59 呼び出された

 気づけば、相談をしていたはずの俺は大木さんに夕方からの縁日に出るように約束を結ばされていた。

 ぼうっとした脳で誰かと話していると、意にそぐわない契約とかを結ばされることもあるのかもしれない、そう思わされた一幕だ。

 断ることなく、なあなあのまま別れてしまったことで俺には行かないという選択は取れなくなった。

 大木さん、というか女の子相手に連絡なしのドタキャンはする気になれない。

 かといって改めて大木さん相手に断りの連絡を入れるのも、こうもったいない精神が働いてしまってやる気になれない。

 改めて送ってこられた集合場所を知らせるメッセージに行かないと返信すればいいだけなのに、だ。


 結局、太陽が傾き出してジリジリとした熱さがもわっとした暑さに変わるころ、俺は甚平姿で大木さんから一方的に告げられた集合場所に一人佇んでいた。

 駐車されている車両はそんなに多くなくて、それでも駐車場から本殿へと向かう道にはすでに出店が立ち並び、人の群れも出来始めている。

 そういえば、毎年やっているはずだったがあんまり来ようとも思わなかった。

 初めて来るのがこんな気分の時とは。なんというか、タイミングが悪いもんだ。

 

「や。」

「あ、ども。」

 

 車から降りる家族、乗る人達、出入する人達を駐車場の端にある日除けの下でぼうっと眺める俺の視界を歩いてくる女の子に声をかけられた。

 黄色を基調とした浴衣を着たその子は、やはり大木さんだった。

 ゆるく片側にまとめられた髪と、いつもはつけているはずの眼鏡の無いその顔に、こう言うのはあれだが違和感を感じてしまう。

 明るく、うるさく、面白く。

 そんな感じのイメージを常に持っていた大木さんが少し大人びて見える。

 

「えっと。」

 

 じっと見つめる俺の視線が恥ずかしいのか、彼女は困ったような顔で髪をまとめていない方の頭の横を指で掻いた。

 何を言うでも無いその時間が、チリリと焦燥感を煽る。

 前は、何を話すわけでも無い時間でもこんなことは感じなかったのに。

 

「あの、遅れてごめんね、待った?」

「いや、そんなには。」

「そっか。」

 

 俺の返答に大木さんが返し、また話が止まる。

 夏の暑い空気、蒸し暑さによる不快さが少しだけ増した気がした。

 

「大木さん、は。あんまり急いで大変じゃ無いでしたか?」

 

 次はとにかくこっちから何か言わないと。

 そんな義務感のような心情に押され、当たり障りのないことを口にする。

 何かの目的のある問いかけでも無いそれは、きっと文に書くとどこかおかしくなっていると思われた。

 

「うん、大丈夫大丈夫。ちゃんと時間は合わせて来たから。」


 それでもちょっと待たせちゃったね、と謝りながら大木さんが返してくる。

 先に来たのは俺の意思だし、時間を合わせようと思ったというか、むしろ送れるようになったら行かなくなってしまいそうでつい早く来てしまったというか。

 礼儀というよりは、自分を追い込むための行動だった。

 だから謝られても返に困って、適当な否定の言葉を返すだけしか出来ずにいた。

 

「えっとね、私はルカのお家でこれ着せてもらって、ここまで山上君とルカとで一緒に来たんだよ。」

「あ、そうだったんですね。」

 

 話の中に出てきた元の名に、ちょっとだけ心臓が跳ねた。

 嫉妬というか、拗ねる、いや、いじけるというか。

 相手が悪く無いのはわかっているのに認めたく無いという、そんな子供じみた感情が俺の表情のトーンをひとつ下げた。

 視界が自然に下に向く。

 地面のアスファルト、その凹凸に焦点が合いそうになった時、左手の指先に暖かな何かが触れた。

 

「さ、行こっか。」


 俺の手の、半分ほどにしか感じられない小さな手が俺の手を取っていた。

 胸の辺りに少しだけ、ほんの少しだけ温かい何かが流れた気がした。

 

