先代領主夫妻

 現在、団らん室で先代領主である祖父母のケンカを仲裁できずに見守っています。


「グラン、ずるいのではないですか?」


「それを言うならば、お前の方がずるいのではないか?」


 祖父母が王都からやって来た。

 だから、長旅の疲れを落としてもらおうと思っただけなのに、どうしてこうなる。

 何が原因だったのかなあ……




 その日は朝早くから身支度をしっかりとさせられた。

 いつもとは違い、アドラが俺を様々な角度からチェックする。

 俺は寝ぼけた状態でされるがままだ。


「坊ちゃまの支度が終わりました。坊ちゃま、そろそろ先代様が到着するはずです、急ぎましょう」


 館の中をパタパタとあちこちで侍女さんたちが急いで移動する音が聞こえる。

 俺はアドラに急かされるようにして玄関に向かう。

 玄関前のホールにはすでに家族が揃っていた。その様子に目が覚めた。

 家族の後ろにはウチの侍女長と侍女さんたちがずらっと並んでいる。

 執事のセバスは寒い中、外で待機しているらしい。

 どうやら、家族の中では俺が一番準備が遅かったようだ。


「よかった、間に合ったようだな」


「遅れてすいません、父上」


「いや、いい。まだ時間はあるとは思うからな」


 手元の時計らしきものを見る父上。

 この世界にも時計はあるようだが、超がつくほどの高級品らしい。

 以前、気軽な気持ちで時計が欲しいと言ったら、ものすごく怒られたからな。

 貴族でもホイホイと買えるレベルではないほどに高価なのだろう。


 先代領主夫妻の到着を待つ兄たちがいつもよりビシッと背筋を伸ばしている。

 二人の緊張がこちらにも伝わってくる。

 先代ってことは、俺にとってはおじいちゃんとおばあちゃんってことでしょ?

 でも、まだ若いみたいだから名前呼びになるんだろうか?



