02 22:45 3号車
「大木さん、大丈夫ですか?」
電車の運行予定がスマホに映っている。
『都心向き最終電車、停車位置からの発車は五時に遅延。』ときた。
いやもうそれ遅延どころか中止じゃん。
来月、定期代以外もらえるかな。そんなことを考えていた私の頭の上から声をかけられる。
のっそりと目線をあげ、真正面に立つ人を見上げようとしたところ、相手はしゃがみ込んで見上げるように私に目線を合わせてきた。
タイツに包まれた細い足と、心配そうな上目遣い。そして重力に引かれ、柔らかそうなおああいやこれは駄目か。
落ちるところまで落ちた挙句にさらに地面にめり込んでいたテンションが少しだけましになる。
「あぁ、うん。
ごめんね、詞島さん。
うん、大丈夫、大丈夫、だと、思うよ? うん。
ごめんね、ちょっとメッセージ送るから。」
やってしまったことへの後悔をかみしめながら、目の前で私を心配そうに見つめる天使に応える。
正直に言うとまだ悪足掻きをしたくはあるが、いつまでもグダグダしてはいられない。
一応、こんな時間になってしまっているから心配をしてくれている可能性も考えられないことはない親に向け、チャットを送る。
あわよくばその、親特有の心配感で
『電車で寝過ごしちゃって帰るの遅れそう、ゴメンね』
できるだけ軽めに、さも重要ではないように慎重に言葉を選び、行末にはかわいい猫のてへぺろスタンプをつける。
完璧だ。
『明日までに言い訳を考えてた方がいいよ』
書き込みアイコンが出るまで三秒。
書き込み時間六秒。
駄目だった。
ノータイムでの十割準備。
父よ、もう少し娘を労れよ。
『もう私たち飲んでるから、タクシーで帰ってきなさい。
料金は来月以降天引きするからね。』
母アイコンが父アイコンの敷いた助走路を走り、私を叩きのめしにきた。
経済面でも無慈悲にとどめを刺しにきた母からのメッセージに返信することもできず、電源ボタンを押してスマホを鞄に入れる。
無事で良かったの一言くらい言っても良かろうよ。
こちとら年頃の一人娘やぞ。
「ごめんね、詞島さん。 うん、終わったよ。」
「えっと、そう、ですか? 」
「うん、終わった。」
ため息と笑いが同時に出て、くひゅひゅという感じの形容しがたい音が口からこぼれ落ちた。
まぁ、もうどうしようもない。
首を出すと決めたのだ、あとは明日、お白州で裁きを待とう。
「でも偶然だねぇ詞島さん。
なに、いつもこんな遠くから通学してきてんの? いや、それとも寝過ごし仲間?」
あっはっは、と半ばやけになりながら詞島さんに声をかける。
クラスで伝え聞いた話だと、家は学校からほど近い住宅地だったような気がしたのだが。
「いえ、私はデートの帰りです。
明日は朝から遊びに行こうって話してたので、彼氏の家に泊まるつもりだったんですよ。」
ね、と隣にいた男に同意を求める詞島さん(彼氏持ち)。
なんか余りに幸せそうな言葉に嫉妬も舌打ちも沸かず、ただ何を言っているのか理解ができなかった。
目線を追い、詞島さんの隣を見るとそこには確かに一人の男子学生がいた。
が、私はその姿を見て改めて詞島さんの言葉が正しいのかと混乱してしまった。
中肉中背、いや、少し厚めか?
