第9話:宵の明星たちの軌跡③
村から出てしばらくは街道を行き、人気がなくなったのを確認して山に分け入った。そのまま斜面を登って、頂上付近に取られた国境線地帯をどんどん進んでいく。
こういうライン上はいわばグレーゾーン扱いになっていて、帯状にある程度の間隔が設けてある。ここはどこの国でもあり、どこの国でもない、という建前の空白地帯で、他国の領土と同様に魔法での覗き見ができない。月に二、三回、近接する領地から見回りがやって来る程度だ。二人の狙いもそこにあった。
「このライン上を進んでいけば、かなりの確率で余計な戦闘を避けられる。見通しは悪いけど、方角にさえ気を付ければ迷うことはないし」
「ですね。少なくとも、マルヴァを抜けるまでは気が抜けないけど」
「今日の夕暮れには八割方行けると思いま、いや、思うよ。こうやって話せるくらいのペースで進んでいこう」
「はいっ」
大分普通の口調が板についてきた引率者に、ようやっと落ち着いてきたリオンは元気よく頷いた。積もった落ち葉がフカフカして少し足を取られるが、しばらく晴れの日が続いたおかげだろう、周囲の地面も木々の幹も乾いている。滑って転んだり、枝葉から降ってくる水で身体を冷やしたりはしなくて済みそうだ。
季節は秋も深まる頃で、ひんやりした空気が心地いい。歩きながら見上げた空が碧く澄んでいて、うんと高いところに弧を描いて飛ぶ鳥の影があった。鳴き声は聞こえないけれど、トンビだろうか。
「――ところで、リオン。聞きたいことがあるんだけど」
「あ、はい? なんですか」
「うん。……昔のことって、どのくらい覚えている? いや、話したくないならいいん、だけど」
今までからするとだいぶ遠慮がちに、しかも意外なことを訊かれて目を丸くする。少し先を行くアスターは背を向けたままだが、どこか緊張したような気配を漂わせていた。……うん、それはそうだろう。リオンだって、もし前世を覚えているという人に会ったら、きっと昔のことを訊ねるのに躊躇する。それが相手にとって幸せな記憶かどうか、まったく予想がつかない場合は特に。
ただ幸いなことに、自分についてはそんな心配は無用だ。今後一緒に行動する上でも、ここまで連れてきてもらったという恩に応える意味でも、分かる範囲で伝えておくべきだろう。だから、出来るだけ気楽な調子で口を開いた。
「そうですね、二人の名前も顔もよく覚えてます。『魔女』の方がひなつ、『聖女』が
小学校、いえ、小さい頃から友達で、しょっちゅう一緒に遊んでました」
懐かしいな、と目を細める。ひなつはとにかく明るくて人なつっこくて、突然こっちに転移したときは真っ先に状況に適応して、現地の人と積極的にコミュニケーションを取っていた。今にして思えば、そういう前向きで柔軟な発想や行動力が、誰も予測できない面白い魔法を編み出すきっかけになったのだと思う。
史緒の方は逆に、現実主義できびきびしていて。どんなときもわりと落ち着いていて、自分の芯を見失わないタイプだった。今何が必要か、それを得るためにどうすればいいかを把握して、さっと行動に移せる聡明さがうらやましかった。回復や防御、浄化というサポートが上手だったのもそのおかげだろう。
「着の身着のままで来たから、最初は路銀に困って大変だったんですよ。おかしいでしょ? だからみんなで冒険者ギルドに行って登録してもらって、ポスター作って依頼を募集して。……でも、楽しかったなぁ」
こちらにいたのはほんの短い間だったが、毎日が本当に楽しかった。記憶を取り戻してからずっと、もう二百年も昔のことなんだというのが信じられない。こうやって話をしようとすると、全部過去形になってしまうことも。二人にもう、逢えないことも。
つい、湿っぽい方に気持ちが傾きそうになって、急いで頭を振る。ほら、相手が心配そうな顔になってるじゃないか。
「って、二人の記憶は結構しっかり残ってるんですけどね! その他のことがぼやけがちというか、こっちで会ってお世話になったり、逆に戦ったりした人とかがうろ覚えというか――」
おーい、と、木立の向こうから声がした。少し間があって再び、おーい。
鳥などの鳴く声とは明らかに違う。とっさに口をつぐんで身構えたリオンだったが、剣を抜こうとしてアスターに制された。『静かに』と手ぶりで示されて、大人しく待つこと、しばし。
「……うん、大丈夫。人の声にそっくりだけど、全然違うものだよ。通り道だから見てみる?」
ほっと息をついてそう言って、再び先に立って歩き始めた相手を、リオンは慌てて追いかけた。
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