第3話
「シキです。よろしくお願いします」
自己紹介とともに頭を下げる。顔を上げたシキの耳に届いたのは、蔵山の「よろしく頼むよ」という柔和な声。ジュリはまっすぐに一点を見つめていた。
シキは、どこに座ろうかと席を探す。ジュリの体面に座ろうとしたが、「雪原こなた」というプレートが置かれていた。公安六課にはもう一人いるらしい。
視線をさまよわせたのち、ジュリの隣が空いていることに気づいたシキは、そっちを使うことに決めた。
「隣使うから」
返事はなかった。シキは椅子に腰をおろす。その左側には、部下たちを見るように向けられた机があり、そこには、アロハ姿の課長が写った写真が立っていた。
「ここは何をするところなんですか」
辞令には、公安六課への配属の旨しか書かれていなかった。誰がいるのかも今まさに知ったばかりで、仕事は何なのかなんてわかるはずもなかった。
蔵山はコーヒーを淹れながら、シキの質問に答える。
「それに答えるのは難しいな。君は最近まで学生だったよな」
「まあ……」
「では、公安の仕事は知っているか?」
「えっと」
シキは、公安のことについて知っていることを思いだす。公安といえば、危険な人物を監視し、事件を未然に防ぐ影の存在という感じだ。あるいは、何か後ろめたい法に背いたことをやっているという印象があった。
「よくないことをしてる人たち……?」
「あってるな。そういう批判も確かにある」
「そういうことをやるんですか、オレたちも」
「やるかもしれないし、やらないかもしれない」
「曖昧ですね」
「必要とあればやらなければならないかもしれないからな」
虎もしっぽ巻いて逃げそうなほど強面な蔵山が口にした言葉には、重みがあった。だが、次の瞬間にはその顔に微笑みが浮かぶ。
「もっとも、新設されたばかりの部署だからね、そこまで期待されていないだろうがね」
「そうなんですか」
「ああ。我が公安六課は去年出来たばかりさ。しかも、お上の思い付きでね」
「お上……?」
「――警視庁上層部のことだね」
扉の方から声がした。そちらを見れば、長身の女性が立っていた。白衣を身にまとった研究者か医者のようなその人は、手をふりふりやってきて「雪原こなた」の席に座った。
「へえ、あなたがあの事件で生き残ったっていう」
「は?」
「あ、そうか。シキ君は記憶喪失なんだっけ?」
シキは頷いた。彼は記憶喪失だった。二年前を境に、それ以前のことをすっかり忘れてしまっているのだ。
覚えている範囲で最後の記憶は、今でも夢に見る、あの凄惨な光景だ。
村が無残に焼かれ、人々は情け容赦なく殺された。――倒壊した建物の陰に倒れていたシキを除いた百名あまりが殺されるという、近代最悪の凶悪な殺人事件。
「私は雪原こなた。君の経歴にはちょーっとばかし興味が惹かれるねえ」
こなたは言いながら、シキの方へと身を乗り出す。その琥珀のような目が合うと、メ
ドゥーサに睨まれたみたいに、シキは固まってしまいそうになる。ルージュの唇を舐めていく舌は、ヘビみたいに先端が割れていた。
ドギマギとしているシキと、それをおかしそうに見ているこなた。
漂いはじめた妙な空気を断ち切るように、蔵山が咳払いをした。
「ここでは不順異性交遊は控えてもらおうか」
「そ、そんなつもりじゃっ」
「ちぇっ。もうちょっとでいたいけな少年を味見できたかもしれないのに」
「雪原さん!?」
「そんな他人行儀な呼び方しないでよ。こなた、もしくはお姉ちゃんと呼んでくれてもいいのよ?」
「じゃあ、こなたさんで……」
不満そうに口を尖らせながらもこなたは「今のところはそれで許しましょうか」と言った。
「あー、こなた君」
「課長なんですか」打って変わって、その言葉にはトゲがあった。
「話の途中だったのだが、君から説明してくれないか? 六課の仕事を」
「どうして私なんですか。課長自ら説明してくださればいいのではないのでしょうか」
「何という正論。だが、私はそういうのにはまったく疎くてな」
「課長が得意のは妖怪とかそっち方面ですものね」
ハンカチでテカるおでこを拭きながら「まったく面目ない」と蔵山が言った。
それを横目に、こなたが大きなため息をつく。
「公安六課は、超自然的事件に対応するために設立されたんです」
「超自然的?」
「オカルティックな事件とも言い換えられるかもね」
「それってつまり『Xファイル』とか『フリンジ』とかがやってる?」
「そうそう、通常の事件とは全く違う、異常な事件を取り扱う独立した部署が公安六課というわけ」
「もっともその設立は、自衛隊の特殊作戦群の部隊増設を模倣したにすぎないがね」
シキとこなたが揃って蔵山の方を見た。蔵山はバツが悪そうに口笛を吹いた。
「設立された経歴はともかくとして、私たちがするのは、カルトの監視ってところかしら」
「カルトって、例えば黒ミサを行うような?」
「他にも新興宗教とかね。でも、最近は個人の事件が多いかな。――ですよね、課長」
「あ、ああ。確かにこの間のゾンビ事件も確か魔術書を手にした男の犯行だったな」
「ゾンビ? 魔術書?」
警察には何か不釣り合いな言葉が平然と飛び出してきたことに、シキは困惑する。流行りのゲームの話でもしてるのだろうかといぶかしんだが、蔵山とこなたは笑ってはいない。
「ジュリさん、本当なの?」
「本当。屍食経典儀の写本の一部を持っていたから」
「かるとなんちゃらってなんです」
「その昔、人食主義のカルトがあってね、そのカルトについてまとめた本だよ。もう出回ってないはずなのに、だれかがコピーをばらまいたんだ。実に興味深いことにね」
「あのね、雪原君。私たちはそういった危険なものを摘発しなくちゃならないんだよ?」
「課長に言われずともわかっています。まあ、そういうわけだから、仕事が舞い込んできたら君にも働いてもらうよー?」
「あはは……なにするのかわかりませんけど、よろしくお願いします」
立ち上がってシキが言う。朗らかな空気の中、それを破るように扉が開かれた。
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