06 25:12 狭間

「お前、学校は楽しいか?」

 

 見ていた中学校の成績表をテーブルに置き、背中を預けていたソファーから背を離して姿勢を正した父は、眉間の皺をそのままに私に問いかけてきた。

 父が家にいたのは、本当にたまたまのこと。

 休みが平日に当たり、私も夏休みながら用事が無かった事で父とゆっくり話す時間ができた。

 本当にたまたまの偶然で、父は私にこの問いを投げることができたのだ。

 常日頃、あんまり強い印象の残らない父。

 時々話をするぐらいで、こうやって面と向かって話すのもかなり久しぶりだ。

 そんな父のすごく真面目な顔での問いかけに、笑い半分で返すのはちょっと申し訳ないと感じ、私もテーブル越しに父にきちんと対面することにした。

 

「そりゃあ、楽しくないわけじゃないよ。

 別にイジメとかも受けてないし。」

 

 学校の奴らとはそこまで話は合わないけど、別にいじられるわけでも排斥されるわけでもない。

 普通の付き合いだ、と私は思ってる。

 

「たとえば、何が楽しいんだ? 

 父さんの頃は今みたいにスマホなんかなかったから、部活して、友達と外で遊んでってばっかりだったが。」

「んー、そうだねぇ。

 前話したみたいに動画見たり、好きに絵を描いたり、あ、最近はまた別のアニメにハマっててね。」

 

 悪役令嬢物アニメなんかも割と粗製濫造を受けていて、その中で私はキャラストがしっかりしてるやつが好みだったので、その話をしてみた。

 勧善懲悪のシンプルな話が好きらしい父は二転三転する話の内容に困惑しながらも理解しようとしていた。

 ひとしきり話し終え父の反応を伺うと、父は腕を組んで難しそうな顔をしていた。

 

「何? なんか言いたいことでもあんの?」

 

 勝手に話させておきながら、勝手に困った顔をする。

 親にする態度じゃない気がするが、中学時代の女子の父親に対する態度なんてこんなもんだと思う。

 あんまり怖くすることができない父に、私はそこまで気を張っていなかった。

 

「うん、まぁその、ちょっとな。

 その、父さんが思ったこと、言っていいか。」

「いいよ、今日は暇だし。

 まぁ説教くさすぎたらわかんないけど。」

 

 私の言葉に、父は困ったような顔で口を開いた。

 

「なぁ、桃。

 お前のその話って友達とかと話したことあったか?」

 

 ない。

 というか、しない。

 オタ話を学校の友人とすることはまずない。

 流行りのアニメの話だとか、触れる人の多い少年漫画の話だとかも一度したことがあるが、どうも私と他の人とでは熱量に違いがあるようで、気づけば私からその話をすることは無くなっていた。

 父の言葉に首を振ると、そうか、と一言呟き、父は話し出した。

 

「少し話変わるけど、父さんな、実はどうしてもしたいことなんかなくて、とりあえずできそうなこと、やってて怒られないことだけやってきたんだ。

 どんなに苦労しても全然勉強の成績あがんなかったから良い高校なんて目指せなくて、中学卒業してすぐに今の所に誘ってもらって仕事してた。」

 

 初耳だ。

 そういえば、父が中卒だというのは聞いたような気はしたが、正直そこまで気にしてたことがなかった。

 

「お前は母さんに似て、実はすごく頑張り屋で頭も良い。

 正直にいうと、最初にお前が描いた絵なんか、父さんは何を書いてるか全然わからなかった。

 ブルーベリージャムを塗りたくった前輪が無い自転車にしか見えないオブジェをお母さん、って言われた時、眼科と脳神経外科のどっちを予約するべきか本当に迷ったぐらいだ。」

 

 いたいけな幼女の一生懸命な絵になんて評価をしてたんだこのクソ親父。

 今からでもパンチしたっていいんだぞ。

 

「でも、お母さんに褒められて、あれからずっと描いてたよな。

 チラシをもらって、裏に書いて。

 父さんがもらってお前にあげた手帳にも、カレンダーとか罫線とか関係なく。

 それをずっと続けて。

 小学校五年頃まで、お前が何書いてるかわからなかったけど、ずうっと書き続けてた。」

 

 いや、まぁ今見返しても本当に下手な絵だったとは思う。

 もちろん今だって上手いというわけではない。

 私より後から書きだしてすでにネットで何万フォロワー、みたいな人も全然いるし、ただで手に入るような情報しかない上に才能みたいなのがない私みたいなのではそんなもんだろう。

 ただ言わせてほしい。

 小学校六年ぐらいにはなんとか個人の判別できるような絵にはなってたはずだぞ。

 

