1章エピローグ②:抵抗

 あれから私とロイ様は文通という手段で、お互いの近況報告をしています。

 内容はあまり恋人同士のような甘いものではないのが残念です。

 それでも私たちは婚約者としての生活を送っています。


 始まりは、ロイ様から預かったお父様への手紙でした。

 あのとき、お父様の執務室に手紙を届けて、退室するだけだと思いました。

 ですが、お父様が手紙を読むにつれて、難しい顔になっていきます。

 何度か私の顔を見ては、手紙に視線を戻します。


 あの手紙には、一体なにが書いてあるのかしら?


 私はただ不思議な顔をして、お父様の様子を見ているだけでした。

 手紙を読み終わったお父様が私に質問を始めます。


「神狼様から加護をもらったと、この手紙には書いてあるが、本当か?」


「はい、お父様。神狼様から限定的な知識を加護として頂きました」


「限定的?」


「はい。一度に神狼様が持つすべての知識を与えると、私の身体が耐えられないそうなのです。そのため、限定的のようです」


「そういうことか」


「それと、すべての知識を与えると、よからぬものに狙われることを、神狼様は危惧したのではないかと思われます」


「……」


「あの、お父様?」


「いや、すまん。あまりに話が唐突でな。少し頭がついていけていないんだけだ」


「手紙にはなんと書かれていたのですか?」


「主には、お前を守ることについてだ。コルディヤ辺境伯が色々と考えて手を打ってくれているようだ」


 ロイ様が手紙には私が喜ぶことが書かれていると言っていましたが、残念です。


 どうせなら……


 私が妄想を膨らませようとしていたとき、お父様がまだ質問を続ける。


「それとだ。お前の意思を確認したい」


「意思、ですか? なんの確認でしょうか?」


「お前はロイ様をどう思っている?」


「……とても、とても好ましい方だと思います」


「わかった。お前のその反応で理解したよ。ハア……」


「お父様?」


「お前にロイ様との婚約の打診だ。お前の返答次第で、私はこの婚約の話を進めようと思っていたのだが、聞かずともよかったな」


「え?」


「お前とロイ様を婚約させる。最終的には先方がこちらに婿入りという形になるが、それも本人が納得しているとのことだ」


「私とロイ様が婚約?」


「なんだ? 本人からこの話を聞いていなかったのか?」


「いえ、聞いてはいませんが、その手紙に喜ぶことが書かれているとだけ……」


「うーむ。まだ五歳のはずなのに、意外と将来有望か?」


 私はもうお父様の言葉は耳に入っていませんでした。

 気が付いたら自室に戻っており、ソファで冷静になろうと努力していました。

 ですが、すぐに顔が熱くなるのがわかります。


 ロイ様! 私が喜ぶこととは、婚約のことですか!?


 気持ちはとても嬉しいのですが、突然のことで頭がついていきません!

 先ほどまでの妄想が実現してしまいました!


 どうしましょう!


 とにかく、手紙を出すことにしましょう。なんて書こうかしら?

 書きたいことが多すぎですわっ!