 この世界での結婚は早い。特に貴族はかなり早い傾向にある。

 次期当主となる予定のクレスにすでに婚約者がいるほどだ。

 ジェロにも婚約者がいると聞いたことがある。

 手紙をかなりの頻度で送っていて、いつも内容に困っているらしい。


 平民の結婚は貴族より少し遅い程度で、前世と比べるとやはり早い。

 女性は二十代前半で行き遅れと言われるほどなのだ。

 ハンナは現在、結婚適齢期だ。

 マルスとの交際は順調のようだが、焦りは禁物だと言いたい。


 まだ若い先代領主夫妻にも、俺の考えた料理はきっと受け入れてもらえるはずだ。

 先に長旅の疲れをどうにかするのが先だ。

 俺の足元では、スライムたちが行儀よく待機している。

 伝わる感情は『何してるの?』といった疑問でいっぱいのようだけどね。


 しばらく待っていると、玄関の扉が開き、先代領主夫妻が館の中に入ってきた。

 第一印象として、祖父の方は貫禄があるおじさんといった風貌だ。

 祖母は母と変わらないくらいまだ若々しく見える。

 二人ともやや疲れている雰囲気はあるが、それを表情には出していない。

 父上が代表して、祖父母と挨拶を交わしている。


「父上、母上、お久しぶりでございます」


「うむ、息災であったか?」


「はい、子供たちも元気ですよ」


「ふむ、変わったスライムがいると聞いていたが、大丈夫なのか?」


「ロイがテイムしていますから安全ですよ。ロイ、こちらへ」


 俺は父上に呼ばれて、先代領主夫妻に挨拶をする。

 印象をよくするために、スライムたちにも挨拶をさせる。


「グラン様、カーチスの息子ロイと申します。以後、よろしくお願いします」


「うむ。まだ幼いのに礼儀作法もよくできている」


「ありがとうございます。こちらは私がテイムしているスライムたちです。みんな、挨拶をしてくれる?」


「ぴゅぃ!」

「ぷっぷーぃ!」

「ぴぃ……」


「すいません、セラピーはどうも緊張しているようです」


「スライムも緊張するものなのか?」


「ええっと、詳しく説明はしたいのですが、お二人ともお疲れでしょう。まずは長旅の疲れを落としてから、説明したいと思います」


「そうですよ、グラン。子どもに気を遣ってもらっているのだから休みましょ?」


「エステル。それもそうだな。カーチス、しばらく世話になる」


「こちらこそよろしくお願いします」


 俺はピュムたちに指示を出す。セバスには許可をとっている。

 癒しとなれば、ピュムたちの本領発揮だからな。


「セラピーはグラン様に、ソルトはエステル様に。ピュムはお風呂の準備だ」


「スライムたちに何をさせる気だ、ロイ?」


「疲れを癒すお手伝いをさせます、父上。きっとお二人も気に入ってくれますよ」


「まあ、オネットがハマるほどだからな。ケンカにならないといいが」


 そして、父上が予想していたケンカは起こってしまった。

 喧嘩の原因となったのは、二人についていったスライムたちだ。


 祖母にはソルトがついていき、ピュムが用意した湯船に、ソルトの体内で薬草から抽出した精油をほんの少し入れさせた。

 これはソルトがより良い塩を作る研究の過程で作れるようになった副産物だ。


 王族でも味わえないような高級なお風呂を堪能した祖母は上機嫌だった。

 団らん室で母と楽しそうにお風呂の感想を語り合うほどだ。

 祖母の膝の上でソルトは優しくなでられている。

 ソルトから仕事をやり切ったドヤ顔な感情が伝わってきて、俺は笑いそうだよ。


 話し込んでいたことに気付いた祖母が、祖父が来るのが遅いことを心配した。

 「見てきてちょうだい」と祖母に直接言われた父上が祖父の様子を見に行く。


 父上に連れられてやってきた祖父はとても眠そうだった。

 遅れてきた理由は「スライムのマッサージで眠ってしまった」と言った。

 その一言と祖父の髪や肌に艶が出ていることに気付いた祖母が、ギラリと目つきが変わり、俺に説明を求める。

 俺はその目力に震える声で、セラピーが行った施術を説明した。


 祖父はようやく目を覚ましたのか、自慢するように語った。語ってしまったのだ。

 祖母の虎の尾を踏んでいることにも気づかずに。




 セラピーには、祖父に全身マッサージと全身を磨くように頼んでいたのだ。

 祖父は分裂したセラピーには驚いていたようだが、問題ないとお風呂に向かった。

 まずセラピーは祖父のあちこちに張り付いて、汚れを落とすことに集中した。

 祖父の髪を含む全身をピカピカに磨いたセラピー。

 鏡を見た祖父は生まれ変わった自分に驚き、それからセラピーを褒めちぎった。

 この後も祖父は上機嫌でセラピーにすべてを任せた。


 お風呂からあがった祖父を待っていたのは、ベッドの上で跳ねるセラピーたちだ。

 祖父も意図がわからない状態で、導かれるがままにベッドに横になったそうだ。

 横になった祖父の背中に、セラピーたちが乗り、マッサージを始めた。


 セラピーには風属性に分類される雷魔法の魔力を与え続けていた。

 この努力が実り、セラピーは雷魔法を習得した。

 侍女長直伝のマッサージと組み合わせ、電気マッサージを行えるようになった

 そのマッサージを受けた母は病みつきになった。父上も虜になるほどだ。


 微弱な電流でコリをほぐし、血行の改善を促す。

 侍女長のマッサージに指圧も含まれており、セラピーは最高の按摩師になった。

 スライムだからこそできる極上の力加減の前では、誰もが無力化されてしまう。

 祖父もセラピーのマッサージでいつの間にか寝てしまっていたようだ。




 楽しそうに笑いながら語り終わった祖父は祖母に向かって、きれいになった肌や髪を見せびらかすように自慢し続ける。

 祖母が怒っているのを察知したソルトはそっと膝の上から降りた。

 俺たちもフォローを入れようとしたのだが、祖父の口は止まらない。

 祖母の声は館の中に響き割った。


「ずるい、ずるいですわ!」


「どうした、エステル?」


「どうしたもこうしたもありません! あなただけそんな待遇、不公平ですわ!」


「何を言っておる? お前も同じようなことをしてもらえたんだろう?」


「ええ、ソルトちゃんがお湯に薬草の香りをつけてくれましたわよ?」


「だから、お前から薬草のいい香りがするのか」


「それよりも! グランの肌がきれいになっているのが許せないのですわ! 艶々ではありませんか! 私よりもきれいではないか!」


「お前よりきれいになるわけがなかろう。何を言っておるんだ」


 祖父が呆れた声で返事をしたが、それは悪手だ。さらにヒートアップする祖母。

 事態がどんどん悪い方向に流れていっている気がする。父上や母からお前が止めろという視線を向けられる。

 兄たちは触らぬ神に祟りなしといった構えで、我関せずの状態だ。


 仕方ないよな。これは俺にしか解決できない問題だ。

 ちゃんと説明すればわかってもらえることを願って、祖母を止めよう。


「エステル様、そこまでにしませんか。また疲れてしまいます」


「っ! そうね。子どもたちの前で私ったら。みっともなかったわね」


「はあ、助かった……」


「ロイ、後でセラピーちゃんを貸してちょうだい? 私もマッサージを受けたいわ」


「はい、そのつもりです。エステル様には昼食後にゆっくりと時間をかけて、全身を念入りに手入れをさせる予定でした。マッサージも時間がかかるために、グラン様の後にしたのですが、誤解させてしまって申し訳ありません」


