04 客入れ

 私の身の回りの演劇のコミュニティというのは、狭い場所と広い場所とで分かれていると思う。

 そう、言うなれば階層型とでもいうべきか。

 どこか大きな劇団があり、そこを頂点として下に関係の線が全て伸びているような場所もあるらしいのだが、残念ながら私の周りだとそう単純で効率的な形にはなってくれていないようなのだ。

 素人劇団、候補生、職業劇団、コミュニティサークル。

 色々な方向性と深度があり、その階層ごとにまた区分けがされている。

 横の繋がりはないのに縦の繋がりはあったり、よく知っている同階層の劇団に全く気づくことができなかったり。

 アリの巣のように上下を辿り、全く新しい対象を見つけたと思ったら自分の推している劇団に程近い場所を本拠にしていたりと、人脈を辿ることが本当にややこしいというのが私の周りの劇団事情だ。

 

 そんなやや複雑な関係性の中で、私はというと好き勝手色々な人と|誼<よしみ>を繋いでいる。

 恋人作りを手伝ってやった中学校の大道具の男の子、資料の探索に行き詰まってしまった芸能学部の脚本家、公演直前に欠員が出てしまった社会人劇団の代打ちなど。

 気まぐれに足を運ぶ私はコミュニティの縁を平行棒のように渡り歩いていたのだ。


 故に、私には結構色々な座から相談が入ったりする。

 ちょうど良い箱、自由な改造を許してくれる箱、それなりの人数を動かせる団、男手の多い円。

 乱立するコミュニティを広い範囲で理解できている人間はそんなに多いわけではないらしく、私に対する懇願にも似た質問はそれなりの頻度で投げられてくる。

 所詮は趣味の延長に過ぎない、コンサルというには適当にすぎる斡旋は困り切って私に声をかけてくる人たちにとっては藁以上のものだったらしい。

 結果、味をしめた人や話を聞いた人達により次から次へと、ひっきりなしとまでは言わなくてもそれなりの頻度で助けを求める声がかけられてしまうことになった。

 

 もちろん、与えてばかりというわけではない。

 公演の際の席の確保や、打ち上げへの招待、依頼主のもつ人脈をなぞらせてもらうなど、私としても悪くない報酬は受け取るようにしている。

 最近ではとある楽団のリハを劇場で通して鑑賞させてもらったこともあった。

 プラチナとまではいかなくても十分に入手困難な楽団の音を、私以外には関係者しかいない閑散とした劇場で聴かせてもらったことは私にとっても素晴らしい経験になった。

 後日、その団の演奏を正規の形で聞きに行ったことは言うまでもないだろう。

 

 そう、そんなたくさんの報酬の中の一つ。ちょうど良さそうなハコの都合をつけてあげた劇団から頂いた観劇のチケット。

 残念ながら一枚だけしか都合ができなかったようで、仕方なく一人で劇を見に行くことにした。

 題目は、じゃじゃ馬ならしをはじめとしたシェイクスピアの戯曲を元にしたオムニバス方式の連劇だ。

 オリジナルの演目を多めに持っている劇団なのだが、どうも新規入団者の鳴らしも兼ねてアレンジ演劇を行うと言うことだった。

 

 夕方の街の中を、劇場に向けて歩く。

 多目的のホールとして使われるハコ、二週間程の隙間が空いたと言うことをオーナーと飲んだ時に聞いていたので紹介した場所だ。

 駅から出て少し歩き、高架下の少々個性的な入り口の看板を前に立ち止まる。

 あたりはコンビニや飲食店、夕刻ながらすでに点灯を始めている街灯などで十分に明るく、私と目的地を同じにする人もそれなりにいるようで、目的のフロアへのドア近くに何人かが屯していた。

 話すその人たちの後ろを通り、両開きのガラスドアを開ける。

 薄手のコート越しに、視線が突き刺さるのを感じた。

 エレベーターを素通りし、隣の階段を登る。

 この前白熱球からLEDに交換したと言っていた照明は過不足なく明るく階段を照らしているのだが、そのせいで階段内の塗装の劣化なども鮮明に見えるようになってしまったようで、どうも風情に欠けてしまう。

 元は白かったのだろう黄色く滲んだ壁には所狭しと名刺やステッカーが貼られている。

 それらを眺めながら歩けば階段はすぐに終わった。

 目の前にあるのは重厚で年季の入った扉。映画館のそれが一番近いだろうか。

 少し力を入れて、それを引く。

 ぐぽ、とゴムの鳴る音と共に開かれた扉の向こうは、絨毯敷きのオーナーによる趣味全開の劇場空間が広がっていた。

 

