07 07:15 山上家(洗面台)
「おはようございます、大木さん。」
「おはよう、詞島さん。」
リモコンでカーテンを開け、んー、と伸びをする詞島さん。
朝日に照らされる詞島さんに目を向けるが、眩しいものを見るように目を細めながら見てしまう。
やっぱり何をするかも大事だけど、誰がするかも大事だな。
「んー、顔洗ってきましょうか。
あ、そうだ、大木さんって朝ごはん食べます? 」
「うん、食べるよーって、あ、すみませんいただきます。」
さらっと朝食を用意してくれるとのことに恐縮するも、詞島さんはニコニコとスマホでメッセージを送った。
胸元だけ少し私のせいで色が変わっている。
詞島さんに連れられて、お風呂に行った時と同じように歩き、洗面場で顔を洗う。
二人並んでもまだ余裕がある洗面台に二人で並ぶ。
顔を洗い、鏡の中の自分を見つめる。
すっきりとしていて隈はない。
ただ、少し目が赤い。
そういえば久しぶりに泣いた気がする。
美容液、化粧水、クリーム。
詞島さんに聞いて使っても良いということで使わせてもらう。
いつも私が使っているものよりも随分と匂いも少ない上に外装もいかにもな薬品っぽいそれは詞島さんが使っているってだけでいつもの私のものよりも効果が高いものに感じてしまった。
朝のルーティンを終え、髪を上げていたバンドを外す。
持ってきていた伊達メガネをかけ、鏡を見る。
いつもの私と、右隣のパジャマを着た美少女。
ちょっと眼鏡をはずしてみる。
うん、問題ない。
けど、洗面台を出れば山上君たちもいるんだし、かけとくか。
鼻の上にいつもの重みを感じ、タオルを洗濯機の上のかごに入れる。
ふと、私がいなかったらこの子と山上君は一緒に寝てたりしてたんだろうかと考える。
脳が少しばかり嫌な音を立てる。
やばい、そういえばもう私詞島さんと寝たから、ネトラレが成立する!?
思考が変な方向に行こうとするのを無理矢理抑える。
すると、隣にいた詞島さんが私に布袋と制服をさし出してきた。
「あ、ありがとうございます。」
「いえいえ、これお義母様が持っていってあげて、て持たせてくれたんです。
半日でこんなに綺麗になるって、すごいですよね。」
詞島さんのいうとおり、受け取った服には皺なんかまるでなく、首元や袖なんかの汚れやすいところも綺麗に真っ白だった。
袋に入っていたのは下着類。
これも汗臭さなんかかけらも感じない、しっかりと洗った後の洗剤の爽やかな香りが袋を開けると香ってきた。
詞島さんが出ていってくれたので脱衣所に一人になると、借りたパジャマを脱ぎ、制服を着る。
さらっとした着心地は丁寧に洗濯された事がすごくよくわかった。
ドアを開けると詞島さんが外で待っていたようで、それじゃあいきましょうか、と歩き出す。
髪が靡くその後ろ姿に、つい手を握ってしまう。
考えてみれば、私から詞島さんの手を握るのは初めてだ。
まだまだ陽キャ修行が足りないな。
まぁ、そんなことはいい。
いきなり握られた手に驚いたのか、少し目を丸くする詞島さんの顔。
自分でしたことなのに何か恥ずかしくて、つい目線が泳いでしまう。
話そうとするも引っかかる、それを二回繰り返し、三回目。
やっと私の口が声を出してくれた。
「えっとさ、あの、私のことだけど、桃って名前で呼んでくんない?
クラスの人ってみんなそう呼んでくれるし、私も詞島さんじゃなくてルカって呼びたい、から。」
握った手をじっと見つめながら、そう言ってしまう。
白くて細い指。
握っている私の手と握られている詞島さんの手のため、比較が容易なせいで色味の違いがとてつもなくよくわかってしまう。
本当に毛穴あるのかこの子。
汗腺はどうなってるんだ汗腺は。
「はい、じゃなくて、うん。
よろしくね、桃ちゃん。」
照れることもなく眩しい笑顔を返してくる詞島さん。
いや、ルカ。
その笑顔だけで、少し頑張って踏み込んだ価値はある。
握った手をそのままに歩く私服のルカの後ろを制服の私がついていく。
他人の家の柔軟剤ってなんでこんな匂いが違うんだろう。
決して主張しすぎないながらも体を動かすごとにふわりと香る微香に、後で柔軟剤の名前を聞こうと思った。
「おはようございます。」
ルカの声に続いて、私も挨拶する。
座卓の置かれたリビングには山上くんのご両親がすでに座っていて、テレビを見たり電子ペーパーで何かを読んでいたりする。
というか、ハイテクっすね、山上君のお父さん。
「お、どうも。」
「おはよう、大木さん。
どう、ルカちゃんのところでちゃんと眠れた? 」
「はい、そりゃもうルカに抱きしめられてぐっすりでした。」
「あらー、うふふ、それはよかったわね、ルカちゃん。」
「あ、う、はい。」
顔を赤らめるルカに私は少し困惑の顔を向ける。
よかったのは私なのに、何故?
