第14話 崩れる


ハルが異動して、私達の引っ越しも

週末に無事に終わり、慌ただしく

住所変更にお互い追われて

やっと落ち着いて生活が出来始めていた。



『奈央、先に行くよ。今日は

 早く帰れると思う。』



「うん、分かった。気をつけてね。

 行ってらっしゃい。」



だいたい毎日ハルの方が早く家を出るので、

玄関先まで必ず見送りをしている。



ハグをする日もあれば、

軽くキスをする日もあるけれど、

会社で会えなくても毎日顔を合わせれる

幸せがたまらなく嬉しい



もう恋なんてしたくないなんて

思ってたあの日々が懐かしくすら感じるほど

とても幸せです。



『寝癖、可愛いな‥‥行ってきます。』



大好きな手が私のハネてる毛を撫でてから

家を後にすると、洗面所でその寝癖を見て

驚いた。



可愛いレベルじゃないし‥‥



もうボサボサレベルに近いのに、

ハルはそのままでいいって言ってくれる。



だから、職場にも今まで通り髪をとかした

後に邪魔にならないように緩くくくってお団子にして行っているのだ。



簡単に部屋を綺麗にしてから外に出ると、

夏が近いのかこの時間でも気温が

高くなってきた。



「おはようございます。」


マスクをして、作業着に着替え終えた

私が倉庫内に行くと、まだ見慣れない

渡会さんがデスクに座っていた。



同じ男性なのに、

後ろ姿もハルと全く違う‥‥



当たり前のことなのに、

そこにハルの姿を重ねてしまうのは

私の悪い癖だね。



『甲斐田さん、おはよう。』


「あ、おはようございます、主任」



渡会主任は笑顔が素敵な人だと思う‥‥



新しい環境で多分一番大変なのは

主任なのに、いつも他の社員に

笑顔で接してくれている



『今日納品多いし、他社製品のピッキングも

 多いから間違えないよう

 よろしくお願いします。』



「はい、頑張ります。」



笑顔でペコリと頭を下げると、

渡会主任もまた嬉しそうに笑ってくれた。



「主任も無理しないでくださいね。

 みんないますから頼ってください。」



もう一度頭を下げてから帽子を被り

持ち場へ行こうとしたら、後ろから

腕をグイッと引っ張られた。



『あっ‥‥‥すみません‥。

 ありがとうございます。甲斐田さんに

 何かあったら聞きますね。』



掴まれた腕をパッと離されると

また笑顔で笑った主任に私も笑顔で返した。



不安だよね‥‥


同じ物流でも、知った顔もいないし、

東井さんから引き継ぎはされてるけど、

数字や業績も各倉庫で違う。



私は勤めてる年数は少ないし、

パートさん達の方が色々知ってるとは

思うけど、力になれればいいなくらいに

感じていた



『おはようございます、甲斐田さん。』


「おはようございます。」



一時不安だった大倉さんとは

以外に仲良くまではないにしろ

普通に仕事が出来ていた。



相変わらず顔立ちが可愛い子なのに、

作業着姿が見慣れてしまう



『東井さんいなくなったらすぐに乗り換え

 するのはしたないですよ?』



「はぁ?乗り換えもなにも、仕事中に

 そんなこと考えてませんけど?

 ‥‥今日忙しいのでいつも以上に手を

 動かしてお願いしますね。」



こういうところは相変わらずだ‥‥



苦手だけど、誰にでもこういう態度の

彼女は嘘がなく裏がないから

素直でいいんだけど、周りの人達は

馴染めないでいる



悪気はないんだけど‥‥なんというか‥



『ま、私には関係ありませんけど、

 あの人ちょっと気をつけた方が

 いいかもしれませんよ?』



「えっ?何を気をつけるの?」



グイッと近づいた彼女が、

ニヤリと笑うと、耳元で小さな声で囁いた



『目が笑ってないんですよ、あの人。』



えっ?



初日からあんなにニコニコしてるのに?



「そんなの‥‥気のせいじゃないですかね?」



優しそうで、話し方も穏やかだし、

笑顔だって自然に出てるから

いい人っていう印象なんだけどな‥‥



ハルも知ってる人みたいだったし、

経験ある人だからって言ってたから

そんな変な人には思えない

 

『甲斐田さんは騙されやすそうですからね。

 ま、気をつけてくださいね、私は

 忠告しましたから。』



騙されやすそう‥‥は

悔しいけど否定できない‥



でもそれは恋愛であって、

主任と私がどうこうなるなんてこと

あるわけない。



「も、もう仕事始めますよ!」



切り替え切り替え!!


