64 褒めた
「そういえば、漫画とかだと草履の紐が切れてさ、背負ってもらったりとかあるんだけど。
筒井君達部活生って実際何キロくらいなら背負えそう?」
臨時で建てられたバス停前。
そこでバスを待つ間、大木さんとどうでもいい話をしていた。
ついこの前まであった棘や重りがなくなったような心地で、本当にどうでもいいことを話した。
しばらく読んでいなかった漫画のこと。夏休み前に買ったゲームのこと、宿題に四苦八苦している他の人たちを見て愉悦したこと。
気づけばこんなに話すことがあったことに、自分で驚いた。
気温に匂いに周りの人口密度に。
大木さんと入った喫茶店に比べればあまりにも環境の数値は悪いにもかかわらず、話は弾んだ。
そんな中、ふと思いついたように大木さんが俺に問いかけてきた。
「え、どうだろう。大木さんなんか見た感じ軽そうだし、万が一詞島さん担げるなんてなったら、両足骨折しても背負いそうな奴とか普通にいそうだしなぁ。
男子高校生にとっては、そんな小さな数字よりも女の子背負えるっていう事実の方が重いんじゃね?」
「あー、なるほど、確かにね。」
「何。切れそう? その、草履? 下駄?」
「んーん、これ、奏恵さんが補修したときにピアノ線で補修してて、すごい頑丈になったんだって。
この板の部分が割れるまで使えるって言ってた。」
「風情がねえなぁ。」
「ねー。……あ、そうそう。これ下駄ね、下駄。
歯が低くて草履っぽいけど。」
ヒョイ、と足首を上げて見せてくれる下駄は艶々の漆塗りで、紐の部分もワイヤーが入っているようなものには見えなかった。
とても落ち着いた黒めの赤の紐と似合いの黒い木は、大木さんの暖色の浴衣を引き締めていて、とても良いと思う。
「あれ、底にゴム付いてんの?」
「うん、一応石畳だからって、
すごかったよ。縁側でヤスリかけてゴム貼る最中も
「それはそれは、眼福だったんじゃ?」
「うん、あれを毎日浴びてたら視力上がるね。」
「耳は砂糖漬けになりそうだな。」
「あは、確かに。
だから山上君とルカもいつもああなのかもね。」
ふと、うちのことを思い出してみる。
そもそも父も母も、あんまり一緒にどこかに出かけているのを見たことがない。
姉がいた時は母は姉とよく外に出ていたが、父はそういえばどこかに出て行くのもあんまり見たことがない。
兄とどこかに行ったのを見たことも、そういえば無い。
一緒にラーメンでも食いに行こうか。
母と父でどこか出かけないのか聞いてみるのもいいかもしれない。
「大木さんちは、どう?
俺ん家はそういえば二人で出かけてるの見たことないけど。」
「んー、私が高校になってからは見るようになったかなぁ。
中学校時代なんか、家に父さんいるのが珍しいくらいだったし。」
「へぇ、なんかいいね、そういうの。」
「あはは、最近は母さんも困った顔しながら、嬉しそうなんだよね。
うん、周りがいい空気なのは、いいことだよね。」
「ごめんなさい。」
「うん、許した。」
下げた頭をポンポンと叩かれる。
嬉しいような、恥ずかしいような。
頭を上げるとバスが来て、それに乗り込む。
先に乗って大木さんを引き上げ、椅子に座ってもらいその横に立つ。
座った大木さんはいつもより小さくて、首の後ろに髪がまとめられているのを上から見て気づいた。
それはお母さんのものらしく、浴衣を着付けしてもらった後に写真を送ったらひどく喜ばれたんだとか。
「なんか、いいね。」
「ん? 何が?」
「そうやって、お母さんから娘へとかさ。」
「ん、そうかな。」
「あぁ、俺はいいと思う。」
くぅ、と大木さんが背を曲げる。
頭の横につけていたお面を後頭部に直される。
下を向く大木さんを守るかのようにこちらを向く狐の顔が、ジト目でこっちを見た気がした。
後部座席のご老人夫婦から、なんというか生暖かい目が向けられている。
無料のシャトルバスはそんなに時間をかけずに駅に着いてくれて、ちょっと気まずい沈黙もあっさりと断ち切ってくれた。
駅の改札を一緒にくぐり、大木さんと一緒の電車に乗る。
ホームに入る瞬間、ふと色々と思い出してしまったが、驚くほどに心は動かず、目の前の女の子の歩き方にヒヤヒヤしてしまうだけだった。
「夏休みも、もう終わりだね。」
「そうだな。」