顔の造形にみるものはなく華もない。
雑踏に紛れていたら見つけるのが難しそうな、いわゆる埋没系のモブにしか見えなかった。
他に誰かいないのか、と目だけで車内を見回した私は悪くないと思う。
「初めまして、
四組です。
ルカがお世話になってます。」
「いえいえ、こちらこそ。」
彼氏さん、山上君に応える。
軽く会釈するその右手は詞島さんを後ろから支えていた。
詞島さんの方も、ちょっと体勢が崩れそうになると手すりに捕まるようにそちらを掴んでいる。
うん、礼儀正しいし優しそうなところは良いぞ。だからって釣り合うとはかけらも思わないが。
「ごめん、ちょっと混乱してるんだけど、彼氏? 詞島さんの? うちのクラスにいなかったから、別のクラスの人だよね? 同い年?」
混乱と寝ぼけによる認識の欠如。
四組と先に言われていて、その意味も理解しているのに私の言葉はどんどん先走った。
聞き方によっては結構失礼な言い方をしたと思うのだが、詞島さんは私のその言葉にほわっと笑みを浮かべ、うれしそうに応えた。
「ええ、えぇ! そうなんです! そういえばクラスの人には言ってないから、紹介したのは大木さんが初めてですね。」
初めての彼氏紹介だね、なんて嬉しそうに推定彼氏君に報告するその姿に、彼氏いない歴イコール年齢の私は嫉妬を持つべきか憎悪を持つべきか判断が付かず、渇いた笑いで間を持たせようとした。
詞島さんはそんな私に言葉を続ける。
「それでさっきの放送なんですけど。
大木さんのご両親に迎えに来てもらうことはできそうですか?」
「んや、もう酒飲んでるからタクシーで帰ってこいって。」
「タクシー、ですか。」
私の言葉にちょっと眉をひそめ、後ろの彼氏をみる詞島さん。
それに彼氏さんが頷き応えると、丁度電車が速度をゆるめ始めた。
ちょっとよろけた詞島さんだが、彼氏君が抑えた。
何あれ、私も欲しい。
「とりあえず、次の駅で降りてお話ししませんか。
お力になれるかもしれませんし。」
そこまでお世話になるわけには、という風に返すのが良いとはわかっていたのだが、初めての場所に深夜にさしかかりつつある時間も相まって私らしくもなく心細くなってしまい、すいません、ありがとうとペコペコしながら一緒にホームに降りた。
降りて感じたのは、想像以上の静けさと暗さ。
ホームと駅舎の辺りはまだ良いが、コンビニの看板が見あたらないことに愕然とした。
駅名を確認し、都市伝説で聞いたことのある駅でないことを確認してしまうほどに駅付近は閑散としていた。
「ここ、何もないでしょう? タクシーも駅舎では待っててくれないから改めて呼ばないと来てくれないんですよ。」
いや、本当に同じ都内か。
愕然とした心持ちのまま、膝を折りそうになってしまう。
つまり、呼び出し料金までプラスされるのか。
私は何ヶ月お小遣いをカットされればいいんだ。
「それでですね、よろしければ今日は私と一緒に元のところで泊まって、明日の朝に運行再開した便で帰るのはどうでしょうか。」
さらっと話された言葉に、私はまた理解が追いつかなかった。
彼氏の家に一緒に泊まらないか、だと?
こいつ、何を言ってやがる。
まさか、私の体を!?
そんな感じに疑いの目を向け、即座にその考えを却下した。
うん、あり得ないというのは目の前にいる
二人並べて悦にいるというのもあり得なくはないだろうが、流石にそこまでのゲスはそうそういないだろう。
善意で私を気遣ってくれている、と考えさせてもらう。
しかし、流石にただのクラスメイトにそこまで甘えるわけには、いや、しかし。
こちらを和かに見つめる詞島さんからは否定の材料が見つかりそうにないため、彼氏君の方を見る。
少しくらいいやそうな顔をしてくれれば、私も踏ん切りがつくんだ。
が、彼の顔は凪いでいた。
嫌そうとか、嬉しそうとかそんなものがそもそもカケラも浮かんでいない。
厄介なのは、拒絶感すら感じられないこと。
彼女のために良い格好をしようとすらしてないんじゃないのかこいつ。
結局彼氏君は私の踏ん切りの材料にもならず、迷う私のスマホに、タイミング良く一つのニュースが表示された。
『H.K.Morlie ライブツアーを発表(二ヶ月ぶり十回目。今度は本当と血判署名付き)』
中学時代から追い続けていたバンドの朗報。
明日からがんばるから、来年から本気出すから、とライブに関してやるやる詐欺的な引き延ばしを続けてきた彼らが、遂に一歩を踏み出した。
ヘッズとして、ライブに行く。そのためには貯金をせねば。
