55 カッとした

 古賀が待っているところは、俺たちがいるコーヒーショップからしばらく細かい道を歩いた先にあった。

 元はもともとその場所を知っていたようで、先輩の先導がなくても迷いなく足を進めた。

 目的地に到着するタイミングで俺たちは先輩に追いついた。

 喫茶店、長方形と半円を組み合わせたような可愛らしい形の木のドアで閉じられたそこは、イーゼルに乗った黒板がなければ気づかないようなひっそりとした佇まいだった。

 佐藤先輩が先に入り、続いて元、最後に俺が入る。

 後ろ手に閉じる金具は滑らかで、たくさんの人たちがこのドアを開き、そして閉めたことが感じられる温かな物だった。


 入ってみて目に入った店内は思ったよりも広く、賑やかだ。

 いくつかの肩ぐらいまでのパーテションで分けられたテーブルの他にも、大きな丸いテーブルにカウンター、色々な人間が色々な形で利用できる場所が設けられている。

 あちらでは勉強をする人が、こちらでは少し声を抑えめにして会議をする人が。

 それぞれのスペースで、和やかに時間を過ごしていた。

 そんな中、奥側のパーテションで区切られた二人がけのテーブルに、古賀は座っていた。


 入ってきた先輩を見て、動きを止める古賀。

 いつものような笑顔も、先輩を見るたびにかけてきた声も聞こえない。

 ただ、眉をよせ、口を引き締めて入口の俺たち、いや、先輩を見ていた。

 案内の人はいないようで、先輩は古賀の席へそのまま向かう。

 俺たちもそれに続き、先輩と古賀が座る席の近くに座った。


 ブレンドティーを二杯、俺と元で頼んで近くの席に座り、聞き耳を立てることにした。

 注文はすぐに消化され、俺たちの目の前には濃ゆい青で模様が描かれ、金の線が入った高そうなカップに入れられた紅茶が並ぶ。

 ただ、緊張と苛立ちでその匂いを楽しむことはできそうにない。

 じっと濃紅な色を見つめ、元の後ろに座る二人に意識を向ける。

 ジリジリとした時間が流れ、カップから立ち昇っていた白い湯気がその勢いを殺した頃、古賀の声が聞こえた。

 

「ここ、懐かしいっすよね。」

 

 少しだけ震えている。

 声のトーンはいつものあいつらしい軽いもので、それでも言葉の端々が細かく揺れていた。

 必死に出したのだろうその言葉に、佐藤先輩は心当たりがないのか首を傾げた。

 

「バイト帰り、先輩がそこの席に座ってて。

 終わったのは一時間前なのに、まだいるんだって。

 すげー勇気出して、初めて話しかけた場所です。」

 

 古賀にとっては大事な場所で、大事な思い出だったのだろう。

 ただ、相手にとってはそうではなかった。

 今まで忘れていたということだろう、罰が悪そうに先輩は目を膝に落とし、体を少し縮こまらせた。

 

「結局ここでお茶したのはその一回だけで、それから後はバイト先で話したり、もっと近くのファミレス行ったり。

 財布忘れて、たまたまチャージしてたICで払って助かったこともありましたっけ。」


 声に険はない。

 ただ普通に思い出を話しているように聞こえるが、それでもどこか声色は透けている感じがする。

 無理をしていると、俺ですらわかる。

 仮にも恋人だった佐藤先輩には、俺以上に古賀のやつの苦しみを理解できているのだろうか。

 どうか、そうであってほしいと無意識に俺は祈っていた。


「勉強を教えてもらったことも、お勧めされて髪切ったことも。

 一緒に美術館に行って、先輩から嬉しそうに絵のこと教えてもらって、作ってもらった弁当に本当に嬉しくて、使い捨てていいって言われたパックも洗っちゃって、そう言うもんだって教えてもらって。」

 

 佐藤先輩からは、何も返ってこない。

 古賀だけが話している。

 楽しかったこと、失敗したこと、嬉しかったこと。

 俺たちが古賀に自慢されたこと以上のイベントが、古賀の中にはあったんだろう。

 それを、こんな形で聞かされている。

 大切に開陳された思い出話、それが古賀の口から語られ、しばらく。

 不意に古賀の口が止まる。

 何も言葉が交わされない時間が二人の間に唐突に訪れた。

 話を切ったのは、古賀。

 そしてその静寂を破ったのもまた古賀だった。

 

「俺は、ダメだったんですよね。」


 声が震えているのが明らかにわかるほどに、揺れた。

 いつも元気で、軽くて、おちゃらけてて。

 部活生が疲れてる時も笑わせてくれて、クラスの男子が沈んでる時も最初に笑い声を上げてくれて。

 初めて聞いた、聞きたくなかった声が元の席越しに聞こえてくる。

 

「なん、っ…………う、っ……俺っ!」

 

