02 地明り

 春。

 晴。

 昼。

 キャンパス内のカフェテラス、そこに私は座っていた。

 

 特段なにがしかの考えがあってのことではない。

 ふとした思いつきで、久しぶりにカフェオレの臭いでも嗅いでみようかと思っただけ。

 いくつかあるカフェのうち、あまり顔を出していなかったところに赴いた。

 道に面する部分、オープンテラスには二脚のテーブルがあり、室内は四人掛けのテーブルが四つ。

 不快さなどは微塵も感じない春の陽気に、私は帆布で作られた日陰の下に配されたテーブルを使うことにした。

 

 注文をして、席につく。

 緑と白のストライプ模様をしている布越しに降りかかる陽光はテーブルに置かれた水に虹色の反射をした。

 陰で冷やされたそよ風と、暖かな光の糸を浴びて、布越しのお天道様に目を細めた。

 雲が出て、空が青く、風も柔らかい。

 恵まれた環境に意識せず笑みが浮かび、甘やかで焦げたような香りが私の鼻を撫でた。

 

 白い花を模したレースの敷かれたテーブルにカフェオレボウルが置かれる。

 私の礼に顔を赤らめる新入りのバイトちゃんの姿を見られた、もうこの時点で私の目的は達成されたようなものだ。

 ピンをつけられたはずせない予定は午後を過ぎてから。

 それまでの間をどう過ごすか、黒と赤に染めた人差し指のつけ爪で手帳の背を撫でながら、私はほのかにバニラの香りのするカフェオレを舌の上に乗せて楽しんでいた。


「先輩! おはようございます!」

「ん、あぁ。この前の。そうか、サービス科は実習かい?

 がんばっておいで。」

「あ、はい! ありがとうございます!」


 声をかけてきたかわいい後輩に笑顔で手を振って送り出す。

 今の子ぐらいだったらすぐにでも誘えるかな。そんなことを考えてしまうが、すぐにその思考を止られることになる。


「さすが先輩、噂に違わぬ王子様ですね。」

「あぁ、妬いてくれるのかな、お姫様。」


 私の目の前に春が咲いた。

 艶やかな黒髪は夜桜の舞う夜の帷を解いたような髪で、健康そうな血色ながら唇と瞳の赤の映える肌は要項に照らされた朝靄のように滑らかだ。

 彼女以上の美貌を誇る女性を組み敷いたこともあるし、肌を重ねた経験だってある。

 それでも、私の心が彼女を賛美して止まない。

 初恋というものだろうか? 彼女の周りだけ、まるでとある巨匠の絵に感じたようなエネルギーと力に満ちた色が映えている。


「それで、私と席を共にしていただけるかな、姫?」

「うーん、最近姫って言われると、名前を覚えられないホストのイメージしかないんですよね。」

「ん? ルカはそんなところに顔を出しているのかい?」

「いえ、ゲームです。」

「それは良かった。けど、行きたくなったら言ってくれよ?

 私の全力を持って、どんな店よりも君を幸せにしてみせる。」

 

 恭しくルカの手を取り、そう言うと彼女は花びらを風に乗せるようににこやかに礼を言いながら、私の前に座ってくれた。おや、ひだまりのような美しさに目を奪われて、手を解かれてしまったようだ。

 向かいに座り、注文をとりにくる女の子にオーダーを伝える姿を眺める。

 私に夢中になってくれる女の子たちのような恋の色は無いのに、普通に付き合ってくれるその姿が新鮮で魅力的だ。

 手に入りそうで入らない、この位置が本当に魅力的で仕方がない。

 

「あ、ルカちゃん、に、え、先輩!? ウッソ、ルカちゃん先輩と知り合い!?」

 

 春の日差しを浴びるルカの姿を愛でながら彼女の履修する単元の先生に関する小ネタを教えていると、後ろから声をかけられた。

 ほんの少し、彼女の目の色が疲れたような色を瞼に乗せたのを見て、ここはちょうどいい場面か、と椅子の背もたれに横原を合わせるようにして、声の主を視界に入れる。

 ふむ、知らない子だ。

 とはいえ相手が私のことを知っていて、私が知らないなんて日常茶飯事。

 別段頽廃的な匂いのする女の子ではない、なら私の愛でる相手であることに間違いはない。

 

「やあ、ごめんね、お友達を借りちゃって。

 何か、急なお話かな?」

 

 なんならお茶でもどうだい、と勧めそうになったが一瞬だけ見たルカの目の色に袖を引かれて、私は継ぐ言葉を畳んで仕舞った。

 これでも優先順位は大事にする方なんだ。

 女の子は、いや、可愛い子はいつだって大事だが、今日の私はルカを誰よりもそばに置きたい。

 

「え、っそのぉ、別に今じゃなくていいっていうか、なんならすぐ答えてもらえるっていうか、聞いて欲しいだけっていうか。」

 

 ワタワタと、髪をいじりながら私をチラチラと見てくる女の子。

 男からの視線は気にしなくなったせいでどうでも良くなったけど、その分女の子からの視線は私の肌にとてもよく跳ねる。

 ふむ、この子は胸と首に興味があるのか。

 

「ありがとうございます、篠田さん。

 それで、君島さん、ご用件はなんでしょうか。」

 

 キミジマ、君島。ふむ、確か前にあった子は栃木だったか。

 肌が弱くて、爪もよく曲がる子だった。鉄分を取らせて、クリームを変えたら随分変わったなぁ。

 そんなことを考えながら、視線を私の唇とルカの間を往復させるその子に、にっこりと微笑んでルカを示してあげると、少し名残惜しそうにしながら視線がルカに固定される。

 

