第10話 縮まる距離


『甲斐田さんってオシャレしないんですか?』


今まで一人でロッカーで着替えることが

多かったのに、大倉さんが入社して

ちょくちょく居合わせてしまう



黙って着替えて帰ってくれたら

嬉しいのに、相変わらず出てくる言葉は

ピリッとさせてくる



入社して二週間が経ち

最初抱いていた不安がなくなったわけでは

ないけど、仕事はやってくれるので

文句はない



ほんと‥‥綺麗な子なのに

作業着もったいないな‥‥



あれ、こんなこと前にも

思ったような‥‥


あ、そっか、東井さんだ!


あの時はスーツの方が

もっと似合いそうって思えたんだよね‥



「休みの日は少しオシャレしてますよ。

 職場はそういう場所じゃないんで。」


『へぇ‥‥そんなこと言ってると

 あっという間に30超えちゃいますよ、

 先輩?』



うっ!!



口紅を綺麗に塗り直す大倉さんの

妖艶な笑顔に、マスクの中の唇が

歪んでしまう


「大倉さん、お疲れ様です。

 お先に失礼しますね。」



ガチャ



はあ‥‥新卒怖い‥



七歳差ってテンションは

もちろんのことだけど、

対応の仕方が今更だけどわからない‥



もう今日は作り置きで食べよう‥

なんかまだ金曜日じゃないのに

疲れてるかも。



若い時と違って疲れの溜まり方まで

最近変わってきた気がする‥‥



運動しようかな、本格的に。



重い足取りで家に向かうと、

マンションの下に立っていた人物に

歩いていた足が固まってしまう



『‥‥奈央』



ドクン


久しぶりに聞くその声に、

体が変に震えてくる



「‥‥‥ゆ‥すけ」



なんで?

もう半年も前に終わったはずの彼が

なんでここに?



『良かった‥‥

 部屋変わってなかったんだな。』



前は会うことが楽しみで嬉しくて

仕方なくて、自分なりに大切にしてきた。



でも、あの日目にした奥さんの存在と、

自分が一年間裏切られていた悲しみや怒りを

忘れて前を向いてるのに、

どうして今更ここに来られるのだろう‥‥



このままマンションの方へ向かったら

間違いなく話すことになる



どうしよう‥‥


一番近いのは職場だけど、

仕方ない‥‥引き返そう。



『えっ?奈央!!』



今更、悠介がどうして私に会いに来たのかは

全くわからないし、話すこともないし

逃げるべきじゃないけど、



無性にハルに会いたくなった。



そうだ‥‥電話‥‥


小走りしながら慌てて画面を開いて

ハルに通話ボタンを押すと同時に

追いかけてきた悠介に腕を掴まれた



『奈央、なんで逃げるんだよ。』


「‥‥‥じゃあ聞くけど、

 何しにきたの?今更」



あんなに好きだった人の顔は、

嘘だと思うほど嫌いになったのは、

裏切られたからだろう



奥さんもいて、一年記念日までやって、

不倫してた相手にいまさら‥



『会いたくなった』


はっ?



前だったらこんなセリフ言われたら、

嬉しくてたまらなかっただろう‥‥



でも、掴まれた手首も含めて

体中が嫌悪感でいっぱいになり、

思い切り振り払おうとした



「ちょっと!離して!!」



『なんで?‥‥前はあんなに

 俺のこと好きだったのに?』



「‥‥それは!‥‥結婚してたこと

 知らなかったし‥‥そもそも

 悠介が私を振ったんじゃない!

 ‥‥とにかくもう好きじゃないから

 離して!!』



こんな時、男の人の力って

強いって改めて思う。



もうほんとに嫌‥‥‥

なんなのほんとに‥‥怖い‥‥



『奈央!!!』



力強い腕の力で引き寄せられると、

今一番会いたかった人の匂いに包まれて、

堪えていた涙が一気に押し寄せる



「‥‥ハル‥‥ハル!!」



抑えたくても震えが止まらない手で

ハルにしがみつくと、大好きな

掌が頭を抱き締めてくれ

一気に涙が頬を伝う



『はぁ‥‥はぁ‥電話繋がったまま‥‥

 はぁ‥‥焦った‥‥』



ハル‥‥ハル‥‥



怖かった‥‥とか、会いたかったとか

言いたいことがたくさんあるのに、

心の中でハルの名前を呼ぶことしか出来ない



『は?‥‥あんた何?

 あーこの間BARで一緒にいた人?

 奈央に話あるんですけど。』



『あいにく彼女はそうじゃないみたいだけど、

 君、奥さんいるよね?

 俺警察に友達いるから、今から呼ぼうか?

 奥さんもついでに』



『なっ!‥‥‥‥チッ』



震えがまだ収まらない中、

遠くに消えていく足音に

体の力が一気に抜けそうになったところを

ハルが支えてくれた



『奈央!?』


「‥‥ハル‥‥怖かっ‥‥ごめっ」


『なんで奈央が謝るんだよ。

 無事でよかった‥‥

 もう今日は危ないからうちに泊まれ。

 明日の着替えだけ持っておいで。

 部屋まで一緒についてくから』



ハル‥‥‥



しっかりと肩を抱いたまま

ゆっくり部屋まで行き玄関を開けて入ると、

一気に安心したのか、そのままハルに

思い切り抱きついた。



悠介が何故来たのかわからないけど、

私に対して用があったのは確かだ。



会いたかったから‥って

既婚者が異性に軽々言う時点で

おかしいし、そもそもこんな夜に

待ってることが怖すぎる。



『大丈夫だから持ってくもの準備しておいで。

 ここにいるから。』



「‥‥ん、ありがとう‥ハル」



おでこにそっと触れた唇が、

頬に触れると、涙の痕を指がなぞって

優しく唇を甘噛みしてくれた。



ハルだって仕事疲れてるのに

泊まらせてくれるなんて申し訳ない‥



急いでバックパックに

最低限の着替えと必要なものを入れていく。



殆どハルの家に

週末お泊まりセットがあるから、

それらを持ってハルの元に向かい、

一緒にハルのマンションに向かった。



外に出た時、

まだいたらどうしようって思ったけど、

いなくてホッとした‥‥



『お腹空いてるだろ?

 家に帰って簡単なもの一緒に作ろう』



「うん、私作るから‥‥

 ハル‥‥‥来てくれてありがどう。」



隣を歩く大好きな人の腕にしがみついて、

もう一度泣きそうになるのを

グッと堪えた



ハル‥‥

私本当にハルといられて幸せだよ‥‥。



電話して心配して駆けつけてくれる人なんて、

今まで一人もいなかった。



心配かけてごめんなさい‥‥




『奈央こっちおいで‥‥』



東井さんのお家でご飯を食べて、

お風呂に入って週末のような時間を

過ごしながらも、優しさに甘えてしまって

迷惑をかけてる罪悪感が消えない



ソファに座るハルの手が私を

優しく引き寄せると、

足の間に座らされて後ろから

抱き締められた



『どうした?そんな顔して‥‥』


「‥‥またハルに私のことで

 迷惑かけて情け無いなって‥‥」



いい歳して、自分のことを自分で

解決できてないことにも情け無いのに、

優しいこの手を振り払ええず

甘えっぱなしだ。



ハルに何かしてあげたいって思うのに、

してもらうばかりの私は

ここにいても今後迷惑ばかりかけるのかな‥



『奈央にとっての俺ってなに?』


えっ?



いつもより少し低い声に

体がビクッと反応してしまい、

不安な私は体の向きを変えて

ハルの顔を覗き込んだ



「‥ハルは

 ハルは私の‥‥恋人だよ‥。

 大好きで、一番大切な人だよ‥‥」



ハルの頬に手を添えて親指で

すりすりと愛しい人を撫でる



どんな人よりも安心するこの場所は、

今日だけじゃなくて、いつも私の心を

自然にしてくれる



「ハルがいないと‥‥私ダメなんだ、ほんと。

 いつも甘えちゃう。ごめんね。」



こんなにも寄り添ってくれている人に

何もしてあげれないけど、

やっぱりここを離れることなんて

私にはできないのだ



『‥だったら‥‥一緒に暮らさないか?』


「えっ?

 ‥今‥‥なんて‥言った?」



『今回のこともあるけど、

 奈央が俺に甘えたいなら、

 週末だけじゃなくて、毎日帰る場所が

 同じだと奈央は嬉しくないか?』



ドクン



そんなの‥‥‥


嬉しいに決まってる‥‥



胸が一気に締め付けられるくらい

キュンと熱くなる。



「ハルももっと私と‥一緒にいたい?」



グッと近づき、ハルの両頬を手で包み込むと

私に向けられた瞳がとても優しくなり

嬉しそうに笑った



『いつも一緒にいたい‥‥もう

 他のヤツに触らせたくないくらい

 嫉妬してるから。』



「そんなの私もだよ‥‥

 ハルのこと独り占めしたいって‥‥」



二人で視線を交わした後笑って、

私達は甘いキスを交わした



深く深く交わる唇から侵入する舌は、

私の口内を確認するかのように動き、

甘い唾液が口の端からこぼれそうになる



「ンッ‥‥チュ‥‥ハル‥‥」



そのまま唇を交わしながら

いとも簡単に私を持ち上げると、

首に必死にしがみつく私を逃さぬように

ハルのベッドにそっと下ろされた。



『‥‥今日はごめん、優しく抱かない。』



ニヤリと暗闇で綺麗に笑った後、

体中に感じる甘い痛みに、息が上がり

いつも以上に時間をかけてハルの愛撫を

全身で感じた



少し冷たい指先も、熱い舌も

私に触れるハルの体の温度も

不安なんて感じる余裕もないくらい

目の前の人のことでいっぱいになる



「アアッ‥‥ハル‥‥ンッ‥‥アッ」



優しくも深い律動は、

今まで優しく抱いてくれていたハルとは

思えないほど激しいのに、

その気持ちよさにもっとと思う私を

他の誰にも見せられない



こんな姿ハルにだけしか見せない‥‥



ハルの気持ちよさそうな声と

息遣いが脳に響いて体が震える




『ツッ‥‥奈央』





何度も絶頂を迎えて息が上がり

私は初めてそのままブラックアウトした


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る