24 驚いた
「はー。」
夏休み初日朝十時。俺は木の門の前にいた。
城にあるような何メートルも高さがあるようなやつではない、時代劇なんかで見るような塀より少し高いちょっと立派な感じのやつだ。
塀のところについている鉄の板にはなんか達筆な感じで「詞島」と浮き彫りされている。
住所的には間違いないし、名前もあってる。
ただ、これが万が一違うところだったらやばいよな、という恐れのせいで門の柱に備え付けられたインターホンを押すのに俺は躊躇していた。
押した瞬間、顔にごっつい傷を持ったサブさんとか呼ばれるのが似合いそうなおっさんが刃物持って飛び出して来ないだろうか。
そんな妄想によってインターホンを押そうとする俺の意志は中々湧いてこない。
門の前に立ったまま二十秒ほどぼうっとしていると、スマホに着信が来た。
「はいもしもし。」
『なにやってんの、さっさとボタン押しなよ。』
「え?見てんの?」
『見てるよ、てかもうそっち向かってるから、ちょっと待ってて。』
ジャリジャリと足音が近づいてきて、門の横のドアみたいな部分が開く。
私服の元がちょっと呆れたような顔をしながらそこにいた。
「本日は、お日柄もよく。」
「似合わないよ、なにやってんの。
ほらさっさと入って、暑いんだから。」
「いや、一般人がいきなりこんな門叩くとかそうはできんぜ。」
「え?そんなもん?」
「くっそそういえばこいつ詞島さんと付き合い長いんだった。」
「大木さんはノータイムでインターホン押したがったらしいけど。」
「あの人はもう、なんなんだよ。
俺と同じ一般人枠の反応しててくれよ。」
肩を落とし、元の開けてくれたドアから後ろをついていく形で敷地に入る。
門から玄関までの間に庭みたいな空間があることがまずびっくりだ。
調度品的なものは見当たらないが、木とか花とかは綺麗に手入れされていて、とても上品な感じだ。
玄関への石畳を歩き、元が玄関の引き戸を開けると真っ直ぐな廊下が続いていた。
一般人が考える武家屋敷、というやつそのままな感じだが、建物から感じる雰囲気は静かで重く、ただ居心地の良さそうな空気を感じた。
「大木さんは昨日から泊まり込んでるから朝ごはんは食べたけど、シュウは何か食べてきた?」
「お、おう。
一応食べてきたからよ、朝は。」
「そっか、それじゃすぐ始めようか。」
琵琶湖と文字がプリントされた下に富士五湖の絵が描かれているTシャツと色褪せたジーンズの、いわゆるラフな姿の元がとてもよく手入れされた廊下を自分の家のもののように歩く姿に違和感を感じながらもその背を追って歩く。
木が張られた廊下はチリ一つ見つからないし、歩いていても軋む音は全然しない。
語彙力がないせいで形容しづらいが、詞島さんの家であることがなんとなくわかる、上品な家、というのはこういうものだろうかとヒシヒシと感じた。
廊下を曲がって二つ目の襖を開ける元、クーラーが効いているようでひんやりとした空気が中から漏れていた。
大きめの座卓と床の間に飾られたそれなりの量の小さなキーホルダー型ぬいぐるみ、それ以外には小さな棚に収められた和室にはそぐわないPCやゲーム機があるぐらいで男の部屋にしては荷物の少ない部屋だなという感じだった。
部屋の真ん中に置かれた座卓には既に詞島さんと大木さんが着いていて、お互いスマホやタブレットに校内サイトの課題を写しているようだった。
「筒井さん、おはようございます。」
「おはよう、筒井くん!」
「お、二人ともおはようございます。」
長い黒髪をゆるく三つ編みにして前に垂らす詞島さんと、ラフな格好の大木さんについ吃ってしまうが、耐性が未だに少ない俺には仕方のないことだろう。
家の中、オフということで少々だらけた感じの大木さんはちょっと距離感が近い感じがしてドキドキするし、勉強しやすいように髪をまとめている詞島さんはどことなく艶があってもっとドキドキする。