 肩が震えている。

 無表情に、とても怖い元の顔越しに見える古賀の背が小刻みに震えている。

 鼻を啜る音以外には何もない。

 周りの音は、まるで環境音のようで、人の声もラジオの歌も、何か遠い音にしか聞こえない。

 

「お願いします。」

 

 ずひ、と一際強く鼻が啜られた。

 いっぱいいっぱいなことが伝わってくる。

 声を出すのも辛いだろうに、言葉は聞きづらくなんかなくて、逆に耳を塞ぎたくなってしまう。

 

「このままじゃ、駄目なんす。

 俺は、先輩が好きなんです。」

 

 体を震わせ、古賀が状態を折り曲げる。

 ポタポタと、喧騒で聞こえないはずの水滴の音が痛いほどに耳に飛び込んできた。

 

「お願いします。俺を、ちゃんと振ってください。」

 

 頭を下げる古賀に、飛び出しそうになる俺を元が肩に手を置き、抑えた。

 元はいつものような、いや、それ以上に凪いだ表情で虚空を見ていた。

 そのまま、十四秒。

 カフェの喧騒と切り離されたかのような無言の空間が古賀の座るテーブルにだけ降りていた。


「すみませんでした。」


 何にむけて?

 どこにむけて?

 傍観者でしかない俺にはわからない、ただ、佐藤先輩がやっと放ったその一言の言葉に込められた別離の意思だけはしっかりと伝わってきた。


「ダメな彼氏で、すみませんでした。」


 テーブルに両手をつき、もう一度大きく頭を下げる古賀。

 伝票を取り、レジに向かう姿は何かにあたるでもなく、ふらつくでもない、しっかりとしたものだった。

 ありがとうございました、のレジの声に軽く会釈して応えると、カウベルを鳴らし、古賀は店の外に出た。

 カフェの中は、人が一人いなくなっただけ。

 もう数分もすれば他の人間が入ってきて、元に戻るんだろう。

 ただ、古賀が一人いなくなっただけで。俺にとってこのカフェが随分空虚になってしまった気がする。

 じっと、一口もつけていないジュースを睨んでいたが、視界の端で元が立ち上がったことでその目線を外すことができた。

 伝票を持ち、歩き出す元の背を追いかけ、俺も椅子から立ち上がった。

 

「さぞ良い気分なんでしょうね。」


 佐藤先輩の近くを通る時、そう声をかけられた。

 言葉の意味を理解した途端、視界が一気に狭く、赤くなった。

 こいつは、俺に、俺たちに、何を言っている?

 怒りと言うよりも憎しみだろうか、ドロドロとしたとてつもなく熱く汚ならしい物が湧いたような気がした。

 もし一人だったのなら、俺は間違いなく一秒後にはテーブルを蹴り倒し、その女を殴っていたかも知れない。

 だが、そうはならなかった。

 肩に回された手が、俺が後ろに向こうとする動きを止めてくれた。


「まずは、右足から。いける?」

 

 ぐるぐると渦巻く感情に対し、あまりにもいつも通りな声色がギャップとなって俺はこくりと頷き、右足を一歩前に進ませる。

   

「はい、次左。な、もう大丈夫。」


 言われるままに、左を出す。

 ポンと、軽く優しく叩かれた肩。その慣性を始動の力に、重い足が動かされた。

 不思議と足は止まることなく、そのままカフェの出入り口に向かう。

 レジの横を抜け、ドアを押し、カウベルを鳴らして外に出る。

 空調の効いた店内とは違い、太陽を元気に照らし返すアスファルトの道路は驚くほどの気温差を作っていた。

 数少ない道を歩く人には汗を拭う人もいて、夏の明るさと暑さが色を際立たせる。

 その中で、ぼうっと立ち尽くす古賀はとても浮いていた。

 声をかけるべきかどうかすら俺には思い付かず、開けたドアが閉じた音を背中越しに聞くまでドアマットから動けずにいた。


「ほら、入って来たい人の邪魔になるよ。」


 そう声をかけられて、あ、すいません、なんてつい答えながら立ち位置を横にずらす。

 ほんの少しだけ疲れた顔をした元がそこにいた。

 立ち尽くす古賀の姿に、悲しそうに少し眉を顰めると、俺の腰をポンとたたき、古賀に向けて歩き出した。

 隣に俺たちが立つが、古賀はぼうっとしたまま立ち尽くしたままだ。

 涙の跡をそのままに、真っ直ぐに前を見ているタッパのある男子高校生。

 そんな奴の肩に、元は手を回した。


「さ、付き合ってもらおうかな。せっかくルカからもらったコインチケットだけど、これ明後日で期限切れそうなんだ。」


 明るくて、聞きやすい。

 そんな声色の言葉に連れられ、俺と古賀は元に促されるままに足を進めた。

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