通っている。家の中が寂しいはずである。
とは言っても、長期休暇になれば二人とも必ず帰ってくる。母が寂しくないようにちゃんと気遣っているのだろう。
冬は両親が王都に来るため、母もそこまで寂しいわけではないみたいだけど。
長男のクレスは卒業後に結婚を考えているらしく、婚約者と一緒に領地に帰ることが多い。二人の仲はとても良好で、もはや夫婦ではと思うことがある。
たまに、砂糖かというほどの甘い空間を作り出していることがあるので要注意だ。
ジェロの婚約者はどうなのかと聞かれれば、勝手に、いや、積極的に領地まで一緒になって帰ってきてる。まあ、ジェロが嫌がっていないからいいのだろう。
すでに尻に敷かれているのがとても気になるけどね。
今は王都に向かう馬車に揺られながら、増えた聖印の技能について考えている。
【祝福】は今のところよくわからないままで、【成長促進】は身体の成長に補正がかかっているんだとは思う。
【加速】は意識すれば、素早く身体を動かせる技能のはずだ。これもまだ未知数。
なぜこれらの技能が手に入ったのかと言えば、俺が聖印に祈ったから、だと思う。
ハンナとマルスの幸せを願って【祝福】が、シャルのことを考えて【成長促進】と【加速】が解放された。
俺が欲しいと願えば、技能はなんでも手に入るのだろうか?
さすがにそれはないだろうな。俺にとって、本当に必要なときだけだろう。
そうじゃなければ、あまりにも自由過ぎる。俺が悪人だった場合、世界滅亡だって簡単になってしまう。
そんなことは女神様も許しはしない。そのための段階的な解放なんだから。
だけど、必要な時だけだと言うのなら【加速】はどういう意味があって解放されたのだろうか。正直、嫌な予感しかしない。
ああ、シャルに早く会いたいな。
王都にある別邸に到着した。入学式まではまだ期間がある。
それまでの間に、ハンナやマルスと再会して、ロイヤル商会の様子を見ておこう。
マッサージ店と食事処の様子を確認しないといけない。
特に食事処は進捗を聞いて、俺の判断が必要な場合があるかもしれないからね。
マッサージ店の方は、まだ王妃様の紹介がなければ利用が出来ないという隠れ家的な存在だ。
別邸にその王妃様から、王都についたら連絡しなさいという招待状が届いている。
王城に挨拶に来いって、すごい招待状だな。
目的が目的だから、あまり緊張はしないからいいんだけどね。
俺のスライムの、本場のマッサージを受けたいということらしい。
今まで色々と便宜をはかってもらっていたのだ。これくらいは構わない。
それに電流マッサージなんてものはまだ味わったことがないだろうからね。
今のセラピーなら毛穴に対するケアもできる。美容エステ専門のスライムだ。
王城に出かける準備をしてる最中だった。別邸の前が騒がしい。
何事かと顔を出すと、ボロボロな状態でシャルロッテの侍女リリィがいた。
門番に中に入れろと騒いでいたところに兄たちが帰ってきて、ここまで連れてきたらしい。
なぜリリィがボロボロの状態でここに? シャルは? シャルはどこだ?
俺は急いてはいけないと必死に抑えて、リリィに問いかける。
リリィは疲労困憊の様子で、懐からシャルの髪飾りを取り出した。
「お嬢様が賊に連れ去られました。王都にいるはずです。後を、お願いします……」
息も絶え絶えな状態で、それだけ伝えるとリリィは気を失ったようだ。
俺はリリィの手から落ちた髪飾りを拾い、怒りで気が狂いそうになるのを抑える。
ダメだ、落ち着け。優先順位を考えろ。
王城には行かなければならない。シャルにはエスティがついているはずだ。
エスティとの魔力経路を辿る。エスティからは無事だという意思が伝わってくる。
すぐにでも助けに行きたい。だが、手順を間違ってはいけない。
確実に犯人を追い込む。逃がさない。シャルは必ず取り戻す。
使える伝手、能力はすべて使う。
俺の意思にスライムたちがすでに動いている。
聖印が教えてくれる。大丈夫。落ち着け。シャルは無事だ。
やることはわかっている。すべて上手くいく。
――シャル、待っていてくれ。必ず助け出す!
