第11話
ホテルは駅前のビジネスホテルで、高くもなければ安くもない。公安といえども警察官ひいては国家公務員である。経費はそれほど多くはない。出来たばかりの部署ともなればなおさらだ。
そういうわけで、泊まるホテルに関してシキはまったく期待していなかった。
だがしかし、予約されていた部屋は予想をはるかに超えていた。
「なんで同じ部屋なんだよ!?」
シキは、スマホのマイクに叫んだ。スピーカーからは『うわっうっさ』というこなたの声が漏れてくる。
『何が不満なの。ベッドは二つあるじゃない』
「なんで、ジュリさんと同じ部屋なんだって話だよ! おかげで変な目で見られたじゃん!」
この電話をかける数十分前、シキとジュリはチェックインをはたした。どんな部屋に泊まるのか知らなかったシキはホテルのカウンターで声をかけた。
そうしたら、渡されたのはたった一つのカードキーだけ。それと、犯罪者か何かを見るような目。ついでに「汚さないでくださいね」とまで言われてしまった。
『別にいいじゃん、他人にどう思われよ―ともさー』
「警察呼ばれたらどうすんです。警察が警察に声かけられたらいい笑いもんですよ」
『課長、何度も職質くらってるよ。しかも、警察で働いてんのにだよ。笑っちゃうね』
くすくす笑いながらこなたは言葉を続ける。
『それに、あの子見た目だけだよ、かわいいの』
「それはまあ、何となく……。すごく変わってますね」
『変わってるどころか、すんごいんだから、期待しててね」
「期待って何を――」
ドクンと心臓が跳ねた。
今この場にジュリはいない。彼女は浴室にいる。浴室でやることといえば入浴以外ありえない。
シャワーを浴びて上気している肌が脳裏をよぎる。覗いたわけではもちろんない。シキの妄想だった。
シキの頭は瞬く間に真っ赤になり、オーバーヒートしそうになる。
『何想像したのー? お姉さんに教えて?』
「ななななっ何も想像してない! それより、何かわかったことは!?」
ふふふ、という笑い声がひとしきりシキの耳元でした。
『そう焦らないの。まずは市長とそらみの関係性だけど、楽曲提供の数年前から親交が再開したそうなのよ』
「まあ、普通ですね。間に誰かが……?」
『いい勘してるじゃない。その通り、道見造という男が噛んでいるみたいね。彼も二人の同級生で、何とびっくり、市長からではなくそらみから挨拶しているみたいなのね』
「そんな詳しい所までどうやって知ったんです」
『それは監視カメラにハッキングして――』そこまで言ったところで、こなたは咳払い。
『なんでもない。忘れてね』
「忘れられる気はしませんけどね」
『とにかく、そんな調子で親しくなったらしいの。その後、東峰ニルヤって男とも親しくなるみたいで、勉強会なるものを結成するまでに仲良くなったみたい』
「その東峰ニルヤって?」
『さあ、わかんない』
「ハッキングできる人がわからないってそれはどうして」
『私が聞きたいくらい。会えたら聞いてみてよ』
「考えておきます。ほかに決定的情報とかないんです?」
『あるって言ったら?』
「なんでもったいぶるんです」
『できるなら、ジュリにいてほしいのよ』
「――わたしならここにいる」
声に、シキが背後を振り返れば、バスローブ姿のジュリが仁王立ちしていた。大人用のバスローブはサイズが合わないのか、だぶだぶで、手の甲は袖に隠れているし、足の方はウエディングドレスのように地面に垂れている。着ているというよりは着らされているかのようだが、それが逆に扇情的でもあった。
一瞬にして、再び真っ赤になってしまったシキは、長い髪から雫を滴らせているジュリから顔を背ける。
「な、なんて格好してるんです!」
ジュリが首を傾げる。「普通の格好」
「そりゃあそうですけど、オレ、男ですよ」
「男だから何」
そう言われてしまうと、シキは何も言えなくなってしまった。それどころか、艶やかな少女が発するかすかな熱気にあてられて、動けなくなった。
そんなシキに、ジュリがぺたぺた足音を響かせ近づいていって、その手からスマホを取った。
「もしもし」
スマホをとった際にスピーカーモードになったらしく、こなたの声がシキの耳にまで届く。
『あ、ジュリじゃん。おっすおっす』
「それで、話は」
『ええとねえ、少々お待ちを』
