56 消した

 元の鞄からは、基本的になんでも出てくる。

 モバイルバッテリーや充電器はよく借りるし、ハサミとかテープとか、以前詞島さんが巻き尺を借りていた時なんかはちょっと大木さんとツッコミを入れてしまったくらいだ。

 そんなよくわからんものを持っているやつである、古賀の顔を拭く濡ティッシュくらい簡単に出せるに決まっている。

 歩きながら、ティッシュを渡すと、それで顔を拭く古賀。

 何度か顔を拭いて、涙の跡が目の赤さだけになったところに差し出されるビニール袋。

 それにティッシュを入れれば、無地のハンドタオルを古賀に渡す。

 至れり尽くせりな奴だ。

 

 鼻を啜り、それでも漏れる鼻汁をタオルで拭う古賀。

 大丈夫だろうか、そう思うが、なぜだろう。

 俺も不思議と、今ここで解散して、古賀を一人にしようという気にはならなかった。

 古賀は、何をいうわけでもない。

 俺たちに対する恨み言も、佐藤先輩に対する執着も。

 それでも古賀は元の背を追って行く。

 

 古賀を放ってやる気になれない自分を不思議に思い、元に目をやる。

 たまたまこちらを振り返っていたタイイミングで視線がかち合う。

 俺の困惑に気づいたのだろうか、元は薄く笑みを浮かべると、小さく頷いてくる。

 本当に、よくわからない男だ。

 女の子と長い時間一緒に居続ければ、こういった相手の気分を察する力が長けて来るということなのだろうか。


 そうやって歩き続け数分。俺たちが降りてきたあの駅の近くへ戻ってきた。

 目的地をそう言えば聞いていなかったと気づいたが、詞島さんからコインチケットをもらって云々言っていたことから、ゲーセンかとアタリをつけた。

 どうやらその考えはあっていたようで、駅近くのアミューズメント施設、その一階にあるコインゲームのフロアに俺たちは足を踏み入れた。

 たくさんの筐体から、音が飛び交っている。

 周りにはそこまで人はおらず、いたとしてもみんな自分の目の前の硬貨にしか興味がないようで、俺たちを見る視線はない。

 店員さんが一度こちらを見た以外には、俺たちを気に留めるような視線はどこからも飛んではこなかった。

 

 ノロノロと、古賀が歩き出し、とある台の前に座る。

 よくある、右と左からコインを入れてプッシャーで落としていく。

 そんな普通な筐体だ。

 それの真ん中に座り込んだ古賀に驚いて元の方を見る。

 あちらも俺を見上げ、小さく頷いて古賀を指差した。

 これは、わかる。

 先に座っとけ、ということだろう。

 

 元に頷き返し、古賀の右手側に座る。

 じっとガラス越しにプッシャーを見つめる顔は、部活中には見ることもない様な複雑なものだった。

 何を言ったものか。

 どうしたものか。

 そもそも古賀のために、俺は今日何をできただろうか。

 考えれば考えるほどに俺の気持ちも沈みそうで、腕を組んで無理やり背筋を伸ばす。

 横を見ると、背を丸くしたせいでいつもとは違う位置に古賀の頭があって、どうもしまりが悪い。

 

「なぁ。」

「ん?」

 

 どうするかな、と視線を右上にやると、古賀から声がかけられた。

 声に震えはない。

 なんだったら、いつも教室で聞くような調子で、声の大きさ以外は本当にいつも通りだ。

 

「悪かったな。」

「何がだよ。」

 

 問いに、答えは無い。

 ここでお互いに笑い合えるようならそれで終わり、なのだが古賀は視線を下にむけ、また黙った。

 俺も笑う気にはなれなくて少し座る向きを変え、足を組む。

 別に拒絶感とか、悪い雰囲気とかではない。

 ただ、今は何かを言うよりもこうして近くで座っているだけの方がいい気がしていた。

 

 そうこうしているうちに、元がケースにコインを貯めてこっちに来た。

 俺の前に、古賀の前に、そして元の前に黒いプラバケツが置かれる。

 開始の合図もなく、俺は自然にコインを取り、レールにセットする。

 しゃらしゃらと硬質な音をたて、コインが波に飲まれ、一枚も上の台から落とすことなく終わった。

 俺に続けて元もコインを投入する。

 そっちも同じく、落ちることはなかったが上面のコインが少し埋まり、床の見える面積が減った。

 無言で、俺と元はまたコインを取る。

 会話は無く、コインの流れる音が続く。

 パチンコ屋のように、うるさい当たり音にロールドラム、キャラクターの声がないまぜに跳ね回る中、指先で聞くコインの音だけは綺麗に耳に入ってきた。

 

 男三人で一面だけ使ったコイン落とし。

 話すことはなく、元が交換してきたコインがどんどん筐体に飲まれる音だけが続いた。

 増えて、減って。

 全く動こうとしない古賀の前に置かれたバケツ、そこにあったコインも俺と元が途中から使い、気づけば一時間。

 元のバケツは空で、俺のコインは最後の一枚。

 チャリン、と音を立てたコインは山と盛られたコインの上に落ち、最初の一枚と同じく一枚たりとも落とすことなく、その役割を終えた。


「終わったな。」


 たっぷり二十秒。

 無言の時間の後、古賀がそう呟いた。

 

「うん、終わりだ。」

 

 誰に言うわけでもない言葉を元も呟き、コインを入れていたバケツを返してくる、と席を立った。

 席には俺と古賀の二人。

 端に座っていた元がいなくなったせいで少し温度が下がる感じがして、空間に隙間が空いた感じがした。

 コインを入れるわけでもなく、ギリギリのやつが落ちるのを待っているわけでもない。

 はっきりと業務妨害になりそうな俺たちだが、店員さんは放っていてくれたのは本当に幸運だ。


「バケツ、返してきたよ。」


 そう言い、戻ってきた元。

 手にはスポーツドリンク。部活でよく飲む、慣れ親しんだ五〇〇㎖のペットボトル。

 反射のように古賀と俺は受け取り、自然に蓋を開けて飲む。

 甘くて、酸っぱくて、少し苦い。

 水分が染みるような気がして、気づけば涙が少し浮いていた。

 ずひ、と古賀が鼻を啜る。

 あぁ、本当に終わったんだな、そう思った。

 

 そこからは、どこをどう歩いたのか、どうやっても思い出せない。

 ただ、どこだったかの駅で俺は北向けの路線、元と古賀は南向き。

 ホーム前の階段で別れ、ぐちゃぐちゃになった思考のまま、俺は気づけば帰宅してベッドに倒れ込んでいた。

 着替えることもなく、いつもの枕カバーの感触を指先に感じ、目を閉じる。

 目を瞑ったのは一瞬だったと思うのだが、気づけば日は沈んでいた。

 無意識にエアコンのボタンを押していたようで、目を覚ました時には部屋はきちんと冷えていた。


 時間は夜八時。

 昼寝から覚めたにしては夜に近い時間だ。

 ふと、握ったままだったスマホに着信があったことに気づいた。

 二人分の通知で、矢印で開くと先に元のメッセージ。

 俺が必死に堪えて、眼を剥く横であっさりと無表情に先輩とやり合っていた姿が思い出されて、気づけば奥歯を噛み締めていた。

 元以外では大木さんたちとのちょっとした画面共有をすることもあるので割と使っていたアプリ、それを長押しし、表示されたポップアップからアンインストールを選ぶ。

 ウィジェット画面から消去されたそれに、少しだけのスッキリと、じわりと浮かぶ後悔。

 それに目を瞑り、通知画面を再度見る。

 いつも使っているメッセージアプリには古賀からのメッセージが来ていた。

 

『ありがとな』

 

 アプリを開くまでもない、通知画面だけで読めてしまうその五文字を読んだ時、俺の目から涙がこぼれてきた。

 本人じゃあない、俺自身が失恋したわけでもない、なのにこれだけ勝手に感情を乱されているのに。

 俺にメッセージを送って来てくれたことに、申し訳なさと罪悪感が湧く。

 なんて返すのがいいのか。

 むしろ返さないほうがいいのか。

 スタンプを探し、貼り、消し、また探し、貼り、消す。

 何を言ってやればいい、必死に脳を動かすも、溢れる涙で画面が見えず、鼻から溢れる鼻水としゃくり上げる喉でうまく思考が回らない。

 震える指で、これでいいのか、必死に考えた言葉を打ち込んだ。


『おう、また明日な』

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