62 殴った
取り残された俺は、肩を落とし地面を見ることもできず、かといって空を見上げることもできないまま、ぼうっと立ったままだった。
足音がした。
振り返るまでもなく、誰なのかはすぐにわかった。
「元。」
「んー?」
「わるい、まずは一発殴らせてくれ。」
「よしこい。」
右肩に左手を置き、思いっきり体を捻って元の腹に右の拳を突き刺した。
それなりの硬さに驚くが、一応きちんと効いたようで、ちゃんとうずくまっている。
「ほれ、俺にも一発入れろ。」
「ん。」
ゆっくりと立ち上がった元は、俺の頭に軽くチョップを入れる。
なんだ、これだけか?
「おい、ちゃんと殴れよ。」
「やだよ、人殴る感触大っ嫌いなんだから。」
「なんだよ、男同士なんだからこんぐらいやってもいいだろ。」
「肉と皮膚越しにへし折った骨が内臓に突き刺さって中で血が出るあの感覚が嫌いなんだよ。」
「お前それ人間殴って殺してねえか。」
「生きてはいたし、訴訟には至ってないよ。」
「わかった、もう聞かねえ。後絶対俺殴るなよ。ふりじゃねえからな」
二人して、同タイミングでため息を吐く。
と、元がゴホゴホと咽せた。
お、ちゃんと効いてたか。安心安心。
「ぶっちゃけると、俺は元にかなりムカついた。」
「うん。」
ヨッコラセ、と俺は地面に座り込んだ。
電灯からは少し離れた場所だが、それなりに明るい。
ズボン越しに砂の感触がする。
昼のピーカン照りのおかげか、濡れるような湿気はない。
固い砂の地面にあぐらをかいていると、向かいに元も座り込んだ。
「お前のおかげで、古賀のやつが先輩にちゃんと向き直ったのは確かだし、こうやって俺と古賀でお互いスッキリさせてくれたのは、すげえ感謝してる。」
「うん。」
両手を少し背中側につく。
少し逸らした状態を支える手のひらから、地面の熱と感触が伝わってくる。
空は晴れている。風も吹いている。
むかつくぐらい、普通の夏の夜空だ。
「でも、なんかお前にうまく動かされた気がして、ムカつく。」
「うん。」
ふう、と大きく息を吐く。
蝉の声が聞こえてくる。
祭囃子も、子供の声も。
こんなに離れてるのに、こんなにうるさいものなのか。
誰もいない公園なのに、夏の夜はあまりにも賑やかだ。
「なんか言えよ。」
なんとなく、思っていた。
ここでこいつの次の言葉によっては、俺は友達を一人失うことになるんだろうな、と。
「シュウは、俺を買い被りすぎだよ。」
「は?」
返された言葉は、俺にとっては間違いなく予想外だった。
「俺は、そんなにすごい事はしてないよ。ほんとにすごいやつなら一手で三手先まで効果あるような手を打つし、誰も泣く事なんてなかった。
俺にはそんなことはできない、ただ、絶対にやられちゃダメなことを必死に考えて手を打ってただけ。」
地面を弄り、掘り出された小石が草むらに放られた。
俺を見ない目が、随分空虚な色をしているように見える。
「余裕なんてなかった、ギリギリで、嫌悪感に溢れそうで。
それでも、俺は自分が踏み込んだことにケジメをつけようって思ってた。」
元が、胡座から体育座りに座り方を変えた。
膝の間に鼻をおさめ、顔を伏せた。
横幅のある男のそんな仕草に、おかしさよりも変な安心感を感じてしまった。
余裕綽々で、存じておりますって先手を打って。
それらも全てそう振る舞っていただけなんだと、理解できた。
「大木さんから今日の縁日に行こうって話されてその時にシュウの話を聞いたんだ。
あぁ、やっぱりなって思った。
そんで、すぐに古賀君に電話した。」
あんな状態の古賀君にさ。
そう、自嘲しながら元は語る。
「古賀に悪いっては、思ってたんだな。」
「うん。」
「それでも、俺のためにあいつを呼んだんだな。」
「うん、正直、古賀君を信じてた。
古賀君はすごいやつだから、絶対来てくれるって。
シュウに必要なことを言ってくれるって。」
あぁ、すごいやつだ。
あいつは、本当にすごいやつだ。
俺が知らなかっただけでずっとすごかったんだろうか?
