31 21:00 出口
歌が続く、マイクが回り、一人づつ持ち歌が消費される。
そろそろ二回りか、と言うころからだんだん広瀬さんたち男の人が落ち着きをなくしてきているように見えた。
歌詞や動画が表示される画面の時計部分、そこをチラチラと見ている。
よく見ると足もそわそわと動いていて、何かを待っていることは簡単に見て取れた。
何かあるのか、そんな気持ちで竹田さん、滝沢さんの方を見る。
こちらを見ながら、何かを話している。
口を寄せて語り合う姿とルカを見る目に、あぁ、これはもう確定か、と私は覚悟を決めた。
そんな私の手が、温かいものに包まれる。
気付けば隣にいた才加と席を替わっていたルカが、膝の上に置いた私の右手に左手を重ねてくれていた。
その表情はいつもの通り。
微妙に頬が引き攣っている私とは違い、本当にいつも通りの優しいお日様のような笑顔に見えた。
ただ、手が少しふるえていて、いつもよりも冷たい。
大丈夫、強がりながらもそう言ってくれているような気がして、ほっと体の力が抜ける。
それと同時に、絶対に何とかするんだ、という意思も決める。
才加と裕子を助け、ルカ。
この順番で絶対に、だ。
私がそう算段をつけると、ドアがノックされた。
瞬間、男の人たちの目が剣呑な光を放ち、とてもとても嬉しそうな表情になる。
来たか。
緊張しそうになる体を無理やりリラックスさせる。
何をするにも、力みは不要。
覚悟を決めてドアを睨む私の視界で、広瀬さんがドアストッパーをどけ、ドアを開けた。
瞬間、少しだけ空いた隙間から手が入りこみ、ぐいっと大きくドアを開け放った。
「やーやーすみませんねぇ。」
入ってきたのは、縦にも横にも太い、ポロシャツを着たおじさんだった。
縁の太い眼鏡と、少し突き出た腹。
普通のおじさんに見えるその人が入ってきたことは男性陣にも想定外だったようで、ニコニコとしたその顔に向けて目を見開いている。
「ちょーっと知り合いの女子高生が夜遅くカラオケ行くのを見たって通報がありましてねぇ。
すこぉし確認させてもらっていいですかねぇ、志村くん?」
ぽん、と肩を叩かれた男の人の顔色が明らかに悪くなる。
広瀬さん、そう言う名前だったはずの男の人が、小刻みに震えている。
ひょっとして知っている人だったりするんだろうか。
あぁ、そういえば、と言いながら踏み込んできた男の人は胸ポケットから黒い縦折りの手帳のようなものを出した。
「いやいや、失礼。
私この通り、都警の川神、と申します。
ちょっとお姉さんたちの年齢確認させてもらっていいですか?」
部屋の空気が一気に変わった。
才加と裕子は不思議そうに、私とルカは安堵して。
そして、それ以外の人間には焦りと苛立ちが見てとれた。
「ごめんなさいね、盛り上がってる所を。
最近条例とか厳しくてねえ。抜き打ちでこういうところも確認させてもらってるんですよ。
何か年齢とか確認できるものないかなぁ。
確認できたら、すぐ行きますんで。」
頭をかき、ニコニコとした表情を崩さずにこちらに問いかける刑事の川神さん。
自称広瀬さんが固まったまま、竹田さんの彼氏さん、後関さんがスツールから立とうと腰を浮かす。
しかし、その行動の少し前にルカが動き出していた。
あまりにも自然に立ち上がり、刑事さんの前に進んでの一連のその所作は他の人たちの妨害を許さなかった。
「ご苦労様です。
ただ、すみません。
もう一度手帳見せていただいてもよろしいですか?」
立ち上がり、刑事さんの目の前に移動するルカ、その要求に刑事さんが手帳を見せる。
見やすいように開かれた手帳を見ながら、ルカがスマホを操作する。
幾度かの捜査の後、ホッと息を吐き、にっこりと笑顔を刑事さんに向けた。
ん、スマホ?