 靴をしっかりと受け止めるカーペット、階段とは大違いに手入れされた壁紙。

 ドアが閉じられた瞬間に喧騒は彼方へと去り、直上を線路が通っているとは思えないほどに室内の音以外はその身を潜めていた。

 掲示板のスペースに貼られている物もローカルのシーンではそれなりに名の知れたグループのフライヤーが綺麗に飾られている。

 入り口横のカウンターで受付をしている知り合いに手を振りながらチケットを見せる。

 私からチケットを受け取った彼女はニコリと笑って演目の冊子とスタンプの押されたチケットを返してくれる。

 

 B6サイズのその冊子を開き、演者に演目を指でなぞっていると、誘ってくれた知り合いの名前があった。

 プリマでなくても大事なその役につい、よかったね、なんて思いながら名前を撫でてしまう。

 大事に折りたたみ、バッグに冊子を入れるとともに、ドアが開く。

 人影は、四人。

 男が二に、女が二。

 誰もが清潔でしっかりとした、それでいて硬すぎないちょうど良い服を着ていて、観劇者としては過不足ないように見えた。

 そして、その中の一人。

 思いがけなく出会えた彼女に、私は声をかけた。

 

「やぁ、ルカ。

 こんな夜に君に会えるなんて、やはり私と君はついてるね。」

 

 ドアから入り、チケットを受け取ってほんの少し屯ったその瞬間、私はただただルカに向けて声をかけた。

 その声に、最愛の彼女がこちらを向く。

 大学で見る時よりも身代を飾っているその姿と言ったら。

 感嘆の溜め息を抑え、舌なめずりを口内に引き止めるのに私がどれだけ苦労したか。

 きっと、誠実な金貸しを見つけ出すのとどっこいに違いない。

 

「こんばんわ、篠田さん。

 本当に奇遇ですね。」

 

 目線を向けて、微笑まれる。

 それだけのことが、学舎を離れた日常に行われただけでどれだけ私に幸福感をもたらすか。

 かけらでも伝われと、少し広めの歩幅で歩み寄り、小さく振られる手を優しく握りしめ、私はその小さく白い右手の中指第一関節に口付けをする。

 

「あぁ、真っ赤な鏃に胸を貫かれたようだよ。」

 

 キスの後、手を離すのが勿体無くてそのままルカを見る。

 近くで見下ろす彼女はやはり淡く輝いている。

 目を灼くような光ではなく、水中から太陽を覗き込むような、柔らかく、滲み出すような光。

 思いがけない出会いに、ついもう一度、いや何度でも口付けをしたくなった。

 

「シュウ君、あれは?」

「イケ女、っすかね。」

「あぁ、そっか、おっきいもんね。女の人か。」


 横からの声に、熱が引いた。

 女の子の声だけは逃さない耳が、今この場にいるのはルカだけではないことを思い出させてくれた。

 ルカの手を優しく離し、胸に手を当ててゆっくりと礼をする。

 声のあった方に顔を向けると、少々ゴシック調ながら落ち着いたドレスの小さな女の子と、パンツスタイルの長身の男の子がいた。

 友達かい、との意を込めてルカを見て確認すると、にっこりと微笑みながら首肯される。

 

「挨拶が遅れて申し訳ない。ルカと同じキャンパスの、篠田恭香だ。

 よろしくね。」

「どうも、ルカの親友の大木桃です。」

「どうも、詞島さんの親友の恋人してる筒井秀人です。」

「あぁ、あぁ。これはご丁寧にどうも。」

 

 桃ちゃん、秀人君、と名前を繰り返しながら二人の手を順に握る。

 ちょっとサービスしてあげようかとも思ったが、本命の目の前でそう言うことはあまりしない方が良さそうだからね。

 

「それじゃ、一緒に行こうか、ルカ。」

「ごめんなさい、私彼氏と一緒なんです。」

 

 照れも躊躇いもなく、ちょっと困ったような顔で私の誘いは断ち切られた。

 すっと、目線をルカの後ろに向ける。

 一眼見た時からわかっていた、ルカの意識が常に向く先にいる男の事は。

 あぁ、こいつが、これが、私の敵で、ルカの、ルカの……実に認めたくないが、今の彼氏であることを。

 

「あぁ、そうか、ごめんよルカ。

 君しか見えなくて、気づかなかったんだ。」

「何だこの失礼の塊は。」

「いやー、山上君とルカ二人いたらそっちに目が行くのも仕方ないんじゃないかな。」

「同意に一票。」

「おい親友二人。」


 わいわいとルカの隣の二人と一人が騒ぐ。

 褒められてはいると思うのでそこまで気にするほどではないが、楽しそうに微笑むルカの横顔がまぶしくて羨ましい。

 人の感情を強く顔に出すその姿に、私はまだ彼女の線の外側にいることを強く感じさせてくる。

 

「で、ルカ。この人? 前言ってたかっこいい人って。」

「うん、そう。

 篠田恭香さん。色々お世話になってるの。」

「へぇ。」

 

