第12話
誰もが夢の中へと旅立つ丑三つ時。
シキは、夢を見ていた。
それははじめ、いつもの夢かと思われた。村の人間が、巨大な火の玉にも似た生物とそれを扇動するように歩く男によって虐殺されていく、記憶のピースからなる悪夢。
だが、そうではないことはすぐにわかった。
「ここは……」
声を発することができた。悪夢の中は、VRゴーグルで映画を見ているような感じなのだ。その場にいるような臨場感があったが、だからといって、何かができるわけではない。その中で、シキはいつも無力感に打ちひしがれていた。
だが、今回は違う。戸惑う声だけではなく、立ち上がることも歩くことさえもできた。
そこは、縞瑪瑙でできた建物だった。ただの建物ではない、荘厳でまばゆく輝くような装飾がいたるところに施され、思わず目がくらんでしまうようなこの建物には、城という言葉がふさわしい。
シキがいるのは、広いあまりに広い大広間の真ん中。切れ目のない床は冷たく、体温を奪っていくかのように思われた。
大広間に漂う白いもやは先にあるものを覆い隠すかのように、白のカーテンをゆらゆらはためかせている。その向こうには何がいるのかは、わからない。
だが、湧き上がる恐怖が、そこに存在しているものが尋常ならざるものだと訴えていた。
それでもシキは足を前へ出した。震える足が一歩また一歩、先へと進んでいく。硬い床を踏みしめる度、足音がだだっ広い広間に空虚に響いていく。
もやの向こうに扉が見えた。
シキは駆け寄り、自分よりもずっと大きなその扉を、押し開けようと力を込めた。
「――やめといた方がいいと思うけどなあ」
声が、すぐ隣からした。
女の子がいた。肌と肌とがぶつかってしまうような距離で二人の目が合った。
女の子はウィンク。
「うわあっ!?」声を上げて、シキは飛びのいた。
まばたきする前には、そこには誰もいなかった。足音だって、人の息遣いさえもしなかった。あの一瞬で、現れたみたいだとシキは思った。
あまりに驚いてしまったシキは、勢いのままに尻もちをついた。固い床でぶつけた臀部が痛い。さすっているシキは少女の笑い声を耳にした。
少女はひとしきり笑ったかと思うと、シキへ手を差しだした。
「ほら、立って」
「あ、ああ」
少女の手をとって、シキは立ち上がった。
にっこりと笑うその少女は、年は中学生くらいだろうか。背格好はジュリと似ていたが、その雰囲気はジュリとは真逆で快活だ。それは、Tシャツにホットパンツというシキと似たラフな格好をしているからだろうか。あるいはその服から伸びる小麦色の四肢のためか。
「じろじろ見てー、おにーさん、そっち系なの?」
「い、いや違う。けど、どこかで見たことあるような……」
その少女のことを見ていると、ひどく頭痛がしてくるような気がした。頭の中を根底からひっくりかえされるような感覚が、シキを不快にさせた。
「無理に思いだす必要はないんじゃないかなー。それに今はそんなのどうでもよくない?」
「確かに……。ってか、ここどこ?」
「いやいやいやいや。その前にさあ、聞くことあるでしょ。こんな可憐な美少女が目の前にいるんだよ?」
「……名前は?」
「よくぞ聞いてくれました! ニルヤは東峰ニルヤって言いますっ」
「東峰ニルヤ?」
シキはその名前にピンときた。調査対象となっていた三人に接触した人物が、東峰ニルヤという女性だったはずだ。
こなたとの連絡中に、シキはニルヤの姿を確認している。タイトなスーツに身を包んだ、いかにも仕事ができますよ、といった風貌の女性であった。きつめの視線とハイヒール、胸元は大きく開いており、褐色の鎖骨が扇情的だ。写真ごしに、妖艶さというものが匂いたってくるほど。
たしかに、面影はあった。
だがしかし。
「きみは子どもだろ。東峰さんは大人だ」
「あーあ、今バカにしたでしょ」
「バカにしちゃいない。信じられなかっただけ」
「ここがどこだか忘れてるんじゃないのー?」
「夢の中……」
「わかってるじゃん。なら、あなたの潜在意識が、東峰ニルヤという女を子どもにさせたの。あなたの欲望のせいで」
よよよ、と自称ニルヤが泣きはじめる。あまりにわざとらしい噓泣きに、シキは何も言えなかった。
それよりも。
「これがオレの夢……?」
