第34話 依存と信用

 梓の表情が、サッと青ざめた。



「どうしたの、梓。顔色が悪いわよ」



 それもそのはずだ。予定では梓のお母さんが帰ってくるのは17時ぐらい、だけど今は16時20分。まだ心の準備ができていない梓にとって衝撃的だっただろう。

 


「柊くん、いらっしゃい。言い忘れていたけれど、前の時はありがとう」


「い、いえ…………」



 その言葉に梓はえっ!?と俺を見た。


(やっぱり、言っておくべきだったかな)


 隣を見れば梓の驚きの表情を浮かべている。



「さてと、とりあえず、二人とも座ったらどう?お茶も用意するわ」



 接待されるがまま、俺と梓は梓のお母さんと向かい合うように座り、梓のお母さんがお茶を汲みに行っているうちに、二人でこっそりと話し始めた。



「ねぇ、千斗。お母さんと会ったの?」


「少し前にな」


「ふぅ~~ん」



 不機嫌そうな表情を浮かべる梓に俺は必死に弁解した。



「黙っていたのは悪かった。でも下手に梓を不安にさせたくなかったんだ」


「別に怒ってないよ。それよりもお母さんのあの表情、いつもと違って怖くない。まるで、別人みたい」



 梓にとってお母さんの印象は常に厳しく口調が強くて、怖くて近寄りがたい。そんな印象だった。


 でも、今のお母さんは全然怖くなくて、むしろ気味が悪い。


 もしかしたら、千斗がいるからかもしれないけど、それにしたって明らかに梓の知るお母さんではなかった。



「いいことじゃん。むしろ、話しやすいだろ」


「そ、そうなんだけど」


「梓、それに柊くん、何こそこそ話しているのかしら?」



 お茶を持ってきた梓のお母さん。


 ビクッと俺と梓は驚いた。



「ちょっと世間話を…………なぁ、梓」


「そうそう、千斗の言う通り」


「そう、学生同士、世間話も大事よね」



 たしかに、梓のお母さんは俺が初めて会った時よりも表情が柔らかいような気がする。


 梓のお母さんはお茶を置くと、ソファーに座り、向かい合った。



「それでだけど…………


「は、はい」



 急に声色が冷たくなった。

 目つきが鋭くなり、梓だけを見つめながら、足を組む。


 それはまさしく女王様のようで、千斗自身も背筋が伸びた。



「私がいない間、夜遅くまで遊んでいたみたいだけど、どういうことかしら?」


「そ、それは…………」


「私、前にしっかり言いつけたつもりだったんだけど」



 態度の急変に場の雰囲気が完全に凍りつき、梓も梓のお母さんの雰囲気にのまれていき、萎縮いしゅくした。


(このままじゃ、梓が…………)



「まあ、まだ16歳、そういうこともあるでしょうね。でも、三度目は許さないわ。梓、あなたはただでさえほかの子たちと差があるんだから、ゲームなんてしている時間はない。梓は、ただたくさん勉強して、いい大学に入ればいいの」



 梓のお母さんのきつい言葉が続く。



「いい大学には入れれば、私の権限で私が働いている会社に入社させられるわ。そこなら梓のトラウマがあってもちゃんと働けて、まっとうな人生を生きられる。これはすべて梓のためなの、それをわかってちょうだい」



 言葉が強く、梓が完全にだんまりになってしまった。


(梓…………)


 俺はただ隣で梓のことを見守ることしかできない。

 それが情けなくて、とても悔しい、でもどんな言葉をかけてもきっと梓の力にはなれないだろう。



「返事は?」


「は…………」



 その時、千斗はとっさに梓の手を握ると、梓はこっちを見た。

 

 そして、笑顔で言った。



「梓、ただ伝えればいいんだ」



 この会話の目的を忘れちゃだめだ。

 梓はお母さんにただありのままを伝えればいい。梓のお母さんが何を言うと、それは変わらないはずだ。



「お、お母さん、わ、私は…………」



 梓が口を開いた。

 言葉が震えていながら、梓は前を向いた。



「ずっと努力してきたよ。勉強だって頑張ってるし、成績だって上位をキープしてる。友達だって頑張って作って、今だって少しずつ人の話せるようになったの。いじめられたトラウマでまだたどたどしいけど、大分、マシになってきたし、今じゃ、友達も増えたの!だから!!」



