45 00:05 待機室
とりあえず陽奈がすっきりして、その上で竹田さんを見捨てていないと言うことを竹田さんは知れた。
そして私はといえば、原因を知りたいという欲求は既に解消されている。
もうやることなんかあんまりない、後はサービスゲームみたいなもんだ。
放って帰るのもありだけど、せっかくここまで来たんだ。
今日の夕飯を美味しく食べるために、心残りはここで消してしまおう。
「あはは、ついでにルカも連れてくれば良かったかな。」
肩が軽くなった気がして、ついそんなことを言ってしまう。
その言葉に、陽奈もちょっと笑い、ううん、と否定して私の頭を撫でながら応えてきた。
「ううん、桃がちょうど良かったよ。
言っちゃなんだけど、ルカさん目の前にしてあんなこと言われたらアタシもっと怒り狂ってたかもだもん。」
「それ、褒めてる?」
「……ごめん。」
「いや、答えろって。」
「ごめんなさい。」
「丁寧にしろって言ってないよ。」
くすくす、という安心する笑い声は私たちの間からではなく、リビングのテーブルにいる竹田さんのお母さんから聞こえてきた。
その声に目を向ける私たちに、怒られた子どものように体を震わせ肩を縮こませる。
もったいないなぁ、せっかく笑ったんだ、そのままでいいのに。
お前のせいだ、と頑張って腕を伸ばして陽奈のほっぺを摘む。
何するんだ、と言いたげな目で陽奈が私の頭を撫でていた手を下ろし、私の頬を摘んだ。
むむむ、とゆるい睨みあいが数秒。
先に手を離したのは陽奈だった。
「まぁ、いいや。
私はもう思いっきり話した。
後は、桃がやってあげて。」
そう言うと、陽奈は竹田さんのお母さんに頭を下げ、玄関に向かった。
吹っ切れたような軽やかな足取りが、その背中を少しかっこよく見せている気がする。
いや、実際にかっこいいか。
後でこの姿をグループにあげてやろうか。
両手で顔を押さえ、指の隙間から嗚咽を漏らすお母さんに頭を下げ、私は竹田さんの部屋の前に再度立った。
少しだけ空いているドア、その引き手に指をかける前に、ふと思いついた。
ちょっと無礼かな、とも思ったが。 まぁいいだろう、私被害者だし、と思い直し、引き手に向けていた指を少し上にずらす。
そうした指先がたどり着いたのは黄色地に黒文字でKEEPOUTの書かれたテープ。
接着力はそこまで強いものではないようで、ドアのでこぼこしている部分に貼られている箇所が少しめくれている。
そこに指を引っ掛け、思いっきり引っ張った。
パン、と軽い音。
それと同時に、テープはあっけなく剥がれた。
両手でこねるようにぐしゃぐしゃとまとめ、ポケットに入れる。
うん、ドアが軽くなった気がする。
再度足を踏み入れた部屋の中では、ベッドの上で竹田さんが壁に背を預け、両足を投げ出してぼうっと中空に目線をやったまま座り込んでいた。
表情は疲れているようだが、それでいて、最初に私が見た時に比べれば随分と色味が増していた。
ゆっくりとこちらに向く視線。
私と目が合うと、少し罰が悪そうにゆるゆると目をそらしてくるが、まぁいい、知ったことか。
私が使っていたせいで机から離れていた椅子を机にピッタリつけて収納し、ベッドに上がって竹田さんの横に座る。
あ、ちょっと汗臭い。
つい笑ってしまった私の顔を、真横から竹田さんは見下ろした。
「陽菜はさ。」
竹田さんの方は見ず、ベッドから逆側の壁に目を向けて声だけを届ける。
多分、今はまだ私の目を見られないような気がするから。
「私が学校出る時、急いで私に追いついてきたんだ。」
その言葉に、竹田さんがぴくりと反応した、ような気がした。
まぁ、気のせいだとしても構わない。
とりあえず、あの子のことを私の方からも教えてあげなければ。
「何も言ってないのに、竹田さんとこに行くって気づいたんだろね。
途中で私を引っ張って止めて来てさ、はぐらかしたんだけどだめだったんだ。
結局、そのまま私に着いてここに来ちゃった。」
あの子ったら、実はスマホも持ってない。
ここにくる途中に気づいたが、取りに戻るか聞いたが普通に断られた。
「だから、実は財布しか持ってないんだよね。」
一回学校帰んないとねー、なんて話してみた。
疲れてるのか、笑ってはくれなかった。
けどなんとなくだけど、意識というかこちらに向ける関心というか、そんな反応はさっきより大きい。