色々あったけど、時間は躊躇なく流れていく。
せっかくの休み、少ない時間でも思いっきり遊ぶべきだろう。
そう言う意味では、元の提案はちょうど良かった。
疲れを感じるのは、学校が始まってからで良い。
残り少ない遊べる時間、思いっきり行こう。
「九月入って、テストでちゃんと良い点取れたらバイトするんだ。」
「バイトかぁ。金は欲しいな。」
「ねー。
モーリーも新しい曲出すっていうし、再来年くらいにはまたライブしてくれるかもしれないから、私も頑張んないと。」
「え、まじ? 俺もなんか短期で探そうかな。」
「今度はライブ行きたいね。」
「あぁ、うん。」
随分と昔のことのように思えるあの物販に呼ばれた日。
あの3号君も頑張っているんだろうか。
うちにうちにと、考えが煮詰まっていたせいでそういえば音楽もロクに聞いていなかった気がする。
帰ったらベッドで寝転がりながらまた聞こう。
そんなことを考えながら、話は続く。
残念ながら、気分転換はできたといえどもコミュ力が一気に上がったわけではないのでところどころで話は止まってしまう。
しかしながら、不思議と熱のようなものは切れず、電車を降り、気づけば大木さんの家のアパート入り口まで来ていた。
「うわ、ここまで来ちゃった。」
「ん、そうだな。
まぁ、ほらあれだ。女の子の一人歩きは良くないし。」
「へへ、女の子かぁ、うん、ありがと。」
頭を掻き、照れる大木さん。
今日一日で、俺は何回この子の笑顔を見たんだろう。
はち切れそうなくらいに自分で自分を追い詰めて、古賀と元に助けてもらって。
それもこれも、大木さんのおかげだ。
この子が元に話したから。真剣に俺を考えてくれたから。
もう一度ありがとうと言いたくなった、けど、口がむずむずしてうまく言葉にできない。
俺こそありがとうと、そう返したいんだがなぁ。
「ん、じゃぁ俺はもう行くわ。」
「あれ、そう? 休まなくていいの?」
「あぁ、ちょっと歩きたいし、明日も予定あるし。」
俺の言葉に、そっか、と大木さんは返した。
満面の笑みではない、とても自然な、優しい顔だ。
心拍数が少し上がり、顎の筋肉が勝手に収縮して口の端が上がってしまう。
「じゃぁ、また。」
「うん、またね。」
手を振り、踵を返す。
夏の夜、蝉のうるささが戻ってきた。
じんわりとまた背中に汗がわいてくる。
駅までの一人道、ポケットの中にある爪楊枝をいじりながら少し上を向いて歩く。
鼻から吸う空気は湿気のせいか濃く感じた。
駅に着いて電車を待つ間、なんとなく気になってメッセージアプリで古賀にスタンプを送る。
特に意味のあるものではない、何かの無料キャンペーンの時にもらったやつだ。
貼って数秒、あっちからも使い所のわからないスタンプが返ってくる。
それが嬉しくて、また使ったことがないスタンプを適当に押す。
そんなくだらないやり取りをしながら家に帰ると、父と母はリビングで映画を見ていた。
ただいま、の声に二人のお帰りが重なって、またおかしくなる。
笑う顔を見られたくなくて、足早に部屋へと入った。
イヤホンをつけて、プレイヤーを起動。
音楽を聴きながら汗の染みた服を着替える。
つけたばっかりのエアコンの前に椅子を持ってきて、涼んだ。
耳に聞こえる音楽は、一時期はあんなにヘビロテしていたのに随分と新鮮に聞こえる。
そうやってぼうっとしていると、ちょっとやり残したことがあったことを思い出した。
スマホのロックを外し、椅子から立ち上がり、通話アプリを起動する。
相手を選び、通話。
四コール目で通話先の相手は着信をとってくれた。
『あ、筒井くん? どしたん?』
「大木さん、すいません。」
『ん?』
「浴衣、すごく似合ってて可愛かったです。」
『ん………うぇい!?
あっと、その、あの、えー……………ありがとう、ございます。』
「はい、それだけっす。そんじゃ。」
言いたいことを言って受話器ボタンを押し、通話を切る。
女の子を褒めるという俺の聖書に書かれた行動を忘れるとは。
やはり随分と精神的に追い込まれていたらしい。
ふう、と息を吐いて首を回す。
蛍光灯の明るさが、やけに目に入ってくる気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます