第5話 存在


あれから、仕事はそつなくいつも通りに

こなす平日でも、前より社員さんが気軽に

声をかけてくれるようになっていた。



なかなかまだ自分からはグイグイ

行くタイプじゃないから難しいけれど‥‥。



そんなに私って

話しかけにくかったんだろうか‥‥



確かに仕事が終われば直帰してたけど、

今までは恋人がいて

一人じゃなかったからなんだよね。



もう一つ変わったことといえば、

金曜日の夜は東井さんと料理をして

ご飯を食べてから一緒に部屋で

映画を見てから泊まるという生活。



『着替えとか使うもの置いてけば?』



三回目のお泊まりの時に

そう言ってもらって、

まるで週末婚かのように

入り浸ってしまっているのだ。



こんな事してるなんて誰にも言えない‥



年末年始までは流石に一緒にマンションで

過ごすことはなかったから、

私は地元には帰省した。



週末って社会人にとって

大切な時間の過ごし方なのに、

私なんかが毎週いていいんだろうか‥‥



ハルに恋人ができたら

勿論こんな生活も終わりだろうし、

友達という関係は、異性でも今後こんなふうに

変わらずいられるのかな‥



『甲斐田さん、ここ一緒していい?』


「えっ‥‥あ、勿論です。」


事務員の女性二人が

食堂の正面に座ってお昼を食べるのも

最近時々あり、前よりは

緊張しなくなっていた。



『ねぇ、甲斐田さん

 来年度の異動の噂聞いた?』



三つ歳下の櫻井さんは、

清香のように、事務服姿でも

完璧に身なりを整えた女の子らしい子だ。



もう一人の麻川さんは

この間飲み会の時に隣にいた人で、

結婚していて歳は二つ上になる。



長年の勤めていたのに、

案外話しやすいから、

もっと話しておけば良かったと後悔するくらい

ジャンルは違うけどいい人たちだった。



「‥‥あ‥誰か異動するんですか?」



毎年四月は新入社員やら、

物流内でも、時々異動はあったから

そんなに気にしてなかった。



なんなら、独身の私ですら、

このままだともっと忙しいとこに

飛ばされるんじゃないかと

ここ近年は怯えていたくらいだから



『なんかね、噂だけど、東井さんが

 名古屋支店の方から呼ばれてるって。』



えっ?



『明後日から名古屋に一週間出張じゃない?

 資格多く持ってるし、花の独身。

 二年前にも異動してきたばかりだけど、

 優秀だとそういうのもありえるよね。』



『うん、そうね、東井君とは同期だけど、

 物流内の主任だけじゃなく、

 最近は本社の方にも時々呼ばれてるし、

 年齢的には今後役員の方に行くことも

 考えられるよ。』



まさかの東井さんの話だとは

思ってなくて、食べていたうどんが

喉に詰まりそうになってしまった。



「‥‥あ、そうなんですね。」



二人があれから話してる会話も

あんまり頭に入って来なくて、

午後の仕事もいつもより捗らなく

なってしまう



なんでこんなに私が落ち込むんだろう‥



ここ最近の生活スタイルの中に

ハルはかかせなくなってたから?



少し離れた場所で、

リフトを操作して指示を出す東井さんを

無意識に何度も今日は見てしまった。



仕事中はなかなか話さないから、

もし異動が本当だとしても

私の仕事が変わるわけじゃない。



今だってここでは挨拶や、たまにすれ違えば

少し話す程度だから‥‥



問題は、金曜日から土曜日の時間を

当たり前にしてきてしまった

私の中だけの問題だ。



‥‥‥どうしよう、

思ってるよりなんか寂しいかも。




清香と過ごすよりも最近一緒にいたから、

ハルがいなくなったらまた一人で

土日を過ごすことになる。



ただそれだけのことなのに、

異様に寂しく感じちゃう自分に

逆に驚いている



明後日から出張って言ってたよね‥


何かメッセージ送るべき?


東井さんからは出張について

何にも言って来ないから、

知らなかったら

そのまま金曜日から行くとこだった。



お風呂上がりにスマホとしばらく

睨めっこしてやっぱり送るのをやめた。



久しぶりに今週末は一人か‥‥



次の日はなんとなく寝不足のまま

仕事場に行き、任されている仕事を

こなして、帰る前に廊下に張り出されてる

ホワイトボードの前で立ち止まった



あ‥‥ほんとだ‥‥



東井さんのスケジュールのところに、

名古屋出張の文字を見つけて

また胸が苦しくなる



私こんなに弱かったっけ‥‥



『甲斐田さん、ちょうどいいとこにいた。』


えっ?



あ‥‥‥スーツ姿初めて見た気がする



初めて見た時もスーツ着たら

似合うのにって本当に思ったけど、

スタイルいいから似合ってるな‥‥



「どうしたんですか?」


『ん?今週家にいないから渡しときたくて。』


「渡す?何ですかそれ。」


『家の鍵』



えっ?


ポケットから出された鍵を私の手を取り

握らせてくれてるのを、ぼーっと見てしまう


なんで東井さんの家の鍵を私に?



『寂しかったら俺いないけど、

 来て泊まってっていいから。』



ドクン‥



「‥‥なんで‥‥いいの?」


『勿論いいよ‥‥。

 じゃ俺このまま出張行くな。

 何かあったら電話くれればいいよ。

 お土産買ってくるから待ってて。』



頭をいつものようにグシャっと

大きな掌で撫でてくれると、

東井さんは優しく笑って行ってしまった。



‥あ‥‥もう絶対これそうじゃん



その場に座り込んだまま、

掌にある鍵を握りしめて膝を抱えた



私‥‥多分‥ハルのことが好きなんだ

 

 

いつも当たり前にある生活が

なくなるかもって時に気づくなんて。



恋はしばらくしないって生きてたから、

勝手にハルのことを

そういうふうに見ないように

してただけなんだね‥‥



そっか‥‥これが好きになるってことなんだ。



せっかく気持ちに気づけたけど、

友達になろうって言ってくれた人に

この気持ちは隠し通さないといけない



この関係が壊れるくらいなら、

平気で嘘だってつけるから。



ハルごめん‥‥好きになって。




「‥‥仕事頑張ろ」



本当に異動をしてしまうのなら、

ハルはあと少しで

ここからいなくなってしまう。



それならこの時間をできるだけ楽しく

過ごして、笑顔で送り出したいな。



自分の中でハルの存在が

こんなにも大きくなっていたことに、

驚くけど、人を好きって思う気持ちが

わかることができて良かった‥‥



『甲斐田さん、午後からパッキン40

 届くからピッキングと整理頼むね。』



「はい!わかりました!」



東井さんがいない日も、

倉庫内は少し寂しさもあったけど、

今週は忙しくて余裕がない日ばかりだったから

私的にはありがたかった。



‥‥はぁ久しぶりの残業したかも。



東井さんがいないだけでも、

やっぱり連携取れない時もあって

私以外の人も何人か残業する羽目に。



ま‥‥今日は久しぶりの

おひとり様金曜日だしね‥‥



なんとなくそのまま帰るのが

普通のことなのに帰りたくなくて、

一人で足を向けたのは

慎さんの店だった。



カラン


『あ、奈央ちゃんいらっしゃい。

 来ると思ってた。』


良かった‥‥慎さんいてくれて。


休みだったら帰ろうって思ってたから

いてくれてちょっと嬉しいかも



隣にハルがいないのは寂しいけど‥‥



『お腹空いてる?』


「はい、お任せでお酒と料理お願いして

 いいですか?」


いつも座る1番端に座ると、

差し出された温かいおしぼりに癒される



外は雪が降りそうなほど寒くて

歩きの私には朝晩が凍えそうな毎日だ。



ハルにメールしとこうかな‥‥


スマホを取り出して、

慎さんの店に一人で来たことと、

お仕事頑張ってとメールを送ると、

画面にハルからの着信があり

慌てて電話をとった



「もしもし、ハルどうしたの?」


『(奈央にメールしようとしたら、

 同じタイミングでメール来たから

 電話してみた。)』


同じタイミングなんだ‥‥


この時間は最近一緒にいたから

ハルも気にしてくれたのかな‥‥



電話越しのいつもより

少し低く聞こえる声が耳元をくすぐる。



「慎さんとこ来ちゃった。」



『(飲みすぎるなよ?今日は送れないから。

 慎そこにいたら後で電話変わって。)』


慎さん?


