悪夢の終わりにお茶会を

 父上のいる執務室の前で深呼吸。今日の出来事を語るには、少し緊張する。

 気持ちを落ち着けてから扉をノックをした。中から返事があったので、入室する。


「失礼します」


「ロイか。すでに報告はある程度聞いている。お前からも聞きたい」


「はい、実は――」


 俺はシャルロッテと行動をともにしてからのことを話した。

 神狼、神狼の子、巫女、妖精に愛された存在。

 そして、懸念事項も伝える。父の眉間にしわが寄る。


「……そんなことがあったのか」


「はい。父上、どうか協力していただけませんか? 俺だけでは力が足りません」


「お前が力不足を嘆き、私に協力を仰ぐとはな。成長したな」


「成長、ですか?」


「ああ、お前はなんでも一人でやり遂げようとする傾向にあったからな。親としては心配していたし、こうやって頼られて嬉しいよ」


「気づきませんでした」


「責めているわけではない。周りを見ることができたのだ。これからは周囲の人間を頼りなさい」


「はい、父上」


 父は領主としてだけでなく、親としてもちゃんと俺たち子どもを見ているんだな。

 温かい気持ちになるね。

 そして、父はとんでもないことを言いだす。


「シャルロッテ嬢を守るという話だったな。ならば、彼女と婚約するか?」


「えっ!? なぜ、婚約まで話が飛ぶのかわかりません。説明をお願いします」


 彼女を守るという話から、なぜ婚約という話に飛躍するのか意味がわからない。

 俺は父に説明を要求する。


「婚約さえすれば、色々と守る際の理由付けができるからな」


「なるほど、そういうことですか」


「それに、お前も少なからず惹かれているのだろう?」


「うっ。それは、そうですけど……」


「今は自分の気持ちに正直でいるといい。シャルロッテ嬢はたしか、エーブル伯爵のたった一人の娘だったはずだ。それに、領地持ちだったな。最終的にはお前が婿入りという形に落ち着くだろう」


 父はそう言って、将来のことを話す。

 可能性は薄いが、新たな家を興すことも可能だと教えてくれる。

 祖母にも話を通して、王妃様まで話を持ち込むとまで言ってくれた。

 これで貴族関係の守りは、ほぼ万全と言えるだろう。


 問題は物理的な守りになる。

 妖精たちがある程度の悪意からは守ってくれると神狼は言った。

 だが、妖精でも守れない事態になったら? 理想は俺がそばにいればいい。

 けれど、ずっとそばにいるなんてことは不可能だ。

 彼女の身を守ってくれる人はいるだろうか?

 彼女自身に、最低限の身を守る力はあるだろうか?

