44 10:35 竹田家(リビング)
突然の乱入者に、竹田さんの目が丸く、大きく見開かれる。
私と陽奈がそれなりに仲が良いことは知っていただろうが、まさか一緒に竹田さん家に来るとは思っていなかったようだ。
さて、そんな意識の外からやってきた陽奈だが、一目でわかるくらいにはかなり怒っている。
「あんたどの口でそんなふざけたこと言ってんの?」
椅子に座る私を視界に入っていないかのように避け、ベッドに座る竹田さんの前に陽奈は立った。
いや、それはむしろ
「なぁ、なんで
あたしの方が誘いやすかったはずだろ?
桃はそりゃあ声かければホイホイついてくるクソ軽女に見えるけど、それでもあたしを誘った方が色々やりやすかったんじゃないの?」
高い位置から、陽奈が竹田さんに言葉を叩きつけている。
私があんまりしたくなかった強い言葉を使う方法での対話。
少なからず仲の良い間柄でしかできない、友達だけができるコミュニケーションだ。
うん、それは良いんだけど、私をディスらないと話せない病気か何か?
「ほら、言ってみ?
なんで、アタシを連れてこうとしなかった?
他のライブに行った事のあるアタシなら連れてきやすかったのに。」
ちょっと立ち位置を変える。
二人から少し距離を取り、入り口側に。
元々そこまで広くもない部屋なので気持ち程度だが、陽奈の背中に隠れて見えなかった竹田さんが見えた。
不謹慎だが、ちょっとワクワクする。
「分かってたんしょ?
碌でもないことになるって。
やっちゃいけないことだって。」
声の響きはすごく優しい、だから怖い。
皮一枚下に一体どんな猛獣が潜んでいるのかがわからない。
私自身被害者で気楽な立場ではないはずなのに、傍観できる位置にいることに優越感を感じつつ、目の前の修羅場に少しばかり興奮してきた。
そんな私を尻目に、陽奈が片膝をベッドにかける。
体重をかけても大した重さではないため、竹田さんの体制が崩れるほどではなかったが、近づいた陽奈に竹田さんは明らかに怯えていた。
「迷ったから!
アタシを誘わなかったんだろぉが!
アタシを! 連れてかなかったんだろぉが!」
溜めに溜めた激情の発露。
大きな声と、殺気にも思える気迫が部屋の中に吹き荒れた。
一気に距離をつめ、胸元を握り、陽奈が竹田さんに言葉を叩きつける。
それだけでは陽奈の気持ちは晴れなかったようで、掴んだ胸をそのままに、竹田さんは壁に押し付けられた。
私の位置からは、竹田さんの顔も陽奈の顔も遠間から覗くしかできない。
けど、あまりにも真剣で辛そうな二人の顔に、心臓がぎゅう、と締め付けられた。
先ほどまでの高みの見物を行えることによる愉悦など、あっさりと私の中から吹き飛んだ。
これは、だめだ。
多分、今だけは私がいないほうがいい。
なんとなくそう思い、私はゆっくりと下がり、陽奈の開け放していたドアから外に出て、そっと扉を閉めた。
黄色いテープ、閉められたドアはスムーズな車輪によって閉められたとは思えないほどに、重く見えた。
「あの、大木さん。」
ドアの前で、ぼうっと立つ私に竹田さんのお母さんから声がかけられた。
しかし、私は失礼ながらドアの向こう、何やら声はしているがもはや何を言っているのかの判別はつかない二人のことで頭がいっぱいだった。。
本当は私を誘った理由、どうしてこんなことをしたのか、いきなりいなくなられるとなんか私が悪いことしたような気になるからなんとかならないか、みたいなふわっとしたことを聞いたり話したりするつもりだったんだが。
陽奈があそこまで直情的だとは。
そんな風に混乱のせいで思索があちらこちらへ飛んでしまう中、視界に入ったままの心配そうな竹田さんのお母さんの顔に意識が向き、やっと声をかけられたことを認識した。
「あ、すいません。
なんでしょうか。」
放っておいた形になってしまい、申し訳ないと思いながら竹田さんのお母さんの方を見ると、リビングのテーブルにティーセットが置かれている。
一つは使われているようで、おそらく陽奈が使っていたのだろう。
そして、もう一つ。
使われてないそれは私のために用意されたものということのようだ。
お母さんに促されるまま、席に座らせてもらう。
カップにお茶を注いでもらい、芳醇な竜眼の香りにほう、と息を漏らすと湿らせるように口をつける。
じんわりと香りが喉を通り、腹に落ち、鼻に抜ける。
きっと良い葉っぱなんだろう、ただその香りを楽しむには私の意識が別に向きすぎていた。
目線は自然とドアに向いた。
考えるのは、竹田さんのこと。
さて、どこまで本当だったのやら。
竹田さんから教えて貰った情報では後関さんは竹田さんには手を出そうとしなかった、話からだけならそういう人に思えた。
だが、あれはあくまで竹田さんがそう思っているだけで、なによりそう思った材料は後関さんからの言葉だけにすぎない。
愛、大切。
あぁあぁ、素晴らしい言葉で綺麗な言葉だ。
だが、どうしてだろう、言葉の形ほど、今の私の心境は美しいモノを感じられていない。
