04 23:21 山上家

 詞島さんはフルーツゼリーが好き。

 特に、ゼラチンで固められた四角い個包装のやつ。

 そんな新規情報を仕入れながら、私たち三人は半分眠っているおばあちゃんの店員さんに見送られながらコンビニを退店した。

 ガサガサとなるビニール袋の中身はお菓子と飲み物で、山上君が持ってくれている。

 1Lのお茶は重かったかな、なんて思いながらとりあえず感謝してそこから数分。

 それなりの大きさの一軒家に到着した。

 ここが山下君の家なのだろうか。

 鍵を開ける山下君に招かれるままに中に入る。

 割と広い玄関にちょっと驚く私を後目に、ただいま、と声をかける山下君。

 パタパタとスリッパの音を立てながら、恐らく山下君のお母さんだと思われる方が玄関まで来てくれた。


「はじめまして、大木さん。ルカちゃんから聞いてます。

 大変だったでしょう?

 さ、入って入って。」


 見た目は、何というかふつうのお母さんといった感じだ。

 若すぎるでもなく、特別美人というわけでもない。

 ただ、身にまとう雰囲気の柔らかさと物腰、あとふくよかさから、山上君のお母さんだと言うことはあっさりと信じられた。

 そんな接点なさすぎな人からのいきなりのフレンドリーさに戸惑いながら私はテンプレートな挨拶を返し、招かれるままに家に入れてもらう。

 リビング横の廊下を通る際、そこでテレビを見ていたらしい山上君くんのお父さんにもあいさつをして、詞島さんと山上君に二階に案内してもらう。

 二階廊下に上がってすぐのキツネっぽい動物のプレートが掛けられたドアで詞島さんが立ち止まると、山上君は私たちの横を通り、奥の部屋へ向かった。

 ありがとう、とその背中に声をかける詞島さんに、あわてて私も今日はありがとう、と続けて声をかける。

 振り返り、軽く頭を下げると彼も彼のものらしい部屋に入っていった。

 ちなみに、プレートは鹿っぽいやつだった。

 その姿を見送った後、私は詞島さんの部屋と思われる部屋に足を踏み入れた。


 入ってまず感じたのは、香り。

 甘ったるさは感じないし、柑橘系のようなさわやか系でもない、私の語彙では表現がしづらい、良い香りがした。

 一方、視覚で感じる部屋の雰囲気としては、ひどくさっぱりとしているなという感じだ。

 六畳くらいのフローリングの床には、ベッドと胸くらいまでのラック。後は折りたたみ式のデスクぐらいしか置かれていない。

 衣類は押入にでも入っているのだろうか。

 ミニマリスト?