そのためには、金が必要だ。
バイトは、夏休みを超えてからしか許可されていない。
眠気から醒めて以来困惑続きだった脳が高速で答えをはじき出した。
「ごめんなさい、よろしくお願いします。」
持つべきは親愛なるクラスメイトだ。
うへへ、靴とかなめましょうか。
◇
「はい、そういうわけですので私たちにお手伝いさせていただければと。はい、もちろんです。いえいえ、とんでもないです。こちらも一緒にいていただける方が安心できますから。」
私のスマホから親に電話をかけ、バトンタッチしてくれた詞島さんが事情を説明してくれた。
今まで聞いたこともない上機嫌な声がスピーカーから漏れ聞こえてくる。
私がかけたときには適当だったくせに、詞島さんがそんなに好きか、我が親よ。
いや、確かにあの声で丁寧な挨拶なんぞされたら私でもくらっとくるが。
親とクラスメイトの会話に混ざれない現状にどこか疎外感を感じる。
親戚同士の会話に混じれないあの感じが一番近いだろうか。
「えっと、ごめんね? 詞島さんの彼氏さん。お泊まり会に乱入とか、今考え直してもかなりヤバ気なことお願いしちゃってるよね。」
本当に、無礼というかなんというか。
お断りするのがホントは正しかったんじゃないのかなんて思いながら、隣にいる詞島さんの彼氏さんの表情を下から伺い見る。
彼女との甘い時間のはずが、その彼女がいきなり他の人間も誘うとか。
もし私が彼氏に家に誘われて、その最中に友達に会っておまえも一緒に来いよ、なんて言い出したら即座にその場でその彼氏の右膝を内側に折り曲げてやる自信がある。
「いや、構わないよ。 あそこで大木さんを放置してた方がルカの心に良くないものがたまっただろうし。
それに、最後の後押ししたのは俺だから。」
口元にだけかすかに笑みを乗せる表情は、本当に私に対して隔意なんか抱いていないように見受けられた。
甘々な空間を邪魔されたのなら少しぐらいは苛ついてもいいんじゃないだろうか? 男子高校生なんだし。
種族の違いという奴だろうか、隣にいる男の子からは中学時代につきあいのあった
「ッスカ…… あ、そうだ。遅れてごめんなさい。
私、大木桃って言います。詞島さんとは同じクラスです。」
「ウス。改めまして、山上元です。」
下げられた頭に、体育会系かな? なんて思った。
微妙に距離が遠いが、気遣ってくれているのか、それともパーソナルスペースが広いんだろうか。
精悍さもイケメンさも感じない、いわゆる普通の表情を眺めていると、詞島さんが歩み寄ってきた。
「大木さん、ご両親から承諾をいただけました。最後にかわってほしいと言うことでしたので、お願いできますか?」
にこにこと笑いながら私にスマホを渡してくる詞島さん。
私なんぞと一夜をともに過ごせることがそんなに嬉しいのだろうか。
やめろよ、好きになるだろ。
「はいもしもし。」
『あんたどうやってあんな素敵な子と渡り付けたんだい。』
「たまたまだよ。母上が迎えに来てくれてたらそれで済んでた話だよ。」
『なるほど、あんたは私に感謝すべきだね。』
「酒飲んで娘の迎えにこれない親がそれを言う? 」
『酒飲んで娘の迎えに行く親よりはましだろう? 』
「違いねえ。」
ハハハハハ、と合わせてわざとらしい笑いを口から吐く。
そもそも一人娘が帰ってこないんだから酒も飲まずに心配しろよとも思うのだが、それを言ったところでどうにもならんだろう。
一応信頼されてると思っとこう。
思うだけならタダだし、うん。
『ちょっと話しただけでわかったけど、詞島ちゃんは絶対良い子だね。あんた迷惑かけんじゃないよ。あと写真送ること。』
「なんなのいきなりの好感度の高さ。」
『あんたの中学時代の交友関係を思いだしな。』
「猿と人とを比べるのはどっちにとってもよくないことだと思う。」
『とにかく、迷惑かけんじゃないよ。ついでにしっかり仲良くなっときな。』
「わかった、んじゃね。」
通話を切り、息を吐く。
瞼に浮かぶのは中学時代をともに過ごした仲間達。
二、三人思い返そうとした辺りで即座に記憶を閉じた。
目の前の詞島さんと比べると今までの人生を思い返すだけで涙がでそうになる。
上を向き、気持ちの切り替え。
大丈夫、泣いてなんか無い。
「うっし。それじゃぁ詞島さん、山上君、よろしくおねがいします!」
「はい、任されました。」
「よろしく。」
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