18 感心した
いささか善意というにはキツすぎる
「筒井君筒井君! 見てよあれ! わざとらしく半額のシールが貼られた花輪とかあるよ! 右のやつとか全部造花だし! さっすがヘッズのみんな! 弄りには全力だよぉ!」
笑いをこらえる俺の隣で一分近い大笑いの後、ヒイヒイと呼吸にも事欠くような有様で大木さんはやっと笑いを収めることができた。
周りにも何人かいるご同輩に当たるだろう方々は大木さんの笑いを生暖かい目で見るか、いないもののように扱うかのどちらだ。
ただ両方ともチラリとこちらを見ると公民館に併設されたホールへの入り口に向かって行った。
「大木さん、笑いすぎ。」
「んふ、んふふ、ごめん、ちょっと他の人と話せたのとライブに来れたのとでテンションあがっちゃって、不意打ちで来たから思いっきりツボに入っちゃった。」
もちょっとまってね、との言葉の後、帽子を顔面に押し付けて笑いを堪える大木さんを眺めていたが、ひとしきり笑って満足したのか、少し涙を浮かべた顔の大木さんが顔を隠していた帽子の下からあらわれた。
笑いすぎで赤くなった顔で涙を拭う姿に、どきりとすれば良いのだがそんなものを感じることはできず、仕方がないなぁ、という疲れとほのぼのとした諦めが浮かんできた。
「あー笑った、明日になったら無くなってるかも知んないし、写真撮っとこ。」
「俺が撮ろうか?」
「あの幟と一緒に? それはちょっとごめん
「確かに。」
笑いをおさめた大木さんと二人連れ立って、改めてまばらな人の流れに乗る。
入り口のやる気のないお兄さんに大木さんがスマホを見せると、どうぞとコンサートホールの入り口とは少し方向の違うロビー方面への扉を開けられた。
促されるままその扉を潜ると、待合ホールの一角を占拠する形でパーテションで区切られた一角があり、その中では各種グッズがテーブルの上に並べられていた。
「結構グッズあるな。大木さんは何を?」
「えっとね、セトリのブックとタオルと、後は適当に日付刻印のバッチとかかなー。後手渡しは……うん、このAの二番の飼い猫のステッカーでいいや。」
「なるほど、ん? この曲カードって、なんか安くね?」
「あ、ほんとだね。えっと、ライブ特別ご奉仕価格だって。マネさんが今朝書いてたみたい。私も知んなかった。」
「ちょっと嬉しいな、これは。」
大木さんに聞かせてもらった曲のカードは後で買うので、おすすめだと言われた曲。後動画サイトで再生数でソートして上にきた三曲くらいを選ぶ。これでまとめて千円行ってないのはほんとに凄いと思うのだが、サービスがすぎないだろうか。
ご新規獲得用だとしても、そもそも新規の人が来るとは……あぁ、布教用か。
何枚か俺に聞かせた曲のカードを取る大木さんに納得が行った。
「で、その、あいつだよな?」
「うん。」
お互いに買うものを決め、プラカゴに放り込んだ後のレジに向かおうとする俺達だが、その前に少しばかり足を止めていた。
手渡しコーナーと手作り感あふれるポップが書かれた一角に座り込む太めの男に視線をやりながら大木さんに確認を取る。
既に並んでいる人たちと手元のカンペのようなものを何度も往復させながら、言葉を口ずさんでいるその姿に、今日はやめとこうか、なんて言いそうになってしまう。
「確か、ベースの人だったっけ?」
「うんそう。三番さんだね。」
名前で呼ばれても嫌な思い出しかないから番号の方がまし、だったか。
ちょっと、いやかなり可哀想に思えてしまう。
今までクラスメイトを出席番号で呼んだことなどないし、その方が良かった記憶なんか俺には無い。
チラリと見えた顔は確かにそこまで整ったものではない、それでも一見で不快感を抱かせるようなものにも思えないのだが。
「んじゃあ行ってくる。で、えっと大木さんのチケットは?」
「あぁ、これ、スクショ禁止だからそのまま持ってって。サインはAの二番ステッカーでお願いね。んで、これ。」
「何この紙袋。」
「こっちからのお渡し禁止は書かれてなかったからね。」
渡してこいと、なるほど。
「んじゃ行ってきますわ。」
スマホと小銭を渡され、がんばれ、と小さく言われて何を頑張ったものか困りながら二人ほど並んでいた列の後ろに並ぶ。
メジャーではない分ファン側もモラルが高いのか、ニュースや動画で見た握手イベントにいたような引き剥がし係はいない。
コーナー入り口の制服を着た警備員だけなんだが、大丈夫なんだろうかとこちらが心配になるくらいだ。
「あの、頑張ってくださいっす。」
「あ、はい、ありがとうございます、はい。あの、お名前どれに。」
「あ、これで、っす。」
渡す方、渡される方がどっちも恐縮しているようなやり取りが二回、全く同じ言葉で続けられた。
お互いに気を使い合うとミスになることを経験した俺にとっては少し苦い気持ちだ。
気を遣われたことに気づいて気を遣って、それを繰り返す。
もちろんその根本は他人への気遣い、思いやりなんだろうがやはり傍目から見ると少し滑稽で悲しいものだ。
