二章 うたげすすんで ひがくれて
00 思いをはせた
ビールの注ぎ方を教わったのは何かの漫画からだったと思う。
社会生活を皮肉りながら笑いにする少年漫画の一場面で、上司に対するおべっかの一つとして取り上げられていたそれが不思議と頭に残っていたからだった。
覚える気がないはずのどうでもいい知識の方が脳に残っているのは、誰にでもあることなんじゃないだろうか。
俺の場合、それが社会に出ても役に立つものだったのは、運がいいってことなんだろう。
大学の飲み会で、会社での歓迎会で。
上役に対する礼儀というのは面倒だなと思いながらも、結果的に物事がスムーズに進む。
そう。今日、今のこの場もその中の一つだ。
「うんうん、そうだよね。ルカを好きなのにルカを泣かすなんてもう信じられないよね。」
「ずひっ、でも、やっぱりいつもはちゃんと、ひぐっ」
「うんうん、そうだよね。山上君はいつだってちゃんとルカを好きだもんね。」
話の合間に喉が渇かないように、血中アルコール量を一定以下にしないように。我が彼女様の前にある空のジョッキにビールを注ぐ。
泡とビールの割合を間違えてはいけない。
そして何より、ぬるいビールにならないように注文のタイミングはよく考える。
初めてみるクラフトビールで粘度の違いによる注ぎすぎや泡立たせすぎに気をつけ、自分の役割に没頭した。
「うんうん、でもやっぱりルカが許してあげると、やっぱり元はものすごく嬉しいと思うんだよ。」
「そう、っングっ、私、わた、えへへ」
「うんうん、私たちも頼ってもらって嬉しいけど、やっぱりルカの隣は元がいいよ。」
「う、んんぅ。で、でも、うう“ぅ。」
「うんうん、そうだよね。ルカを好きなのにルカを泣かすなんてもう信じられないよね。」
(入ったな。)
(うん、流石は桃ちゃんだね。)
向かいに座る男装の麗人、
彼女と目があった瞬間からそっと足の甲に添えられ、チョンチョンと存在をアピールするヒールの感触に、体ごと我が愛しの彼女に向かいながら先ほどよりも丁寧にビールを注ぐ。
ゆっくりと外される中足骨へのギロチン、いや、杭打ちに、ほっと胸を撫で下ろす気分だ。
何はともあれ、こうなればもう大丈夫だろう。
詞島という女は結論の出ない話を延々続けるような女ではない。
にもかかわらずの今回のこれは、いわゆる甘えさせて欲しいと言う俺たち友人に向けてのポーズにすぎない。
元と一緒にいればそれだけで十分なはずが、時々溜まりに溜まったストレスを発散するようなおれたち友人グループとも繋がりを求めての無軌道な行動。
実は詞島の甘えを受け止める、という行為をさせる事で高校生活から常日頃助けられている俺達の罪の意識を軽くするためのものではないか、なんて感じてもいる。
まぁ、だとしても構わないと思わされてしまうあたり、随分絆されている。
甘えてもらえることが嬉しい、なんて面と向かっては言えないが、俺達に共通する意見だろう。
対等でいたい。
もらった分だけ返したいという思いは、いつだって持っているのだから。
さて、愚痴のループもパターンに入り、終局が見えた今。
俺のお酌もペースと精度を緩める事が許されるので、ポケットから未だ合流を許されていない友人に連絡を入れた。
『そろそろ話を聞いてくれそうだぞ』
超速で既読マークがついたメッセージに、あと十分といったところかと目算を立てる。
スマホをポケットに収め、目線を戻すそんな俺に、対面のガチ百合製造機が左手に五本、右手で二本の指を立てる。
なるほど、どちらが近いか勝負だな。
ところでごめんよマイハニー。痛みを感じるギリギリの圧で踏むのはやめてくれ。
握る指の感触は素晴らしく滑らかで、本当に天国にいるみたいなんだが目に見えないテーブル下の感触はやばいくらい怖いんだ。
できるだけ柔らかくにっこりと微笑み、ピッチャーの烏龍茶を注ぐ。
呼び出されて、集まって、愚痴を聞いて、苦笑いして。家に帰ってバカップルの愚痴を肴にまた酒を飲む。
何度か繰り返してきた安心できるルーチンが今回も終わりに向け動くことに、家に帰ってきたような安心感を俺は感じていた。
そんな俺の名は、
俺をシュウと呼んでくれる愛する彼女にお酌をし、ここにいないやつも含めた友人に振り回されることに軽い疲れと頼られてる嬉しさを感じる、今考えるとキョロ充だった、陽キャを目指していた男である。
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