 梓の声が震えあがる。

 さっきまでお母さんの前で震えていたとは思えないほど瞳が輝いていて、そんな彼女を隣で見て、かっこいいとさえ思った。



「私は大丈夫だよ、お母さん」



 言い切った。梓は正面切ってお母さんの目を見て、言い放った。



「何が大丈夫なの?」


「え…………」


「たしかに、ここ数か月で梓は変わったのかもしれないけれど、それを証明できる、目に見える成果はあるの?」


「そ、それは」


「私は見たものしか信じないのよ。それに頑張ってるというければ、私から見れば柊くんに依存しているようにしか見えない。考えたことはある?もし、柊くんがいなかったらって、その時でも梓は胸を張って大丈夫だと言えるの?」



 痛いところを突いてくる梓のお母さん。

 その意見には千斗も少し理解できる部分があった。


 梓が頑張った。本当に少しずつ変わってる。でも、それでも俺と一緒にいる時間のほうが多い。


 それは一種の依存とも言えてしまう。


(でも、それでも…………)


 千斗は我慢できず、口を開いた。



「たしかに!梓は、俺に依存しているかもしれません!でも、逆に言えば、依存できるぐらいには人と関われるようになったともいえると思うんです!!」


「へぇ、なんでそう思うの、柊くん?」


「それは梓にトラウマがあるから。あなただって知ってるでしょ、梓のトラウマを。梓は、トラウマを抱えながら一人で友達を作るためにいろんな人に声をかけたりしたりして、友達が出来たら、嫌われないよう努力して、そして今、学校の友達と話せるようになったんです。これは、成長だと、梓の頑張った成果だと俺は思う!!」


「せ、千斗…………」



 その言葉に、梓のお母さんは少し考えこむ姿勢を取った。


 何を考えているのか全く分からず、ひりついた雰囲気が流れる中で、梓のお母さんは薄らっと笑った。



「物は言いようね。でもたしかに、そう捉えられなくはないわ」


「お母さん」


「なら聞くわ、柊くん。あなたは今後、このままでいいと思っているの?このままだと、ずっと梓は柊くんに依存してしまうわよ?」


「そうかもしれない。でも俺は依存すること自体が悪いことだっと思ていません」


「なんでそんなことが言えるの?あなたは梓の何をわかっているの?そう思う根拠はあるの?答えてもらおうかしら、柊くん」



 俺は一呼吸おいて、梓のお母さんの目を見つめる。



「梓は何事にも努力家で、勇気を振り絞って行動に移せるすごい人だってことを俺は知っています。不器用に友達を作ろうと頑張ってやっと友達ができて、そこから頑張ってまた一人と友達を増やした。その道中で頼ってくれた部分もありました。それを依存というのかもしれなけれど、協力ともいえるはずです」


「依存と協力、ただの言葉遊びね」


「そうです。でもそれでいいんです。人は常にお互いに依存して生きているとテレビ番組でも言われていますし、依存しているからと言ってずっと依存し続けるとは限らない。あなたは、今の梓を見て決めつけているだけだ。だからもう少し、梓のことを信用してあげてもいいんじゃないんですか?」



 梓のお母さんは黙り込み、俯いた。

 そして、顔を上げた。



「柊くんの言いたいことはよくわかったわ…………梓」


「うん」



 梓のお母さんが静かに笑った。



「こんなに梓のことを思ってくれる友達がいたなんて、いい友達を持ったわね。知らなかったわ、大切にしなさい」


「お母さん」


「今の子供は賢いのね。言いくるめられる気分を初めて味わったわ。梓、柊くんの言葉に免じて、信じてあげるわ」


「え」


「でも、信用とは結果を持って初めて本当の信用に足り得るのよ。だから、高校2年の秋ごろにまた帰ってくるわ。その時に、梓の成長した姿を私に見せてちょうだい。いいわね」



 その言葉に梓は頷いた。



「なら、話はここまでね」



 梓のお母さんは立ち上がり、千斗を見つめた。



「…………さてと柊くん、この後、用事はあるかしら?」



 急な問いかけにビクッとする千斗、さっきの覇気はどこへやらといった感じでたどたどしく答えた。



「え、いや…………特には」


「そう、それじゃあ、今日はうちで食べていきなさい」


「えぇ!?」



 その言葉に梓も驚きの表情を浮かべた。



「梓がお世話になっているんだもの。当然のもてなしよ。そうよね、敦」



 すると、ガチャっとリビングの扉が開き、そこから敦さんが姿を見せた。



「ばれてたか」


「敦、さっさと出前して、お金は気にしなくていいわ」


「わかりました、お母様!」



 こうして、なぜか、春野家でご飯を食べることになったのであった。

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