43 10:15 竹田家(清夏の部屋)
「何聞きに来たの。」
吐き出された声は、少しだけいつもの竹田さんで、ほとんどは知らないどこかのおばさんの声に聞こえるほどにガレていた。
言い合いをするだけの余裕は持っていてくれたようだ。
最悪の場合、陽奈には会わせられないと思ってたからそこまでは行ってないことに安心する。
とはいえ、さてどんなタイミングで会わせればちゃんと立ち直るきっかけになってくれるものか。
考え込みそうになる私に、竹田さんは続けて言葉を投げつけてきた。
「どうせまたどっかに呼ばれて、全部話すんでしょ。
ケーサツとか、親とか、先生とか。
そっから聞きゃいいでしょ。
もう私なんか見たくもないでしょ。」
そう言うと、竹田さんは抱いていた膝をさらに強く抱き、顔を両の膝の間に強く押し付けた。
その姿に、ちょっと安心する。
昨日、私たちに思いっきり謝って、そこから色々怖くなったんだろう。
そして、私に嫌われたがっている。
良かった、本当に。
私のクラスメイトは、本当の意味でのクズじゃあない。
「さっき竹田さんが自分で言ったでしょ。
私は、聞きに来たの。
又聞きの結果じゃない、竹田さんの言葉を直接聞きたくてここに来たの。」
そう、自分自身の納得のため。
ついでにスッキリして教室に来てくれれば尚良い。
別に悪いことなんかしてないのに、罪悪感がひどいんだ。
私の言葉に、反応はない。
ただ、無反応を続けるつもりはないのはこちらを見る目の色からわかった。
だから、言葉を続ける。
今はお互いに好き勝手言うターンだ。
「竹田さん、最後らへんどうしたらいいかわかんなくなってなかった?」
思い出すのはあのカラオケボックス。
何度も無理矢理にテンションを上げているように見えた。
私たちに話しかける前、言葉が出なくて後関さんを振り返る姿を何回か見た。
当時の私には気づけなかったけど、今の落ち着いた私なら気づける。
「私たち誘わせたの、あの後関さんじゃない?」
なんとなく、そう思ったことを言ってみる。
くだらないサブカル知識だが、事実は小説よりも愚なり、ということがよくあることは身に沁みて分かっている。
原因まではわからないけど、そう言うこともあり得るんじゃないかという私の言葉に、竹田さんはびくんと体を跳ねさせ、不健康そうな顔で私を見た。
パーツは疲れてたり汚れたりしてるのに、驚いた表情だけは私の記憶のままで、つい吹き出してしまう。
そんな私の笑いに嘲られたと感じたのか、表情が一気に嫌悪に歪んだ。
あぁ、違う違う、ごめんね、と謝り、キシリと背もたれに上体を預けて前のめりになり、竹田さんに少しだけ顔を近づけた。
「レディコミとかさ、寝取られものとかによくあるんだ。
チャラ男が彼女経由で女の子を引っ掛けて色々にゃんにゃんする展開。」
「にゃんにゃん。」
「ついさ、そういう知識があったせいでライブの時も市販の睡眠薬を溶かした色にジュースが変色してないか見ちゃったりね。」
「変色。」
「うん。
睡眠薬とか、オーバードーズとか知らない?
市販のオスクリはすぐわかるように着色されててね。」
私のオタ知識の開陳に、竹田さんが軽くヒキつつ目尻をひくつかせている。
流石にそこまでは考えていなかったのか、それとも実はちょっとは聞いていたことを自分の中で答え合わせをしているのか。
とりあえず、私がライブハウスでドリンクにスマホの懐中電灯を当てていたのは場の雰囲気に酔ってやらかしたインスタ映え用の行動ではないと言うことは理解してもらえたらしい。
「なんだ、疑ってたんだ。」
「そりゃね。
だって、あんまり遊んだことない子からライブ誘われるのって結構やばいって経験あったし。」
「経験って。」
「まぁ、ヤバさでは今回の方が上だったみたいだけど、頭の悪さならあっちも負けてなかったよ。」
正直思い出したくもないけど。
やばい匂いがしすぎて遠巻きにしてたら勝手に抗争にまでなりそうになっててガチでヒいたっけ。
殴り合い用に倉庫開けたうちの中学校ってやっぱりおかしかったんかなあ。
「まぁほら、色々あるから。
経験豊富な竹田さんならもっとすごい話あるんじゃない?」
ふふん、とちょっとメスガキ味を見せて、竹田さんを見る。
さっきからのやり取りで少しは口も回るようになってくれているんだ。
きっと返してくれるだろう、そんな私の思いに応えて竹田さんは少しだけ笑ったように見えた。
「ないし。
これでも、常識の範囲で生きてんの。」
友達売んのは常識かなぁ、とかツッコミ入れてやろうと思ったが、なんとか抑え切れた。
流石に私も言っていいことと悪いことくらいはわかる時もあるんだ。
「なんであんなことをしたのか、もう聞いていい?」
少しだけまとう空気が軽くなった気がした竹田さんに、私はそう問いかけた。
ちょっと早い気はするが、今なら聞いていい気がした。
「……」
しんと部屋の中に沈黙が満ちた。
部屋の外、鳥の鳴く声が聞こえる。
遠くでは車の走る音がする。
ふい、と目線をベランダに向ける。
