39 16:33 地獄
謝るお父さん、下を向きさめざめと泣いているお母さん、しゃくりあげる竹田さんに顔色が悪い先生。
ルカは表情が硬いし裕子はがんばってるけどけっこういっぱいいっぱい、才加はなかったことにしようとして普通に拒否られて顔を青ざめさせながら乾いた笑いを漏らしている。
なんだここ、地獄か。
やばいけど何したらいいのかわからない、そんな追い込まれすぎた心境の私は自分の目の前の机に目線を落とした。
もうしばらくは話しかけてほしくない。
部屋を支配する苦痛に満ちた空白に身を焼かれて数分、どうにかならないかとちらりと横目にルカを見てみると、体を伸ばして才加に何か耳打ちしていた。
一言、二言か。
才加は少し落ち着いたようで膝の上の拳をもう一度直し、椅子に再度座り直した。
うん、やっぱりここは任せとこう。
私がなんか言うとしたら、もうちょっと気楽なタイミングじゃないと。
こんな空気で何かを言う気になんかなりゃしない。
じっとルカを見つめているとこちらに気づいた。
それに任せた、と強い意志で人に決定権を押し付ける。
ルカの方はそれを了解してくれたようで、かすかに頷き、竹田さんのお父さんに改めて視線を向けた。
「申し訳ありません、お父さん。
私たちは四人ともただの生徒で、竹田さん、清夏さんのクラスメートです。
和解の決定や賠償などに関しても荷が勝ち過ぎてますので何かお答えを返すのはちょっとできないと言いますか。」
舌を回すことでちょっとだけ落ち着いたのか、ルカの声と表情が他所行きのそれレベルまで落ち着いてきている。
少しだけ温度を持ち始めたルカの声にかなり安心する。
自分に向けられていないとはいえ、正直ちょっとキツいものがあった。
「私たちは、何事もなく帰ってきただけです。
その後に何があったのかは存じていません。」
薄く、息が吸われる。
「そういうことは、後で私たちの親にきちんと話していただきたいです。」
いつものルカの声色で、ルカらしからぬ拒絶の意を塗りたくった言葉が放られた。
だが、今度は怖さはない。
まっすぐ竹田さんのお父さんを見つめるルカの目は、私の大好きな目だった。
しばらく見つめあっていると、竹田さんのお父さんがまた視線を机に外した。
「もちろん、許されるのならすぐにでも皆さんの親御さんの元にかよわせていただき、頭を下げさせてもらいます。」
嫌に丁寧な言葉。
ショッピングの時に店員さんからすら言われたことないような言葉は人生初の経験だ。
それでも、と震える唇から声を続ける竹田さんのお父さん。
大人が心から子供に頭を下げるのって、どれくらい辛いのだろうか。
ネットの裏技を心から信じて親戚の子供にドヤ顔で語り、間違いだとわかった時にがちで土下座ってアイスを献上したような私にはわからない辛さがきっとありそうだ。
「何もなかったと、言ってくれましたね。」
顔をふせ、両手で組んだ握り拳の下から声が響く。
「何もなかったからこそ、謝ることができます。
皆さんのおかげでこうやって謝ることができる機会を作っていただけること、本当に感謝の念に絶えません。」
なるほど。
謝って済む問題じゃない、というのは確かによくある言葉だ、
もし、竹田さんの望むように。
いや、恐らく竹田さんの彼氏さんが望むようになっていた場合、私たちがどうなっていたことか。
どう気安く見積もっても、正に謝って済む状態にはなっていなかっただろう。
だが、今はどうか。
全ての点で未遂。
裕子と才加に至っては何かあったことを感じながらも決定的な事には到達することも無かった。
いや、これから話さなきゃいけないのは結構辛いか。
私とルカが頑張ったおかげで君ら何の苦労もなかったよ、なんていうのも恥ずかしすぎる。
「私たちでしっかりと育ててきたつもりでした。
髪を染め、化粧をしても心が真っ直ぐであれば、それも良いと家の中で話をしていて何も変わってない私たちの娘だと、そのままにしてきました。」
お母さんの方が鼻を啜り、ハンカチで鼻を押さえている。
何というか、辛い。
子供に聞かせんなよこんなこと。
「それが、皆さんにこんな事をするまでに堕ちていたなんて。
本当に、もう、何と言っていいのか。」
お父さんの呻き声と、お母さんの啜り泣きだけが部屋の中に響く。
何となく見続けるのが辛くて、視線をずらす。
あ、才加も裕子もさっきより更にルカに寄ってる。
私も手を繋がせてもらいたいんだけど、空いてない?