ちょうど裏から美味しそうな前菜とお酒を

持ってきてくれた慎さんに

東井さんからってスマホを渡すと

何やら二人で話していたので、

先に頂くことにした。



『ん、分かってるって。

 奈央ちゃんに変わるね。』


「もしもし」


『(奈央)』


「ん?なに?」


『(今日帰り危ないから、

 早めに気をつけて帰れよ?

 俺の家のほうが近いからタクシー使って

 泊まるって約束して?)』



こんなに離れてるのに、

また私のことばっかり心配して‥‥

ハルは相変わらずだね‥‥



「ん、分かった。約束する。

 うん、じゃあ気をつけて残り

 頑張ってね。」



まさか声が聞けるなんて思ってなかったから

ここにはいないけど、嬉しかったな。



泊まるつもりなかったけど、

約束したし、泊まらせてもらおう。



一人で家に帰るより

なんとなく寂しくない気がするし‥



『奈央ちゃん、臣いないと寂しい?』


ニヤけて食べてたのか、

肘をついて目の前でこちらを見てる

慎さんにビックリして思わず食事を喉に

詰まらせてしまう。



「ゴホッ‥‥慎さんなんですか急に。」


少しだけ涙目になりながら、

お酒を一口流し込んだ。



そんなの‥‥寂しいに決まってるのに、

わざとらしく聞いてくるなんて意地悪だよ。



『だって奈央ちゃん、初めて会った時から

 かなり雰囲気変わったよね?』



「えっ?‥‥そうですか?

 あ‥‥初めての時は泣いてましたしね。

 何か今の私もしかして変ですか?」



最初よりは、リラックスして

慎さんとも話せるようになってるけど、

相変わらずオシャレもせず女気は

ないに等しいけど悪い方向に

行ってないか心配になる。



ハルはそういうこと何にも言わないけど、

ハルの前だと素を出しすぎてるとは思う。



『臣といるとラクなんだよ、きっと。

 奈央ちゃんどんどん自然に笑えるように

 なってるって気付いてた?』



えっ?



慎さんは小さくクスっと笑うと、

多分真っ赤になってるだろう私に、

おかわりのお酒を出してくれた。



『俺から見た奈央ちゃんの第一印象は

 目が死んでたから、心から本音で

 生きてきてないんだろうなって。

 でも、臣と一緒にいるようになってからの

 奈央ちゃん、どんどん綺麗になってるし、

 自然で楽しそうに見えてきた。』



やっぱり慎さんはよく見てるから

すごいなって思う反面、

心の中を覗かれてる気がして少し怖くなる



私だってついこの間やっと

ハルに向けていた気持ちが友達を

とっくに超えていたことに気付いたばかり。



「私‥‥今まで

 ロクな恋愛してこなかったんです。

 ここに前来てた元カレも結婚してるって

 知らないくらいで‥‥。

 東井さんと出会って、初めて作らない

 自分でいられてることはとっくに

 気付いてたんです。

 でも‥‥‥失うのがツライって思えるくらい

 大切になりすぎたから、せめてこのままで

 いたいんです。」



『奈央ちゃんはそれでいいの?』


ドクン



「‥‥‥はい。東井さんのこと

 大切だから誰よりも幸せになってほしいし、

 友達としてちゃんと応援したいって

 今は思ってます。」



この歳になって、

初めて自分のことより相手のことを

考えれるようになれたことが

すごく嬉しかった。



泣きそうになるのをグっと堪えて

お酒を一気に飲むと、頭がくらっとした時に、隣に座ってきた人に肩を抱き寄せられ

驚いた私は視線をゆっくりと上げてみた。



えっ!?



なんで‥‥ここに?






