王都出店、ロイヤル商会

 翌朝、随分と機嫌のよさそうな祖母が朝食の席に座っていた。

 機嫌のよさの理由はわかる。これ以上ないくらいに明白だ。

 セラピーを主としたスライムたちが原因なのだから。


 セラピーが全身にマッサージを施して身体をほぐし、ソルトが薬草から精油を抽出して、アロマキャンドルならぬアロマスライムとして働き、ピュムは温かい抱き枕となり、エステルに心地よい眠りを与えた。


 朝食が運ばれてくる。焼き魚定食だ。

 何の魚かは聞いてもわからないので、いつもスルーしている。

 今日は魚に醤油をかけることを料理長にオススメされた。


 淡白な味わいなのかな? そのまま食べてみる。

 うーん、よくわからない。味を感じない。

 オススメみたいだから、とりあえず醤油をかけてみるか。


 おお! 醤油をかけただけでここまで味が変わるのか!

 魚の脂が醤油に溶けたのか旨味を感じる。


 そうか、この魚は脂が多いのか! だから、味を感じなかったんだな。

 これは醤油をかけるのをオススメするのも納得だ。

 俺は上機嫌で味噌汁をすする。


 ずずっ。


 はあ、うまい。この味噌汁にもさっきの魚が使われているのかな?

 味噌汁の表面に脂が浮いている。この魚は煮込みに向いているんだな。

 赤味噌のおかげで濃厚なのにあっさりとしていて重くない。

 今日も朝食がうまい。最高の朝だ。


 大満足の朝食を食べ終えて、食後のお茶を飲む。もちろん緑茶だ。

 湯呑みもわざわざ作ってもらったものだ。

 さて、先ほどまで上機嫌だった祖母が、こちらを睨んでいるのはなぜでしょうか?

 理由がわからない。


 とりあえず、目を合わせて首を傾ける作戦に出る。

 子供特有の可愛さで誤魔化せないだろうか? はい、誤魔化せませんでした。

 ため息をつかれて、祖母に注意される。


「ロイ? スープは音を立てて飲んではいけません。器に口をつけるのもダメです。昨晩の夕食の時のスープではちゃんとしていたのに、どういうことかしら?」


「え? ああ、そういうことですか。これは味噌汁を飲むときの作法です」


「作法?」


「エステル様が言ったスープと、この味噌汁では作法が違うのです」


「ロイ、あなたはなにを言っているの?」


「味噌汁は音を立てて飲むのが作法なのです。それにスプーンを使って飲みません。最後の一滴まで飲めませんからね」


 昨日の昼食時、祖母は味噌汁をとても気に入ってくれたと思っていた。

 だが、お残しと捉えられる量を残していたのだ。原因はわかっている。

 スープ皿ではないのに、スプーンで飲むからだ。

 味噌汁はお椀に注いでいたから、スープスプーンでは器に引っかかって、最後まで飲めなかったのだろう。


 味噌汁に上品なマナーはいらないのだ。箸で具材をつかみ、器に口をつけて飲む。

 もはやこれは作法と言ってもいいだろう。それに俺も祖母に言いたいことがある。


「エステル様がマナーを語るのであれば、俺も言いたいことがあります」


「な、なんですか、ロイ?」


「魚の食べ方が汚いです」


「っ! 私は綺麗に食べたでしょう?」


「そういう意味ではないです。魚にまだ身が残っていて、もったいないのです」


「そ、それは……」


「俺の皿の魚は綺麗に骨を身から外しているでしょう?」


「そ、そうね」


 これは骨の取り方を知らないから、仕方のないことだとは思う。

 魚の骨にそって、外から身を押すことで、骨は身から簡単に外れるのだ。

 魚によって変わるとは思うけど、この魚はサンマに似ている。

 骨の構造も同じだったので骨も取りやすかった。


 たまにひどい骨の構造している魚もいるので、そのときはお手上げだ。

 まあ、大前提にフォークではなく、箸を使って食べるという条件があるが。


「エステル様も箸を使うことを強くオススメします」


「……難しそうだから、練習しておくわ」


「これから向かうポーヴァ商会で、自分に合った箸を見つけるといいですよ」


「そうね。それじゃあ、支度して向かいましょうか」


 え、今日行くの!? 昨日の手紙には近いうちに向かうとしか書いてない!

 それ以外何も書いてないけど、ハンナさん大丈夫かな?

 これは何かあったら、ちゃんと俺がフォローしないとな。




 馬車でごとごとと揺られて、不安なままポーヴァ商会についた。

 商会の前に従業員が勢ぞろいしている。


 よかった。事前に先触れを出していたけど、対応できるか不安だったんだ。

 馬車の中でフォローの言葉をずっと考えていたけど、ハンナはやり切ったみたい。

 ハンナが前に出て、跪いて挨拶をする。それに倣って、従業員も一斉に跪く。


「ポーヴァ商会代表代理、ハンナでございます」


「代表代理? アレンはどうしたの?」


「……父は体調を悪くしており、現在は私が代理として商会を運営しております」


「そうだったのね。話は中でするわ、奥の部屋に案内しなさい」


「わかりました。こちらです」


 奥の部屋ってことは、防音室か? 聞かれたくない話でもするのかな?

 でも、何の話をするんだろう。馬車の中では何も聞かされていないぞ?

 さすがに今回は防音室に護衛を入れる。

 とは言っても、その護衛はマルスなのでハンナも安心しているようだ。


 ハンナがチラリとマルスに視線を向ける。

 それはほんの一瞬だったけれど、目の前に座る人の観察眼を舐めてはいけない。

 祖母はからかうように注意する。


「恋仲だとは聞いていたけど、この状況でも浮かれるのはよくないわよ?」


「おほん、そのようなつもりはございません」


「ふふっ、貴女意外と可愛いわね? でも、商談では命とりよ? 肝に銘じなさい」


「はい。それで、商談とはなんでございましょうか?」


「ロイから優秀だと聞いてるわ。成り行きなところもあったみたいだけど、女一人で商会を運営する手腕はあるようね」


「ありがとうございます」


 からかったかと思えば、注意する。気を引き締めたところで、褒める。

 第三者として聞いていればわかる。祖母に会話の主導権を完全に握られている。

 祖母はハンナを試しているのか?


「話と言うのは、あなたの商会に出資しようと思っているの」


「それは、ありがたい話ではございますが」


「話は最後まで聞きなさい。王都に出店する気はあるかしら? それも複数の店よ」


「王都、でございますか?」


「ええ、私のためにこの店の商品を置きなさい。それと、考えている事業があるの。あなたならできるわね?」


「……申し訳ございませんが、お断りさせてください」


 おっ、ハンナさん。よく言った!

 祖母が今試しているのはきっと、そういうことだ。


「この先代辺境伯夫人である私の誘いを断るのかしら?」


「嬉しい誘いではあります。ですが、私が現在仕えているのは恩のあるロイ様です。決して、先代辺境伯夫人であるエステル様ではございません」


「そう、断るのね? 今後、この商会がこの地で商売ができなくなったとしても」


「私はロイ様を信じています」


 聞いているだけでも緊張するやり取りだ。だが、ハンナの言葉を聞けてよかった。

 出し渋っていた物を俺に仕えてくれると言った彼女のために放出するとしよう。

 祖母が優雅に笑い始める。


「ふふっ、合格よ。それだけの気概があれば、きっとロイの忠臣として働けるわ」


「私は試されていたのですか?」


「あなたが私ではなく、ロイのために尽くすかどうかを確認したの。これなら王都の出店も大丈夫ね」


「ですが、私はここを動けません」


「三年。三年時間をあげるわ。その間にここを任せられる人材を育てなさい」


「三年……」


「その後の二年で王都にあなたが来て出店ね。先ほども言ったけれど、私はあなたの商会に出資することにしたわ」


「ですが、ロイ様を置いて王都に行くのは……」


「大丈夫よ。五年後にはロイも学園に入るために王都に移動するわ。だから、ロイのために王都での環境を整えなさい。ロイはスライムを使役したマッサージ店の構想を練っておきなさい」


「え?」

「わかりました」


「オネットとも話し合ったのよ。あのマッサージは王都で流行るわって。オネットが王都に行ったら、美しくなった自分を、王妃であるコレット様に自慢するそうよ? あなたもハンナと同じく頑張りなさいね」


「ここで丸投げですか!? セラピーだけじゃ無理ですよ!」


「人材がいないなら王都から派遣するわ。だから、育成してちょうだい。ついでに、食事処もお願いね。ここで食べた食事が基本なら、王都では苦労するわよ?」




 ええっと、話をまとめると……?

 ハンナが王都に店を出す三年後までに、俺はその店のためにスライムをテイムする人材を育成、さらにテイムしたスライムにマッサージを教えるってことか?


 祖母のあの様子から察するに、たぶん王都の食事は美味しくない。

 だから、王都のマッサージ店のことを考えながら、自身のために食事処を作れと。

 料理人も育成しないといけないのっ!?


 人材の募集はやってくれるけど、その人材の育成が大変だよ。

 スライムもテイムからだし、スライムにマッサージを一から教えないといけない。

 接客方法からマッサージをする以上は店の内部構造まで考える必要もある。


 食事処は調味料をハンナが提供してくれるから、それを活かしたメニューを考える必要がある。

 俺の前世の料理を再現するための長い試行錯誤に付き合ってくれる人材の発掘。

 それにまだ足りない食材も探さないといけないのに、そんなには抱えきれない。

 あまりにやることが多すぎる。俺は抵抗することにした。


「マッサージ店の従業員には女性の方が好ましいです。それも、スライムのテイムが出来て、貴族対応ができないと話になりません」


「それはこちらで募集するわ。きっとコレット様も手伝ってくださるからね」


「女性ばかりの店を狙う、暴漢が来るかもしれません。それに対応するための警備兵も必要です」


「女性ばかりだから、なるべく女性騎士を派遣させるのがよさそうね」


「食事処も貴族対応が必要です。それに平民向けにも出店した方がいいと思います」


「貴族や富裕層向けの従者の見習い仕事としてちょうどいいわね。たしかに平民向けの店も作った方がいいわね。じゃあ、追加でそれもお願いね?」


 くそっ、自分から仕事を増やしてしまったぞ!

 どうする、どうする!? 逃げ道はどこかにないのか!?

 祖母がこちらを見ながら深刻そうに話す。その言葉がトドメの一撃となった。


「ロイ? 学園に入ったら今の食事をすべて捨てないといけないわよ? 向こうでは寮の食事になるから、それも改善しないと今から後悔するわよ?」


 今の食事を捨てるだって!? それはダメだ。それだけはダメだ!

 もう俺は戻れないところまで来ている。醤油や味噌がないと生きていけない。

 それほど俺の舌は前世の味に慣れてしまった。もう今世の昔の食事には戻れない。

 俺は観念して、力なく「頑張ります」と祖母に返事した。

 祖母はいい笑顔でハンナと話し続ける。


「王都に店を出すにあたって、商会の名前も変えましょう。代表代理ではなく、貴女自身の商会よ。貴女はロイに仕えることになるのだから、ロイから新しい商会の名前をもらいなさい」


「また俺にそんな無茶ぶりを……」

「ロイ様、私の新しい商会に相応しい名前をお願いします」


 いきなりそんなことを言われてもなあ。ハンナに相応しい名前か。

 うーん、英語からなにか持ってくるか。

 祖母とハンナのさっきまでのやり取りから思いつくのは……


「えーっと、ロイヤルってのはどうですか?」


「ろいやる? 聞きなれない言葉だけど、どういう意味があるのかしら?」


「王家や王室の。王族も利用する店という意味なら相応しい名前になると思います。それと、忠実な忠臣という意味も持っているので、ハンナに相応しいと思いました」


「ロイヤル、ロイヤル商会。王族も利用するロイ様の忠臣の商会か。いいですね! 気に入りました。その名前の意味に恥じない働きをしようと思います」


 ハンナに気に入ってもらえて嬉しい。

 祖母からの無茶ぶりではあったけど、いい名前が思い浮かんで本当によかったよ。

 ハンナが忠臣という実感はまだないけれど、色々と頼むことがこの先あるだろう。

 その中で信頼できる関係を築ければいいと思う。

 祖母は満足そうな顔をして、最後にハンナに注文した。


「そうそう、忘れるところだったわ。私に合った箸はあるかしら?」


 今それを言うのか! と内心でツッコミを入れた俺は悪くないと思う。

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