「父さん、もうお前にいつ絵を描くのやめろっていうべきかすごい迷ってた。

 お母さんは楽しそうだったら良いじゃん、ってしか言わないし、だからって続けさせてこのままだったら本当に何もないままじゃないかって思ってた。

 いや、何もないままだったらまだマシで、こういう画風って売り出して万が一売れて街中に溢れようものなら世間の皆様にどうして償えば良いかって考えもした。」

 

 何勝手に悲壮な決意しようとしてるんだこいつ。

 

「けど、小学校卒業前、お前の絵が変わってきてるのを見て、本当に驚いた。

 ちゃんと何書いてるか判る、ってな。

 父さん自分の感性が狂ってないか何件も美術館梯子してしまったくらいだよ。」

 

 あぁ、あったな。

 休みのたびにゴルフにでも行ってると思ったらお菓子とかパズルとか買って帰ってきてた時期が。

 母さんと一緒に出かける頻度も高くなって、大人のデートかよ、なんて思ってたよ。

 

「自分の美的感覚はちゃんと十人並の大丈夫なものだって、三件連続で美術館の学芸員さんにお墨付きをもらって、ちゃんと桃の絵を見て、あぁ、この子は頑張ったんだなって思った。」

 

 ドンんだけトラウマ持ってんだよクソ親父。

 三人に聞いて確認とか、本当に中卒か? しっかり多観点からの確認こなしてるんじゃん。

 少しヒきながら父の話を聞く。

 ちょっと、いやかなり言葉の中に突っ込むべきところはあるが、一応全体的に考えてみれば褒めてるといえなくもない。

 

「お前は、すごい子だ。

 流石は母さんの子だよ。

 しっかりと頑張れる子だ。

 だからもっと色んな経験をしてみてほしい。」

 

 色んな? 

 と、つい鸚鵡返してしまう。

 

「あぁ、別に今のまま、近くの高校に行くのも良い。

 けど、どうせなら少し頑張ってみないか。

 今のまま、中学から持ち上がってもお前は仲の良い子と楽しく遊ぶわけでもなく、ぐだぐだと過ごすことになるんじゃないかと思ってる。」

「ぐだぐだって何さ。別に私そんなボッチじゃないし遊ぶ時は遊んでるよ。

 小学校の時だって男子女子関係なく遊んでたし。」

 

 確かにオタ活に力を入れているし、アニメやラノベに興味を持った上で私と話があうような人間も周りに居ない以上そういった活発な交流はないが、それでもきちんと付き合いはあるのだ。

 

「けど、なぁ桃。

 お前がさっき話してた楽しいって話、誰かと何かを楽しんだ、って話はなかったよな?」

「いや、そりゃまぁ、そうだけど。」


 二次元のサブカルが好きでもないやつに押し付けても、どちらも苦しいだけだし。

 父の言葉に返事を返しあぐねる私に、父は話を続ける。

 

「お前の話を聞いて、こんなにアニメでも考えることあるんだなって、父さん驚いた。

 ちょっと偉そうだけど、感心したよ。

 けど、そうやってものを考える人、今の学校にはあんまりいないんじゃないか?」

 

 いや、まぁその通りだ。

 出てくるものをそのまま受け取って、そこから何か考えるやつなんかクラスどころか学年にもそうはいそうにない。

 ただ、父の言葉は私や周りを馬鹿にしてる、というわけではないような気がする。

 父の目はまっすぐで、ただただ私をじっと見つめている。

 

「お前が頑張っただけ、きっと見たこともない人と会える。

 もしお前が自分がこんなもんだ、なんて思ってるんなら、ちょっと頑張ってみてほしい。

 もちろん父さんも手伝う。お小遣いは少ないけど、参考書なら買ってやれるし、学校休んで勉強したいんなら知り合いに頼んでどこか良さそうなスペースを紹介してもらおう。

 このまま普通にしててもきっと楽しいけど、もう少し楽しいことがありそうなところに行ってみないか。

 ダメだったら、また別の高校を選んでもいい。

 その時は、父さんも母さんに一緒にお願いしてやる。」

 

 父らしからぬ、熱のある言葉だった。

 いつも適当に母の言葉に返すだけで、近くにいるのによくわからない人だったことに気づく。

 そういえば、父の好きなものってなんだった? 

 ビールか??? 酒か??? 肉は好きだよな? 