 腕を抱くルカに、山上君が問うとルカが答えた。

 かっこいい、か。そう思ってもらえることが嬉しくてつい視線が蕩けてしまう。

 視界の中心にいるルカの少し赤い顔が、とても愛しい。


「どうも。」

 

 ぐい、と山上君がルカの手を解いて、華奢なルカの肩を抱いて彼女の位置を少しずらした。

 私と彼女の間に、彼が立つ。

 ぞわっとうなじが逆立った気がする。

 誰かと彼女の間に立ち塞がるのであれば、その役は私が演じたいというのに。

 

「ルカの恋人の山上元です。

 うちの彼女がいつもお世話になってます。」

 

 にっこりと、十人並みな顔に人畜無害そうな笑みを浮かべて私にそう宣った。

 敗北感と共に、殺意と苛立ちが湧いてくる。

 今まで生きてきて、一度も感じたことのない感情。

 寝取られた、と言うことか。

 あぁ、アーサー王も国を滅ぼすわけだ。

 感情と表情の間に冷たい氷の板を嵌め、ルカを愛でた表情で固定する。

 ルカと、観客もいる。

 殺意に歪んだ顔は、見せるべきじゃあない。

 

「どうも、日頃からお世話になっている篠田です。

 ルカからは日頃彼氏君のことは聞いていたけど、会うのは初めてだね。

 よろしく。」


 少々のいら立ちを抑え、今にも握りつぶしそうになるのも我慢しながら、<<敵>>と握手を交わす。

 表面上だけはにこやかに。

 目の前の男を視野に入れど視界に入れず、視界の端の清潔感あるルカに意識を向ける。


「あ、篠田さん!

 受付さんから聞きましたよ、裏来てくれれば良かったのに。」


 後ろからかけられた声、それに向き直る。

 ぱ、と手を放していっそすがすがしい心持で声をかけてくれた知り合いの挨拶に応えた。

 

「やぁやぁ後輩君、今日はお招きありがとう。

 ルカ達も、幕引きの後にでも。」


 片眼を閉じ、溢れんばかりの愛をこめてルカにひと時の別れを告げる。

 ルカはにっこりと、いつも通りの笑顔で小さく手を振ってくれた。

 大木さんも筒井君も顔を赤らめて、山上君は、うん、何の反応もしてないな。

 後輩君に案内され、スタッフ用ルートから舞台裏へと回る。

 顔を出した待合室では久しぶりに見る顔もいくつかと、初の顔合わせもそれなりにいる。

 緊張と、興奮と、色々なものが閾値ぎりぎりにまで高まるこの空気、箱や団の大小にかかわらず、どこでも一緒だ。


「篠田さん! お久しぶりです!」

「恭香ちゃん、ほんとにここ教えてくれてありがとうね。」

「あの、私最近入って、篠田さんのことはみんなから聞いてます!」


 昔からの知り合いと、今からの知り合いに声をかけて手を合わせる。

 つなぐ手が緊張で細かく揺れている新人ちゃんの頭をなでて、楽しんでね、と激励した。

 役の衣装を着て、拵えられているアクターさんたちに、照明や大道具さん。

 壇上の非日常と、客席の日常の間のようなこの空気は素晴らしく心地のいいものだった。


「それじゃぁ、楽しみにしてるね。」

「はい!絶対に楽しませて見せます!」


 ドアを閉め、演者たちとの縁を切って一人の観客へと自分自身の立ち位置を整理する。

 トランポも兼ねたスタッフ用通路を歩き、ホールへ入る。

 招待された客席は、入り口から程遠い隅の席。

 すでに席は八割型埋まっていて、ルカのいる場所を見つけるのに二秒もかかってしまった。

 四人で並んで座る彼女たちに微笑ましいものを感じながら、私のために用意された席に歩みよる。


 趣味の粋を込めたとオーナー自ら自慢していただけあって、端の席でも首を曲げることなくステージを眺められる。

 すでに座っていた隣の席のおじさまに会釈して座り、スマホのモードを機内に。

 やるべきことをやって、柔らかくもしっかりとした椅子に座り直す。

 幕間の時間、こういったルーティンをこなす間に期待がコロコロと転がって、その大きさを雪玉のように増していく。

 どんなに失望する様な舞台を観ても、次に劇場の席に着けばいつだってこうして楽しみにしてしまうのは、我ながら業が深い。

 

 私の笑顔に見惚れたのか、ほうとした表情で私の横顔に視線をぶつけるおじさまと、その一つ向こうのおばさまに笑顔で会釈をする。

 顔を赤くし、恥ずかしそうに頭を下げ返す二人に笑みの花を渡し、その瞬間に一ベルが鳴った。

 ざわざわとした観客席が、期待と共に騒めきを絞る。

 二ベルに至るまでの時間が待ち遠しい。

 随分と長い五分間を膝の上の冊子を眺めながら過ごし、ベルが鳴る。

 幕が上がり、舞台から観客席へ世界が流れ出した。

 

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