第15話

 ひんやりとした冷気につつまれた街へと飛び出す。


 外は静まり返っており、山間部の朝方特有の靄が、朝を待つ街を包み込んでいた。


 何か――物の怪といった非科学的な存在が姿を現すにはうってつけの状況だった。


「臭いわかりますか」


「わかる」


 あっち、と言いながら、ジュリが方向を指さす。街の東側へ、ぷっくりとした指は向けられていた。


「別荘地の方?」


「たぶん」


 ジュリが先導する形で、二人は歩き始めた。


 時折ジュリは立ち止まり、鼻をひくつかせる。犯人を追い詰める警察犬のようにしながら、先へと進んでいく。


 夜の街を走る車はなく、雨風もない。ジュリが微細な臭いでさえも逃すことがないのであれば、逃亡者を追いかけることはできそうだった。


 たっぷり時間をかけて、二人がたどり着いたのは滝月市北東部に位置する、別荘地であった。滝月市は観光地であり避暑地でもある。東部の山の斜面には、有名人や大企業の社長が所有する豪邸が無数に連なっていた。


 季節は秋に差し掛かろうとしている。避暑しに来た金持ちたちの姿はなく、当然、人気はなく静まり返っている。ゴーストタウンのような不気味さがあった。


「ここって確か、そらみさんや市長の別荘があるところだったような」


「怪しい。ますますあやしい」


「確かに、何か関係は有りそう」


 言いながら、シキはホルスターに触れた。このずっしりとした重みが、シキの拠りどころであった。


 大丈夫かと言わんばかりに、ジュリがシキのことを見る。シキは頷いた。


 ジュリが歩き始める。立ち並ぶ家々へ鼻を向けながら、漂う匂いをかぎ分けながら。


 そうして、一つの家の前で立ち止まった。


「ここから臭いはしている」


 別荘地の最奥に位置する、ひときわ大きな建物を指さしながらジュリは言った。


 眼前の大きな門扉には、稲藤の文字があった。


「そらみさんの家で間違いなさそうですね」前もってメモっておいたそらみの住所を確認しながらシキが言った。


「で、どうするんですか。令状とかはありませんが」


「令状は必要ない」


 ジュリは、敷地を囲う高い塀を見て回る。その姿はさながら品定めをするコソ泥のよう。


「もしかしてですけども、不法侵入をなさるつもりじゃないでしょうね?」


「カメラがない。これなら、簡単に入っていける」


「ジュリさん……!」


 シキの制止の声もむなしく、ジュリは重そうな門扉を押し開け、敷地の中へと入っていく。シキは頭をガシガシかき、彼女の後を追う。


「怒られても知りませんからね」


「平気。犯人をつかまえるためだから」


「こんなんだから、公安は悪いやつって思われるんだよ……」


 とかなんとかシキは一通り、文句を吐く。それでも、周囲を警戒するのは忘れない。もやがかかっているとはいえ、誰かがきたら通報されてしまうとシキは考えた。


 ――警察官とは似ても似つかない服装をしているのだから。


 いろいろ見て回ったものの、監視カメラはやはりない。また、人を検知して光が点灯することもなければ、番犬がいるというわけでもない。


「大豪邸なのにセキュリティがない……?」


「つけない理由があるのかもしれない」


「それってどういう」


 さあ、という返事が返ってきた。シキは肩をすくめる。


 大豪邸に見合う広い庭を歩いていると、シキは落ちていた何かに足をとられた。


「うわっ」


 そんな声とともに、体勢を崩しかけたがなんとかこらえる。


 ふうと息をついたシキは悪態をつきながらスマホを取り出し、画面の光を足元へと向ける。


 そこにあったのは骨であった。黄ばんだその骨は、人の大腿骨ほどの大きさがある。


 いや、大腿骨そのものなのではないか――。


「じゅ、ジュリさんっ!」シキは声を潜めてジュリを呼ぶ。


「あまり大声を出さないで」


「すみません、でも! ここに骨があって」


 ジュリがシキの下へやってくる。しゃがみこんだジュリは、芝の間に転がっていた骨をつまみ上げ、しげしげと眺めはじめる。顔色は微塵も変わっていない。


「よく触れますね」


「生きてるわけじゃないし。これ、人の骨」


「そんな気はしてましたが」シキは胃酸がこみあげてくるのを感じた。「気持ちわる……」


「大昔の骨。少なくともここ何年でできたものではない」


「犬が墓場からここ掘れわんわんしてきたってわけね」


「あるいは食屍鬼が墓荒らしをしたのかも」


 そう言って、骨を放り投げたジュリは、すでに興味を失ったようで屋敷の背後へと歩いていった。


 シキはその場に立っていた。軽口でごまかそうとした恐怖が、再びこみあげてくる。


 ホテルで襲ってきたあの人影、自分を食べようとした存在が残した食い残し。自分は、それと同じものになっていたかもしれない。


 気がつけばシキは嘔吐していた。

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