目の前で行われた確認行動に引っ張られるように、私もスマホを取り出す。
ロック画面、その上部通信情報バーにアンテナが生えていた。
ネットワークも今検索中だがカラオケの機械の名前が表示され始めている。
なるほど、今まさに外との通信が通り始めたっていうことか。
それを認識した瞬間、私は安堵と嬉しさで笑みの形になりそうになる表情筋を全力で抑えた。
「お手数と失礼をおかけしました。
おまわりさんだとしても確認はしろと親に言われてまして。
身分証ってこれでいいですか?」
生徒手帳を差し出すルカ。
改めて見回せば、忌々しそうにルカを睨む、竹田さん以外の女の子。
一方、ルカの動きに背中を押されたのか才加と裕子も刑事さんに近寄った。
ふと、強い視線を感じて横を見ると竹田さんが私を見ている。
眉が八の字になって眉間に縦皺がより、下唇を軽く噛んでいる。
悔しさ? 悲しさ? 安心?
その感情を正しく慮ることは私にはできない。
ただ、何と無く今手を差し伸べるのは違う気がした。
ちょっと目をつぶり、呼吸を整えて立ち上がる。
竹田さんを振り返ることなく歩き出すと、後ろから小さく声が漏れた。
声の色があまりにも哀れで、弱くて、つい踵を返しそうになる足に力を入れて、ルカの元に行く。
「詞島さんに他三人、みんな高校生かぁ。
あんまし良くないよ? こんな時間にカラオケにいるのは。」
「すみません、初めてライブっていうのに連れて行ってもらいまして。
ついつい楽しくて時間を忘れてしまって、その。」
改めて、面と向かってごめんなさい、と申し訳なさそうに頭を下げるルカに、慌てて姿勢を正させる刑事さん。
誠意を込めて謝る高校生はあんまり見たことがなかったのだろうか。
「いやいや、楽しいのはわかるよ、けど時間がね。
ちゃんと保護者がいればまだわかるんだけど、彼らは君たちの保護者じゃないでしょ?」
「はい、今日初めてお会いした方達です。」
「うん、それじゃあ何かあった時に責任を負わせるのも可哀想だろう?
おい、能見。
ちょっとこの子達外まで送ったげて。
そっからは入谷にまかせて良いから。」
「了解しました。」
廊下にいた若い男性警官に声がかかり、ドアの向こうからチラリと顔を覗かせる。
立っている私たち四人を順に眺め、ルカで視線を止めると視線にどこかほっとした色を出した。
ルカの方もかすかに頭を下げている。知り合いなのかな?
「他の子達にはちょっと聞きたいことがあるから、このお巡りさんに外まで送ってもらってね。
そこからは入谷ってやつが外にいて、そいつに駅まで送らせるから。
若いやつだけど、仕事中のナンパなんかは絶対しないように言ってるから、セクハラだって思ったらすぐ一一〇番してね。
婦警さんは絶対君たちの味方だから。」
「先輩、洒落んなってねえっす。」
部屋に一歩踏み込みドア前の空間を開ける年配の刑事さん、それに入れ替わるようにルカが先にドアを踏み越えてこちらを見る。
つられるように私たち三人も部屋から出た。
二番目が裕子で次に才加、最後に私。
防音性を高めるため、ドアにくっつくように作られた段差を後ろ足が超えた瞬間、あまりにも空気が軽くなったような気がして腰が抜けそうになった。
差し出された手に無意識に捕まり、力が抜けそうになっていた膝を支える。
ルカが隣にいて、手を差し伸べようとしていたのか中途半端に伸ばされた手を所在なげにうごかしながら若い刑事さんが微妙な顔をしていた。
私の乙女ポイントをガンガン稼いでいくルカにメス堕ちしそうになりながらありがとう、と言って四人プラス一人でエレベーターに乗り、一階の会計レジの前を通る。
レジには入る時に広瀬さんと呼ばれた人が話していた年配のおじさんが立っていて、何か怖いものでも見たかのように小刻みに体を振るわせながら私たちを上目遣いにチラチラと見ていた。
才加と一緒に前を歩いていた裕子が財布を取り出しながらレジに近づこうとすると、刑事さん、能見さんがそれを止めた。
「あー、野々原さん。
今日はちょっとお金どうするか難しい状態になってましてね。
後日どうするかお電話しますんで、今日はこのまま帰っていただいても大丈夫です。」
ですよね、とにこやかに確認する能見さんに、レジのおじさんは見てわかるくらいに顔色を悪くしながら、はい、と意味ある言葉に聞こえるのが驚くくらいに小さ奈な声で応えた。