「あの、大木さん。別に手なんか握んなくても、ついてきますよ。」

「いーからいーから。おねーさんに……あれ? 筒井君って何月生まれ?」

「十一っす。」

「あ、じゃあやっぱり私がお姉さんだね、うん。

 おねーさんに任せときなさい。

 そうだ、何か食べとく? 日が沈んだら人多くなるよ。」

「い、いえ、いっす。」

 

 駐車場から境内へ向かう長い階段の麓へ歩き、何個かの出店の前を通り抜ける。

 焼きそば、焼き鳥、ポテトに焼き菓子。

 随分と良心的な値段のそれらをチラリと目の端に入れるだけで、俺たちはまだ余裕のある石畳の上を歩く。

 人が八人ほどは並べそうな石段の登り口、そこから登るのかと思ったのだが、大木さんは俺の手を引いたまま階段前の鳥居を横切る。

 

「大木さん。」

 

 登るんじゃ無いんすか、と問いただそうとして、まぁいいかと口を閉じる。

 小さく息を吐いたら、俺の左手を握る手の力が、ほんの少し強くなった。

 そのまましばらく。

 俺たちの集合した駐車場とは神社を挟んで反対側の道を歩く。

 神社から離れるごとに少しづつ出店は少なくなって、それでも人は居て。

 ぼうっとした思考で、目に入る色んな人達を見るでもなく眺めていた。

 しばらく歩き、人通りが少しだけ絶えたあたりで、大木さんは足を止める。

 引っ張られた俺もつられて足を止める。

 冷たく、さらさらとした手が一度だけ握られて、解けた。

 

「ダメだなぁ、私は。」


 俺の前に立つ女の子の声に、俄かに心が騒いだ。

 鼓動がテンポを上げ、焦りが俺の口を動かした。

 

「大木さんは、ダメじゃ無いっすよ。」

 

 何がダメか、とかはもう考えず、とにかく大木さんの自嘲を否定する。

 うまく頭が回らないが、とりあえず否定が必要だと、声を上げる。

 

「あっ、うん。ありがと、そうだね。もうダメじゃない。

 けど、いっぱい褒められて、私にもできることがあるって気づいたけど、まだまだなんだね。」

 

 俺の言葉に、背を向けたまま大木さんが呟く。

 小さな背。腰の帯の緑にふと目が向く。

 あれこれと考えて、どうでもいいところに目が向いて。

 何を返そうかと考えている間に、大木さんは次の言葉を繋いでいた。

 

「本当はね、私がなんとかしてあげたかったんだ。

 筒井君には本当に良くしてもらったから。」

 

 ゆっくりと肩が上下する姿が目に入る。

 あぁ、うん。俺のせいで悲しくさせたのか。

 本当に、どうしようもないな、俺は。

 

「でもねぇ、うん、悔しいなぁ。」

 

 悔しがることなんて、ないです。

 俺はあなたにそんなふうに思ってもらえるほど、大した男じゃないんです。

 そう言おうとして、それでも口が動かない。

 それでまた、自己嫌悪が一枚俺を包む。

 そして、そんな感情を抱かせる大木さんにすらそのマイナスな感情が向きそうになったところで、彼女がこちらを振り返った。

 日が沈み始め、灯りが灯り始めた照明がこちらを見つめる瞳にゆらゆらと揺れていた。

 

「悔しい。けど、しょうがないからさ。だから。」

 

 瞳から伝わる、俺を圧倒するエネルギーのようなものに気圧されて不意に背筋が伸び、薄く口が開いた。

 夕暮れの中、目の前の女の子の着る浴衣の黄色のせいか、視界の中で彼女が随分と眩しく見えた。

 

「だから、ここは譲ってあげるから、スッキリしたらまた話してね。」


 その言葉と共に、大木さんの視線が俺から外れる。

 俺から外されたその光に釣られて動いた俺の視界に、一人の男の姿があった。

 少し伸びた髪、俺と同じくらいの背丈に火に焼けた腕。

 七分丈のパンツとTシャツのラフな姿、大木さんの姿に比べればあまりにも見覚えのある姿。

 古賀が、呆れたような顔で俺を見ていた。

 

「面貸せよ。」


 縁日の雑踏、周りにはいくらでも人がいるのに、もっと大きい声も行き交っているのに。

 古賀のその声は、周りのどんな音よりもしっかりと俺に聞こえてきた。

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