03 23:05 県道47号線

 ICカードからあまり見たことがない額が引かれ、足を踏み出したそこは静かな町だった。

 街灯の数は少なく、自販機の灯りも駅に沿ういくつか以外には見あたらない。

 虫の声と蛙の声が聞こえてくる、いわゆる私のような貧相な想像力の人間が考える田舎駅の駅前そのまんまだった。


「田舎だろう?」


 山上君の言葉に、即座にうん、と返しそうになったがなんとか抑えられたつもりだった。

 だが、表情が物語っていたのだろうか。

 駅舎のライトで影になった山上君の顔には笑みが浮かんでいるように見えた。


「ここからゆっくり歩いて十分程度。一件だけコンビニはあるから、そこに寄っていかせてくれ。」


 そう言うと、山上君はリュックとビニール袋を持ち直し、足を動かし始め、それに続いて詞島さんと私は横並びになりながら歩き出す。

 二歩半ほど先を行くリュックの反射テープの明かりとゆったりとした足音に先導されながら知らない夜道を歩く。

 上を見上げれば黒く枠取られた星空がパズルのようないびつな形をしていた。


「ホームから見ても思ったかもしれないですけど、改めて降りてみても、ここって何もないでしょう?

 学校や都心に近い駅と違って、周りに時間をつぶせる場所もないんですよ。その分、治安はすごくいいんですけどね。」

「うん、ここまで乗ってきたこと無いからちょっと驚いちゃった。

 ありがとね、詞島さん、山上君。

 あの駅舎でタクシー待つのは確かに怖いわ。

 ほんと助かりました。」

「いえいえ。」


 にこにこと微笑む詞島さんには、なぜか引け目のようなものを持つことなく私は話しかけられた。

 クラスで話したことのある共通の友人の話や、授業の話、最近はまってる動画やドラマの話。

 一対一で話したことはあまりなかったはずなのだが、不思議と詞島さんとの話は弾んでいた。

 その中で、私はすこしづつ詞島さんに対する認識を改めていくことになる。

たとえば、割とネットミームを知っていること。まさか財団の話までできるとは思わなかった。

 たとえば、見た目通りのお嬢様だが結構な漫画を読んでいること。あしたのジョーを履修済みとは恐れ入った。

 たとえば、ちょっとばかり下世話な話題でもあっさり流してくれること。

 私主導で話しながらも、詞島さんがちょくちょく教えてくれる彼女の人となりに、私は目の前の女性に対してかなり好意を持つようになっていた。


「で、私が見たときはもう赤木さんが六人全員取り押さえてて。」

「なるほど、だから午後の体育のバレーがフットサルになってたんですね。」


 ひとしきり話をしての区切り。

 話の合間に空白ができると私は改めてあの詞島琉歌と話していたんだ、と再認識した。

 すると、ふと疑問が浮かんでくる。

 仲良く話せたのは、まぁいい。

 だが、その前段階。

 なんでここまで私に気を許してくれたんだろうか。


「そういえばさ、詞島さん。」

「はい、なんでしょう。」

「なんで私を誘ってくれたの?」


 そう、私を起こしてくれるところまではまぁ理解できる。

 クラスメイトで、しかも女だ。

 私だって詞島さんが同じように電車で寝ていたら声ぐらいかけるだろう。

 ただ、その後の一緒に泊まらないか、というのはやり過ぎな気がした。

 だって、駅からここまでの数分で、入学してから今日の放課後迄の1ヶ月分以上は話している。

 いうなれば、その程度の付き合いだ。

 そこまで詞島さんの人が良い、ということはあり得るかもしれないが、それでも気易すぎないか。私の中でそう囁く声があった。


「だって、困ってましたよね?」

「え? そりゃ、うん。」

「じゃぁ、お手伝いしたいじゃないですか。」

「えー……」


 私の心の中の疑う声からの疑問はあっさりと、何のてらいもなく返された。

 その言葉に、あぁ、負けだな、と私は肩を落とした。

 嘘を言ってるとは思えない。

 まさか本当に人の善意からの行動を信じることができるとは、私もまだまだ捨てたもんじゃない。


「それに、実は……」

「実は? 」

「大木さん、なくならないおむすびのお話ししてたことがありますよね? 」


 ふと、思い出す。

 確かあれは食べてみたい料理の話をしていた時だったか。

 最近流行のビストロやブッフェの話から、実際にはない料理の話なんかに飛んで、誰かから話を振られたときにふと思い浮かんだものを言ったのだが、それが確か『笹に包まれたなくならないおにぎり』だったはずだ。