カタカタカタカタとキーボードを叩く音が響く。かと思えば、別の――ジュリが練ることになっているベッドで、電子音が鳴った。
『今、ジュリのスマホに画像送ったから、それ見てよ』
ジュリはシキのスマホを耳にあてながら、自分のスマホを手に取る。いくつか操作し、メールを開いた。
「これは……」
シキはジュリの背後から、スマホに表示されているものを覗き見た。
それはグラフだった。横軸が時間を、縦軸が周波数を現している。だが、そのグラフは見たこともないようなものだ。
グラフは日本語を形づくっていた。
「大いなる我が魔王……?」
口に出した途端、ジュリが振り返った。
「その名を口に出すな」
そう言った彼女の目には、強い感情が浮かんでいた。並々ならぬ怒りと憎しみが、赤と緑の瞳の中で燃えたぎり、今にも噴火してしまいそうなほどに爛々と輝いていた。
シキは、コクコクと何度も頷いた。そうでもしないと目から溢れだした
『私も口に出すのはおすすめしないかなー。万が一聞こえちゃったらねえ。あんな面倒なやつには目をつけられたくない、でしょ?』
「わたしに言ってるの」
『他に誰がいるっていうのよ』
重苦しい沈黙があたりに漂う。こなたはこの場にいないのに、二人の視線がバチバチと火花を上げているようにさえ感じられた。
「あ、あのどういうことなの」
『あはは、気にしないで。とにかく、それはすっごく厄いやつってことだけは覚えておいて。口に出すことさえもはばかられるようなね』
「これ、人の名前なんです……?」
そんなシキの疑問に、こなたの愛想笑いが返ってくる。ジュリは何も言わなかった。
しかし。
周波数の上下によってあらわされた文章は以下のように続いている。
いあいああざとーと、宇宙の混沌であり大いなる我が魔王よ、この声が聞超えるならば、あなたに祈りを捧げます。
あざとーと。
その名前を目にしただけで、空気は寒く感じられ、シキの体に鳥肌が立った。遺伝子の中に、その何者かもわからない存在に対する絶対的な恐怖が幾重にも刻まれているかのように。
「なんなんだ、これ」
『神様に対する讃美歌ってところかしら』
「その神が……」その先を、文中に出ている名前をシキは発しなかった。
あまりに禍々しく、渦巻く恐怖に、口がその名を紡ごうとしなかった。
「邪教よ」
「知ってるんですか、ジュリさんは」
「…………」
『ジュリに代わって答えると、大昔に信仰されていた宗教なの。そこに名前が出ているのは、その宗教であがめられていた神の名前』
『その宗教――ジュリが言うところの邪教を、対象は信仰してるってわけだねえ』
シキはうめいた。異様な事件を目の当たりにしたとはいえ、ある程度追いかけていた有名人が変な宗教にはまっているだなんて信じられずにいたのだ。
だが、こうやって超自然的な証拠を出てくると、一連の現象がそらみによるものだと信じざるを得なかった。
「でも、どうして自殺者や犯罪者が増えるんだ」
『それはねえ正確なところはわからないんだけど、このメッセージがインフラサウンド――超低周波によって構成されてるからじゃないかなあ。人類には聞き取ることのできな領域の音なんだけど、それが精神を蝕んでいるというわけ。一種の音響兵器ともいえるかもしれないわね』
音響兵器とは、その名の通り、音を武器としたものである。音といっても単純に大音量をぶつけるものから、周波数を調整し、三半規管や脳機能を低下させるものまである。……とこなたは説明した。
あるいは、と言葉が続く。
『こういう可能性もあるかもしれない。かの神の名前が、潜在的な恐怖を聞くものに駆り立てているのかも』
「……んなバカな」
『私もそう思う。でも、同時にわたしも気持ち悪さは感じた。もっとも科学的なものなのか、本能的なものなのかわからないけれど』
そこのところどうなのよ、とこなたがジュリへ問いかける。
ジュリはしばらくの間黙っていた。
「可能性はなくはない」
『だそうよ』
シキは、ジュリのことを見た。彼女は、窓の方へと視線を向けていた。
日付が変わろうとする夜更けの街には、夜の静けさが広がっている。
心がざわつくような嫌な静けさに、ジュリの横顔もどことなく緊張しているように見えた。
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