 いやいや、そんなことどうでもいい。

 混乱を無理矢理に収め、父の言葉を咀嚼する。

 多分、これは私に向けられたすごく重い言葉だ。

 はいはいって、うざいって、簡単に流していい言葉じゃない気がする。

 

「このまま楽なままだと、きっと楽しくなくなるんじゃないかって、父さん心配なんだ。」

 

 私の楽しさを勝手に定義しないでくれ。

 そう言って跳ね除けることもできたかもしれないが、中学の間の記憶が蘇る。

 だらけてても何も言われない授業。

 何が出るかわかってるテスト。

 提出物の回収が面倒だからと放置される籠。

 確かに、楽だった。

 ただし、確かに楽しくはない。

 このまま楽しいフリを続けるのも楽だろうけど、もし本当に楽しいと思えることがあるのなら、それも悪くないか。

 話しすぎたことで機嫌を損ねていないか、かっこつけすぎてないかと顔を若干赤く、青くしながらこちらを覗き込む父の姿に笑いを堪えながら、わかった、と私は答えた。

 

 

 ◇

 

 そのままかいつまんで、詞島さんに私の努力の軌跡を話していた。

 二年の途中からでは入れる塾が無く、仕方ないから自分で色々とやることにしたこと。

 想像以上に暗記科目での記憶ができなくて、癇癪起こして本をぐちゃぐちゃにしてしまったこと。

 今ではひっかかりそうにない引っ掛け問題に引っかかって二日かけて自分がどこをミスしたのか見つけ出したこと。

 受験に向けての契機になった父の言葉から一年半の努力、それをこうやって他人に話したのは、初めてだった。

 詞島さんは驚くほどに何も言ってこなかった。

 ただ、私の言葉に時々頷いて、相槌を打ってくるだけ。

 途中で湯冷めしないように、なんて毛布をかけてくれて、それからは一枚の毛布の中で私が話すのを詞島さんが聞いてくれていた。

 

「もうね、怨念と情念が染み込んだノートで、合格発表の翌日にゴミ捨て場に出したら回収のおじさんが腰抜かしちゃってさぁ。」

「ふふ、そうですね。

 大木さんのお話だと、すごい濃い念が詰まってそうですものね。」

「そうそう、結局おじさんにお願いされて電車で神社まで持ってってさぁ。

 交通費も出してくれたり、いいおじさんだったなぁ。」

「それ、本格的にヤバいやつだったんじゃ……」

 

 ひとしきり話終わり、次から次へと出てきていた言葉がそのストックを空にする。

 ふう、と無意識にため息をついた。

 はて、なんで私はこんなに話をしてしまったのか。

 高校に入ってそれなりに話す子も居たし、前の中学の笑い話をした子もいた。

 けど、ここまで私自身のことを話したくなったことはなかった気がする。

 風呂か? 

 助けてもらったからか? 

 美人だからか? 

 おっぱい大きいからか? 

 私は何故、ただのクラスメートにここまで話をしたがったのだろう。

 話疲れたのか、ぼうっとしながら詞島さんを眺める。

 と、毛布の下から詞島さんの右手が出てきた。

 ふわり、と左耳がわの髪に手を入れられ、ひと撫で。

 その後、優しくぽんぽん、と頭を触られた。

 

「すごい人ですね、大木さんのお父さん。」

 

 微笑みながらの声が、鼓膜というよりも頭蓋骨を揺らしている気がする。

 少し低めな詞島さんの声と、左側頭部から感じる体温がただの声以上に私に何かを伝えてくる。

 

「すごいですね、大木さん。」

 

 暖かな手が、私の後頭部を撫でて、そのまま抱き寄せられた。

 チョン、と頭頂部に何かが触れた。

 ほんの少しくすぐったい、これは鼻かな。

 

「頑張れた大木さんは、本当にすごいです。

 尊敬します。

 大木さんは、すごい人です。」

 

 なんだこれは。

 全肯定か。

 キャバ嬢がやるっていうあれか。

 ふん、私はこれでもネットには詳しいんだ。

 他人を褒める手口なんて知ってるんだ。

 引っかかるもんか。

 詞島さんの言葉に返すこともなく、目線を詞島さんから下にむける。

 ぎゅっと目を瞑る。

 瞼の裏、蛍光灯のあかりが少し滲んで血管が見えるような気がする。

 それでも、ちゃんと暗い。

 何も見えない。

 そんな中、頭に乗せられた詞島さんの手の感覚だけがする。

 髪越しに暖かさが滲んでくる。

 髪に引っかかる感じなんかなく、ただただ揺れ動く手の感覚はむず痒い気持ちよさを伝えてくる。

 毛布の中に頭を入れる。

 甘い、良い匂い。

 香水なんか付けてないだろうに、詞島さんの体はなんなんだ。

 つんと鼻の奥が痛くなる。

 鼻水が出る。

 それに続いて、瞼のうらがゆらめいた。

 無意識に肩が動く。

 肺が、横隔膜が勝手に動く。

 悲しくもないのに嗚咽が漏れる。

 左耳の上を、柔らかな何かが通り過ぎた。

 詞島さんの右腕、後頭部が今度はしっかりと抱きしめられる。 

 顔で、首で、頭で。

 匂いで、温度で、感触で。

 多種多様な方向から感じる柔らかさと暖かさを感じたまま、私は嗚咽を抑えられないまま眠りについた。

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