今日は忙しいんだから!!



大倉さんの盛大なため息を他所に、

パートさん達と午前も午後も

手を休めることなくピッキングして

出荷作業に追われた。



‥‥‥流石に疲れた


もう今日の晩御飯は

簡単なものにさせてもらおう‥


金曜日だったら慎さんのところに

駆け込みたいところだけど、

頑張るって決めたから、

簡単なものでもハルに用意したい



相変わらずのボサボサ頭を纏めたゴムを取り、

帰る前に髪の毛を綺麗にとかした。



普通は朝これをしてから出勤するのに、

私にはハルに会う前に一番頑張ってる感を

出したいから今やるのだ



好きな人がいない職場なんて

尚更、女気を磨く力が湧かない‥



作業着を脱いでから、ランドリーボックスに

全部入れるとシャツとパンツに着替えて

更衣室を出た。


ガチャ



「あっ‥‥お疲れ様です。」



会社を出たところで、

外でタバコを吸って電話中の主任と目が合い

頭を下げた。



作業着をなさい脱ぐと、

その人らしさが出る私服だけど、

東井さんに似てスタイルがいいのか

仕事中とは別人に見えてしまう。



お医者さんが白衣を脱ぐと

よく残念なんて昔は噂で聞いたけど、

制服とかスーツとかって魔法が

かかったように見える。



‥さて、帰って晩御飯の準備しよう。



前住んでいた場所は徒歩で帰れてたけど、

少し会社から離れてしまったので、

自転車をハルが買ってくれた。



免許持ってるけどペーパードライバーで

運転するのさえ怖いから取った意味が

あるのかってつくづく思う‥‥



『甲斐田さん!!』



自転車に跨って漕ぎ始める私の方へ

走ってきた主任に、漕ぐのをやめて

振り返った。



『甲斐田さん自転車だったんだね。

 途中までよかったら一緒に帰りませんか?』



「‥‥あ、そうですね。いいですよ。

 方向駅の方ですけど。」



本当は早く帰りたかったけど、

走ってきたし断るのもなんとなく

申し訳なくて、自転車から降りた。



大倉さんは注意した方がいいって

言ってたけど、今だって嬉しそうに

笑うこの人が変な人には見えないんだけどな‥



『今日はバタバタでしたね。

 納期余裕で間に合わせてくれたので

 さすがだなと思いました。』



「いえいえ、慣れですかね‥‥。

 早く帰りたいので‥‥」



どうしよう‥‥



ただでさえ人との付き合い方が

下手くそなのに、会話を繋げれない‥‥



ハルといつもどんなふうに話してたっけ?



そもそも私なんかと帰って、

主任の方が気を使うんじゃないか心配になる。



『甲斐田さんのことは、東井から彼女って

 聞いていたので会うの楽しみに

 してたんですよね、僕。』



えっ?



暗闇の中で見える笑顔が少しだけ

いつもと違って見えて、大倉さんの

ことが頭をよぎった



ハルから聞いてた‥‥?



ハルはそんなこと一言も言ってなかったし、

社内の人に軽々しく言う人じゃないと思う。



渡会主任のことは知ってる人とは

聞いてるけど、こんなこと気軽に話せる

間柄なら、絶対前もって教えてくれる。



どうしよう‥‥



なんて答えるのが正しいのかわからなくて

ゴクリと唾を飲み込む



「‥あ‥あの」


プルルルル   プルルルル



『‥‥ごめん、電話だ。 

 また明日‥‥甲斐田さん』



ドクン



冷や汗が流れ落ちる直前の電話に

本当は盛大に息を吐きたいところを抑え、

頭を下げた私は自転車に乗り一気に漕いだ



そんな大したこと言われたわけじゃない‥‥



でも‥‥あの時一瞬、瞳が笑ってないことに

気がついてしまった。



ガチャガチャ ガチャン



『‥‥奈央、おかえり。

 今日遅かった‥‥な‥‥奈央!?』



息をちゃんとしながら帰って来たのに、

ハルの顔を見るまで息が出来てなかったのか、

私はそのまま足の力が抜けて意識が飛んだ





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