ルカを覗き込むと照れくさそうに目線を背けるので、それが可愛くてルカの周りを回ろうとしたところ、キッチン側から声がかかった。
「はいできたよ。
大木さんもルカも座って。」
山上君が薦めるまま、私とルカも座卓に座る。
座卓に置かれたお膳は二段重ねになっていて、上の段にはご飯と味噌汁の鍋、下の段にはおかずが載っているようで、そこからは醤油の焦げる良い匂いが漂ってきていた。
「あ、そういえばルカから大木さん朝は食べても大丈夫って聞いてたけど、和食でいい? 」
「ん、問題なし。ガツガツいけます。」
「そうよねえ、若いんだからちゃんと食べないと。」
「母さん・・・」
「何か? 」
「いえ、なんでもないです。」
山上君のお父さんを睨むお母さん。
ニコニコとした表情が少し怖い。
朝一でデリカシー無いこと言われちゃったらそりゃそうか。
そんな両親のやりとりも慣れたものなのか、山上君がルカに手伝ってもらいながら配膳する。
白米、焼き魚とおひたし、おからの和物。お味噌汁は持ってきた鍋から一杯づつよそわれた。
最近私の家では見れないような完璧な朝食だ。
全員に配膳され、いただきますの号令で箸をつける。
知り合いなんてほとんどいないはずの食卓なのに、とても暖かく迎えてくれた家の空気を味わいながら、久しぶりにがっつりと朝のエネルギーを補給した。
話の中心はルカの学校でのこと。
友人というか、ちゃんとグループを作って付き合っていることや、クラス内では最近高嶺の花感が薄れてきていい感じに距離感が近くなってきていることなども話してみた。
ルカの実の親でも無いのにルカのことに喜ぶことに驚いた。
もう既に両親公認というやつか。
チラリと目を横にやれば、ルカと山上君が並んで座っていて、漬物について話している。
昨日散々自慢されて惚けられたが、やはり釣り合ってない気もするがよっぽどうまくやったんだろうか。
少々、いやかなり下世話な考え方をした私だが、それも仕方ないだろう。
本格的に付き合い始めて半日。その間に私がルカにどれだけ萌えただろうか。
顔は言わずもがな、話しててもこっちの話に割り込まないし、強い言葉も叩きつけてこない。
そしてあの優しさだ。
性格、顔、スタイル。
これだけ揃っている女が、正直十人並みにしか見えない山上君と何故付き合っているんだか。
そんな私の心も知らず、幸せそうに二人は笑い合っている。
ふと、昔読んだラノベを思い出した。
王子様と呼ばれるほどに女子に人気のある女性、それがいきなり自称普通の男と付き合って、周りから散々に言われる話だ。
その中に出てきたガチ勢のお嬢様。
最終的に刃傷沙汰になって、その時の言葉が
『私の王子様が、こんな普通な男と付き合うなんて許せない。』
だったか。
物語は最終的に前髪を切った主人公が実はイケメンで、しかも人気配信者だったとかいう手遅れもののオチだった気がするが、まぁ今はそれはいい。
その物語を読んだ時、ばかな女もいるモンだと思ったが、なるほど。
これがそういう感性か。
もう一度二人を盗み見る。
先ほどまでの楽しそうな話は終わっているのか、それぞれ目の前のご飯を食べている。
ただ、その二人の間の物理的な距離はやはり近く、その距離が当たり前なのだと感じさせる。
美味しそうに食べるルカ。
隣にいる人がいるからこそのその顔なのだろうか。
物語の中では刃傷沙汰を起こしたバカ女は見る目が無かった、とだけ切り捨てられていた。
ただ、本当はそこからもう一歩踏み込んで考えなければいけなかったんだろう。
例えば、ここで私がルカにもっとレベルの高い男と付き合えるよ、なんて言ってしまったら多分何かが壊れる気がするし、そもそもそれを望む子だとも思えないような気がした。
ちょっとだけ、ほんのすこぉしだけの釈然としなさを胸の奥底に沈め、お漬物と一緒に白米で流し込んで蓋をした。
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