第8話:宵の明星たちの軌跡②


 今日はたまたま市が開かれていて、村の中心部は大層賑わっている。国境沿いで物流の要衝ということもあり、行商人や冒険者らしき出で立ちの人々が多く見られた。よそ者のリオンたちがのんびり温かいものを飲んで休んでいられるのも、この開放的な空気があってこそだ。

 「予想はしてたけど、ほんとに何の音沙汰もありませんね。平和そのものって感じです」

 「ええ、国の威信にかかわることですので。同じ理由で、姫君の失踪についても公表はなさらないはずです。追手の皆さんにはしっかり偽の情報を掴んでもらいましたし」

 「……あの、アスターさん。敬語が」

 「おや、すみません。習い性でつい」

 こちらもカップ片手に、申し訳なさそうに頬をかいているアスターである。皮をなめした軽装鎧に長袖長ズボン、丈夫そうなブーツに厚手のマントという、実用的で目立たない冒険者風の服装だ。ちなみにリオノーラ、改めリオンの方もよく似た格好をしており、動きやすくて大変助かっている。神殿を出て夜通し移動し、安全なところまで来て半ば気絶するように寝入ったあと、目が覚めたら用意してくれていたものだった。

 「マントを白いものに出来れば良かったんですが、いえ、良かったんだけど。さすがに目立つから、こっちで我慢しようか」

 「いやあの、今ので十分ですよ。濃い緑も好きだし」

 「うん、それはもちろん分かってるよ? 我慢するのは僕。――大陸中の剣士の憧れで目標だからね、『白衣の騎士』は」

 「だからそれはその……!」

 元のものよりだいぶ気さくな口調で、三度はなしを振ってきたアスターはやっぱり笑顔だ。混じり気のない尊敬のまなざしを向けられて、リオンはもう一度転げ回りたくなった。本当にそういうんじゃないんですってば。

 伝説になった三勇者を直接見知っており、自分自身がその一人という記憶と自我がある――つまりは転生して、異世界から出戻ってきたらしい、というリオンの話を、親切な聖騎士パラディンはすんなりと受け入れてくれた。あまりにも素直に信じてもらえたので、逆にこちらが困ったくらいだ。なにせアルテミシアの姫として生まれて十数年、いろいろな本を読んで調べてみたが、このいかにもなファンタジー世界においてすら『転生』という概念は一般的ではないのである。

 (頭が柔らかすぎじゃないかな、このお兄さん……そのおかげで助かったんだけど)

 甘酸っぱいレモネードをちびちび飲みながら、素直に思う。いくら愛剣と前世の記憶があっても、一人ではここまでスムーズに移動できなかっただろう。

 そのくらい、アスターの働きは素晴らしかった。リオンの目的と目指す方向を聞くと、すぐさま追手が反対の方向に行くように仕向けてくれたのだ。

 『聖剣の紛失と殿下の失踪は、すぐに陛下の知るところとなるでしょう。同時に姿を消したのですから、その二つを結びつけるのも容易いこと。ならば追手は、まず姫君に所縁ある場所に差し向けられるはずです』

 今は亡きリオンの父は、王都の北側にそこそこの所領を持っていた。天上天下に身寄りのない姫君が向かうとすれば、まずその線を疑うのがセオリーだ。ならこっちは、その予測を確信に変えてやればいい――ということで、『姫らしき人物が北に向かうのを見た』というウワサを都周辺にばら撒いたのである。追跡者は見事に引っかかって全力で街道を北上し、リオンたちは何の障害もなくこの国境地帯まで来れた、というわけだった。

 「飲み終わったらそろそろお暇しようか。しばらく天候は崩れないはずだけど、ローザンブルクまではそこそこ時間がかかるから」

 「はい、ごちそうさまでした」

 おかげで身体はだいぶ温まったし、レモンの酸味で気分もすっきりした。木でできたカップは、買ってきた店に返すのがルールだ。二人で一緒に戻しに行くと、ちょうど接客が一区切りついたと思しき屋台の女将さんがにっこりした。

 「おや、さっきの男前なお兄さんじゃないか! 隅に置けないねぇ、この辺の若い子たちがみーんなきゃあきゃあ言ってるよ」

 「……どんだけ目立ってるんですか、もう」

 「いやあ、気を付けてたんだけどなぁ」

 「あらま、可愛いお嬢ちゃんだね! お兄さんのお連れさんかい?」

 「、へっ!? えっと、あの」

 ついついツッコミを入れたところ、女将さんとばっちり視線が合ってしまった。興味津々で訊ねられて言葉に詰まる。どうしよう、兄妹にしては顔立ちが似ていないし、親子は歳が近すぎる。あまりに奇をてらった設定だと不自然だ、どう言ったものか。

 軽くパニックになって口を開閉させていると、横合いから伸びてきた手にひょい、と肩を抱き寄せられた。えっと思った瞬間、これ以上ないくらい優しい声が降ってくる。

 「はい、実は新婚旅行ハネムーンでして。せっかくなので足を延ばして、西の方にでも行ってみようかと」

 「あらあら、まあ!!」

 (ひ、ひええええええ!?!)

 そのままの体勢でさらっ、と言ってのけた相手に、心の中で絶叫した。ほぼ同時に、やり取りを聞いてしまった周囲からきゃーっ! と黄色い悲鳴が上がる。十中八九、女将さんが言っていた若い子たちだ。

 (ほらあ!! みんな信じちゃったじゃないですかぁ!!)

 方便にしたってなんつーことを! と非難を込めて睨んでみるも、鏡を見なくてもわかるほど真っ赤っかになった顔では迫力ゼロだったらしい。にこっと嬉しそうな笑顔が返ってきて、不本意ながらさらに茹で上がる羽目になったリオンだった。


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