「あのね、前の講義の時に話してたんだけど、知り合いみんなで飲み会しようと思ってるんだ。用事なかったら来てよ。」

 

 私のサークルの先輩も来てくれるんだ。

 あっちもちでやってくれるみたいだから、手ぶらで来てくれていいから。

 そんなふうに誘う女の子の姿は無邪気で可愛らしい。

 あぁ、純粋に楽しそうに誘う姿が可愛いな、と今だけしか見られないその姿を少々の嘲りを入れながら眺めた。

 

「はい、ありがとございます。確か今度の火曜夜でしたよね。

 家に聞いてみますので、お時間合いましたらぜひ。」

「あ、聞いててくれたの?」

「はい、みなさんとても楽しそうに話をされていましたので。」

「え、そう? そっかー。」

 

 ずるいなぁ、とちょっと思ってしまう。

 私は根が捻くれているところがあって、ちょっと頑張らないとすぐに皮肉に思われてしまうところがあるのに。

 ルカは言葉だけなら皮肉でもおかしくないところを、褒めてるって思わせてくる。

 キャラクター、それと姿勢かな。

 お姫様、では少し上からになる。

 お嬢様の役でちょうどいいくらいか。

 

「あ、それじゃああたし次あっから、また話そうね!」

「はい、概論頑張ってくださいね。」

「うん、ありがとねー。

 先輩も、お邪魔しました!」

「いやいや、話を聞いているのも楽しかったよ。

 今度は一緒にお茶でもしよう。」

 

 じっと目を見つめて、ふっと微笑んであげる。

 それだけで君島ちゃんの目が潤み、頬が赤くなった。

 わかりやすくていい子だなぁ。

 うーん、少し勿体無い。

 手を振りながら離れて行く彼女を見送り、机に乗ったカフェオレを一口含む。

 目の前のルカも目を閉じてカップを傾けているが、やはり気に留めてはいるようだ。優しいなぁ。


「良いのかい、ルカ。

 彼女は君の友人だろう?」

「うーん……ちょっと危なさが透けて見えるというか、」

「ふふ、そうか。ルカは賢いな。」


 切り捨てる見切りはおそらく誰かからの薫陶かな。

 自分を守るための拒絶はルカの性根に合っていない気がする。

 それを受け取りながら、どこか捨てきれていないのは人格の根が甘いんだろう。

 その甘さもまたルカの雰囲気にあっていて、とても素晴らしい。

 

「でも、見ないふりも怖いのかい?」


 私の言葉に、困ったような笑みを浮かべる。

 その姿が陽の光より眩しくて、つい目を細めてしまう。

 演技で、そう見せるのは難しくないのだがやはり何かが違う。

 ついつい乾いてしまう唇を閉じ、見えないように舐める。

 

「そうですね、ですから、ついて来てくれますか?」

 

 思いもしなかった言葉に、とんと驚かされた。

 瞼が持ち上がり、いつもより目が開く。

 やれやれ、こんなに簡単に心動かされるとは。

 

「私が、かい?」

「はい。

 先輩なんですから、色々なお話をご存知なんじゃないですか?」

「そりゃもちろん。

 ルカが望むなら、夜明けまで話してあげるのに苦はないさ。」

 

 テーブルの上に置かれたルカの手に、私は自分のそれを重ねようと動かす。

 が、指先にルカの指先があてられ、指の腹だけがくっつくことになる。

 むぅ。

 なかなか身持ちが固い。

 

「先輩がいらっしゃれば、皆さん喜びますよね。」

「うーん、どうかなぁ。

 狼さん達は、嫌な顔をするかもね。」

 

 くすりと笑みを溢すと、ルカも笑ってくれる。

 お道化るのも、知識をひけらかすのも、目の前の女の子に笑ってほしいから。

 やはり定期的に恋はするべきだ。

 

「じゃぁ、お互いウィンウィンだからOKですね。

 私はおかしなお誘いを受けなくてすむし、先輩は着飾った私が見れて幸せ。

 そして、二人で君島さんに先輩さん達の危険性を見せることができる。

 うん、良い取引ですね。」

「おやおや。」


 うまく使われていることに、ちょっと驚いてしまう。

 私はこれでも引き摺り回す方なのだが、いやはや。

 穏やかなお嬢様だと思っていたのだが、きちんと人を使うこともできるなんて。

 ますます好きになってしまう。

 

「ま、どうせ最初は近くの居酒屋だろう。

 二次会三次会に引き摺り出されなければ、男手も必要ないだろうさ。」

「我慢、できないですか?」

「するわけないさ。言っちゃなんだが、どうせ先輩という立場だけで着飾っている五枚目、六枚目だ。」

 

 少しつっつけばすぐにボロを出すだろう。

 そして、取り繕った雲母以上に脆い仮面は醜い内面からの鼻息だけで砕け散るだろう。

 そうなれば、憧れと興奮で茹ったあの子達の脳も醒めるだろう。

 ふむ、こういう立場も面白いか。

 どうせあと二年、痛い目見ないように下衆どもから上前掻っ攫うのも楽しいかもしれない。

 

「それじゃあ、私と先輩だけで良さそうですね。

 友達にも声をかけようか迷ってたんですけど。」

「ルカの友達か、会ってみたいなぁ。」

「それは、うーん。

 もっと私が先輩と仲良くなったら紹介させてもらいますね。」

 

 ここでスマホで自慢でもしてくれたらそこから話を続けられるんだけど、うーん。身持ちがかたい。

 仲良くなるのに手順と手間が必要なタイプの女の子。

 あぁ、本当に、燃えてくる。


「じゃぁ、今度の日曜でもデートしないかい?」

「あ、ごめんなさい。その日は彼氏と先約ありますので。」


 ……絶対に奪ってやる。

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