 わからないことばかりだ。これは彼女と一度話し合わなければいけないことだな。


 父が彼女とよく話すことだと言って、俺に退室を促す。

 俺もこのような話はさっさと終わらせて、彼女のそばにいたかった。

 先ほどから聖印が俺の頭に訴えかけているのだ。彼女のもとへ行けと。

 退室の挨拶をして、彼女のもとへ向かう。


 もう日が暮れるな。長く父と話し込んでいたようだ。腹の虫が鳴く。

 思いついたことがあるので、先に厨房に寄ってから彼女がいる部屋に行こう。




 厨房でアドラと合流して、厨房から夕食となる鍋をカートで運んでもらう。

 シャルロッテの面倒は、今は彼女の侍女が担当しているようだ。

 部屋に辿り着いたので、ノックをする。

 夕食を運んできたと伝えて、中にいるシャルロッテの侍女に入室の許可をもらう。


「ロイ様?」


「具合はどうだい、シャルロッテ嬢? 食欲はあるかな?」


「はい、まだ熱はありますが、軽い食事なら食べられそうです」


「それはよかった。君のために食べやすいものを作ってもらったんだ」


「わざわざありがとうございます」


 彼女が笑う。この笑顔のためなら、この程度のことはいくらでもしてあげたい。

 話していて気がついたが、喋り方が随分と流暢になっている。

 これも神狼の加護のおかげか。英知を司るって言っていたしな。


「ある程度冷ましてから持ってきたから、そんなに熱くはないはずだ」


「あ、あの、ロイ様?」


「なんだい?」


「ロイ様も、ここで食べるのですか?」


「鍋で運んできたが、毒見役がいるだろう?」


「ど、毒見なんて、そんなっ!」


「本音を言うなら、俺もお腹が空いているんだ。一緒に食べてもいいかい?」


「そういうことならば、ぜひお願いします。一人で食べるのは寂しいですから」


 アドラと彼女の侍女が給仕してくれる。俺は毒見として、先に一口食べる。

 うん、ちょうどいい温かさだな。今日のメニューは、おかゆだ。

 鮭のような、風味のよい魚を細かくほぐして入れてもらった。

 煮込む際には出汁を使っているので、味付けも少しの塩だけだ。


 ちなみに、この魚は体に骨がない不思議生物だ。だが、味はいい。

 その見た目から初めて食べたときは驚いたものだ。

 骨がないので、これならシャルロッテでも食べやすいだろうと思って、採用した。

 シャルロッテも美味しそうに食べている。


「美味しいですね。優しい味で、今の体調でもしっかり食べられます」


「おかゆって言うんだ。口に合ってよかったよ。料理人も喜ぶ」


「そうですね、坊ちゃま。食材まで指定して、調理工程も指示していましたからね」


「え?」


「あ、アドラ!?」


「シャルロッテ様のために、少しでも食べやすくと厨房で考えていましたよね?」


 アドラが余計なことを言う。俺は顔が熱くなるのを感じる。

 そんな俺を見て、シャルロッテも顔を伏せる。

 チラリと彼女を見ると、顔の赤い彼女と目が合ってしまい、顔を逸らす彼女。

 なんだ、この可愛い生き物。頭を撫でて、愛でたい。


 そんな俺を彼女の侍女が冷たく睨んでいる。


「お嬢様。せっかくの料理が冷めてしまわぬように、先にお食事を」


「あっ。そ、そうね。ありがとう、リリィ」


「いえ……」


 この侍女さん、リリィっていうのか。やたらと俺を目の敵にしているな。

 何かしただろうか、俺。

 考えてもわからぬことは放棄して、今はシャルロッテとの食事を楽しむとしよう。

 俺は黙々と食べることにした。




 食べ終わってウトウトしているシャルロッテ。リリィに促されて、横になる彼女。

 俺は静かに退室しようと、椅子から腰を上げる。そんな俺を呼び止める声がした。


「あっ……」


「どうかしたかい、シャルロッテ嬢?」


「眠るまで、近くにいてくれませんか?」


「それは……」


 俺は彼女の侍女を見る。リリィが首を振る。

 シャルロッテが俺の視線の先に気づき、口を開く。


「はしたないことだとは、自分でも理解していますわ。けれど、このようなときには見守ってくださる存在がいたら、私はきっと悪夢を見ないと思うのです」


「悪夢?」


「私がひとりぼっちになってしまう悪夢です。親もリリィも、みんな。すべての人がいなくなってしまう、そんな悪夢なのです。なので、これはお願いです。どうか私を悪夢から助け出してください」


 シャルロッテの頬に涙が伝う。

 彼女はきっとこれまでも、その悪夢に苦しめられてきたのだろう。

 彼女がベッドから手を差し出す。俺はその手を握ることにした。

 優しく、壊れないように、離さないように力強く。聖印を意識しながら。

 リリィの圧が強まる。俺はそれを無視して、シャルロッテに優しく声をかける。


「大丈夫だ、俺が君を悪夢から救ってみせる。君の思うみんなを助けて、君のもとに必ず駆けつける。だから、安心してゆっくりおやすみ。シャルロッテ」


「ありがとうございます、ロイ様」


 彼女は目を閉じた、俺は彼女が眠るまで手を握り続けた。

 シャルロッテが可愛らしい寝息を立て始めたので、俺はリリィに促されて、静かに部屋を出る。

 部屋の外でリリィとアドラに注意をされた。



「今回はお嬢様のたってのお願いだったので見逃しましたが、今後は軽々しく、お手を触れませんように」


「そうですよ! まだ幼いとはいえ、未婚の女性です! そのうら若き可愛い乙女の寝顔を覗き見るだなんて、とってもとーっても失礼なことなんですよ? その辺りを坊ちゃまは、ちゃんと理解していらっしゃいますか!?」


 そろそろ休みたいんだが、仕方ないな。

 二人に強い口調で苦言を言われ、俺は念のために弁明をする。


「マナーでちゃんと学んだよ。男性は未婚の女性の寝顔を見てはいけない。だから、寝室にも入ってはいけない。今回は彼女のお願いだったんだ。仕方がないだろう?」


「では、どうして食事を運ぶ際に一緒に部屋に入ってきたのですか? 侍女にすべて任せればいいでしょう。毒見も含めて、そうです。やることがおかしいです」


「その辺りは、俺にも目的があったんだ。今は話せないがな」


「目的、ですか? 理由を聞かせてもらわなければ納得できません」


「説明したい、のだが……。俺も、もう、限界なんだ。休ませて、も、らう」


「坊ちゃま!?」


 俺は倒れる寸前に、リリィの信じられないといった驚いた顔を見た。

 アドラが抱きかかえてくれる腕の感触を最後に、俺は熱で意識を失った。




 その日、夢を見た。一人の女の子が泣いている夢だ。

 俺はその子に近づこうとする。だが、何かに阻まれる。

 右手の聖印が反応している。俺は聖印に力をこめて、右腕を力強く振る。

 彼女の周りにあった悪いものを取り除く。これで、俺たちを阻むものはもうない。


「シャルロッテ、助けに来たよ」


「ロイ、様?」


「もう大丈夫だ。君は一人じゃないよ」


 俺はそう言って、彼女を抱きしめてあげた。彼女が俺の胸で泣く。

 一人が怖かったと。ずっとこのままなんじゃないかと。

 俺は笑って、彼女の頭を撫でる。彼女の言葉を一つずつ否定する。


 君にはクゥがいる。ほら、俺のスライムたちだっている。

 見てごらん? リリィやご両親だって、君を見守っている。


 それに、俺がいる。君は一人なんかじゃないよ。みんな近くにいる。

 だから、こんな悪夢はもう終わりだ。

 彼女を抱きしめたまま、俺は右腕を振るう。聖印が光り輝く。

 真っ暗だった辺り一面が、明るくなる。


 そこは小川が流れ、綺麗な花畑がある。

 テーブルが置かれていて、アドラとリリィがそばに控えている。

 俺は彼女の手を引いて、テーブルへと近づく。


 さあ、席について? お茶にしよう。お菓子もあるよ。

 じゃあ、君が起きるまで楽しくおしゃべりでもしようか。

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