そうですか。
視線をどこに止めたものか、色々と視線を飛ばして真向いの先生の方を見る。
居心地悪そうな先生は私の視線に気づくと、ふいっと視線をずらした。
いや、教師。
何してんの。
進行しろよ。
もしくはお茶でも淹れてきてくれ。
最悪私に淹れさせてきてくれ、逃げるから。
「皆さんのご両親とはそれぞれ時間をとらせていただきます。
ただ、その前に。
自己満足でも、何でも、まず謝らせていただきたかった。」
不思議と、声は耳に入ってくる。
鳴き声で、嗚咽混じり。
顔は机に向けられた明らかに聞きづらさ満点の声。
それでも、その声は私の耳に溢れんばかりの念を孕んでその意味を伝達してくる。
「無事でいてくれて、ありがとうございます。
本当に、本当にごめんなさい。」
お父さんの謝罪の言葉にお母さんが堪えきれなくなったのか、声を出して泣き始めた。
もう本当にどうしたらいいんだ。
許すのも何か違うし、責める気にもなれない。
いや、わかるよ?
頭を下げるなんて只だし、下げるだけ得だって言葉があることも知ってる。
けど、今この場に立ってみろよ。
気を抜けば私の方がごめんなさい言いそうだよ。
いや、言わないけどね。
ここでそんなこと言ったらあっちの精神に完全にとどめ刺しそうだし。
そんな現実逃避をしていると、竹田さんが立ち上がった。
今度は、ルカが止めるまもない速さで、立ち上がる衝撃でパイプ椅子が後ろに跳ね飛ばされた。
地面に倒れる椅子の音に負けない大きさで、竹田さんが叫んだ。
「ご、ごべんだざい!!!」
叫ぶ声は嗚咽でガラガラだ。
体の前で揃えられた腕と、顔を追う手のひら。
小さく小さく、体を縮めているように見えて、一週間前までの竹田さんを知っているだけに、何というか申し訳なくなってくる。
いや、それも今の私たちが幸運なだけか。
ルカのおかげで助けは来ると思えたし、山上君のおかげで実際どうにかなった。
私が何とかしないと、裕子と才加のおかげでそう思えた。
私は恵まれていた。
だから何とかなって、竹田さんは恵まれていなかったのだろうか。
いや、こんなご両親がいてそれは通らないか。
思考が上滑りし、目の前の光景を目に入れながらも脳には入らない。
結果、何かの答えを口から出すことはできず、竹田さんの大泣きを止めることもできなかった。
才加の方も私に目線をやり、どうした方がいいか縋るような困った目をしている。
もうやめてくれ、一体私たちが何したっていうんだ。
止めることもできず、悦にいることもできず、部屋の中の時間は過ぎてゆく。
一生分ごめんなさいを聞いたような気がする。
はっきりいうとうんざりしながら私は椅子の背もたれに背を預けた。
一体この話し合いの着地点はどこなのだろう。
もういいよって許せばそれで終わりなのだろうか。
投げやりになりかけた精神で、目を閉じたら眠りそうだと思っているとルカが声を出した。
「あの、すみません。」
竹田さんがびくりと肩を跳ねさせた。
なんか、ルカ怖がられてない? 大丈夫?
「細かい話は、親から聞かせていただきます。
多分、私たちではまだ咀嚼できませんから。」
咀嚼か。
うん、その表現は良いね。
嫌悪感か、理解不足か。
何が原因かはきっとわからないけど、私たちでは多分何を言われても、今はしっくりこないだろう。
「どう許すかは、その後に決めさせてください。」
ルカの声は凛としていて、ただ拒絶するような冷たさはなく、真摯さが私には伝わってきた。
背筋を伸ばし、まっすぐ竹田さんのお父さんを見るルカの姿はとても綺麗で、ついお父さんがルカに惚れないかな、なんて思ってしまったほどだ。
そんなルカの視線を受けながらの言葉に、お父さんは悲しそうに、恥ずかしそうにため息をつくと、ありがとうございます、と改めて頭を下げた。
「竹田さん。」
みんなそうだろ。
なんて思うが、不思議とお父さんお母さんではなく、竹田さん、えっと清夏さんだけがルカを見た。
その声は部屋に入って初めて、いつものルカの声に聞こえた。
「陽奈さん、心配してましたよ。」
ルカの言葉に、堪えきれなくなったのか大声をあげて机に突っ伏し、慟哭と言えるレベルの声が部屋の中に響いた。
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