遮光カーテンが部屋に入る光を閉じ込めていた。
立ち上がり、カーテンを開く。
視線を隠すための白いレースのカーテンのみを残して開けられた吐き出しは、今日の青空を陰鬱な部屋の中に流し込んできて、蛍光灯から発せられる光を追い出した。
振り返ると、陽光に目を細める竹田さんの顔が少しだけ明るくなっている気がした。
「先輩に、いつも支払ってるお金が足りなくなってきたって相談されたの。」
椅子に戻り、竹田さんの声を待つこと数秒。
竹田さんがそう切り出してきてくれた。
「しーくん、ランク低いから先輩のグループにいるのにもお金もかかるんだって。」
大学生にもなって友達料の徴収かよ、そんなツッコミが脳内に浮かぶ。
笑い話にしかならなさそうだが、全く以って笑えない。
そして、ランク。
その言葉にいやなものを感じながら、私はこちらを覗き込む竹田さんに目線で次を促した。
「しーくん、私を紹介しろって先輩に言われてたみたいで、」
よくあるやつか。
本当にため息しか出ない、いやまだ吐かない、我慢するけど。
人間の可能性は無限なのに、バカの可能性はサブカルのクソ展開に収束するのか。
いや、大学生がみんなこんなバカだって認めるのは結構
なんてったって一応目指している立ち位置だし。
女子大生というラベルは一度つけてみたいんだ。
「セイは俺の彼女だから、抱かせたくないって言ってくれて。
私、それが嬉しくて。
どうしたらいいか、話し合って、それで。」
話し合って、か。
二人の意見ってことにさせられたのかな。
しかし、こんなに上手く乗せられるなんて。
竹田さん、軽くっても頭が悪いのとは違うと思ってたんだけどな。
「本当に後関さんを好きだったの?」
自分の行動に言及するうちに自分が何をしたのかを理解し始めてきたのだろう。
声を震わせ、途中で口をつぐんでしまう彼女に、私は残酷な質問を投げかけた。
おずおずとと私を見上げる視線、きっと本当は当たり前だ、と言い張りたいのだろう。
だが、自分を省み始めた竹田さんはそんな嘘をつけなくなり始めている。
もう一度顔を膝に埋め、絞り出すような苦しそうな声で私の質問に応えた。
「わかんないよ、けど、しー君はあたしを特別だって。
大好きなんだって言ってくれてたんだもん!」
あぁ、そこか。
捨てられたくないとか、実は竹田さんも脅されてたとか、もう既に初犯じゃなかくて引くに引けなかったとか、色々と考えていたけれども。
良かった、そう思った。
もちろん、そんな安心感を表情には出さない。
私が安定しているだけならまだしも、余裕を見せようものなら竹田さんの精神にあまりよくない負荷を乗せることになりそうだからだ。
神妙な顔をそのままに、竹田さんをじっと見つめる。
彼女の顔がだんだん上がってきて、その声も強くなってきた。
「なんだよ!
いきなり仲良くなりやがって!
楽しそうにして!
あんなに仲良さそうにしやがって!」
震えていた手が、違う感情で小刻みに揺れ始めた。
つけ爪を外した手が彼女自身の肩を抱き、溢れ出る何か黒いものを抑えるようにカタカタと体全体がベッドの上で震えている。
話の前後がつながっていない、自分のことしか考えていない。
子供じみた癇癪だ。
うん、良いぞ。
「あたしがどんだけ苦労したと思ってんだ!
あたしを見てもらうために、あたしがどんだけ頑張ったと思ってんだよ!」
私を睨み、どんどん話の脈絡がなくなっていく。
彼女の声に熱が入り、生の感情が叩きつけられてくる。
あぁ、そうか。
この子は、諦めきれなかったんだな。
背の低い私をさらに下から睨みつけるその目に、ドロドロとした恨みと妬みを感じる視線に、なぜか私は空虚な寂しさを感じた。
もしこれがいつもの日常で起こったことなら少しくらいは焦りを感じたり気圧されたりするはずなのだが、今この場の私にそんなものは感じない。
脳裏にうかぶのは、何かのドキュメンタリーで見たことがあるボロボロの毛布を見にまとい、カビたパンを腹に抱いてこちらにナイフを向けるストリートチルドレンの姿。
国も、人種も、持っているものもここに育つまで費やされた金も何もかも違うのに。
私は何故だかあの痩せっぽちな反抗者を思い浮かべていた。
その間も、どんどん竹田さんの口からは言葉が飛んでくる。
自分勝手で、自己憐憫にまみれた、子供の言葉。
私はそれを受け止めるでもなく、じっと、竹田さんの目を見つめる。
自分でも冷たい目だと思う、けれど、どうも上がってこない。
何か声をかけようと思うのだが、いい言葉が湧いてこないし、馬を回そうという情熱が出てこない。
端的に言って、困った。
良いこと言って慰めるか。
容赦ない一言で奈落の底に落として這い上がらせるか。
さてどうしたものか、冷淡な顔の下で結構真面目に困り始めていたところ、救いはやってきた。
「ざけんなし。」
半開きになっていたドアを全開にし、陽菜が踏み込んできた。
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