『飲みすぎるなって言っただろ?』




さっき電話を切ってばかりの相手が

隣にいることが信じられなくて、

何にも言葉が出てこない。



「‥なんで?‥出張‥‥

 まだ終わってないのに‥‥」



『ん、また月曜日の朝一で行けばいい。

 やっぱり今日は奈央といたいからさ。』



‥‥なにそれ。


そういうセリフはね、ハル。

好きな人に言うんだよ‥‥。



今さっき諦めた気持ちを慎さんに

言ったばかりの私は、今のこの体制が

キツすぎて、片手でそっとハルの体を

押し返した。



「‥‥おかえり。ビックリしたよ‥‥。」



『そう?週末帰るのは考えてなかったけど、

 土日は向こうにいてもやることないから、

 それなら奈央と過ごそうかなって。』



ドクン


こういう距離のつめかたも、

前から同じのに、私のハルに対する気持ちが

大きく変わってしまったからいちいち

反応してしまう。



『ごめんね、奈央ちゃん。

 さっき電話もらった時、既にこっちの駅に

 着いたところだったけど口止めされてた。

 はい、臣の分。』



ハルのお酒と料理が

準備されてたかのように

目の前に置かれていき、

グラスを持ったので、軽くそこに

自分のグラスを重ねた。



「ほ、ほんとビックリですよ。

 タクシー使って帰るんだよとか‥‥

 今日一人なんだなって‥‥」



スーツのネクタイを緩めている手が

骨ばって長くて綺麗で、

隣にいることがたまらなく嬉しいのに、

視線を外して下を向いた。



ハルは知らないよね‥‥

この数日、無心で働いてきたことなんて。



それから二人でいつも通り少し飲みながら

美味しいご飯を食べて、慎さんの

お店を後にしてからハルの家に

タクシーでやってきた。



ガチャ


ドアを開けてくれたハルが

当たり前かのように私を

自分の家に招いてくれる。



ここ最近はそれが普通だったのに、

そのうちそれが出来なくなるって思ったら、

靴が脱げないままになってしまう。



『‥奈央?』


「‥あ、あのさ。ハル疲れてるでしょ?

 やっぱり私帰るよ。」



今日だって一日朝から慣れない場所で

働いてきてからの帰宅で、

絶対疲れてるはず。



まだ九時過ぎだし、

今から帰ってもまだ早いくらいだから‥



靴を先に脱いだハルは、

暖房を先につけてきたのかすぐに

動かない私の元へやってきて、

目の前に立っている。



『奈央こっち向けない?』


ドクン

 


静かな空間に、私の心臓の音だけが

妙に大きく聞こえる気がしてる



だって今顔あげたら絶対目があってしまう


そしたら私きっともう隠せない‥‥



ここに来られなくなるのは‥‥やだ‥



グイッ



頬を両手で掴まれ強引に

上を向けさせられると、

案の定目の前にハルの顔があり、

いつの間にか出ていた涙が

ハルの手に水溜まりを作っていく



『もう限界だな‥‥

 俺‥‥奈央のこと‥好きだ。』



えっ?



好き?



優しく笑ったハルは、少しだけ

ツラそうな表情をすると、

そのまま私をそっと抱きしめた。



『ごめん、傷付いてた奈央のそばにいたくて

 友達になれば側にいられるって思ったけど、

 そんな顔されたら俺もう無理‥‥。

 さっきさ‥慎に言ってたことが本当なら、

 奈央も俺と同じ気持ちって思ってもいい?』



ハル‥‥‥



ハルが私に対して友達以上の気持ちを

持っていたなんて知らなかった‥



「‥‥ハルを失うのが‥‥怖いっ‥」



止まらない涙で視界が滲み、

ハルのコートを握りしめる手に力が入る



「私‥‥ハルのこと本当に大切に思ってる。

 だからまたフラれたらって‥‥

 それなら友達のままそばにいられれば

 もういいやって‥‥でも‥‥」



頭を大好きな手が撫でてくれた後、

その手が私の頬に触れた後、

顎に添えられ上をむかされると、

ハルとまた視線がぶつかる



『友達にはもう戻れない‥‥

 奈央、ずっとそばにいるから奈央のこと

 恋人として大切にしていいか?』



今までで一番好きな笑顔を見せてくれた

相手に小さく頷くと、唇が触れて

私はさらにハルにしがみついた



触れては離れて、

視線が交わるとまたキスをして、

何度もずっとそうしたかったかのような

ハルの気持ちが伝わってくる



今まで何人かの人と付き合ってきて、

キスなんて何度もしてきたはずなのに、

自分が本当に好きになった人とのキスは、

全然違うんだね‥‥



『ごめん、こんなとこで。

 ‥‥今日帰らないで泊まって。』



「‥うん‥‥帰らない。」



靴を脱いで手を引かれながら行く

廊下が、初めて来た場所のように

感じられる。



どうしよう‥‥‥私さっき

思いっきりキスしてしまった‥‥



一人で過ごすと決意していた週末


友達として泊まってた私と

恋人になってから泊まる私はもう違う


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