新年祭と将来に向けた人材育成
祖母の気に入る箸を探して俺たちが帰るとき、奥から一人のおじさんが現れた。
ハンナが驚いて声をあげる。
「父ちゃん!? 起きて大丈夫なの?」
「アレンじゃない。具合はどうなの?」
「ええ、もうだいぶよくなりましたよ。店の方もずっと娘に任せっきりでしたから」
なんだ、ハンナの父親か。顔色はもうよさそうだな。
病み上がりのアレンに、エステルは先ほどの話をする。
「その娘はこれから巣立つわよ。王都に新しい商会を立ち上げるために」
「なんと! それは喜ばしいですな。エステル様が出資を?」
「商会ではなく、娘の方にだけどね。それと、後援者はロイよ」
「ほお? お孫さんですかな? ふむ、なかなか理知的な目をしている」
アレンに品定めされる。子どもに何ができるのかと疑う気持ちはわかるけどね。
静かに頷いたので、とりあえずの合格ラインなのだろう。
エステルはアレンに、自身の娘と商会の後継者を育てるように指示を出す。
「病み上がりのあなたに頼むのは気が引けるけれど、あなたの娘とこの商会の後継者の育成を頼めるかしら?」
「娘のため、商会のためになるならば。どの程度まで彼らを仕上げましょう?」
「娘の方は王族のどんな無茶ぶりにも笑顔で対応できる程度にはなってほしいわね。最低でもわがままな貴族を軽くあしらう程度にはしてちょうだい。商会の後継者は、あなたに任せるわ」
「承りました」
ハンナの顔が青い。これからのことを考えて、絶望でもしているんだろう。
えらくハードルが高いもんな。俺もこれから忙しくなるんだ。一緒に頑張ろうな。
そうだ、大事なことを忘れていた。
店を出る直前に、「植物性の油を探しておいてくれる?」と気軽に頼んでみたら、ハンナにとても嫌そうな顔をされた。
その彼女の頭を素早く叩き「どのようなものでしょう?」と詳細を尋ねてきた父親のアレンは、アグネス商会に騙されたとはとても思えない敏腕商人を感じさせる。
体調も悪くなっていたようだし、薬でも盛られたんじゃないだろうか?
今となっては、もうわからないけど。
数日後、両親が王都に向かって出発した。
母は出発前日までセラピーに念入りに綺麗にしてもらって、宣伝してくるわね! と意気込んでいた。
俺はお手柔らかにお願いしますとしか言えなかったよ。
そして、新年祭の日がやってきた。平民の新年祭は三日行う。
俺は初日と最終日にだけ顔を出した。
ポーヴァ商会で出した豚汁と焼きおにぎりは、大量に用意したのに昼過ぎには完売してしまった。
完売した勝因は、焼けた醤油の香ばしい香りが辺り一帯に広がったせいだと思う。
その上、器を持っていけば豚汁は割引してくれる。おかわりする者が続出した。
商会の前に並べたテーブルは満席。立ち食いする者までいた。
長蛇の列も出来てしまい、待ち時間に耐え切れない人たちがケンカする始末。
その都度、マルスが指示を出して衛兵たちが出ていき、対応が大変だったそうだ。
それを見て、ハンナも従業員に指示を出す。
商会の男衆が行列の整理に動き、女性はテーブルの管理と販売だ。
ハンナは常にどちらかに回って、休憩もまともに取れなかったらしい。
予想では翌日分も多少は残るはずの余裕のある計算だったのだが、完売したために初日から急遽追加で作ることになった。
ハンナたちが心配だったが、夕方前になると迎えが来て俺は帰ることになった。
夜になると酔っ払いたちが、豚汁だけを購入していったそうだ。
そのため、せっかく作ったおにぎりが余ってしまい、ハンナがこれにキレた。
暴れるハンナをマルスが裏につれていき、静かになったと従業員から聞いた。
あとから現れたハンナは顔が真っ赤だったと、追加で教えてくれた。
一体何をしたんですかねえ、マルスさんや。
余ったおにぎりは翌日の豚汁づくりした夜勤組の夜食となった。
そして、二日目からは豚汁と焼きおにぎりのセット販売にして対応した。
最初からこうしていればよかったという反省点になった。
こうして、無事に三日間売り切ったポーヴァ商会は、ずいぶんと稼いだようだ。
翌日からは街で食堂を開いている料理人たちが商会に詰めかけた。
豚汁と焼きおにぎりのレシピを教えろと殺到したそうだが、商人ギルドにレシピはすでに登録済みなので、使いたければ金を払えという状態だ。
ハンナは調味料とメイン食材なら取り扱っていると商品を見せた。
醤油や味噌に米。それ以外の具材は根菜類と肉はほかの店で手に入る。
だが、これらがあの料理にどうつながるのか誰もわからず、すごすごと帰った。
これでしばらくの間は、俺が考えた日本食はポーヴァ商会の独占になる。
今後はロイヤル商会が調味料を使うし、料理人の育成のために店を出す予定だ。
いずれは料理教室を開いて、調理工程くらいは解禁しようと思っている。
これはアレンの案でハンナも許可している。
王都に行くまでのどこかで料理教室を開かないとかな?