 私は何度も何度も書き直して、手紙を書き上げた頃には三日が経っていました。




 そのようなことがあり、手紙のやりとりを続けて、もう数年が経ちました。

 もうすぐ私は十歳になり、王都の学園に入学です。

 試験が先にありますが、貴族は落ちることはまずないです。

 平民にも門戸は開かれていますが、合格する人は富裕層の子供だけです。


 入学のため、色々と買い替えるものがあり、王都から商人を呼んで、お母様が必要なものを購入していきます。

 私も同席して、お母様の意見を参考にしつつ、学校で使うものを購入します。

 私の足元では、クゥが暇そうにあくびをしています。

 数年でクゥは大型犬ほどの大きさになりました。

 それと、私の前だけですが、少し言葉を話すようにもなりました。


 お母様は神狼様の子とは知らず、利口な犬だと思っているようです。

 お母様にクゥは犬扱いされていますが、クゥは甘えん坊のようで、なでられるのをとても喜びます。

 大きくなって、狼らしさが出てきたと私は思うのですが、お母様の中ではまだまだ小犬のようです。


 もう数年もすれば、たぶん犬じゃないと気付くと思います。

 そのときに、お母さまがショックを受けなければいいのですが。




 今日来ている商人は小物を取り扱う雑貨商人のようです。

 小太りで、指にはめている不釣り合いな宝石の指輪が印象的な男性です。

 この男性ですが、私の目には黒いモヤモヤとしたものが背中に見えます。


 たぶん加護の力だと思いますが、私には悪人がそのように見えるようです。

 以前にも似たようなことが何度かあり、このモヤモヤが見える人は悪人だと判明しました。


 なので、この方を警戒しながら、私は小物を手にとってはテーブルに戻します。

 怪しい小物にもモヤモヤが出ているので、そちらは最初から触れないように、私が気に入らないと言って、テーブルから下げさせています。


 この方の視線からして、狙いはクゥかしら?


 表情に出てはいませんが、視線がさっきからチラチラとクゥを見ています。

 本当にわかりやすいこと。

 このような商人は、二流にも届かない三流でしょう。


 結局購入したものは、私の手にあった簡素な羽ペンだけです。

 商人は最後まで怪しいモヤモヤとしたものを売ろうとしていましたが、ハッキリと不要ですと言ってお帰りいただきました。


 今後もあのような方々にクゥや家族が狙われるのでしょうね。

 私がしっかりしなくてはいけませんね。


 ロイ様からの手紙で、ロイ様はすでに王都に滞在していることがわかっています。

 細かい買い物は王都でしますと親に伝えて、私は王都に向かうことにしました。

 荷物は先に王都にいるおじい様とおばあ様のもとに送りました。

 これであとは私とクゥにエスティ、リリィが移動するだけですね。


 エスティもロイ様と会えるのを心待ちにしているでしょう。

 私も同じ気持ちですからね。あれから五年近くも経ちました。

 成長した私を見て、驚いてくれるでしょうか?

 逆に私が、成長したロイ様に驚いてしまうかもしれませんね。


 王都までの道のりは三日もかかりません。

 そのため、護衛の騎士を数騎とリリィだけで、早さを重視して王都に移動することにしました。


 ですが、それが仇となったようです。


 出発して、王都との距離も中間地点で盗賊に囲まれてしまいました。

 盗賊たちは街道を倒木でふさいで、私たちが悩んでいるところを囲んだようです。

 彼らの後ろに馬車が見えます。馬車からは以前の小太りの商人が降りてきました。


 お互いに今は睨みあっていますが、数ではこちらが圧倒的に不利です。

 この様子を見ている緊張状態の間に、私は作戦を立ててリリィと御者に伝えます。

 リリィが「無茶です、お嬢様!」と言うが、これが一番安全だと思います。


 連中の狙いはクゥ。おまけで私がいれば儲けものといったところでしょうか。

 あとのことはリリィに任せました。

 私は軽く震えましたが、きっとロイ様が助けに来てくれると信じています。

 手放したくはないのですが、ロイ様の髪飾りを壊されたくありません。


 私はリリィに大切な髪飾りを預けて、私たちは馬車から降りました。




 Side:リリィ


 私は孤児でした。


 今の旦那様や奥様に拾われていなければ、どこかで野たれ死んでいたでしょう。

 恩に報いるために、私は必死に学んだ。教養から家事全般、それと戦闘行為も。

 日々身体を鍛えて、男にも負けないように工夫をしました。

 幸い、私には魔力が多いということもあり、魔法をからめ手として使えば、数人の男に囲まれても対処が可能になりました。


 その後、旦那様と奥様の間にお子様が生まれました。

 奥様に「あなたも抱きなさい」と言われ、ガラス細工を扱うように慎重に赤ん坊を抱きました。


「その子はシャルロッテ。貴女にはこの子の面倒を見てもらいたいの」


「わかりました、奥様。私が命に代えてもお守りいたします」


「そんなこと言わないでちょうだいね。貴女になにかあれば、私も貴女に育てられたこの子もきっと悲しむわ」


「す、すみません、奥様」


「この子はきっと、貴女の心の教育にもなってくれるわ」


「心の教育、ですか?」


「ええ、貴女に唯一と言っていい、足りないものだと思うわ。その子を育てるうえで学びなさい」


「……わかりました」


 そのときの私には奥様の言う心の教育というものがまだわからなかった。

 けれど、お嬢様と触れあうことで、心に温かいものが満ちる。

 そんな不思議な感情を抱きました。これが奥様が言っていたことなのでしょうか?