まず、別邸の使用人たちにリリィを休ませるように指示を出す。
クレスにはリリィが起きたときに、情報を聞き出してもらうようにお願いする。
ジェロはロイヤル商会に行って、緊急事態だから遅くなると連絡を入れてもらう。
必ず一度戻るから、何が起こってもいいように対応をクレスに頼んでおく。
俺はこれから王城に向かって、王妃様に可能な限りの協力を求める。
セラピーはすでに分裂体を作っている。名前は、ケアリーにしよう。
ソルトとセラピー、ケアリーは一緒に王城に行くが、ピュムにはエスティを辿ってシャルのもとに先に向かってもらう。
万が一に備えて、俺の出せる最強の駒だ。
王城に馬車で向かう。シャルが捕まっている。気持ちはどうしても焦る。
セラピーを通して、エスティがまずい状況になったら、連絡を入れてもらうようにしてある。
ピュムはシャルのもとに向かっている。伝わってくる感情からは怒りが伝わる。
俺の代わりに怒りを爆発させているようだ。おかげで、俺は冷静になれる。
王城に入るまでのやり取りにイライラするが、決して表には出さない。
案内係の歩みが遅い。この人に怒りをぶつけても意味はない。落ち着け。
ようやく案内された部屋に入る。
ドレスで着飾ってはいるが非公式の場のため、まだラフな分類に入る。
この人が王妃コレット様か。
ニコニコとした笑顔を浮かべていたが、俺の雰囲気に気付き、余計な者を下げた。
今はありがたいが、こちらの心情は丸わかりということか。
「よく来てくれました。貴方がロイね。話はあなたの母のオネットから聞いてるわ。それよりも、今日はどうしたのかしら? 殺気立っているように見えるけれど?」
「お初にお目にかかります、王妃様。コルディヤ辺境伯の息子、ロイでございます。先ほど別邸に、私にゆかりのある人物が倒れるようにして訪れてきました。そして、緊急の用件を言われたために、内心を隠せない未熟な若輩者をお許しください」
「何があったのかしら?」
「私の婚約者が攫われたと」
室内の空気が張り詰める。俺の言葉で王妃様も緊急事態だということがわかる。
だが、王妃様は怒りを俺に向ける。
「それで? 婚約者が攫われたというのにもかかわらず、私のもとに訪れたのね? 婚約者を捨てるつもりなのかしら?」
「そんなつもりは微塵もありません。すでに動かせる駒は動かしています」
「なら、どうしてここに来たのかしら? 私から褒美でも欲しかったのかしら?」
「それも違います。協力をお願いしたく参上しました」
「対価は?」
「こちらのケアリーを。セラピーの分裂体で、母が受けている施術を行えます」
「よろしい。では、誰か地図を」
王妃様の目から怒りが消え、理知的な瞳で指示を出す。
王妃様の言葉で後ろに控えた侍女さんがすぐに王都の地図を持ってきた。
俺は少し驚いたが、そのまま地図を見るためにテーブルに移動する。
王妃様もなにか指示を出しながら、テーブルに移動する。
「場所はわかって?」
「セラピー、エスティの場所を頼む」
セラピーに尋ねると、地図のある一点を指す。
それを見て侍女が王妃様に伝える。
「そう、ロベリー商会ね。ありがとう。ちょうどよかったわ」
「ちょうどいい?」
「あなたにこれを託すわ。婚約者の無事と共に返してもらうけどね」
「これは、委任状?」
「その商会は悪さをし過ぎたの。私の代わりに証拠を掴んで潰してきてちょうだい」
「御意」
「うーん、ちょっと心配だから、イリスも行きなさい。委任状の回収もよろしく」
「ハッ!」
イリスという女性騎士が付いてきてくれるみたいだ。
今は手駒は多い方がいいから助かるな。
俺はすぐに退室の挨拶を行い、王城から出て、イリスと共に別邸に一度帰る。
クレスからリリィが起きたと報告を受ける。俺の帰りを待っていたらしい。
驚きの回復力と言いたいが、無理をしているのがわかる。
身だしなみは整えてはいるが、ジッとはしていられないのだろう。
ロイヤル商会に行かせたジェロは、マルスを連れて来てくれたみたいだ。
ハンナが今こそあなたの出番でしょ! と追い出したらしい。
全員が集まったところで、俺は王城で知った情報を報告する。
「犯人はロベリー商会だ。そこにシャルとエスティもいる。王妃様から商会の悪事の証拠を掴むように言われた」
「なるほど、ロベリー商会ですか。あそこは、王都の商業ギルド上層部とも繋がっている可能性があります。そちらも調べる必要が出てきますね」
「ありがとう、マルス。今は少しでも情報が欲しいから助かるよ」
「お嬢様を荷物のように抱えた人物の顔は覚えています。その者は任せてください」
「リリィ。せめて、シャルには気付かれないようにしてくれよ?」
「わかっています」
「ロイ殿。商業ギルドの上層部と相手が繋がっているのであれば、証拠を掴むために二手に分かれたほうがいいかもしれないぞ。王都の衛兵隊も借りよう」
「衛兵も一部は商業ギルドの言いなり状態です。頼りにできませんよ」
イリスが人員増加した方がいいと言い出すが、すぐにマルスが否定する。
衛兵も使えないのか。なら……
「商業ギルドには、マルスとイリス殿の二人で向かってくれ。イリス殿、委任状だ。これでギルドを一時的に制圧してくれ」
「わかりました」
「わかった」
「俺とリリィでロベリー商会を抑える。いいか? 今回は相手に証拠を消される前に動く。つまり、早さこそが正義だ。ロベリー商会とギルドを電撃制圧だ。いくぞ!」
こうして、電撃制圧作戦が始まった。
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