61 強がられた
男二人、人気のない公園で。
人通りの少ないその場所で、俺はずいぶんとすっきりした様子の古賀から話を聞かされていた。
恋人なんかいたことのない俺にとっては考えることもないような事、普通なら喜んで身を乗り出して聞くようなことも、今までが今までのため、聞くことがむしろ苦痛ですらあった。
辛そうな目で、殊勝に言うな。
思ってもいない擁護を、血を吐きそうな唇で話すなよ。
つい、そう思ってしまう。
辛くないふりをする古賀に、こっちが辛さを感じてしまった。
震える唇を歯を食いしばって抑えると、腹の中に生まれてきた怒りが言葉として口から漏れ出てきた。
「だからって……っ!」
「あぁ、そうだな、普通なら許しちゃなんないんだろうけど、さぁ。」
タハハ、と痛々しく空虚に笑う。
怒りがぐるぐると巡り、どんな罵詈雑言を言ってもおかしくないのにどの言葉も出ようとするたびに喉の奥に引っ込んでしまう。
意味のない音だけが、喉から漏れた。
「本当、きついよな。けどよ、だからって、俺の経験を聞いただけでひねてんじゃないよ。」
何を言われたか少し理解できなくて。
言われた言葉を理解したら恥ずかしくなって。
さっきまでの怒りが恥ずかしさに塗りつぶされて、ただ古賀を睨むことしかできなくなった。
「お前も俺もさ、あんまし頭よくないんだ。
賢者の真似なんか、賢者タイム以外でする必要ねーだろ。」
だからよ、と、俺を見る古賀の目。
夏の夜空と照明の下、半年足らずの付き合いの中で一番の強がりをしている男がそこにいた。
「お前はよ、いい女捕まえたら、逃げられんなよ。」
わけ知りがおで、経験者ぶって。
俺に優しい声をかける顔に、悔しさと怒りと憎しみが湧いてくる。
体の横の握り拳がみし、と音を立てた。
短く切り込んでいる爪なのに、手のひらを傷つけるぐらいに握り込んだようで指先が生ぬるい。
「俺はよ、ダメだった。捕まえたのに、逃げられちまった。」
疲れたような自嘲の表情。
自分を下げておどけるような姿に、かっと頭に血が登る。
ありとあらゆる負の感情の中から怒りが頭一つ抜け出す。
真っ赤に燃える激情のような衝動が、やっと喉から声を出させてくれた。
「ざけんなよ。」
「あ?」
「逃げられちまった、で済むのか? そんなもんで済むのか!? ぶん殴りたくねえのか!?」
「馬鹿言うな!」
古賀に一歩強く足を鳴らしながら踏み出すと、あっちも踏み込んできた。
顔が近づき、火花が散りそうなほどに強い力を秘めた視線が至近でぶつかり合う。
見開かれた目が激しさを感じさせるが、瞳はじわりと濡れ始めている。
「馬鹿言うなよ、むかついてるし、顔見たら殴りたくもなるかもしんねえけど、でも、でもよぉ。」
怒りは消えない、どんどん叫んでやろうと思っているのに。
男の涙でも、怒りの火を弱めることはできることに気づいた。
「でもよ、やっぱ俺、好きだったんだよ。佐藤先輩が。
好きだったのが間違いだとしてもよ、それでも、間違ってたくないんだよ。
好きで、楽しかったんだよ。」
区切られる言葉は強い語気を滲ませていた。
唇のはじが揺れている。
俺を見る目は、真っ直ぐだ。
こっちが目を逸らしそうなぐらいにしっかりと俺を見て、目を見開いている。
そしてその目からはぼたぼたと涙が流れていた。
「んで、なぁんで俺じゃないんだよぉ・・・」
眉が寄せられ、かっぴらかれた目が少しづつ細くなっていく。
「デートの場所考えてさあ! プレゼントも必死に選んで!」
肩を掴まれた。
「バイトも入れて! 先輩に恥ずかしくねえようにって服も、髪もやってよぉ!」
ブルブルと震える手。
握られる力に肩が痛い、けど、それ以上の痛さが伝わってきて、俺は何もいえなかった。
「いっつも先輩見て! 疲れてないかってしょっちゅうみて怒られて!
笑ってくれると! 嬉しくて! ………っぇえ!」
右手から力が抜け、俺の胸に手のひらが当てられる。
掴むわけでもないのに、込められて力で固まった手のひらから振動が伝わってくる。
「ずっと! 一緒ぐひッ!
思っ! けっ!」
胸を叩かれる。
力なく、拳の底を合わせられるだけのはずなのに、ひどく胸が痛んだ。
わかるよ、とか辛いよな、とか。
カッコ良く友達の涙をおさめられる言葉がわかれば良いのに。選択肢でも出てくれれば、確率で選べるのに。
共感するべきか、馬鹿にするべきか、笑いをとるべきか。
いっそ怒るべきか?
何をしたら良いのかわからない俺をそのままに、古賀は俺に弱みを吐いてくれる。
何もできない俺のまま、ただ立ち尽くしていると、震える頭が動き、涙で星空を映すその目が俺を見た。
「お前はぁ! ちゃんと捕まえて! 好き同士でいろよ!」
ずきりと心臓が傷んだ。
冷静な頭でいれば、いきなり何を、とつっこんだんだろう。
ただ、この場、この瞬間の言葉だけは俺の中にずんと来た。
「俺も! 絶対また誰か好きになってやっから!
俺のを理由にお前が遠ざけっとかすんじゃねぇ!」
俺は初めて、古賀のことを“いいやつ”ではなく、“すげえやつ”だと、そう思った。
顔は鼻水でぐちゃぐちゃで、嗚咽と共に呼吸のたびに開く鼻の穴からは鼻毛も見えている。
涙を拭う手の形も、その心を表したかのように歪に指が曲がっていた。
知り合いの美容師さんがカッコ良くしてくれた、と自慢していた髪型も、セットをしなくなったからなのか野暮ったくなっている。
もし、何も知らない人間が三秒だけ今のこいつを見たら無様だと嘲笑うか、マジで男が泣いていることに引きながらも心配するのかもしれない。
ただ、俺は今のこの不細工に泣き喚きながらも必死に格好をつけるこの男と友達になれたことに対し、言い知れない幸福感、いや、恥ずかしすぎて面とは絶対言えないが、誇らしさを感じてしまった。
涙をこぼし続け、嗚咽を吐く古賀。
何をすることもできないまま立ち尽くす俺だったが、しばらくすると古賀は俺から離れ、俺に背を向けて歩き去っていった。
ズタズタに切り付けられた傷を幻視するような痛ましい背中に声もかけられずただ見送ってしまう。
しゃくりあげるたびに肩が小さく上下している。
何も知らない人から見てみれば惨めに見えるに違いないその背中に、憐れみなんて上から目線の感情ではない、何か得体の知れない熱いものが胸の内から湧いてくるのを感じた。
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