次は何を話したらいいだろうか、そういえば共通の話題がマジでライブ以外に思い浮かばない。
今からあのライブのグループ下手だったね、とか話してもいいんだろうか。
そんな感じでどうやって話を切り出そうかと考えていると、竹田さんが私の手の上に手を置いた。
握るわけではない。
ただ、壊れ物を恐る恐る触るように私の手の上に自分の手を重ねるだけだった。
多分、怖がっているんだろうなぁと言うのが感触から伝わってくる。
それがなんかすっごく可哀想で、愛おしく感じた。
日本人の大好きな、可哀想が可愛いってやつだな。
私は竹田さんの手をそのまま放置。
跳ね除けるでも握るでもない、そのまま竹田さんの好きにさせた。
陽光と環境音、暖かな沈黙が私たち二人を柔らかく覆った。
のんびりとした時間に、ついつい眠気を感じ始めた頃、桃、と竹田さんから声をかけられた。
「なあに?」
眠気の幕を払い、上下の距離が近くなっていた瞼を再度引き離す。
手の甲を掴む竹田さんの手の震えが、ほんの少し大きくなっていた。
「ごめんなさい。」
「うん。」
「ごめんなさい。」
「うん。」
「ごめん、なさっ!」
泣き出しそうな竹田さんの手を、手の甲を握られたまま握る。
私の掌に握られるのは指先だけ。
それはいつもネイルしていて、ケアもバッチリだったはずの竹田さんの指先だ。
ちょっとがさっとしていて、爪もあんまり綺麗じゃない。
だからだろうか、初めて生の竹田さんに触れられた気がした。
「もういいよ。
四回も、心から言ったのを聞いたら、私はもう充分。」
ちょっとだけ、握る手を強くする。
これからちょっと厳しいことを言うから、ほんのちょっとだけ、支えられるように。
「親とか、法律とか、世間とか。
色々言われるかもしれないけど、私はもういいよ。」
竹田さんの手が強張るのが分かった。
けど、その手を私はまだ優しく握る。
簡単に振り解けるその強さを、拘束でも最後通牒でもないと気付いたのか、強張っていた竹田さんの手が少し柔らかくなった。
ポツンと、私の指の甲に何かが落ちた。
「許してはないよ。
ただ、もう謝んなくてもいいってだけ。」
別に聖人ってわけじゃない。
こっちだって実は貞操の危機だったんだから、全部を無しよ、なんて無理な話だ。
ただ、悪因全てを竹田さんに押し付ける気もない。
つまり、なあなあで行こうぜってことだ。
あのお母さんがいて、あのお父さんがいる。
なら、きっとこのままでも大丈夫だ。
握る手をそのまま、私の隣から聞こえる鼻を啜る音としゃくりあげる声を聞いていた。
泣き声が消える頃、気づけば竹田さんは私の肩に頭を乗せていた。
自分より小さい体に頭を預けるのって、首痛くないんだろうか。
「ねぇ、桃。」
「何。」
「どうしたら、許してもらえるかなぁ。」
誰にかな?
どのくらいかな?
残念、私じゃ竹田さんの考えを全部わかってなんかあげられない。
聞くべきは、私より陽奈の方だったよ。
だから、わたしには答えられない。
「しんない。
んで、わかんない。」
軽く、朗らかに。
ただ決してはねのけないように。
私の声の色は、私の心をそのままに音になってくれた。
「そう。」
ぽつりと呟き、そうだよね、と続けて呟く。
やっといつもの声が聞こえてきた気がする。
疲れて、投げやりで。
それでもやっと竹田さんの声を聞くことができたと思えた。
「うん、だからさ。」
だから、多分大丈夫だ。
色々言われるだろうし、取り返しのつかないこともあるだろうけど。
「明日さ、学校来てよ。」
敵だけじゃないんだって、多分だけど伝わったと思う。
陽奈がいるし、まぁまだ大丈夫だって。
「難しそ?」
問いに対する答えは、少しばかり時間を必要とした。
握って、緩めて。
何度か私の手にそんなことをして、やっと竹田さんは口を開いた。
「お願い。」
「ん?」
「お願い聞いてくれたら、いけるかも。」
ほう、こんな時に頼むか、欲張りさんめ。
我、被害者ぞ?
ここで泣き喚いたら一〇〇:〇でそっちの非になるぞ?
まぁ、優しい私はしないけど。
「保証人にはならないよ。
お金は人間関係を破壊するんだから。」
「しないよ。」
鼻を啜る音と同時の返事。
私がわざとらしく吹き出すと、竹田さんもへへ、と笑った。
「で、何?