それにしては見たことがない場所だった。二年分の記憶の中にも存在しない、奇妙な場所。
――いやそもそも、ここは現実に存在する場所なのか。
「覚醒の世界にはないよ」
「覚……なんだって?」
「覚醒の世界だよ。君たちが言うところの現実。で、今いるのは、夢の世界」
「オレの?」
ニルヤが首を振った。「正確にはみんなが来られる夢ってところ。集合的無意識って知ってる?」
「心理学者が言ってたやつってくらいなら」
「無意識で人はつながってるってやつ。まあ、あれだと思ってよ」
「はあ」
「もっとも今回のはまた別で、君とジュリちゃんの無意識が混ざった夢の世界というところだろうだがね」
「ジュリさんの無意識が?」
驚いたシキは、周囲を見回す。豪華絢爛を通り越して、いっそ悪趣味とさえ感じてしまうほどの過剰な装飾が施されたこの城と、無感情な彼女とは無縁なもののように感じられた。
ニルヤは「そうですとも」と自信たっぷりに胸を張って、頷く。
「人が何を考えてるかなんて、誰にもわからないでしょー? 君みたいにね」
「だから! オレはロリコンじゃねえ!」
「ま、そういうことにしておこっか。で、夢だってことは理解した?」
「……半信半疑だけど」
「じゃあねえ。この扉の先にあるもの教えよっか」
シキは、隣のニルヤを見た。その顔に浮かんでいるのは、ニヤニヤと人を食ったような笑み。
「なにがあるって言うんですか」
「あるっていうよりは、いるんだよ」
「いる……」
「そ、いる。あそこにはねえ、神様が集まってるんだー。それで、ジュリと君らが呼んでいる存在を取り囲んでいる」
シキは扉に手をかけた。気持ちが悪くなってしまうような奇妙な彫刻が施された扉は、全く動じない。
ニルヤが笑った。
「行ったところで、君は何もすることはできないよ。これは再現に過ぎないからねー」
「再現。オレがいっつも見てるような?」
「そゆこと」
「じゃあ、なんでオレはこうして動けてるんだ!」
ニルヤの口角が上がる。怖気の走るような気味の悪い笑みだった。
「誰のおかげでしょ」
「お前か」
「はあ? わたしなわけ――あるんだよねー。なんでわかったの」
「……そんだけ言ってほしそうにしてたら誰だってわかる」
ニルヤがくるりと身をひるがえして、一回転する。楽しそうな――聞いている者にとっては不快な――笑い声とともに、踊る。そんな彼女に対して、シキは身構え、距離を取る。
「怖がらないでよー。ニルヤ、子どもなのにぃ」
「得体がしれないからな」
「ひっどーい。得体がしれないのはジュリちゃんもいっしょなのに」
「それは……」
シキは言葉を濁した。ジュリは、自分のことを話そうとしない。もともと口数が少ないのかもしれなかったが、公安六課にやってきた経歴さえも、シキは知らない。
シキは、ジュリが、ジュリという名前であるということと、何か怪しげな知識に精通しているということしか知らなかった。
「ほらわかったでしょ。ニルヤが普通の少女ってこと」
「いや、普通じゃないでしょ」
「女の子にとっては普通なの。なにさ、気が触れてしまわないように止めてあげたってのに」
「気が触れる?」
「正気じゃなくなる。この扉を開けて、中で起きていることを見たら頭がおかしくなっちゃうってこと。わたしとしてはそれでもいいんだけどさあ」
「……じゃあなんで助けてくれたんだよ」
「気まぐれ。あるいはジュリちゃんの知り合いだから?」
「ジュリさんの何を知ってるんだ」
「知ってるよー? なんでも知ってる」
「じゃあ教えて」
「いいけど、一つだけ――」
そう言って、ニルヤという少女はシキの耳元に真っ赤な唇を近づけた。
そして、吐息交じりに言うのだった。
「ジュリちゃんとはねえ、姉妹なんだ」
「嘘つけ」
「じゃ、君の妹ってことで」
「どうってなんだ、それにオレには妹は」
「記憶喪失なのに断言するのおかしくない?」
「でも、なんとなくわかんだよ。ジュリちゃんに妹はたぶん、絶対いない」
「ふーん。信じてくれないなら、妹として忠告してあげるよ」
「だから妹じゃ――」
「覚醒の世界の君、狙われてるよ?」
ニルヤが、シキの足首を指さす。
そこには赤い手形のようなものが浮かんでいた。
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