57 呼び止められた
「ね、なんかあった?」
声をかけられたのは登校日、学校ですれ違った時だった。
たまたま同じ廊下を逆向きに歩いていた大木さんとすれ違うときに挨拶をしてすれ違った後、腕を掴まれていきなりそんなふうに言われた。
小さな体から見上げられてのその声に、つい体が硬くなってしまう。
大木さんは、小さい。
バスケ部の中でもそれなりに高い方にある俺と比べて、ではなく、普通に女子の平均的な背の高さと比べても小さい方だと思う。
そんな大木さんが、俺の肘をつかみ、声をかけてきた。
機嫌が悪いかもしれない人間を止めて声をかける。
俺に置き換えれば、2メートル半ばのガチムチ野郎の体を掴むようなものだ。
はっきりいって、俺だったら絶対しない。
それでも大木さんは俺に声をかけてきた。
そんなに今の俺はひどい顔をしているのか、なんて思ってしまう。
「あー、ちょっと男同士の間で色々あって。」
どちらともとれるような、ギャグの引っかかりになりそうな言い方で薄く笑いながら言う。
これで腐れ方向にでも話を振ってくれれば話を途中で切ることができそうだと思ったのだが、どうもそう上手くは行かないようだ。
じっと、大木さんが俺を見上げてくる。
真っ赤なフレームのメガネをはさんで見える目からは、いつものようなおふざけは感じられず、ただ真摯さだけが俺に伝わってきた。
かすれた笑い声が出てくる。
何が楽しいでもない、ただ場を無音にしたくないための雑音だ。
ごまかしは効かない、それが言動ではなく視線の熱で理解できた。
まぁ、これも、一つの経験か。
俺は笑い声をため息に変え、自分の弱さをこの優しい友人に吐くことに決めた。
「終わった後、ちょっと話せる?」
「うん、私はとくに予定無いから。」
「ごめん、大木さん。
ちょっと弱音聞いてもらえると助かるかも。」
お互い教室への道程だ。
あまり長々と話すもんでもないだろう。
掴んでいた肘を離してもらおうと、スマホに連絡を入れる旨を伝えると大木さんはいかにも不満です、という顔をしながら一時的に了解をしてくれた。
遅れてしまった移動を取り戻すため、早めに足を進ませて自分の教室へ移動する。
開始時間はあと2分。
いつもの席に座ると、ついため息が出た。
「危なかったな。」
「おう、まぁ遅刻はしてないからオッケーよ。」
「だな。」
話しかけてくれる古賀に応える。
俺の返しも、いつも通りに話せているような気はする。
ただ、それでもお互いどこか無理をしている気がする。
俺の勝手な親切の押し付けなのか、それとも実際に取り繕っているだけなのか。
多分、夏休み前なら普通に聞けたんじゃないだろうか。
今は、なんか無理かも。
出校日とはいえ、長期の旅行に行ってたり、体調不良で来れない奴もいるため、席は歯抜けだ。
それでもぎりぎり半分以上はクラスに出てくるやつはいて、すでに肌が黒くなり始めているやつや、髪色が変わっている奴もいた。
学校にいない限り話すこともないやつの近況を知ることができたのは少し楽しいかもしれない。
周りでは旅行の話や課題の話で沸いている。
元とクラスの男子が話している話題は、タイムライン上に登っていたアトラクションのもので、夏休み前なら喜んで飛び込んだ話だろうに、どうも元に話しかけられない。
あの後、アプリを消したことを誰にも言ってはいないし、そのことを元に聞かれてもいない。
ただ、こうなんというか、つい避けてしまう。
目を逸らす形で別の場所を見れば、そちらは古賀が社会人バスケの話をしていた。
そっちなら、とも思うのだが、どうも上手に古賀にも話しかけられない。
あっちには何かあれば謝ってしまいそうで、駄目だ。
そうやってまごまごしているうちに、先生が教室に入ってくる。
委員長の号令。
起立、礼、着席。
どこか懐かしく感じるそれを、先生は眩しそうに目を細めて見ていた。
「はいありがとう。
何人か連絡あった人以外は皆さんいますね。
幸いこのクラスは大怪我をしたとかはないようですし、里帰りをしてる子とそれに付き合う子達も事故にはあってないようです。
既に夏休みの残り期間も少なくなりましたが、先ずは皆さんが健康でこの時間を過ごせることを祈っています。」
健康か。
バスケをできる、飯は食う。
怪我はしてないし、風邪だって引かなかった。
なんの傷もない、筈だけど。
今の俺は、健康なんだろうか。
いっそめまいや動悸のようなはっきりした異常があって、不健康だと言ってくれる方が望ましいように思えた。
「ちなみに先生は市議会の議長をしてる田舎の父がVtuberになるって言い出したので家族総出で止めに行きます。
できれば皆さんも私の成功を祈っててくれるとうれしいです。
では、資料とプリント、そして出席者限定のこちらのカードを貰ってかえってください。」
さ、帰るか。
ぼうっとしたまま教室を出て校門を通り過ぎ、二個目の信号を過ぎたところで大木さんと話すと言っていたことを思い出した。
やばい、とそう思い、来た道を帰ろうとしたところで視界の下端に映る黒い髪に動きが止まる。
目線を下に向けると、俺が待ちぼうけをさせたんじゃないかと思った女の子がそこにいた。
「あ、すみません、ごめん、大木さん。」
頭を掻き、口から謝る言葉が勝手に飛び出る。
その間も大木さんは俺をじっと見つめていた。
メガネ一枚挟んだ瞳は俺の目をしっかりと捉えていて、少しだけ目線があうが、どうも恥ずかしくて俺の目は大木さんを外し、隣の地面に向けられた。
大木さんはなにも言わず、そのまま立っている。
チラチラと彼女の顔に目線が向くが、その度に目が合ってしまい、俺が目を逸らす。
「あのさ。」
どうしたものか、なにをいえば良いだろうか。
もう一度謝ろうとしてしまったその時、大木さんの方から声がかかった。
「話って、ここで聞いても大丈夫そう?」
結構大胆だね、と続ける声に、顔が思いっきり赤くなる。
確かに、今俺が居るのは普通に通学路。
たまたま人が少ないとはいえ、男女で向き合っているのはその、あまりよろしくないだろう。
「ごめん、あんまり人いないところの方がいいな。」
「了解!
いやいや、実は落ち着いた感じのお店を見つけてさぁ。
一人で行くのはちょっと、って感じだったから嬉しいなぁ。」
感謝だねぇ、と笑いながら言ってくれる大木さんにどこか申し訳なさを感じながら、一緒に歩く。
視界の端でぴょこぴょこと動く帽子だが、ぼうっと歩いているとそれすら時々視界から消えてしまう。
思い浮かぶのはあの光景。
俯く佐藤先輩の恨めしそうな下からにらみつける目。
頭を下げ、席を立つ古賀。
記憶が目をふさぐように、あの場面が目に浮かび、俺の視界から大木さんが消える。
ぐ、と奥歯に力が入る。
明るく、元気な大木さんが少しだけ恨めしく思えてしまいそうになってしまう自分を何とか抑えようと必死だった。
夏休み、誘われた時にはあれだけ嬉しかったのに。
今だって嬉しさは確かにあるのに、それを取ろうとする手が何枚も手袋をつけたように、うまくその嬉しさを自分のものにできないもどかしさがある。
溜め息すら吐けない凪いだ不調が神経にダメージを与えてくるような感じだ。
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