 あの時のことを聞いていたのか。


「あったねぇ、話の流れで。

 てか、詞島さん聞いてたんなら混ざってくれれば良かったのに。」

「あの時はまだクラスに馴染めてなくて。

 今なら大木さんが話してた浅井さんとも話せますけど、あの時はまだ……」


 困ったように笑いながら言う詞島さん。

 まぁ、確かにあの時はクラス内でも席の近くか、中学時代からの付き合いでもなければ話しかけるのは難しいか。

 そう、私のような相手のことなんか気にせず話しかけるような奴以外はね。

 よし、一つ勝った。

 そんなことを思いながら、頭の中の小さな私が鼻息荒く胸を張る。


「うん、むしろ浅井ちゃんあっちゃんの方もいきなり話しかけられたら驚くよね。詞島さん、あの時点だと高貴オーラ漏らしてるお嬢様だったし。」

「え、そんな風に思われてたんですか?」

「あ、今はそんな壁っぽいのはないよ? 良い子だってのはクラスの共通認識だし、ほら、今の学年ってアレだし。」

「属性過積載の方、多いですものね。」

「そうそう、言っちゃうとあれだけど、まだ理解できる範囲の女の子だからさ、詞島さんは。」


 割と失礼な気もするが、詞島さんはなるほど、と興味深そうに頷いている。

 ある時期を境に、クラス全体からの感触が変わったのは詞島さん本人も感じていたのかもしれない。


「すみません、お話の途中で方向変わっちゃいましたね。

 私が大木さんとお話ししてみたいと思った切っ掛けなんですが、あの時のおにぎりのお話って、あの漫画のお話ですよね? 妖怪の。」


 その言葉に、私は軽い衝撃を受ける。

 詞島さんが言うように、あの時のおにぎりの話は詞島さんが考えているだろう漫画からのお話だった。


「うん、そうだけど、詞島さんってあの漫画もりしゅ、読んでたの?」


 間違い無く名作だということは胸を張れるが、漫画のカラーと詞島さんがなかなか結びつかない。

 いや、考えてみればあしたのジョーを読んでいる時点であり得なくもない、か?

 私の確認に詞島さんはぱあっと顔を輝かせると、ずい、と距離を縮めてきた。

 甘いような、柔らかいような、制汗剤のフレッシュなものではないが素晴らしく良い香りが鼻に届いた。


「そう! そうなんです! あの作品のお話しできる人が周りにはいなくて、元とお祖母ちゃんとはお話しできるんですけど、それはそれとして他にもお話ししたくて!」


 胸の前で手を握り、きらきらした目で嬉しそうに同好の士を見つけたことに嬉しそうにする彼女に、どこか安心感を感じる。

 やはり、推しの話は誰だってしたいのだろう。

 常日頃の玲瓏楚々とした雰囲気はなく、見た目と話し方と声と臭いと心遣いが違うだけで、オタ気質の私と同じものを持っている。そう感じた。


「古い漫画だし、メインストリームからは外れてるもんね。

 ネットでは認知度あっても、現実では、ってやつ。」

「はい、そうなんです。

 だからなかなかお話しできる人が少なくて。

 えっと、勿論、大木さんが困ってたから、っていうのも本当ですよ?」


 焦っているような詞島さんに、私の中のおっさんが可愛らしさを見いだしてしまう。

 ふと見せる小動物的な可愛さは、ちょっと酷いだろう。

 クラスで気になる美人さんが、一つのサブカルをきっかけにぐいぐい話しかけてくるとか、ラノベかよ。

 本格的に話すようになって一時間も経っていないにもかかわらず、私は間違いなくこの詞島琉歌という女の子への好意がどんどん積み重なっていた。

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