03 握手をした

 表情というものを殺した表情を顔に貼り付け、古賀が席を立ってクラスを出ていった。

 方向からして男子トイレだろう。

 きっと泣くわけではないとは思うが、なんとか精神を持ち直してもらいたい。

 一方の俺も、心の整理を必死につけていた。

 どこか見下していた真面目君に、彼女がいた。

 しかも美人で、写真から見るにお互い楽しそうに笑い、抱き合っている。

 いきなり立ち上がって歩き出した古賀にびっくりしたような山上に、俺は問いを投げた。


「ヒョが……古賀が、悪い。あの、山上さんはどれくらい長い付き合いなんすか。」


 想像以上にカサカサに乾いた上に、小さく絞り出された自分の声に、我がことながら少し引く。

 人名を吃るなんて何年ぶりだろうか。


「さん、って……えっと、琉歌とは幼稚園からかな。」


 愕然とする俺の中に、山上の声が響く。

 言葉の意味を理解して、また驚愕。

 仲の良い幼馴染、そんなのが本当に存在したのか?

 子供の頃からの付き合いを続けている異性なぞ、周りには存在しなかった。

 高校に来る前の中学でさえ、付き合っては別れ、最終的に先輩に彼女を取られたやつも多かったのだ。

 

 それが、目の前の男は幼稚園以来の付き合いを続けているという。

 改めて、机の上に置かれたスマホに表示される写真を見てみた。

 均整のとれたパーツと配置で、十分以上には美人に見えるその造形。

 化粧っけの薄い顔ながら、凸凹もなく、シミそばかす、変色やシワもない、きれいに整えられたなめらかな肌。

 脱色などしたことが無いのだろう艶やかな黒髪。

 ピースサインをする指先にも肌の荒れやゴテゴテとした装飾はなく、派手さはなくとも艶やかだ。

 少し目線を下にすると、カーディガンを羽織った白いワンピースの胸部は豊かな盛り上がりを見せ、しかし腰のくびれがはっきりと見て取れる。


 控えめに言っても素晴らしい美人だ。

 こんな女を幼稚園以来誰にも渡すことなく付き合い続けている目の前の男に、俺は敬意と恐れを抱いた。


「クラスには、いないよな? 同い年か?」

「ん、二組。」

「彼女いるのに昼は一緒にしないのか?」

「いや、そんないつも一緒にはあんまり。ときどきはするけど。」

「え、好きなんだよな?」

「好きだよ、ずっと。」


 ふと、脳内に浮かぶのは中学時代のクラスで話されていた恋愛話。

 ——一緒にいないと心配。

 ——目を離すと誰と一緒にいるかわかんない。

 ——別の先輩に声をかけられて、移ろうか迷ってる。

 ——はぁ!? 私がじゃなくて、あいつの方が私を好きなだけだし、別に私は好きじゃない!

 中学生らしい恋愛会話、そんなことを喋っていた男女のクラスメイトの顔を自分には出来ない恋愛をしている大人なものだと思っていたのだが、そいつらの顔が今目の前にいる山上の顔に並ぶと、なんというか“軽く“見えた。


「あー、なんか凄いなお前。いやマジでなんか尊敬するわ。」

「?」


 眉を寄せ、本気で俺が何を言っているのかわからない、という感じの山上に、先ほどまでとは違う敗北感を感じた。

 誠意を持って人と付き合える人間は、こういう重さを備えているものなんだろうか。

 ふぅ、と胸に溜まった処理しきれない感情を息と共に吐き出した。

 ぐちゃぐちゃになった情緒を一旦そのまま箱に入れ、俺は目をスマホに表示された写真から目の前の先駆者に向けた。

 もちろん、輝くような笑顔から視線を外すのには死ぬほど苦労したが。


「考えてみれば、いきなり彼女見せろとかアレだったわな、すまん。いや、でもまじ美人なのな。」

「ううん、別に隠すことでもないし、自慢はしたかったから。」

「ちょっとは恐縮するか謙遜するかしろよ。」


 スマホを閉じて仕舞う姿にちょっとばかりジト目になりながら、俺はチラリと廊下側を見る。

 古賀はまだ帰ってきてない、今のうちだ。


「ところでよ、お前の彼女さんにフリーの友達とかいない?」


 ずい、と肩を寄せながらの俺の言葉にキョトンとする山上。

 いきなり紹介を依頼されたことに驚いたのか目を丸くしていたが、クスリと笑みを吐くと、握り拳を口元に持っていき、続く笑いを抑えるように肩をゆらした。


「ん“んぅ。 いや、どうだろう、わからないけど聞いてみるよ。クラス別だし、ひょっとしたら良い子が居るかもね。」

「マジか! いや助かるわー、うちのクラスはほら、アレだし。」

「うん、それはまあわかる。」


 お互いに特に合わせる必要もなく、目だけで周りを見る。

 俺と山上、あと二グループほどの男子。

 そう、女子は一人もいない。

 お隣の国から来た兵役経験者で武道有段者で外交官の息子の崔=京。鼻ぐらいまで前髪を伸ばし、二ヶ月以上経った今でもどんな顔をしているのかわからないどころか、一度も目を見た事がない大瓜 集。北欧から来たどこぞの王家の血を引くとかいうパブロ・フォン・なんたら、通称ジョンの三人との昼食で、クラスの二十名ほどの女子は全員いなくなっているのだ。

 こんな状態で、クラスの女子との交際を望むほど俺はイカれちゃいない。

 だからと言って他クラスの女子なんかなおさら接点がないのだ、そこに垂らされた蜘蛛の糸に飛びつくのは当たり前だろう。

 事実、俺ら以外の男子もクラス外でいい女の子がいないか探し始めている。

 

「とりあえずよろしくな、あと、筒井君ってのはやめてくれ。シュウで良いよ、なんか変な痒さを感じちまう。」


 そんな俺の言葉に、山上は少し呆けたような顔をする。

 落ち着いているように見えるが、割と表情豊かだな、なんて思った。

 しかし、そんなにあだ名で呼べって言葉が驚くほどに友達がいなかったのだろうか。

 あぁ、まぁ見た目大人しげな体格良い真面目陰キャだしな。

 あれ? そんなやつに彼女いない歴で負けてる……?

 やめよう、この思考。

 多分死にたくなる。

 

「そっか、ありがとう。それじゃぁよろしく、シュウ。俺も元でいいよ。」


 残念ながらあだ名みたいなのはないんだ、なんて言いながら、元が伸ばした手を握ってみる。

 俺の割と失礼な思考を知らないが故の柔らかな笑み。

 握った手は割と暖かめで、硬い手だった。


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