春になって、王都から帰ってきた両親。
父上はいつも通りだけど、母はやや疲れた様子だ。
母からコレットが俺が王都に来るのをとても楽しみにしているわと言われた。
最初はコレットって誰? となったが、すぐに思い出す。
この国の王妃様じゃん! なんでそんな人が俺を待っているんだ!?
詳しく聞くと、正確には俺ではなく、俺についてくるセラピーらしい。
母の美しさに磨きがかかっているのが、王妃様はよほど悔しかったようだ。
しかも、その原因がスライムと聞いて、居ても立っても居られなかったとのこと。
王妃様が「スライムをテイムするわよ!」と言って、周囲を困らせたんだってさ。
普段の王妃様は、わがままなんて一切言わないらしい。
しっかりと教育を受けているからこそ、その座に就いているのだから当たり前だ。
そんな王妃様も美容に関しては、やはり女性だったみたいだね。
母は自慢できて楽しかったと呑気に話しているが、負担がかかるのは俺だ。
祖母はそんな母に呆れていた。
「オネット、ちゃんと例のことは伝えたのでしょうね?」
「あ、優越感で頭がいっぱいで、忘れてました」
「あなたねえ……」
「すみません、あとのことはお願いします」
何の話だろうかと思ったが、たぶん以前話したマッサージ店などのことだろう。
忘れていたかったよ……
春になったら母が結果を持ち帰る、そう言われて待っていたのだ。
季節一つ分も待っていたら、すっかり忘れてしまってたけどね。
祖母が今後の予定を伝える。
「ロイ、夏までには人員を選抜してこちらに送るわ」
「夏頃ですね、わかりました。こちらでも準備しておきます」
「カーチス、受け入れ準備はあなたに任せるわ」
「わかりました、母上」
サラッと、父上が巻き込まれた。俺たちは視線を合わせて苦笑いだ。
そして、季節は飛んで、夏になった。
祖母から事前に手紙が届いているので、落ち着いて受け入れ準備は出来た。
今回やってくるのは、夏休暇中の王都にある学園の学生さんたちだ。
一応、就職するためになっているので、厳しく接していいと手紙に書かれていた。
この点においては、家族と使用人に徹底周知された。
学生は男の子も来るみたいだが、そのほとんどが女の子だ。
兄たち、それと俺に色目を使った瞬間に王都に送り返すことになっている。
父上にすり寄ろうものなら、母が何するかわからないので大人しくしてほしい。
使用人たちも目を光らせておいてほしいと、父上が指示を出していた。
祖母と王妃様が言い含めているはずだから大丈夫だとは思うんだけど、念には念を入れておかないとね。
馬車が何台も連なって、領主館に学生さんたちがやってきた。
出迎えは母と俺、それにピュムたちだ。
普段見ることのないスライムに興味津々とはならず、みんな母に見惚れていた。
今日のために、また念入りにセラピーに磨いてもらったのだ。
辺境伯夫人として、学生たちに舐められないようにするためらしい。
たぶんセラピーのフルコースを堪能するための口実だと思うけどね。
小声で誰かが「女神様?」と言ったのが聞こえた。
チラリと母を見上げると、いつもより口角が上がって上機嫌だった。
こういうとき貴族という身分は不便だなと思う。素直に喜べないのだから。
でも、あとで父上に女神様と間違われたことを報告するだろうね。
本当に嬉しそうだから、俺にはわかるよ。
母が一度咳払いをして注意を引き、学生たちに説明を始める。
「王都からようこそ、海の街コルディヤへ。あなたたちを歓迎しますよ。私は辺境伯婦人のオネット、この子があなたたちにテイムを教えるロイよ」
「よろしくお願いします!」
「あの子が教えてくれるの?」
「まだ小さいのに、大丈夫かしら?」
仕方ないだろ、小さいのは年齢のせいだ。
ハア……、わかっていたことだが、さっそく舐められているな。
ここにいるほとんどの子が、俺より爵位が下なのに。
礼儀正しい子も中にはいるのだが、目が完全に俺を侮っているのがわかる。
祖母の手紙に厳しく接していいって書いてあったし、厳しく注意しておこう。
「あとから文句を言われても困るので先に言っておきます。態度が悪かったり、訓練についてこれない人は王都に送り返します。その姿勢次第では問答無用です」
「小さいのがなんか言ってるぜ?」
「可愛い……」
「ずいぶんと偉そうな奴だな」
「ハア……。今言ったばかりでしょうに。俺を可愛がるのは別にいいんだけど、何かした場合は送り返すから、お姉さんは一応注意だけね? あと、そこのお前とお前は帰ってもらうよ。マルス、馬車に突っ込んで来て」
「き、気をつけます!」
「え?」
「は?」
まったく、注意事項を話したばかりでこれか。先が思いやられるね。
態度が悪いと判断した二人を馬車に押し込んでもらい、王都にとんぼ返りだ。
なんだか騒いでいるけど無視する。
きっと送り返されたことは不名誉なこととして、一生彼らに付きまとうだろうね。
貴族なんだから、それくらい当たり前のはずなんだけどなあ。
さて、残っている生徒たちを見回す。
「ほかに王都に帰りたい人はいるかな? 今なら手間が省けて助かるんだけど?」
「……」
「……」
「……」
「よし、いないね。御者さんには悪いけど、出発してくれる?」
選抜したとは聞いていたけど、使えない奴らが混ざっていたのは、もしかしたら、見せしめのためかな?