すわ権力の濫用か、とスマホに手を伸ばそうとするとルカにその手を押さえられた。
悲しそうに首を左右に振るルカ。
そうか、これが大人になるってことか。
法律なんてクソ喰らえと、プリッツにチョコレートフォンデュしてたあの頃の尖った私はもういないんだな。
自動ドアが開くと、冷たさよりも湿気を感じる夜の空気が吹き込んできた。
大通りから一本入る場所にあるため、喧騒は少し遠いが人も歩いていて無意識のうちに大きくため息が口から漏れた。
すぐ外にはまた一人男の人が待っていて、私たちを先導した能見さんと頷き合っていた。
刑事三人、割と危なかったんじゃないか、なんて思いながらもやはり安心感がある。
「おー、ルカお疲れ。」
気を抜いたおかげで地面に視線が向いていたが、その声はきちんと耳に飛び込んできた。
バッと下がりかけた顔を跳ね上げると、そこには山上君がいつもの調子で立っていた。
ダボっとしたカーゴパンツと速乾シャツにジャージの上。
だらっとした男コーデの山上君に不思議な安心感を感じ、不意に鼻の奥が痛くなった。
ルカの方を見ると、一つ頷いてくれた。
そうか、やっぱりなんとかしてくれたんだね。
口から感謝の言葉が漏れそうになる所を堪え、ルカに掴んでもらっていた手を離す。
これは意地だ。
少しぐらいしっかりしてるところ見せないと、あんだけ悪様に言っていた山上君に申し訳がたたない。
才加と裕子に挨拶をする山上君に微笑むルカ。
少しだけ疲れたような雰囲気と、目のかすかな潤み。
ルカもやっぱり不安だったのかな、そう思い自分の幸運に改めて感謝する。
自動ドアが閉まり、入り口のドアマットを超えたあたりで、何か嫌な予感がして後ろを見る。
次の瞬間、バン、と大きな音を立てながら人影が奥の階段から飛び降りて来た。
入り口からレジを挟んで、奥目の階段なので距離的にはそれなりに遠い。
そのせいで音を立てた人の姿も小さくしか見えないが、視線がそれから外せなかった。
それほどその姿からは嫌なものが滲み出ていて、今まで生きて来た中で初めてと言えるほどのおどろおどろしさを私に感じさせた。
遠くて見えないはずなのに血走っていることを感じさせる視線、それが私とルカに突き刺さる。
ぐい、と抱き寄せられて自動ドアの正面から横に動かされる。
鼻に入る香りと体温と顔面に感じる柔らかさの大きさからルカが抱きしめてくれたことがわかった。
安心感と恐怖感と、ないまぜになった感情のまま何もできず、考えられずにいる私の視界にいる男の姿が近くなり、そして能見さんがあっという間にその男の人を地面に引きずり倒した。
うめく声に、能見さんが何か言っているのがかき消された。
完全に男の人が抑えられているのを見て、硬くなっていた体から力が抜ける。
今日一日で、どれだけ緊張と弛緩を繰り返したのか。
もしベッド上でこんなことをしてたら三十秒で夢の世界に行くこと間違いなしだ。
目を瞑って、もう一度深呼吸。
ルカの香りを胸いっぱいに吸い込んで目を開く。
随分集中していたようで、視界が狭くなっていたのだろう。
気づけば私とルカの前、自動ドアの前に山上君が立っていた。
いつの間に、なんて思う私の視線なんか気にせずに私たちに背を向けて、じっと動かずに。
「あー、親に話つけられると思って暴れちゃったみたいだね。
とりあえずあいつなら大丈夫だから行こうか。
近くだと、大方駅だよね。
みんなそこでいいかい?」
能見さんからバトンタッチされた形のもう一人の若い刑事さん、確か入谷さん? が私たち四人に声をかけてくれる。
明らかにそんな優しく話してくれるような事が原因には思えないが、もはや突っ込んで聴く気力もない。
誰も何も言えない中、才加がしっくりこなさそうな顔をしながらよろしくお願いします、という声をなんとか出してくれた。
任せて、と少しオーバーに胸を叩く姿に安堵を感じ、チラリともう一度カラオケボックスの方に目をやると、山上君は微動だにせずに立ったままだった。
どんな顔をしているのか、全くわからないその背中。
怖さはない、威圧感もない。
ただ、そこで怖い世界と私たちに線が引かれた。
抱きしめられたルカの暖かさを感じながら、私の中で最も幼く、怖がりな部分がそう感じたのだった。
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