それとも、ちょっとずつすごくなっていったんだろうか。
そんなあいつじゃなきゃ駄目だったのか、元が俺に何か言えば、あいつを泣かせなくても済んだんじゃないか。
そう言った。
すると、元はすぐにこう返してきた。
「俺じゃダメだよ。」
力なく横に首を振った後の顔は、どこか自嘲しているように見えた。
疲れもあるのだろうか、だんだんと堅かった印象の元の顔が弛んできているようにも思える。
「俺は周りに恵まれすぎてただけだから、きっと大事なところでミスをする。
シュウの気持ちは、多分本当の意味で理解はできないんだから。
もちろん古賀君だってただの高校生だけど、ただ、古賀君なら今のシュウを見たら絶対に立ち直らせてくれるって確信してた。
俺にはできないことを、絶対にやってくれるって。」
元にそう思わせた古賀の重さは、元が佐藤先輩のことを古賀に話した時に感じたものなのかもしれない。
きっと、そのときに、あいつの本当の芯の太さを確認できたんだろう。
泣き喚き、俺につかみかかって来た姿に俺ですら感じ入るものがあった。
きっと、話したくもないことを聞いてくれたあいつの姿は元にとっても眩しいものだったに違いない。
「あいつは、すごいやつだ。」
「あぁ、知ってるよ。
でも、シュウだって。」
重荷をおろしたのか、疲れを滲ませながらも穏やかな顔で、元は俺を見つめてきた。
上から見ているのではという邪推も。
どこか俺の方が上にいるという驕りも。
今は変な上下打の勝ち負けだのを意識することなく、フラットに元の顔を見れた。
「シュウなら古賀君を見て、絶対立ち直ってくれるってのも、俺は信じてた。
それに、多分シュウが居たなら古賀君も吐き出せるんじゃって、思ってた。」
かっこよく言っといて、結局他人の強さ任せだな。
元はそうつぶやいた。
少しばかりのイジケを含んだ言葉が、ゆるゆると俺の口角を持ち上げる。
さて、これは友情ブレイク案件だと思うんだが、なぜだろう。
不思議と嫌悪感は湧かず、代わりに肩からは力が抜けていた。
「何様だよお前。」
表情だけでなく、喉の奥からもクックっと笑い声が漏れた。
改めて、眺める。
同い年の、少しだけガタイのいい友達がそこにいた。
友達がいなかった、そう言っていたやつが必死に俺たちを信じて、俺たちに嫌われるかもと思いながらも俺たちのために動いていた。
騙されてるとしても、あぁ、泣きそうな顔をしてたこいつになら、騙されたっていい。そう思った。
「何だろうなぁ、あ、彼女いない歴0年、ルカの彼氏様ってのが一番位階高いかな。」
「あぁ、そりゃあ殿上人だ。」
ふふん、と軽い笑いが元からも聞こえた。
地面に座り込んでいることで、ケツからぬるい温度が上ってくる。
風は少しだけ吹いていて、汗を引かせるには心許ない。
背中にはじっとりと汗が吹き出ていて、シャツの背中が張り付いている。
不快なはずの温度と湿度、なのに何をするでもなくその場に座り込む。
不意に、元が吹き出し、俺もつられて笑う。
精神が疲弊していたのか、もう何でもいいから刺激を受けたら笑いそうだったんだ。
ひとしきり笑い、また無言の空間ができた時、元が唐突に話しかけてきた。
「明日、三人でちゃんと遊びに行こう。」
「明日ぁ? 計画は?」
「いいじゃん、別に。
千円だけ持ってさ、海行って、適当に遊ぼう。」
「いや、お前それって。」
「もーいーじゃん、夏休み最初っから今までずっと頭使っててきっついんだよー。」
「なんだよそれ。
別に誰も頼んでねえのにお前が勝手にやっただけじゃん。」
「そーですー、勝手なんですー。
だからうみー。」
「一人で行けよ。」
「一人で行くぐらいならルカと行く。」
「お前、詞島さんより俺たち選ぶのかよ。」
「男の友情は恋人との愛情とは別腹。」
「気色悪っ。」
「あ、もしもし古賀君? 明日海行かね?」
「はぁ!? お前何してんの?」
「あ、ごめん、嗚咽で聞こえねえや。メッセにしよう。」
「さらっと何やってんだよお前!」
「いくってさ。」
元が俺に見せた画面、そこには
『海が俺を呼んでいる』とメッセージが送られて来ていた。
常日頃から思っているが、あいつ精神タフ過ぎねえか。
てか、何? ガチ泣きしながらこれ打ってんの?
口から疲れたような呆れ返ったような笑いが溢れる。
俺が苦しんだ横で、俺が悩んだ横で、俺の友人たちはそんな俺の苦悩を他所に、好き勝手に生きている、
俺を放っているわけでも、無視しているわけでもなく、ただ自然に生きていて、あっちはあっちで色々と苦労している。
古賀は、いいやつだ。
元だっていいやつだ。
どこかで俺が何とかしてやらなきゃ、なんて思ってたかもしれない。
それは実際、完璧に無駄ってわけじゃなかったんだろう。
ただ、俺が思うほど俺の支えに力なんか無かった。
けど、それでもあいつらは俺の友達でいることを選んでくれていた。
気を張って、友人らしくいる必要なんてなかったんだ。
バカやって、失敗して、笑い合って、グチグチ言いながらまた集まって。
そう、それが俺たちのペースなんだろう。
空を眺め、息を吸う。
生ぬるい空気と遠い祭り囃子。
街灯の少なさのおかげで街中よりは見える星はスマホで調べなければなに座かもわかりはしないが、確かにそこにあった。
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