「あら、そうだったの。早とちりをしてしまったようね。ごめんなさいね、あなた」


「う、うむ。よいのだ」


「母も念入りな手入れをしてもらったときには、すごく時間がかかりました」


「そうなのね。なら、昼食後を楽しみにしているわ♪」


 ふう。なんとか祖母の矛を収めることに成功したようだ。

 俺の説明が足りなかったのがよくなかったな。これは反省点だ。

 母が落ちついた祖母に話しかけた。


「お義母様。実は、セラピーのことでご相談があるのです」


「あら、オネット。何かしら?」


「少し話が長くなりますから、昼食まで私の部屋でお茶でもどうですか?」


「ええ、よろしくてよ」


 そう言って、母と祖母は団らん室を出ていった。

 セラピーのことで相談ってなんだろう? なにかあったっけ?




 団らん室に残った祖父が兄たちの成長具合を確かめる。

 勉強の進捗から鍛錬の成果だ。

 昼食が近いため、今は軽く計算問題を出して答えさせている。

 祖父が出すその程度の問題だと、今の兄たちなら暗算でサラッと答えられる。


 兄たちの計算力は、この世界の標準的な貴族の子供のレベルのものではない。

 その計算力は、ピュムたちと競い合ったおかげで身についたものだけど。


 ピュムたちと言うのは、ソルトとセラピーも計算ができるのだ。

 いつからか、ピュムが二匹の教官となって計算を教えたのだ。

 ピュムたちは勉強部屋のすみに集まって、数字と計算記号の書かれた板を使って、問題を出しあっていた。

 その計算速度を見て、ますます負けられなくなった兄たちは必死だった。

 俺にはあの早さは無理だと諦めていたが、それでも勉強の手は止めなかった。


 祖父は兄たちの成長をとても喜んでいた。

 父上はここまで成長しているとは思わなかったのか、とても驚いていた。

 家庭教師から話は聞いていたようだが、実際に目にするのは初めてらしい。

 大方、家庭教師の大げさな評価だと思っていたのだろう。




 祖父は少し悩んでいたが、俺たち三人に王都のお菓子を出してくれた。

 本当は勉強のご褒美にと考えていたようだ。

 二人はお菓子をもらって喜んだのだが、一口食べるとガッカリしていた。

 祖父は不思議そうな顔をしていたが、これは仕方ない。

 俺もガッカリしているからな。


 兄たちは俺が料理長にあやふやな知識で教えたクッキーを食べているからだ。

 この世界のクッキーはとても固い。

 保存食として食べられるのが平民では一般的であり、貴族の方ではそれに加えて、砂糖をふんだんに使い、高級さを表現している。


 つまり、お土産に渡されたクッキーは固い上に甘すぎるのだ。

 二人が残念な顔をするのも仕方がない。

 俺が買ってきた平民向けのクッキーの方が素朴で美味しいというくらいだからな。


 話は戻るが、料理人に教えたクッキーは現代でも食べられるものに近くなった。

 バターと牛乳(正確にはクリーム)を使うというと、料理人は驚いていた。

 乳製品も高価な部類ではあるのだが、砂糖に比べれば安い。


 それに甘いクッキーもいいが、俺は塩気のあるクッキーの方が好きだ。

 料理人と試行錯誤することにはなったが、俺好みの満足のいくクッキーができた。

 玉ねぎのような野菜とチーズを使ったクッキーだ。


 これは兄たちにも大好評で、おやつに出すと奪い合うように食べるんだ。

 今は我が家だけで出しているが、いずれは商品化しようと思っている。

 セバスもお気に入りで、ピュムと部屋で飲むときのつまみになっているようだ。




 団らん室で雑談していると、あっという間に昼食の時間になった。

 今日のメニューは鶏のから揚げモドキの定食だ。

 これもクッキーと同様に試行錯誤した料理で、下味の醤油や調味料選びに始まり、肉が柔らかくなるように工夫したりと、とにかく大変だった。

 なにより俺が思う植物油がないせいで、大量の油で揚げることが出来ないのだ。

 どうしても揚げ焼きになってしまうのが気に入らなかった。


 なぜから揚げモドキなのかというのはそのせいだ。

 それらしいものにはなったのだが、俺としてはまだまだ不満だらけだ。

 家族も料理人も美味しいと言って、評価してくれるんだけどね。

 兄たちもなにが不満なんだと、俺に文句をいう。