 私が入口で所在なげに立っていると、詞島さんは押入からラグを出し、床に広げてその上に座卓を広げた。


「荷物はベッドの上にどうぞ。自分の部屋だと思って、楽にして下さいね。」


 まあ、私も借りてる身ですが、なんて言いながら押入に荷物をいれ、卓につく詞島さん。

 促されるようにベッドにカバンと袋をおかせてもらい、私も座らせてもらう。

 テーブルの上には何時の間に用意したのか、カップと皿に盛られたお菓子が置いてあった。


「いやー、ホント良かった。

 もし今から帰るってなったら、絶対日付またいでたよ。

 改めてありがとう、詞島さん。」


 テーブル越しに詞島さんに両手で拝みながら頭を下げ、心からの感謝を伝えると詞島さんは少し困ったような笑みを返してくれた。


「いえいえ、こちらこそいきなり声をかけてしまって。

 実はちょっと不安だったんですけど、大木さんが思ってたとおり良い人で良かったです。」


 ペットボトルから注がれたお茶を私に勧めながら、詞島さんはそう言った。

 テーブルの上に置かれたウエットティッシュで手を拭き、薦められたお茶に口を付ける。

 コップ半分ほどを飲みこみ、一息吐くと、どこかふわふわしていた気持ちがやっと落ち着いた感じがした。

 部屋の明かりの中で見る近い位置の詞島さんは朗らかなお嬢様と言った感じだ。

 人好きのする笑顔というものなのだろうか。私に対して興味を抱いてくれているというのが一目でわかる。

 そんな詞島さんが自分の言葉に反応してくれるのが嬉しくて、つい話が弾んでしまう。

 壁際のカラーボックスから覗くキーホルダーに端を発した動物園語りから、美術館、今日山上君と遅くまでいた理由。

 そして詞島さんがやりたがっていた、妖怪漫画のここ好きプレゼン合戦。

 次から次へと浮かぶ話題がどんどん消費されていく。

 話題が一周りして詞島さんの今日山上君と訪れた個人展の中でも特に好きになったという絵について教えてもらっていると、テーブルの上に置かれたスマホが振動した。


「すみません、取りますね。

 んー、と。 大木さん、お風呂どうします? 」

「え? いや、ふつうにこのまま顔だけ洗わせてもらうつもりだったけど。」


 すでに屋根を用意してもらっていたし、何より時間は二三時を回っている。

 流石に失礼だろうとは思っていたが、もし入れるのならば入りたい。

 カラオケと長時間の椅子に座っての移動は、じんわりと制服に汗を染み込ませている。

 乙女としては汗臭くないか結構不安である。


「お義母様がお風呂わかしてくれたみたいです。

 宜しければ入りませんか?」


 スマホでメッセージを送ってくれたのだろうか。

 勿論、願ってもない提案だ。

 だが、いくら何でもいきなりは。

 えっと、あー、うー、なんて答えにならない声を漏らす私の葛藤を詞島さんは察知したのか、


「お風呂に入って着替えて、さっぱりしたほうがよく眠れますよ。

 あ、そうだ。折角ですから、パジャマパーティーしましょう。

 実は私そういったことのできる友達が少なくてそう言うのに憧れてたんです。」


 そんな風に私にぽんぽんと言葉をかけ、気づけば詞島さんは私の手を取り、歩き出していた。

 ふにふにと暖かく、なめらかなおてて。

 握手会というものがよくわからなかった私だが、今その良さが理解できた。

 手を引かれ、階段を下りる間も私の手を握るそのおてては握る強さをこまめに変え、私の心にすごく暖かいがなにかよくない物を溜めてくる。

 一階に降り、お風呂場へ向かう。

 改めて気づいたが、廊下は広めで私と詞島さんがならんでもまだ余裕がある。

 そんな廊下を歩いて風呂場へ。

 脱衣場も洗濯機や乾燥機はあるがかなり広めで、二人でも余裕があった。


「こっちのタオルが私が使わせてもらってる来客用の奴で、このバッグに入ってるのが私用のアメニティですから、こっち使ってください。」

「ルカちゃんちょっといい?」


 詞島さんの説明の最中にドアの向こうから声をかけてきたのは山上君のお母さん。

 その問いに、私に目線を合わせる詞島さん。

 出ても良いかの確認をわざわざしてくれているのだろうか。

 勿論私に嫌はない。

 首肯すると、ありがとうございます、と私に言ってドアの向こうに声をかけた。


「はい、どうしました?」

「ごめんね、ルカちゃん。

 これ、大木さんに使ってもらえないかと思って。」


 ドアを開けた向こうに立っていた山上君のお母さんが差し出したのは、ビニールに包まれたパジャマだった。

 新品に思えるそれに、まさかこんなことまでしてもらえるとは思わず、つい受け取ってしまったパジャマとそれを差し出す山上君のお母さんの顔を何度も視線が往復してしまう。


「あ、これって。」

「そう、前にルカちゃんに使っていいのよっていって渡して、今つけてる奴が良いからって返された奴ね。

 折角買ったのを返品するのももったいないし、私じゃどうやっても着られないから何かあったときのためってとっておいたのよ。」


 おなかを揺らしながら笑うその姿に、感謝の念が浮かぶ。

 ちらりと詞島さんの方を見ると、彼女は小さくうなずいた。


「その、ありがとうございます。すごく嬉しいです。助かります。」


 日本語の教科書にでも載ってそうなたどたどしい単語をつなげた返事に、生暖かい目線が向けられている気がする。

 袋に入ったままのパジャマ。

 ビニールを剥いてみれば、ふわふわで滑らかな手触りについ顔を擦り付けてしまった。

 鼻腔に飛び込むのはほわほわした柔らかな薄い香り。

 これ、無添加柔軟剤使ってちゃんと洗ってる匂いだ。


「あの、すっごく助かります、ありがとうございます。

 けど、えっと詞島さん本当に私がこれ使っちゃっていいの? すごい手触りだよこれ。」


 量販店のマークがついているビニールに包まれていると言うことは、そこまでとんでもない高級品ではないと思うが、それでもかなりしっかりした物のような気がする。

 いいんですよ、なんて返す詞島さんの目線を追うと、使い込まれたように見えるパジャマが畳まれたラックがあった。

 見た感じ、それなりに年季が入っているように見えるが、そちらを使っているから問題ない、ということなんだろうか。

 

「もう一年近く使ってるんだから、替えてもいいのに。」

「でも、私の体に合わせて柔らかくなってるんですよ。

 折角なんだから、もっと使いたいじゃないですか。」

「でもねえ、色も薄くなったし、最近のやつなんてすごい手触りいいっていらしいじゃない。

 ね、大木さん。」

「はい、もうつい頬擦りしちゃいました。」

「あっはっは、ありがとうね。

 だってよ、ルカちゃん。」

「え、えっと。」

 

 山上君のお母さんと私のコンビプレイに、詞島さんも追い詰められているようで、置かれていたパジャマを取り、胸に抱く。

 いきなり取り上げられるとでも思ったのだろうか、そんなことあるまいに。

 んー、とかえー、とか言葉にならないような声を漏らす詞島さんを萌えながら眺めていると、抱いているパジャマをぎゅっと抱き直し、だって、と一言言う。

 仕草がかわいいな、なんて思っていると、続けて話し始めた。

 

「その、これは元と一緒に買いに行ったパジャマだから。」


 後半に行くにつれて小さくなる声量と、赤く染まる頬。

 恥ずかしそうにそらす目。

 左わき腹辺りにある何かの回路的な奴がぎゅんぎゅん回り始めた。

 山上君のお母さんなんか涙をたたえてるぞ。

 いや、もし自分の息子の彼女にこんなこと言われたらこうもなるけど。


「そ、そうだね!

 じゃあ大切にしないとね!」

「ええ!

 絶対大切にしてね!

 けど、少しでも着心地悪くなったり解れたりしたら言ってちょうだい!」

「あ、解れなら大丈夫です。

 ほらここ。」


 ずい、と差し出される襟とズボン部分の裾。

 誇らしく差し出されたソコに視線が集まると、詞島さんは嬉しそうに言葉を続けてきた。

 

「この前、糸が切れて解けてたんで、元と一緒に繕ったんです。

 私はちょっと手間取ったんですけど、ズボンのところを元がすごく綺麗に縫ってくれて、教わりながら頑張ったんですよ。」


 ふんす、と意気揚々と私と山上君のお母さんに縫い目を示してくる詞島さん。

 少し縒れている上着の襟部分と、とても見事にまつり縫われているズボンの裾を誇らしげに差し出してくる姿に、私の何かが限界を突破した。

 その時、思いついた事はただ一つ。

 

(あ、私この子推すわ。)

 

 生まれてこの方一六年。

 初めてナマモノに本格的な情動を感じてしまう記念日となったのだった。

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