「シュウは朝食べてきたっていうから、このまま続けようか。」
「了ー解。数学からやろうとしてたけど、筒井君何か終わらせてたのとか、先にやりたいやつある?」
「え?いや、俺は特に。」
「じゃぁ予定通りいきましょうか。桃ちゃんと元が居れば安心ですね。」
「はいはい、それじゃ各自解いて詰まったところで聞く感じで。」
元に座布団を勧められ、そこに着いて荷物からノートと筆記具を出す。
答えはテンプレートに記入して送信するとしても、途中式の検算などで必要ということで持ってきていた。
「時間決めて、と。そんじゃあ一時間区切りで。」
はいスタート、と気の抜けた開始宣言で四人で課題に着手する。
グループアプリで暗記物だけは分割で、それ以外の数学と記述は各々でということで決まっていた通りに進めていく方向に変更はない。
「ごめん、元。
二問目まではいいんだけど、三問目になると数値が変になっちゃって。」
「んー、二問目がちょっと違ってるね。綺麗な数値だけど、算出の時に移項が漏れてる。
そっからやったら少し変な数値が出るけど、三問目はそっちの数値使えば綺麗に合うよ。」
「なるほど、ありがと。」
「元、この文章題って見る場所ここであってるか?」
「あ、筒井くん。
それ一回解いた後の結果が必要になるタイプのやつだから例題として出されてるやつで解かれてないやつも解かないと後々つながらないよ。」
「はぁ!? なんだよそれ、頭おかしいだろ!」
「等、ってつけながら一つ解いてないのがいやらしいよねぇ。」
「数学の先生、絶対楽しんで作ってるよ。」
「え? どこどこ?」
「ルカ、まずは落ち着いて。
二問先だから。」
四人いるんだから四人で別々にやって後で写せばいいじゃん、というふうに考えていたのだが解き方を知らないと後々面倒なことになる、というアドバイスは確かに間違いなさそうだ。
夏休みの後、定期ではないが直ぐにミニテストをすると部活の先輩から聞いてはいたが、その詳細は教えてもらえなかった。
こう言ったいやらしさを含んだ試験問題が多いとなれば、夏休みの課題で先に経験しておかなければ引っかかったに違いない。
しかし、やはり先輩方もひっかかったことに対していらつきのような物があって、それを後輩にも経験させて溜飲を下げていたりするのだろうか。
来年、俺だけはきちんと後輩にちゃんと解かないと後々面倒だぞと教えてやろうと心に決めた。
あっという間に一時間、元が七割、大木さんがなんと九割課題を済ませるというとんでもない速さで問題を解いていた。
因みに俺と詞島さんに至っては三割越えるかどうかといったところだ。
数学的なセンスというものの差をとてつもなく感じる結果である。
アラームと同時に俺と詞島さんはグデッと机に突っ伏した。
「つ、疲れた。」
「元ー、お茶入れてー。」
「はいはい。」
「筒井君もお疲れ様ぁ。結構頑張った!」
量を解いているはずの二人が元気で、なんとかやっていた俺と詞島さんの方にダメージがでかいのは何故だろうか。
詞島さんに差し出した後、俺の分も入れてくれた麦茶に口をつける。
冷たい飲み物が喉を通ると、肺から疲れを含んだ空気が吐き出された。
「あ“ー、美味い。今何時?」
「十一時半、少し早いけど昼食べて休んでから他の教科やろうか?
後は物理と古文以外は記号問題が殆どのやつだし。」
「あ、私昼食よりも物理先にやりたーい。」
「私もそちらに一票で。」
「うん、了解。
シュウはどう? いける?」
「おう、後一時間頑張れば山一つ抜けられるってんならやるぜ。」
「おっけ。それじゃあ俺トイレ行ってこようかな。」
「まったまった、俺も行きたいから連れてってくれ。」
了解、と返す元の後をついて詞島さん宅のトイレを借りに向かった。
正直、少しわくわくしていることは否定できないまま、元の背を追うのだった。
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