16 汗に気を付けた
少しだけ日差しが強く感じる道を、出来るだけ影を踏んで歩く。
いつもなら気にもとめないことだが、万が一にでも汗くささを感じさせてしまった場合、取り返しのつかない減点になるだろうということは想像がつくからだ。
愛読書、モテ仕草万葉集に記述されていた。あはれなるものの欄。
『汗の臭いは一度気になると事ある毎に擦られる』
通学の途中、俺の二倍くらいの占有面積を必要とするおっさんの近くにいた時のあの地獄を思えばよくわかる、というものだ。
「今日どこ行こっか。」
「アタシ金ないよー。」
俺の隣を逆方向に歩いていく女の子たち、少しばかり鼻に厳しい香りだが、汗臭いよりは確かにはるかにマシだ。
いつもより多めに胸元を広げ、背中も広げ、じんわりと浮かぶ汗をパタパタと空気の流れで蒸発させる。
そんな涙ぐましい努力をしながら、ゆっくりと汗を引かせる休憩を挟んで俺は目的地に辿り着いた。
時間は、集合時間の四十五分前。
かなりゆっくり来てこれだ、俺がどれだけ気合を入れて時間前から出発したのかがわかるだろう。
あまり通らない駅前、土地勘のない場所なのでキョロキョロとあたりのコンビニを探す。
クーラーと日陰、そしてこの場所が見えるのならさらに良い。
最悪、百円くらい出してファストフード店でも可である。
そう言う風に待ち合わせ場所を監視しながら待てる場所を探していると、隣から声がかけられた。
「兄ちゃん、ずいぶんおめかししとるのぉ。」
いつの時代のおっさんだよ、ついでに地方も違うだろ。
そんなツッコミを脳内でしながら、声のした自分の左側を見下ろす。
白い帽子に何個かの缶バッチがついているのが見えた。
「ほー、ねーちゃんこそきっちりめかしこんどるやんけ。」
こちらを見上げ、大木さんがニヤリと笑う。
それに応え、こちらも口の端を上げる。
ゆっくりと大木さんに正対すると、今度はあちらも俺を向く。
改めて見る大木さんは、随分とその、可愛らしく見えた。
大きめの上着と布のバッグ、ダボっとした感じが小さな大木さんをさらにコミカルに、可愛らしく見せてくる。
よく見れば帽子だけではなく、鞄の方にもバッジが何個か付いていた。
いわゆるオタクっぽい服というものなのだろうか? とはいえ、こうしっくり来る。
「えっと、おはようございます。」
「あ、どもども、こちらこそ。」
俺の挨拶に大木さんが答える。お互いに頭を下げ合うが、身長差のおかげか大木さんの帽子が動くのが見える。
犬の耳みたいなのが帽子についていて、お辞儀とともにそれがぴょこんと動くのも小動物みたいで、大木さんには似合ってるなと、そう思えた。
「んふふ、でも筒井君早く来過ぎ。」
なんだよ緊張してんのかー? と言いながら俺の腕を軽く叩く。
あまりにも軽い触れ合いと大木さんの雰囲気に、つい顔が緩む。
この子はクラスでもこう言う風に色んな人の懐に飛び込んでいくんだろうか。
「それ言うなら大木さんもだろ、女の子なのに。」
「はぁ!? 私が化粧する必要もない童顔だとでも言いたいの!?
訴えるよ! ついでに女子に言いふらすよ!」
「ごめんなさい。」
「よろしい。」
怒る声も、跳ねるような動きもこちらを責める雰囲気をかけらも感じさせない。
人に好かれる人というのは、こういう人なのだろうか。
こちらを見る目にかけらも悪意が見られないのは、本当に才能だと思う。
「んじゃ、早いけど行こっか。それとも時間までどっか寄るつもりだったりした?」
「あー、いや、何もないです。そっちに合わせるつもりだったんで、はい。」
一度やりとりをして、少しだけ落ち着いた精神が不意に沸く。
今、俺は女の子と一対一で話をしている。
脳裏によぎるのは数々の
そう、まずするべきは女の子の前に立ち、頼り甲斐のある背中を……
「今日行くところなんだけど、
モテタブーその二項四条、知ったかだけは絶対するな。
「いや、ないな。というか公民館? そこでグッズ販売してんの?」
初手から躓いてしまったことは悔しいが、タブーを踏まないのは行動するよりも優先されるはずだ。
芒鳴の知名自体は今俺たちが集合場所に選んだこの都心から少し言ったところの市だった筈だ。
そう、そのくらいは知っているが、そのくらいとも言える。
「うん、公民館でのライブだからそこに行かなきゃなんないんだー。
私の取れたチケットは明日だからライブは明日でね、今日は一日目限定のグッズだけ買うつもりなの。」
「ふぅん、けど、それで何で俺? ライブの物販だったら入場制限もあるだろうし、男手が必要なぐらい買うの?」
「あはは、そこまでは買わないかなー。あのね、物販自体は入場規制は無いの。購入も一緒にチケットを持つ人がいればOKなのね。」
「へー、随分緩いんだな。」
「うん、でね、やってほしいことはね、メンバーの売り子さんからグッズを買って欲しいの。」
二人で別れて改札を通り、すぐに合流する。
元のやつにゆっくり歩く練習をするように言われてたが、なるほど、これは大事だ。
大木さんは結構気を使うタイプに見えるし、俺の歩幅に合わせてもくれるだろうが、負担を押し付けることになるのは目に見えている。
なかなか有意義なアドバイスだったぞ、元。
そんな俺の努力の結果、俺の右の大木さんはゆったりとした歩き方で一緒にペースを合わせて電車に向かうことができた。
「売り子、に男? 何それ、殴り勝たないと買えないものがあるとか?」
「割とバイオレンス!? 違う違う、えっとね、メンバーの人の社会復帰のワンステップとして自分たちのグッズを売るようにマネージャーさんに命令されてるのね。」
「メンバーが?」
「メンバーが。」
おいおい随分とロックじゃないか。
面白くなってきやがったぜ。
「でね、この前のSNSでやっと人の前に出れるようになったって報告があったんだ。」
「なるほど、ん?」
はて、と少しの疑問が浮かんだ。
さらっと流しているが、結構おかしくないか?
「そいつら、ライブしてんだよな?」
「ネットでね。」
「配信しかしてなかったのか?」
「そそ。そんな彼らがリアルで全国行脚ライブ! どこで失踪するか賭けられてるレベルなんだよねー。」
引きこもりを無理やり外に引き摺り出したのかよ、鬼だな企画の人。
「えっと、何だっけ。あ、そうそう。
んでね、メンバーが売り子をしてるんだけど、まだ女の子が半径二メートル以内に入ってくると緊張で過呼吸と不整脈になってぶっ倒れるから、絶対近づかないでください、って厳命されちゃってるんだ。」
「すげえな、バンドするやつなんて女にチヤホヤされたいからやってるんだと思ってたわ。」
「んふふ、筒井君も結構言うねぇ。」
手を隠すほど長い袖を口元に持って行き、大木さんが笑う。
笑うことで少しだけ動く帽子はその先の耳のような、あぁもう耳でいいや、耳とバッジを動かし、コミカルな印象を俺に与えてくる。
身振り手振りを交えて俺に説明する姿は何というか、本当に楽しくて仕方ないんだと言うことを俺に伝えてきてくれる。
この子はいい子なんだな、ふとした瞬間にそう感じさせてくる。
改めてじっと見ようとした瞬間、ホームに電車が入り込んできた。
気付かれる前に意識を切り替えられたことに、ちょっと安心する。
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