「リリィ、きょうはおはながきれいね!」


 私は悩みましたが、お嬢様の笑顔で悩んでいたことも忘れてしまいました。

 私はお嬢様を主君として、旦那様と奥様に恩を返すと決めました。


 私は決して死ねない。私が死ねば、お嬢様は悲しんでしまうから。


 お嬢様を悲しませないように、この身もお嬢様も守ってみせる。

 それなのに、私は今、主君を危険に晒そうとしている。

 私たちの油断もあった。

 早く王都に行きたいという願いを叶えるために、護衛を減らした。

 その結果が、盗賊たちに囲まれた。


 狙いは神狼様の子のクゥ様だ。


 そのついでにお嬢様を攫うなどと、あの商人は万死に値する。

 緊張状態の間に、お嬢様が作戦を私と御者に話す。

 お嬢様の作戦はたしかに正しい。けれど、従者としての立場からは反対だった。

 お嬢様は私の不安を読み取って、お願いする。


「大丈夫、あなたがロイ様に知らせてくれさえすれば、きっとすべてがうまくいく。だから、お願い。必ず、このことをロイ様に伝えて」


 お嬢様は私を信頼している。その期待に応えなければならない。

 たとえ、その信頼の先にあの婚約者がいても。


 私たちは馬車を降りた。私たちが降りたのを見て、御者がすかさず叫ぶ。


「俺は死にたくねえ! 死ぬのならアンタだけにしろ、このワガママお嬢様!」


 迫真の演技ではあったが、御者の声は震えていた。

 あなたも私と同じで、この作戦に反対なのですね。

 主人を気遣う気持ちがわかりました。あとは私に任せなさい。


 お嬢様が前に出る。大声で叫んで、練習してきた魔法をお嬢様が使う。


「パラライズショック!」


 お嬢様の周囲にいた盗賊どもが倒れる。

 そのままお嬢様は手を握って親指を立て、人差し指で盗賊に狙いを定める。

 私でも危険だと判断した盗賊を、雷魔法で動けなくしてこの場から排除していく。


 作戦はこうだ。


「私が盗賊たちを動けなくする。リリィでも危険だと思う盗賊は、全員排除するわ」


 すでにこれで私たちに危険はなくなった。

 けれど、お嬢様はまだ自身の安全を確保していない。


「私はたぶん魔力を使い切って、相手に捕まると思うわ。だから、御者は必ず馬車で逃げて。リリィたちが追いかけるために、馬車を守って」


 御者が倒れる盗賊たちを見て叫ぶ。


「ハハッ、こいつぁついてるぜ! あばよ、バカなお嬢様!」


 最後の言葉にイラッとしましたが、今回だけは不問に致します。

 あとでこき使うけれど、不問としましょう。


「くっ……」


「よし、魔力切れだ! 今のうちに獣と一緒に捕まえろ!」


 お嬢様が魔力切れで倒れます。私はなにもしません。命令されていますから。

 今は、強く唇噛んで我慢です。

 商人の従者らしき者が、お嬢様に近づきます。

 クゥ様がお嬢様の前に立ちふさがり、それを阻止します。

 けれど、体格差で守り切れず、クゥ様は袋に押し込められてしまいます。

 お嬢様も荷物のように、荒々しく運ばれて行きます。


 お前の顔は覚えた。お嬢様が許したとしても、私はお前だけは決して許さない。


「よし、残りは好きにしていいが、必ず殺せ! 我々は先に行く!」


 お嬢様の服には小さなエスティの分体が潜んでいます。

 きっとロイ様がお嬢様を見つけてくれます。それまでは守ってくれるはずです。

 商人がこの場から去った以上、もう我慢する必要はありませんね。


 盗賊たちが私を見て、汚らわしい目を身体のいたるところに向けてきます。

 きっとこれからウサギを狩るつもりでいるのでしょう。


 ――狩られるのはお前たちだ!


 私は素早くスカートの中の太ももに忍ばせていたナイフを握ります。

 盗賊たちが私の目つきが変わったことで怯みます。


 お嬢様が私にとって危険な相手は気絶させてくれています。

 早く追いかけたいので、さっさとこの汚物たちを処理しましょう。

 私は短剣を握る手に力をこめ、腹の底から声を出す。




「そこをどけええええ!」

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