「す、次の方、どぞ。」
レジの列から捌ける人に頭を下げながら見送る三番さん。
俺に目を向けると少し驚いたように目を開き、目線をほんの少しだけ逸らしながらそう言った。
自罰、謙遜、予防。色々な感情があるのだろうが、少しばかり覚えがある。
クラスの中心、明るく元気なあいつらに対する俺の感情も強弱の違いはあれどこんなもんなんだろう。
「Aの二番のステッカーに、サインはこの子の名前でお願いします。」
「は、はい、わかりました。」
「それと、すみません。『俺が好きだと言ったって』の楽曲カードに俺宛てにサイン書いてもらうことってできますか?」
その俺の言葉に、跳ね上がるように顔をあげる三番さん。
その瞬間、初めてきちんと目が合った。
「え、えっと、その、あの、彼女さんのお付き合いで来たんじゃ……」
俺の目を見てもらえたと思ったのはほんの数秒、すぐに三番さんは目線を左右に散らし、俺の顎とか首あたりを見ながら三回ほど「ごめんなさい」を挟み、俺にそう言った。
彼女じゃないですよ、とかいきなり何なんすか、とか。
答える選択肢はいくつか浮かぶ。この感覚はあれだ、コートのちょうど良い場所でパスを受けた時のあの感覚に近い。
なにやったって良いし、どこにだって通せる。
指先に少しだけバスケットボールのあの感触がした。
「途中で曲、聞かせてもらいました。」
少しだけ元や大木さんの話し方を真似する。
あいつは時々話し方のテンポを変える。大木さんも似たような感じで伝えたいことだけをしっかりと装飾なく投げてくることがある。
落差というのは、話でも大事だということを感じたものだ。
「俺は好きです。」
曲の盛り上がりがとか、演奏技術がとか。
突っ込める場所や直して欲しいところ、もう少し欲しい部分は何個かある、けどそれはこの場で俺が言って良いことじゃないと思う。
俺が聴いて思ったこと、それだけを言う。
多分この場はこれが良いような気がする。
「は、ぅ……」
俺の言葉に、震える指を何度か胸の前で組み替え、左手で三番さんがカードを取った。
「あ、あの、お名前。」
「筒井です。漢字はこう。」
「ありがと、ござます。」
スマホに表示させた漢字を見せると、三番さんはそれを参考にぷっくりした指でサインペンを動かし、カードの表面、バーコードの書かれていない方に大きくサインを書いてくれた。
続いて大木さんの要求したステッカー、そっちにもサインを書き始める。
じっと指を見る。
サインをするステッカーを抑える指、その腹はチラリと見えるだけで凸凹に歪んでおり、指の節もところどころ肥大している。
バスケ部、ガチ組の先輩が指にテーピングをしているのを見たことがあるが、その時と同じような努力の痕がそこにあるような気がした。
「ありがとう、ございました。」
ステッカーとカード、グラム数にすれば五〇gにも満たないはずのそれを受け取る。
紙二枚の上に置かれた形のない何かが受け取る俺の指先にずしんとくる。
開けては閉じ、閉じては開けを繰り返した唇から絞り出された感謝の言葉は、その裏に何を言おうとしていたのだろうか。
「ありがとうございます、これから他のも聴きますね。
これ、あなた達のファンの女の子からです」
そう答え、大木さんからお願いされたものも渡す。
もらったものに目を白黒させながら、再度頭を下げる三番さんに小さく頭を下げてその場を離れた。
「お帰り。見てたよーこの色おとこ。」
「何だよいきなり、男にモテても嬉しくないって。」
「わかってないなぁ、筒井君が男にモテることで筒井君以外の人たちが幸せになることだってあるんだよ?」
「ここは、怒って良いところだよな?」
「はい、その通りですすみません。」
頭を下げる大木さんに苦笑し、購入テープの書かれた封筒に入ったステッカーを渡す。
俺のカードも同じように封をされていて、これは外に出るまで開けないで欲しいとのことだった。
そのまま二人連れ立ってレジを抜け、ライブ会場である公民館を後にする。
空調の効いた空間から離れ、少しだけ汗が滲む感じがする。
「ライブは明日だっけ?」
「うん、今日は今日であるんだけど私が取れたのが明日だからさぁ。」
「そっか。」
「お、行ってみたい?」
「あぁ。できればな。」
素直にそう思う。
動画越しでも感じられたあの感情は、生でみたらどんな風に見えるんだろうか。
「今回は箱が小さいのと管理の問題で完売らしいからね。今日も明日も当日券は無いんだって。」
「そっか、残念だな。」
きちんと人には受け入れられているじゃないか。
なら、幾らかは胸を張って欲しいものだ。
そう思い、もう一度入り口を見る。
幟が一つ、微風で揺れていた。
今度があれば、そんなことを考えて踵を返す。何となく、気分が良くなった。
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