あの二人に関しては、そのために用意された人材な気がする。ご愁傷様。
パッと見だったけど、今いるメンバーの中でも年齢が上に思えた。
ほかの学生さんたちからもあの二人は追い出されて当然だという雰囲気を感じる。
こちらに来る道中でも何かあったんだろうか?
さて、ここからは母に説明を任せる。
学生たちには明日からの予定を伝えて、今日は歓迎会だ。
夕食までの間はスライムたちと触れ合ってもらい、忌避感をなくす作戦だ。
それと、自分たちが今後行うマッサージを知ってもらうために、女性陣にセラピーの美容マッサージを簡単にだが体験してもらう。
マッサージの効果を実感してもらい、学生たちにやる気を出してもらう。
残った学生は俺を侮らず、しっかりと説明を聞いてくれるから助かる。
肌がきれいになった学生が目の前にいるんだ。
自分もきれいになりたいと、熱心にテイムについて質問してくる。
街の宿に学生を送る為、今日の彼らの夕食は早めだ。
今日のメニューは俺には不満な料理だが、一般的には豪華で美味しい部類らしい。
香味野菜を漬け込んだ醤油を使った牛肉のステーキに、パンとスープだ。
俺ならパンとスープの代わりに、米と味噌汁だな。
一言美味しいと呟いたあとは、みんな無言で食べている。
みんなが食べている最中に、別メニューとして俺の食事が運ばれてくる。
今日は牛丼定食の小盛りだ。
生卵は使えず、七味唐辛子はまだ調合が出来ていない。
紅ショウガは着色料がないだけで、刻みショウガのような野菜で代用している。
味噌汁はシンプルに、ワカメとネギのような野菜を入れている。
使っている味噌は、甘みのある白味噌だ。
サラダもあるが、紹介するほどでもないので省略する。
みんな、俺が食べている料理を不思議そうに見ている。
中にはマナーについて言いたそうにしている子もいた。
だが、牛丼はがっついて食べるものだし、味噌汁は音を立てるものだ。
がっついて食べても、ちゃんとよく噛んでから飲み込みはするけどね。
柔らかく煮込まれた牛肉の薄切り肉とスライスされた玉ねぎのような野菜。
味付けもバッチリ決まっている。
刻みショウガも辛みが、とてもいいアクセントになっている。
この料理を担当するのは、副料理長だ。
副料理長は出汁に目覚めてからは、味にうるさくなった。
副料理長は煮込み料理を得意としているのだが、煮込むには薪の消費が激しい。
なので、今までは節約のために月に二度ほどしか出てこなかった。
だが、彼は自分でスライムをテイムして、スライムが火の番をするようになって、煮込み料理を作るようになった。
そのスライムには火属性の魔力を与え続けて、料理用に働いている。
俺も研究させてもらっている。
スライムの名前はヒート。副料理長は俺から名前を欲しかったそうだ。
女性陣は俺の食べ方に顔をしかめているが、男子生徒はそうでもない。
きっと魂でわかるのだろう。あれはああいう食べ方をするものなのだと。
牛丼が気になる男の子が俺に質問する。
「ロイ様、その料理はなんですか?」
「んぐっ、これは牛丼だよ。柔らかく煮込んだ牛肉をライスに乗せているんだ」
「らいす、ですか? 初めて聞く名前です」
「パンに代わる、新しい主食の穀物だよ。みんなは明日の宿の朝食にライスを使ったおにぎりが出るから楽しみにしていいよ」
「ありがとうございます。明日の朝食を楽しみにしています」
ふふっ、食いついた食いついた。
この子たちには、違和感を与えないようにお米を普及しようと思っているのだ。
王都に帰りたくないくらいに日本食の虜にしてやろう。
彼らには新しい料理の宣伝に協力してもらおうかな。
その後も俺が味噌汁を飲んでいる姿を見て、女性陣は顔をしかめていた。
明日の朝食で君たちも同じことをするんだよ、とはまだ言わない。
宿の料理人にこれが作法だと、彼らにしっかり説明するように言い含めてある。
周りの宿泊客が同じことをしていれば、間違っているのは自分だと思うだろう。
彼らの戸惑っている姿を直接見れないのがとても残念だ。
明日からはさっそく森に移動して、自分のスライムを探してもらう。
まずはゆっくりとテイムの練習だ。
事前調査と騎士団が狩りもしているから、危険な生物はいないはずだ。
果たして、何人が初日にテイムを成功させるかな?
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