 唯一、俺の気持ちをわかってくれるのは料理長だけだ。

 料理長も不満に思っているが、何が不満なのかがわからないという状態だ。

 いつか完璧なから揚げを作って、この不満を解消させたい。


 そして、ついに俺と料理長以外に理解者が現れたのだ。

 祖母のエステル様だ。祖母も美味しいと最初は言ってくれた。

 だが、数個食べるとそれ以上は食べずに、味噌汁を静かに飲んでいた。


 それに気が付いた祖父が祖母の体調を気遣う。

 祖母は言った。「あなたたちはこんな油っぽいものをよく食べられるわね」と。

 家族は一斉に俺を見た。この料理は俺が提案したものだからだ。

 俺は祖母に同意するように尋ねた。


「エステル様もそう思いますか?」


「油でギトギトになっていて、胸焼けするわ。このスープの方がよほど美味しいわ」


「それは味噌汁というものです。味噌という素材をお湯に溶かしたものです」


「そう。でも、ただお湯に溶かしたわけじゃないわね? 味に深みがあるわ」


「はい、具材もそうですが、魚や海藻の出汁を使っています」


「これはロイが考えたものかしら?」


「作ったのは料理人ですが、そうなりますね……」


 俺が生み出したものではないから、自信を持って考えましたとは言いにくい。

 だから、料理人の名前を出した。


「スープはお城で出されていてもおかしくないわ。けれど、問題はこの鶏肉の方ね」


「はい、問題点はわかっています」


「油ね」

「油です」


 俺と祖母の答えが一致した。植物性の油が大量にないのが悪い。

 ほかの家族は俺たちの様子を見て黙っているが、俺たちは話を続ける。


「使っているのは豚の油ね? とてもくどいわ」


「はい、どうしても思い描く植物性の油が見つからなくて……」


「あら? ブオリの油は使わなかったの?」


「ブオリの油は保存が効かないのです。それと揚げ油に適さないのです」


「どういうことかしら?」


 俺は祖母に試行錯誤している経緯を説明する。

 ブオリの実から取れるブオリ油。

 前世のオリーブのようなもので、その実を絞った油の使われ方もオリーブオイルとほぼ同じである。


 これは領地でとれるので、ウチでは比較的安く使える植物油だ。

 俺は最初、ブオリ油を使って揚げ物をしようとした。


 だが、結果は最悪だった。


 油を温めていくと、油が鍋の中で炎上したのだ。あのときは本当に焦った。

 念のためにと置いていた濡れ布巾がなければ火事になっていた。

 今頃は外で生活していたはずだろう。


 ブオリ油が高温になると炎上することは、厨房の料理長ですら知らなかった。

 俺も勝手にオリーブオイルと同じだと考え、数回くらいなら揚げ油に使えるだろうと思ってしまったのだ。


 説明が終わると、祖母は「火事にならなくて本当によかったわ」と言って俺の対処を褒めた。

 祖母は次に味付けに使った調味料について質問する。


「でも、味付けはよかったわ。使われているものはなにかしら?」


「醤油です。それといくつかの香りの強い野菜で下味をつけています」


「聞いたこともない調味料ね。このスープも初めての味だったし、一体どこの商会で取り扱ってるのかしら?」


「今はポーヴァ商会です」


「……そう、あの商会が」


 祖母は暗い顔をした。あの商会のことを知っていたのだろうか?


「エステル様はポーヴァ商会をご存じなのですか?」


「ええ、話には聞いてるわ。この領地の塩を支えていた商会ですもの」


「そうだったのですか、そこまでは私も知りませんでした」


「そうね。近いうちに話をしにいこうかしら? ロイも来なさい。実物を見ながら、話を聞きたいわ」


「わかりました」


 祖母にはポーヴァ商会への訪問はもう決定事項のようだ。

 ど、どうしよう!? 祖母と一緒にポーヴァ商会に訪問が決まっちゃった!

 ハンナ、大丈夫かな? 大丈夫じゃないと俺が困るんだけど!


 俺は一人焦っていたが、もうどうしようもない。

 ポーヴァ商会に先触れの手紙を出しておくしか俺には対処ができない。

 ごめん、ハンナ! 新年祭よりも前に商会の命運が決まっちゃうかも!?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る