特別だと、愛していると、どれだけ並べても今の竹田さんは一人で膝を抱えていた。
私が来なければ、陽奈がいなければ、竹田さんは昼前のこの青空の下、私が来た時のあのままだったに違いない。
ギリ、と歯が鳴った。
私がだんだん好きになってきた言葉を汚された気がした。
後関さんの存在が竹田さんを支えたことは事実だとしても、今の竹田さんの姿を見て良かったなんて思えない。
こんな結果を、認めてなんてやるものか。
ルカは、あんな悲痛な表情なんかしなかったぞ。
山上くんは、泣いてるルカの側にいつの間にか居たんだぞ。
ふざけるな。
理不尽で自分勝手な怒りと共に、じわりと眼窩が潤む。
「ごめんなさい。」
いきなりの言葉に冷や水をかけられたように思考が冷えた。
いかん、私の表情に竹田さんのお母さんが勝手にすごいダメージを受けてる。
竹田さんにも、お母さんにも今の憤りが向いているわけではないのに。
「ごめんなさい、あの子、あなたにあんな事を。
本当に、どうして」
柏手。
突然の破裂音に、竹田さんのお母さんが体をびくんと跳ねさせた。
想定通り、言葉を止めさせることはできた、のだが、どうも私の出した音がゴングになってしまったらしく、竹田さんの部屋からドスンバタンと音がし出した。
「やっべ。」
壁越しに竹田さんがいるだろう方向を向きながら、小さく、独り言を漏らした。
いや、マジで竹田さん達に殴り合いの合図をしたつもりじゃないんだよ。
ほんと、その、ごめんなさい。
まぁなんだ、若い二人だ。
きっと仲良くやってくれるだろ。
そうやって見切りをつけ、思考もニュートラルに。
視線を竹田さんのお母さんに向ける。
昨日、いやその前からどれだけ泣いたのだろう。
下瞼は赤く腫れ、頬も少しラインがおかしい。
ここ数日で随分と顔が変わってしまったに違いない。
周りを見回す。
いい家だ。
綺麗で、趣味のものがセンスよく飾られていて、生活感があって。
ここで暮らしている人たちはきっと幸せだったに違いない、そう感じさせられた。
だから、うん。
私はもういい。
ルカが言っていた、竹田さん次第ってきっとこういうことなんだろう。
怒りはある。
だから、ここまでだ。
辺りを見回していた目を再度竹田さんのお母さんに。
私の目から涙は引いていた。
後は、顔から怒りの力みを消す。
目を瞑って深呼吸。
ゆっくりと目を開き、竹田さんのお母さんの目をみつめて、少しだけ微笑んで首を縦に軽く振った。
伝わろうが伝わるまいが、もう私がすることなんかない。
言葉で許すなんて言わない。
ただ、突き放すように私は会釈した後、深く椅子に座り直した。
そんな私の行動に感極まったのか、お母さんはテーブルの上に置かれた今治タオルを取り、それに顔を押し付けて嗚咽を押し殺しながら泣き続けた。
居心地が悪くなりそうになりながら、不思議と座りの悪さは感じない。
そんなよくわからない状態のまま、既に冷めてしまったお茶を両手で持ち、ちびりちびりと唇を湿らせながらドアが開くのを待つ。
多分、実際には十分も経っていない。
しかし、気分的にはもっと長い間ぼうっとしていた気がする。
びちゃびちゃになったタオルは使いづらいだろうと、テーブルの上に置かれたティッシュ箱を竹田さんのお母さんの方に押し出したところで、ドアを開けて陽奈が部屋から出てきた。
男らしく歩幅を広げて立つその姿。
薄かった化粧が崩れ、涙の後が顔にはっきりと残っていて、服も全体的に着崩れている。
これ、二割くらいは私のせいでもあるのかな。
「ナイスゴング。」
「ごめんなさい。」
すみません、三割私が悪かったです。
椅子から立ち上がり、頭を下げる私に爽やかに笑いながら触れるだけのチョップをしてきた。
「まぁ、ぶっちゃけるとけっこうごちゃごちゃしてたから、助かったところはあるよ。」
「殴り合うのが一番的な?」
「近いけど、流石にそれを認めちゃうとね。」
んふふ、とお互いに笑い、私を見つめたまま口をひらこうとして、喉に何かが詰まったかのように呻き声だけが発せられた。
何となく、わかる。
ごめん、と言おうとしたのだろう。
自分が一番竹田さんと近かったのだから、と。
ただ、それを言うと今度は陽奈が安全な場所、悪くない立場から一方的に謝ることになり、陽奈が気持ち良くなるだけだと言うことに気づいているのだろう。
申し訳なさそうに何も言い出せない陽奈に、ひらひらと手をふり、気にするなと示した。
パシ、と軽い音がして私の右手に陽奈の右手がくっついた。
ふむ、ひんやりめ。
あ、手のひらちょっと荒れてるな。
「どうだった?
すっきりした?」
「まぁね。」
「あっちは?」
「まだ。
けどもう少しだと思う。
アタシにできることはしたから、後ちょっとは本当にごめんだけど、桃にお願いできる?」
自分だけすっきりして、最後は私に丸投げか。
私に任せることの不安さを知るがいい。
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