金銭的じゃなければ聞き流してあげてもいいよ。」
渾身のギャグだったが、小さく笑われただけだった。
ううむ、この家に来てから私のギャグが軽く扱われすぎている。
山上くんなら大爆笑するか精神を抉るようなツッコミを入れてくれるのに。
竹田さんを見つめる私の視線に、横を向きながらチラチラとこちらを伺い、竹田さんは口を開いた。
「名前で呼んで。」
「え?」
竹田さんの言葉に、私は馬鹿みたいに聞き返すことしかできなかった。
と、少し赤面して血の気の戻った竹田さんの横顔を見て思い出す。
そういえば私は竹田さんのことをそう言うふうにしか呼んでいなかった。
裕子も才加も、ルカも名前で呼んでいる中、竹田さんだけはそう言うふうに呼んでいた。
私なんかに名前は呼ばれたくないんじゃないかなんて思っていた、と言うこともあるのだがその気遣いが彼女に隔離された感じを持たせていたかもしれない。
ふと、そう思った。
「わかった、これからは清夏さんで。」
「さん?」
「もっと仲良くなったら、さんづけも消すよ。」
だから、学校に来て。
そういう思いを込めたつもりの言葉は彼女に届いたようで。
うん、と頷いた彼女は私に向き直り、少し震えながら口を開いた。
「わかった。」
短い言葉だったが、きっと勇気のいる言葉だったんだろう。
きっと、本気の言葉だ。
そう感じた私は、にひ、と笑うと立ち上がり、ドアに向かった。
開いた先のリビングでは、竹田さんのお母さんがタオルで顔の下半分を覆っていた。
泣いた顔が親子そっくりだな、なんて思いながら部屋の
まぁ、こんぐらいは
「また明日ね、清夏さん。」
ドアを閉め、置いていたカバンを背負って通路を玄関に向かう。
玄関土間に置いた靴を履こうとしたところで、パタパタと竹田さんのお母さんが駆けてきた。
泣いたままで動くのって辛そう、なんて思っていると涙でぐしゃぐしゃになった目をそのままに、笑顔で私に靴べらを渡してきた。
それを受け取り、ローファーを履いて靴べらを返す。
ありがとうございます、と私の言葉に、お母さんは深々と頭を下げ、ありがとうございます、と返してきた。
下げられた頭は、じっと動かない。
いいですよ、頭を上げてください、やめてください、色んな言葉が脳内を駆け巡るが、どれもしっくりこない。
きっと、何も言わないのが正解なんだろう。
そう思い、玄関のドアを開け、閉じる前に玄関を振り返る。
何かを言うのは無粋に感じて、ぺこりと頭を下げ、ゆっくりとドアを閉めた。
ふと目線を上げれば、太陽は中天に近く、青空はところどころに白い綿雲を湛えた快晴の青が目に入ってきた。
気づけばお昼を回る時間。
肩も胃も軽く感じて、学校に戻るのもなんか違う気がしたので、家に戻ることにする。
両親ともに仕事のため、一人しかいない家で制服のままゴロゴロと過ごす。
ベッドに寝転がり、レースカーテン越しに空を見る。
柔らかな太陽の光と、白い網越しの空が不思議と私に達成感を与えてきた。
翌朝。
夕方から山上君を対人練習に付き合わせ、八連敗後に六度目の屈伸煽りを受けてブチギレた私による怒りの物理的回線遮断とそれに伴うお開きが日付が変わった後だったため、眠い目を擦りそうになりながら頑張って登校する私。
ルカに教わった目を擦ることによる色素沈着を防ぐため、頑張ってウェットティッシュで目元を軽く抑え、目ヤニを包みとるだけに抑える。
あぁ、学校に着いたらまたクリーム塗らなきゃ。 思いっきり掻いた方が気持ちいいけどガマンガマン。
そんな益体ないことを考えていた私の視界に、今まさに教室のドアを開け、立っている竹田さんの姿が映った。
廊下は朝なだけあって、ざわざわと騒がしい。
しかし、私が今から入ろうとする一年二組の教室からは音が消えていた。
入ってきた竹田さんのせいだろうその静寂を気にすることなく、私は教室と廊下の
「おはよ、清夏さん。」
音が出そうな勢いで振り返る清夏さんの横をすり抜け、私は教室に入る。
なんだみんな、そんな静かにしやがって。
元気が足りんぞ元気が。
「おっはよー。」
クラス全体に向け、声をかける。
一拍空け、バラバラとクラスの友人たちから声が上がる。
うん。朝は、挨拶。
曙は私には早すぎる。
眠気で狭くなる視界に席をとらえることなく、いつもの感覚だけで席に着く。
机の横にカバンをかけて、椅子にストンと腰を落として、机に上体を倒して目を瞑る。
今日もいつもと変わらない、眠気に耐えて放課後を待ち侘びる一日の始まりだ。
あぁ、彼氏欲しい。
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